そして夜は華散らす

緑谷

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参章

其の五

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 東雲らの詰める派出所は、東方総合駐在所よりさらに南、第二外殻と第一外殻のちょうど間ぐらいにあった。人通りはそれなりに多く、治安もさほど悪くはない地域である。

 東方総合駐在所に在籍する警察官は、第二外殻の東側半分に点在する派出所へと配属される。派出所ごとに一班として扱われ、駐在所から交代で派遣されるのだが、ひと月に何度かは駐在所へ戻り、他班の支援や事務仕事を行うことになっている。

 東雲は一等巡査であり、いわば班長のような立場にあるため、現場の指揮や他の雑務も担当していた。

 あれからさらに数日が経過し、東雲らもようやっと元の勤務形態に戻りつつある。とはいえ、いつ呼び出され、また違う階層へ向かうことになるかはわからない。

 そして――ある程度は予想していたことだが、暮邸で起きた事件の捜査は、難航を極めていた。本部の調査機関における、傷から分析する凶器の照合も、「軍で支給されていた一般的な刀」であることしかわからなかったという。

 当時の戦争に参加していた軍人なら誰もが持っているものだし、物持ちがよければ現役の軍人でも所持している代物だ。範囲を元軍人にまで広げれば、それこそ容疑者は倍以上に膨れ上がる。盗まれていれば一般人も持っているかもしれない。要するに絞り切れないということである。

 逃れようとする使用人たちに現場が踏み荒らされているのも、解析に時間がかかっている要因の一つだという。

『ここから微細な痕跡を調べるのは、今の技術では極めて困難である』

 ――この国は戦争を経て、外の国に開かれたばかり。外国の高度すぎる技術を使いこなすには、時間が足りなさすぎる。数年前に新設されたばかりの機関ゆえ、無理もあるまい。

 上司から回されてきた書類の所見欄を思い出し、東雲は小さくため息をついた。

 時刻はさらに夕刻に移り行く。差し込む光が徐々に橙と金を溶かし始める頃、東雲と一日ひとひは、人の減り始めた街中へ巡回に繰り出した。

 本来なら部下と一緒に見回りをすることは稀だが、ひとりでいた東雲が襲われたこともあり、最近では常に二人一組で見回りを行っている。

 大の男がふたり並んで歩いていく。こうして見回るだけでも犯罪を防ぐ抑止力になる。声をかけられることも多い。

 特に一日は人懐こいから、歩くだけで子どもが群がってくるのだった。のっぽのおまわりさん、と呼ばれるたびに、女受けする甘い顔立ちいっぱいに笑みを浮かべてしゃがみこむ。そんな平穏な様子を眺めながらも、東雲の意識はまた、終わりのない自問へと流れていく。

 世見坂終宵よみさか・よすがら。かつての戦の英雄。この国の民を守るために命を賭け、そして今は一般市民を屠る者。あの会話のあと、「自白」したその心理を解読しようと努めてみたが、東雲には到底解決の糸口すらつかめそうになかった。

 彼の言葉はあまりにも抽象的すぎる。「飢えと渇き」は何を意味するのか。衝動とは? 薬か? いや、中毒者には見えない。終宵との会話はいたって理性的で、いたって普通に行われていた……はずだ。

 何が発端だ? 何が目的だ? そこに至る手がかりを探そうとすればするほど、霧のように指の間をすり抜けていく。

 理由なき犯罪など、存在し得ないというのに。もどかしい。東雲はきりりと奥歯を噛みしめる。

「先輩!」

 と、突然一日の大声が耳元で響く。東雲はびくりと肩を震わせ、慌てて一日のほうへ首を巡らせた。

「え、あ、ああ……どうした、一日?」
「どうしたはこっちの台詞っすよ」

 一日は整った顔立ちに呆れを浮かべ、腰に手を当ててこちらを見ている。いつの間にか人だかりはなくなり、行き交う人々の中、東雲と一日だけがたたずんでいる。

「どうしたんすか? 朝からずっとぼーっとして。もしかして、頭痛いんすか?」

 何度も呼ばれていたのに気が付かなかった、といったところだろうか。治りかけの頭部の外傷がうずいて痛む。そこに何となく手を伸ばしつつ、東雲はぼんやりと首を振った。

「ああ、いや……大丈夫だ。なんでもない」
「そっすか? でも、何かあったら絶対言ってくださいね。いくら頑丈な先輩でも、怪我したあとなんすから」

 情けない。部下に心配されてしまうとは。

 くすぶる無力感が小さく言葉を吐きだす。東雲は無言でそれを噛み殺すと、黙って帽子の位置を直した。
 己の右手の陰に、ふわりと夜の色が翻る。思わず手を外した東雲の目に、先の角へと消えていく世見坂終宵の姿が映った。

