そして夜は華散らす

緑谷

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壱章

其の三

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 時刻は早朝、まだ人の行き来もまばらなころ。

「……またあんたか。ここ、事件現場だぞ」
「おお、そうなのか。道理でずいぶんと血のにおいがすると思った」

 どこか間の抜けた返事をして笑う男に、桑楡は呆れて嘆息する。

 第二外殻と第三外殻に連なる閑静な住宅街の一角、人通りも少ない路地で殺しが起きたという。その一報を会社で聞きつけた桑楡が真っ先に飛び出し、いの一番で情報を仕入れようとしていたところ――野次馬の集まり始めた場所で、警察から聴取を受けていたのが、この世見坂終宵よみさか・よすがらだった。

 初めて会ったあの日から二週間。その短い間に四回、こんな風にして鉢合わせている。

 二度目は確か、取材で現場近くにいたときで、正直かなり驚いた。近くを歩いていたら騒ぎが聞こえて、何となく足を運んだと言っていたのを覚えている。野次馬根性があるのだな、と意外に思ったものだった。

 三度目は、別の取材の帰り道。ぼんやりと歩いていた桑楡の前で、街灯にぶつかって倒れるのを見てしまった。何となく顔見知りで気まずくて、うっかり声をかけてしまったのだ。

 四度目は、取材と取材の休憩時間に。どこか喫茶店で休もうかと考えていた矢先、見覚えのある姿が奥の席に座っているのを目にした。あんみつと、甘くした牛乳入りの珈琲を口にして、甘いものが好きだという話を聞いた。

 どの日も流れはだいたい同じ。何となく桑楡についてくるときもあれば、半日ほどしていつの間にかいなくなり、夜にまた現れて軽く話す、なんてこともあった。

 何度か会ううちにわかったことだが、どうやらこの男、第六階層を中心にあちこち好奇心のままに動いているらしい。今日ここに居合わせた理由も、単純な好奇心のようだ。本当に、暇人を体現しているような男である。

 警察官の肩越しに現場が見える。路地のあちこちに施された緋の彩色と鉄のにおいが生々しい。ずっと奥のほうに白い布がかけられた何かがある。布地に血がにじんでいるから、おそらくそれが遺体なのだろう。

 いつ見ても、人死にの現場は気分が悪くなる。だが、こういう生々しい現場を見てからのほうが、より記事が扇情的になる。いかに残虐非道な行為が行われたか、被害者がいかに哀れなのか、いかに殺人鬼が卑劣かつ下劣かを、しっかりと書かなければ記事は売れない。

 売れる記事とは、多少虚構を盛ってでも読者の感情を煽るものでなければならないのだ。

 もっとよく観察しようと身を乗り出す桑楡の肩を、大柄な若い警官がつかむ。

「はーいはいはい、現場検証中だから立ち入り禁止っすよ」

 この間会った警官のひとりだとすぐにわかった。決して大柄ではない桑楡よりも、頭ふたつ分ほど背が高い。見下ろされるのがどうにも気に入らず、思わずムッとして手を払いのけた。

「……第六天花新聞社だいろくてんかしんぶんしゃの桑楡といいます。ここで亡くなった人はどんな人だったんでしょう」

「あいにくと、記者さんが仕入れたがるような情報もまだ取れてないんすよねえ」

 視線をあわせようとしているのか、若い警官は頭をかきながら背中を丸める。それがまたどうにも気に入らず、桑楡は返事の代わりに舌打ちをひとつくれてやった。

一日ひとひ! 何無駄口を叩いてるんだ! 早く追い出せ!」

 同時に奥のほうから怒鳴り声が聞こえてくる。仁王立ちしているのは、この警官の上司だろう。まなじりを釣り上げて腕を組み、若い警官をにらみつけている。帽子の作る影でわかりにくいが、声や雰囲気から察するに、この間第一階層で鉢合わせた堅物警官で間違いなさそうである。

