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2話
隣室の配信者
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隣室の配信者
夜中、壁が鳴った。
最初は、配管の音だと思った。再生ホテルは古い建物だ。軋みや、温度差で鳴る音くらいある。
だが、それは明らかに声だった。
女の声。
少し高く、柔らかく、語尾をわずかに伸ばす癖がある。
――聞き覚えがあった。
私はベッドから起き上がり、壁に耳を当てた。
隣の部屋から、はっきりと配信口調の声が流れてくる。
「ねえ、聞いてる? 今日はね……」
胸の奥が、ひどく冷えた。
それは、かつての私の声に、よく似ていた。
翌朝、廊下でその部屋の主とすれ違った。
二十代後半だろうか。髪は丁寧に巻かれ、目元はしっかり作り込まれている。
「あ、昨日うるさくなかったですか?」
彼女は、屈託なく笑った。
「配信してたら、ちょっとテンション上がっちゃって」
「……配信?」
「はい。ライバーです。ここ、電波弱いけど意外といけて」
悪びれた様子はない。
「声、似てるって言われませんか」
私がそう言うと、彼女は一瞬だけ目を瞬かせた。
「……え?」
「誰かに」
「いえ。オリジナル、私のものですよ」
即答だった。
速すぎる否定は、準備された言葉だ。
その夜、また声が聞こえた。
今度は、よりはっきりと。
「私のこと、好き?」
胸が締めつけられる。
それは、私がかつて何百回も使った言葉だった。
画面の向こうの誰かを引き留めるために。
無意識に、依存を育てるために。
私は、ホールへ向かった。
彼女は、そこにいた。
スマートフォンを手に、配信をしている。
「……ここ、静かで雰囲気いいんですよ」
画面越しの笑顔と、現実の表情は、微妙にずれていた。
「誰に、教わったんですか」
「え?」
「その話し方」
彼女は笑いを止めなかった。
「みんな、こんな感じですよ」
「違います」
私は、はっきり言った。
「それは、誰かの配信者の声です」
彼女の指が止まった。
配信は切られていない。
「私、研究してるんです」
彼女は、ようやく本音を漏らした。
「伸びてる人の喋り方。間。言葉の選び方。全部、分析して」
「それで?」
「……人気、出ました」
誇らしげな声音だった。
その瞬間、ホールに別の声が重なった。
聞き慣れた、複数の声。
喜び、甘え、怒り、泣き声。
彼女が“借りた”声たち。
「やめて……」
彼女は耳を塞いだ。
「これ、私のじゃない……!」
「そうですね」
私は言った。
「あなたの声は、どこ?!」
彼女は答えられなかった。
翌朝、隣室は空になっていた。
フロントに尋ねると、もうチェックアウトしたという。
その日の昼、私は何となくスマートフォンを開いた。
かつての界隈の噂が、静かに流れてきた。
――突然、配信をやめたらしい
――アカウント、消えてる
理由は、どこにも書かれていなかった。
夜、再生ホテルは静まり返っていた。
もう、似た声は聞こえない。
私は、自分の部屋で椅子に座り、深く息を吸った。
声は、道具じゃない。
奪えば、必ず歪む。
歯科衛生士として、私は知っている。
噛み合わせがずれたままでは、
どれだけ整えても、痛みは消えない。
ホテルの壁に、そっと手を当てる。
返ってくる音は、何もなかった。
それでいい、と私は思った。
夜中、壁が鳴った。
最初は、配管の音だと思った。再生ホテルは古い建物だ。軋みや、温度差で鳴る音くらいある。
だが、それは明らかに声だった。
女の声。
少し高く、柔らかく、語尾をわずかに伸ばす癖がある。
――聞き覚えがあった。
私はベッドから起き上がり、壁に耳を当てた。
隣の部屋から、はっきりと配信口調の声が流れてくる。
「ねえ、聞いてる? 今日はね……」
胸の奥が、ひどく冷えた。
それは、かつての私の声に、よく似ていた。
翌朝、廊下でその部屋の主とすれ違った。
二十代後半だろうか。髪は丁寧に巻かれ、目元はしっかり作り込まれている。
「あ、昨日うるさくなかったですか?」
彼女は、屈託なく笑った。
「配信してたら、ちょっとテンション上がっちゃって」
「……配信?」
「はい。ライバーです。ここ、電波弱いけど意外といけて」
悪びれた様子はない。
「声、似てるって言われませんか」
私がそう言うと、彼女は一瞬だけ目を瞬かせた。
「……え?」
「誰かに」
「いえ。オリジナル、私のものですよ」
即答だった。
速すぎる否定は、準備された言葉だ。
その夜、また声が聞こえた。
今度は、よりはっきりと。
「私のこと、好き?」
胸が締めつけられる。
それは、私がかつて何百回も使った言葉だった。
画面の向こうの誰かを引き留めるために。
無意識に、依存を育てるために。
私は、ホールへ向かった。
彼女は、そこにいた。
スマートフォンを手に、配信をしている。
「……ここ、静かで雰囲気いいんですよ」
画面越しの笑顔と、現実の表情は、微妙にずれていた。
「誰に、教わったんですか」
「え?」
「その話し方」
彼女は笑いを止めなかった。
「みんな、こんな感じですよ」
「違います」
私は、はっきり言った。
「それは、誰かの配信者の声です」
彼女の指が止まった。
配信は切られていない。
「私、研究してるんです」
彼女は、ようやく本音を漏らした。
「伸びてる人の喋り方。間。言葉の選び方。全部、分析して」
「それで?」
「……人気、出ました」
誇らしげな声音だった。
その瞬間、ホールに別の声が重なった。
聞き慣れた、複数の声。
喜び、甘え、怒り、泣き声。
彼女が“借りた”声たち。
「やめて……」
彼女は耳を塞いだ。
「これ、私のじゃない……!」
「そうですね」
私は言った。
「あなたの声は、どこ?!」
彼女は答えられなかった。
翌朝、隣室は空になっていた。
フロントに尋ねると、もうチェックアウトしたという。
その日の昼、私は何となくスマートフォンを開いた。
かつての界隈の噂が、静かに流れてきた。
――突然、配信をやめたらしい
――アカウント、消えてる
理由は、どこにも書かれていなかった。
夜、再生ホテルは静まり返っていた。
もう、似た声は聞こえない。
私は、自分の部屋で椅子に座り、深く息を吸った。
声は、道具じゃない。
奪えば、必ず歪む。
歯科衛生士として、私は知っている。
噛み合わせがずれたままでは、
どれだけ整えても、痛みは消えない。
ホテルの壁に、そっと手を当てる。
返ってくる音は、何もなかった。
それでいい、と私は思った。
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