目隠しは赤い糸

雪野 千夏

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二齢

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蚕を右手の平にのせ、光にかざせば、反射する糸が確かにあった。糸を引っ張れば、それはあとから、あとから出てきた。クモの糸よりも細く、粘着性もない。絹糸だろうか。時々苦しそうにするが、少し待ってゆっくりと引っ張ればまた続く。こんな小さいうちから蚕なのか。愛しいのと同時に心が泡立つ。引くスピードを速めれば糸はたやすく切れた。
そんなものだ。
急に蚕がつまらないものに見えた。
もぞもぞと動く蚕にほんの少し力を込める。
衝動に一回だけ身を任せる。
蚕は動く。左手を右手の平めがけ、落とす。それならそれでいい。手の平の間で動く感触があった。
つまらない。もう一度、手を叩いた。感触があった。
もぞもぞと小さな黒い頭が、指の隙間からのぞいた。

「ふ、ははは、……はあ」

笑いたいのか。泣きたいのか。糸くずよりも小さな蚕を挟んだまま、ベッドへと倒れこんだ。
兄の履歴の下に並ぶ章の番号。この汚れを誰かにぶちまけたい。目を瞑って押してみようか。繋がったほうに話してしまえば……。
とりとめもない考えが頭に浮かんだ。発信ボタンを押せないまま携帯の明かりが消えた。

スマホが鳴った。

『蚕、どうなった』

章だった。なぜか、泣きたいくらいにほっとした。落ち着いた声を思い出せた。

「べつに、小さい毛虫って感じ。春に桜の木にいるやつ。あんな感じ」

右手の人差指黒と緑の物体を眺める。

「あのさ」
『うん?』
「会いたい。」
『……』

だめかな。声は揺れたと思う。こんな夜は一人でいたくない。耳元に残る母親の声を打ち消したかった。なんと返事をしたのかはわからない。ただスマホの向こう、章は、今から行く。そう聞こえた。

      ※※※

気だるい朝がやってくる。充足感に満たされた気になった夜が嘘のように章と向かえる朝昨日までとは違うにおいに自己嫌悪の嵐だ。それでも彼から離れられない。

「最低」

優しい顔で眠る彼の腰に絡みついた腕を外すと布団を抜け出す。
愛の意味も、恋の中身も、好きの境界線も知らない。ただ朝が来て、夜が来てまた朝は来る。間違えずに愛したい。と願った日もあったがそれは遠い日のことだ。今はただ激情にも似た思いを知らぬ振りをして日々を過ごすことで必死だった。時々襲ってくる知らない振りをしている衝動をなんとか、社会の枠に収めるために章は必要だった。
たとえ、それが誰かを利用していても、傷つけても大切な兄の幸せを護るために、私は普通でなければいけない。ただそれだけが頭にあった。

「あれ、蚕一匹減った?」
「死んだ」
「ああ、まだちっちゃかったしな」

シャッターの音が聞こえる。包丁を握ってトマトを切った。
そう、まだ小さかった。
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