「はいはーい! すんません、先輩! ……と、そんなわけでこれから現場検証に入るんで、ここは立ち入り禁止になるっすよ。はいはい、行った行った」

 軽い口調で言いながら、若い警官はくるりと桑楡の身体を反転させた。他にも数人の警官に肩や背中を押され、桑楡は野次馬たちもろとも追い出される。

 せっかくすっぱ抜けると思ったのに。路地の入り口がふさがれるのを恨めしく眺めてから、桑楡はのほほんとたたずむ男に向き直った。

「……で、今日は何してたんだ?」

 もはや恒例になりつつあるやり取りの糸口。男は目を閉じたまま微笑んで、

「散歩だよ」

 これまでの四度と同じ答えを返した。

「あんな裏路地歩くなんて、そこに住んでるやつぐらいじゃないか。人もいないし店もない。つまんないだろ、あんなとこ」

やつがれには、大通りよりも居心地がいいのだよ。あの辺は雑踏のように、他者の気配や声やにおいが一気に押し寄せてこないから」

 あんなおかしな出会い方をして、まだ数回しか会っていないとというのに、今じゃ他愛のない話をする知人程度になっているから不思議なものである。

「ふーん。……そう」

 桑楡は欠伸を噛み殺しながら返事をした。せっかく徹夜で仕事を片付けて、朝イチで会社を飛び出してきたのに、収穫なしなんてついてない。かといって、このままのこのこ戻るわけにもいかないし、どこかに移動でもして時間をつぶそうか。

 そんなことを考えていたとき、終宵よすがらがふと訝し気に眉を寄せた。

「君。もしかして、眠れていないのかね」
「え、」

 突如言い当てられ、桑楡は戸惑う。顔色なんて見えてないのに、どうして。

「あ、ああ……まあ、昨日はちょっと、忙しかったから」

 締め切り間近の記者にはよくある話だ。徹夜して記事を書き、そのまま取材に出かけることもざらにある。今日も別の取材の記事を書き終えてすぐ、珈琲を流し込んで飛び出してきた。

「それにしても、よくわかるな」
「話し方が少々舌足らずで、声もかすれている。歩き方も少し乱れているな。きちんと眠っているかね?」
「……寝てるよ、そりゃ。寝ないと頭が回らなくて。効率悪いから」

 こうして会話を重ねるごとに実感するのだが、この男、本当に目が見えないのか疑わしいほど、微細な体調の変化でも気が付くのだ。のほほんとしているように見えて、ごくわずかな違いすら聞き逃さない。大した身体能力である。すごい、というのを通り越して、ちょっと薄気味悪いほどだった。

 ふ、と一瞬だけ視界がかげり、かすかに甘い香りが鼻先をかすめる。何かととっさに身を引けば、終宵の手袋に包まれた指先が額に触れるところだった。

 香りは髪か着物に染みついたものだろうか。果物のように瑞々しい、しかし花のようにかぐわしい、しかし記憶のどんなものとも似ていて違う、妙に官能的で艶めいている。

 顔が近い。薄い瞼が開いている。人間のものとは思えないほど鮮やかな、妙に透き通った真紅の眼がこちらを見ている。いや、見てはいない。彼は目が見えないのだから。

 整った造りの顔立ちは、どこか人形めいている――否、そこまで無機質的ではない。血がしっかりと通っているヒトの形をしていながらも、まるで別の生き物のような印象を受ける。

