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第10話
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時見さんのピアノを聞いた翌日、放課後に私は学校から少し離れた場所にある公園へと連れてこられた。コスモスのきれいな花壇を前にベンチへと腰かけた。
「……元住さん」
遠くを見つめるように、少しだけ視線を上げた時見さんが低い声で話し始めた。
「……本当に、私のこと知りたい?」
その問いに、私は小さく頷いた。
「……うん」
どこか迷っている様子だった時見さんは大きく深呼吸してから、ゆっくりと口を開いた。
「……前にね。私、いじめられてたの。前って言っても、一年くらい前ね」
淡々とした語り口。それが、逆に生々しくて、私は息をのんだ。
「あなたが転校してくる前……私はただ、静かにしていただけ。でも、気づいたら"綺麗すぎて気に入らない"とか、"無愛想で気に入らない"とか……そんな理由でターゲットになってた」
「……」
「毎日、机には落書きが増えていって、上履きは隠されて、水をかけられても笑われるだけで……。先生は、見て見ぬふりだった。親に言っても、大事にしたくないからって。ほんと、田舎ってそういうところよね」
「そんなの……ひどすぎる」
思わず、拳を握る。でも、時見さんの表情は変わらない。
「でもね、本当にひどかったのはそこから。ある日、屋上に呼び出されたの。主犯の子に」
そこまで言って、時見さんはふっと笑った。
「"どうせ反抗できないんでしょ?"って言われたよ」
聞いているこちらが悔しくなる。……確かに、私ならできないと思う。でも、時見さんなら――。芯の強い彼女なら、やられっぱなしでいられるだろうか。
「……そこで、私、笑ったんだ」
「え……?」
時見さんはようやく視線をこちらに向けた。その表情にはどこか凄みすらあって……。
「本当に、可笑しかったんだよ。私がどれだけされても、黙ってるって思い込んでることが。自分の方が強いって信じて疑わないことが。だから——」
時見さんは静かに、自分の手を見つめた。
「——カッターナイフで、切ったの」
その瞬間、背筋がぞくりと震えた。彼女の目が、感情を持たない静かな闇を湛えていたから。
「……その子の腕。スパッとね」
何か言わなきゃいけないと思った。でも、何を言えばいいのか分からなかった。
「血が出て、悲鳴が上がって、周りにいたいじめっ子の取り巻きたちはみんな真っ青になって……。でもね、私、その時——」
時見さんは少しだけ、唇の端を上げた。
「——笑ってたらしいの」
「……」
「気づいたら、誰も私に手を出さなくなってた。誰も話しかけてこなくなった。私は"危ないやつ"になったから」
その言葉は、どこか乾いていた。でも、私には分かった。
本当は——傷ついているんだと。誰も、もう時見さんに近づかなくなった。
誰も、彼女の声を聞こうとしなくなった。"危険だから"、"怖いから"、"関わっちゃいけない人間だから"。
——そんなの、あんまりだ。
気づけば、彼女の手を握っていた。
「……?」
時見さんが驚いたように目を見開く。まっすぐ彼女の目を見つめる。この想いを伝えるなら、絶対に逸らしちゃいけない。
「……私は、貴女を傷つけない」
静かに、でもはっきりと。
「だから、貴女が私を傷つけることもないよ」
時見さんの瞳が揺れる。
「……元住さん」
「貴女は、もう"誰かを傷つけないといけない"世界にいない。ここには、私がいるから」
その瞬間——時見さんの目が、ゆっくりと滲んだ。
「……っ」
ずっと、張り詰めていた心が。
ずっと、凍りついていた感情が。
ようやく、少しだけ溶けた気がした。
「大丈夫だよ。だって、時見さんの手は温かいもん」
「……ありがとう」
その声は、小さくて。でも、確かに震えていた。
「……結心」
「え?」
「結心って呼んで。私も……空凪って呼ぶから」
「うん! よろしくね、結心さん!!」
「……元住さん」
遠くを見つめるように、少しだけ視線を上げた時見さんが低い声で話し始めた。
「……本当に、私のこと知りたい?」
その問いに、私は小さく頷いた。
「……うん」
どこか迷っている様子だった時見さんは大きく深呼吸してから、ゆっくりと口を開いた。
「……前にね。私、いじめられてたの。前って言っても、一年くらい前ね」
淡々とした語り口。それが、逆に生々しくて、私は息をのんだ。
「あなたが転校してくる前……私はただ、静かにしていただけ。でも、気づいたら"綺麗すぎて気に入らない"とか、"無愛想で気に入らない"とか……そんな理由でターゲットになってた」
「……」
「毎日、机には落書きが増えていって、上履きは隠されて、水をかけられても笑われるだけで……。先生は、見て見ぬふりだった。親に言っても、大事にしたくないからって。ほんと、田舎ってそういうところよね」
「そんなの……ひどすぎる」
思わず、拳を握る。でも、時見さんの表情は変わらない。
「でもね、本当にひどかったのはそこから。ある日、屋上に呼び出されたの。主犯の子に」
そこまで言って、時見さんはふっと笑った。
「"どうせ反抗できないんでしょ?"って言われたよ」
聞いているこちらが悔しくなる。……確かに、私ならできないと思う。でも、時見さんなら――。芯の強い彼女なら、やられっぱなしでいられるだろうか。
「……そこで、私、笑ったんだ」
「え……?」
時見さんはようやく視線をこちらに向けた。その表情にはどこか凄みすらあって……。
「本当に、可笑しかったんだよ。私がどれだけされても、黙ってるって思い込んでることが。自分の方が強いって信じて疑わないことが。だから——」
時見さんは静かに、自分の手を見つめた。
「——カッターナイフで、切ったの」
その瞬間、背筋がぞくりと震えた。彼女の目が、感情を持たない静かな闇を湛えていたから。
「……その子の腕。スパッとね」
何か言わなきゃいけないと思った。でも、何を言えばいいのか分からなかった。
「血が出て、悲鳴が上がって、周りにいたいじめっ子の取り巻きたちはみんな真っ青になって……。でもね、私、その時——」
時見さんは少しだけ、唇の端を上げた。
「——笑ってたらしいの」
「……」
「気づいたら、誰も私に手を出さなくなってた。誰も話しかけてこなくなった。私は"危ないやつ"になったから」
その言葉は、どこか乾いていた。でも、私には分かった。
本当は——傷ついているんだと。誰も、もう時見さんに近づかなくなった。
誰も、彼女の声を聞こうとしなくなった。"危険だから"、"怖いから"、"関わっちゃいけない人間だから"。
——そんなの、あんまりだ。
気づけば、彼女の手を握っていた。
「……?」
時見さんが驚いたように目を見開く。まっすぐ彼女の目を見つめる。この想いを伝えるなら、絶対に逸らしちゃいけない。
「……私は、貴女を傷つけない」
静かに、でもはっきりと。
「だから、貴女が私を傷つけることもないよ」
時見さんの瞳が揺れる。
「……元住さん」
「貴女は、もう"誰かを傷つけないといけない"世界にいない。ここには、私がいるから」
その瞬間——時見さんの目が、ゆっくりと滲んだ。
「……っ」
ずっと、張り詰めていた心が。
ずっと、凍りついていた感情が。
ようやく、少しだけ溶けた気がした。
「大丈夫だよ。だって、時見さんの手は温かいもん」
「……ありがとう」
その声は、小さくて。でも、確かに震えていた。
「……結心」
「え?」
「結心って呼んで。私も……空凪って呼ぶから」
「うん! よろしくね、結心さん!!」
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