 ヒトの形をした、別の生き物。それを古より人は、

「ふむ」

 声が、した。夜のように静かに響く声だ。その一瞬で、桑楡は現実へと引き戻された。

「な、なにしてんだよ……近い、って……!」

 思わず肩を押して距離を開ける。終宵はわずかに首を傾け、「ああ、すまぬな」と困ったように淡く笑った。

「目が見えぬとどうにも困るな。触れねばわからぬゆえ、距離が近くなってしまう」
「そんなこといちいちしなくていいだろ……ただの、顔見知りなんだから」

 そう。奇妙な出会い方をした、ただの顔見知り。それ以上でもそれ以下でもない。それだけの話。

「ただの顔見知りだろうとも、無茶をしていれば心配する」

 ――だというのに、この男は妙に寂し気な、悲し気な顔をする。それがどうにも胸のうちをざわつかせて、桑楡は思わず顔をゆがめた。

「……そんな顔するなよ」
「いや、すまぬ。どうにも年を取ると感傷的になっていかんな」

 何を思い出したのか。何を思い浮かべたのか。その見えぬ目に何を見たのか。彼は何も語らないまま、笑って肩をすくめる。

 時計が、鳴った。きっかり、七つ。朝礼の時間はあと少し。それまでに戻るように言われていたことを今、思い出す。

「ごめん、行かないと」
「そうか」

 終宵が笑って手をさまよわせる。桑楡は少しためらってから、その手に触れた。使い込まれた皮手袋を通して触れる彼の手は、冷たくて骨ばっていた。

 そっと離して、歩き出す。あとに残した終宵がどんな表情をしているのかは、桑楡にはわからなかった。



 ああ、くそ、本当に散々だ。桑楡は紙束を抱えたまま、薄暗い道を歩いていた。

 まったくあの小説家先生は本当に、自己中心的で上から目線でイライラする。元軍人の作家だか何だか知らないが、あんな横暴があっていいものか。何が「学もない、礼儀もなっていない記者と話すのは時間の無駄」だ。馬鹿にしやがって。遠回しに嫌味を言われながら話を聞くなんて、いったいどんな修行だよ。

 疲れ切った身体を引きずりながら歩く。時刻は夜、飲みにいくのだろう人々の群れが、あちらこちらで灯りに照らされている。艶を帯びた石畳に映る淡い光を眺めながら、抱えた紙束を乱暴に鞄の中へと突っ込んだ。

 虚無感が身体を突き抜ける。いったい、自分は何をしているのだろう。

 一面を飾る記事が書きたくて、人々の心を動かすものが書いてみたくて、今こうしてここにいるというのに。やることといえば、使い走りのようなことばかり。うまく書けた記事は先輩の手柄にされ、雑用めいたことはすべて自分に押し付けられる。

 本当に、いったい、何をしているのだろう。睡眠を削り、身体を削り、自尊心を削り――そこまでして何を得ているのだろうか。

「……君」

 ふと、暗がりから声がした。足を止め、胡乱な目を向ける先。まるで夜の闇から抜け出したかのように、終宵よすがらはただそこにいた。

「ああ……あんたか。何してるんだ、そんなとこで……」

 返す答えは思った以上に力なく、暗がりのほうへと転がっていく。終宵は立ち止まった桑楡に音もなく歩み寄ると、めしいた双眸をかすかに細めた。

「……どうした?」
「え」

 それから痛ましい表情で顔を覗き込んでくる。見えていないくせに、見えているような仕草をする。いつものように。
 やめてくれ。嫌になるから。桑楡は小さく舌打ちして、顔をそむけた。

「……別に大したことじゃない。あんたみたいな口調の小説家の大先生がいてさ。俺のこと、学がないとか下品だとかずっと言うんだよ。取材どころの話じゃなくて」

 正直、途中からの記憶はあいまいだ。ありがたいお説教を聞いたような気もするが、それ以上に心を殺すことに必死だったから。

 いったい、何をしているのだろう。果たして自分がしたかったのは、こんなことだっただろうか。

 両の頬に何かが触れる。皮手袋の感触はない。固い指先に気が付いて息をのむ桑楡に、ほのかな光に縁どられた柔らかな苦笑が返る。

「許してくれたまえよ。こうもでもせねば、何もわからぬゆえにな」

 手のひらにはタコがある。軍人だった名残なのだろう。冷たい手に桑楡の温度がうつり、少しずつぬくもりを帯びていく。

 道端の暗がりで、大の男がふたり何をしているのか。何でもないと笑い飛ばして振り払ってしまいたいのに、桑楡の身体は動かない。

 透き通る、真紅の瞳がそこにある。いつも薄笑みを浮かべている面には、今はどこか心配するような色がにじんでいる。

 親指で目元を撫でて、軽く鼻先に触れて、額をなぞって、耳を挟んで。何度も確認するようにたどりながら、終宵は小さくつぶやいた。

「ずいぶんひどい顔をしている」
「……そんなに? ……はは、最近忙しくて寝てないから、かな……」
「それ以上に、だ」

 瞼をなぞった指先が離れる。一呼吸の間のあとに、ふと髪に触れられた。幼い子供にするように、撫でられる。

「……君はよくやっているよ。だが、どうか命を縮めるようなことだけはしないでくれ」

 夜の静けさを孕んだ声が、耳から胸へと流れて落ちる。たかが顔見知りだ。それ以上でもそれ以下でもない。それだけの関係、それだけのはずだったのに――目の奥が痛くて熱くなって、視界がにじんでいく。

 止めなければと思うほど、嗚咽と涙はあふれていく。終宵は黙ったまま腕を伸ばして、不格好に泣きじゃくる桑楡を抱き寄せる。あやすように撫でられる手の感覚に、桑楡は遠く、第三階層に置き去りにしてきた母の腕を思い出した。
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