一日ひとひ!」
「はいはーい」

 いつもなら「返事は一度でいい」「間延びさせるな」と小言をつけるところだが、今はそれどころではない。

「見回りを続けろ。自分は少々立ち寄るところができた」
「えっ? そんな、こないだひとりで行動しちゃダメだって――あ、先輩!」

 制止の声を振り切り駆けだす。未だ治らぬ傷跡が、鼓動に合わせて脈打っている。徐々に昼の気配が消えていく中、夜光石の街灯がともる角を曲がった。

 狭い路地を抜け、黄昏に侵食されていく視界の隅で動く宵を追いかける。曲がって、曲がって、導かれるままに駆け続け、そして。

「世見坂、……中尉」

 果たして、昼と夜の狭間にその人はいた。静寂の蒼に変わっていく、縦に伸びる建築物で編まれた路地の、燐光を散らす街灯の下で。抜き放たれた白刃と、倒れた人間と、鮮やかに色を散らした紅とともに。

「――ああ。その声は東雲くんか。ずいぶんとよく会うな。……いや。約束通り、探してくれているのか。やつがれのことを」

 こともなげに紡がれる声音は、まるで雑踏で偶然出会ったかのように、どこまでも日常と同じ温度であった。こんな非日常が眼前にあるにも関わらず、彼だけは、異様なほどに日常であった。

 ただ、その手に握った刀の艶と、伝って落ちる柘榴の雫と、暗がりになお妖しく光る紅玉の眼だけが、忍び寄る昏黒にも鮮やかであった。

「う、」

 暮邸の、折り重なる死体が脳裏をよぎる。喉はすぱりと横に断ち切られ、肉の断面を露出させている。あまりにも見事すぎる切り口。広がっていく血の色に、新鮮な鉄のにおいに、東雲は吐き気と頭痛を催した。

「中尉、それ、は……」
「うん? ……ああ、財布を盗られそうになってな。僕がとっさに手をつかんだら、小刀で斬られてしまったから」

 終宵は困ったように微笑んで、穏やかにそんなことを口にする。いたって普通の口調だ。その手にしている刀は、染まる色は、まったく普通でないというのに。

 確かに、終宵の左腕の半ばに傷が刻まれ、血がたらたらと流れ出ている。一方の男はすでに息もなく、左手に黒い布の財布を握りしめていた。ここ第六階層ではあまり見かけない、着古した袴と、よれて薄汚れた襯衣をまとっている。第四階層から下から来たのかもしれない。あまり裕福ではない人々が、身を寄せ合って住んでいるところだから。

 血のにじむ着物の懐から、あせた写影が見える。幼い子どもが五人と、女性と男。首から流す朱に浸り、写る笑顔は徐々に色を変えていく。

 ほんの出来心だったに違いない。彼は元軍人とわかる出で立ちだ。おまけに目が見えないときている。金を持っている上に、簡単に盗めると踏んだのだろう。

 死体の面は驚愕に彩られ、大きく目を見開いている。少なくとも痛みに苦しんだ様子はない。何が起きたかわからないまま、動脈を断ち切られたようだった。

 間に合ったなら、事情次第だが厳重注意で家族のもとに返してやることもできただろうに。力があれば、目の前のこの人が強かろうと、捕縛することができたろうに。もっと優秀なら、その前に彼の気配に気づいて未然に防げたかもしれなかったろうに。

 もはやかなわぬ可能性を並べても、今ここにあるのは圧倒的な死と、それをもたらした剣豪だけ。東雲は何もできず、ただ無力感を噛みしめ拳を握った。

 返り血に濡れた夜の人は、蕩けた眼で微笑んでいる。手を伸ばし、一歩近づけば届く距離。こんなに近くにいるというのに、彼と自分との間は絶望的に遠い。

 それでも、問わねばならない。その理由を。その動機を。

「なぜ」

 情けなく震えてかすれる声で、東雲は目の前のひとに問いかける。

「あなたが、守っていた、国民ですよ」

 終宵よすがらは爛々と燃える両目をすがめ、かすかに首を傾けた。徐々に深く濃くなっていく闇が、つやつやと髪を流れて滴っていく。

「そうだな。結果的にそうなっていた人々だ」
「皆その日を、彼らなりに必死に生きようとしていた」
「ああ。必死で生きている者たちは、皆とても美しくて愛おしいと思う」

 紡がれる言葉が嘘ではないことは、何となくわかる。細められた終宵の眼差しも、声音も優しく、慈愛がにじんでいる。悪意も何もなく、本当のことしか口にしていない。

「ならばなぜですか、中尉! その力で、その強さで、民を守り続けていたあなたが、どうして……!」

 これまでさんざん自問しても得られなかった答えを得るべく、東雲はひきつる喉からかろうじて問いかけを絞り出す。

 終宵は少しの沈黙の後、困ったように微笑んだ。頑是ない子どもをあやすように、柔らかく。

「……困ったな。これを、どう伝えればよいのだろうか」

 じきに夜が来る。黄昏と溶け合いながら。流れ出た紅も空っぽの亡骸も、すべてが彼のまとう色に溶けていく。

「君は喉が渇いたとき、水を飲むだろう?」

 やがて静かな夜更けの音が、徐々に冷えていく空気に波紋をつくった。

「は、……?」

 唐突な問いかけに、東雲は面食らう。投げかけた問いの答えとは言い難い。東雲の戸惑いを柔く流し、終宵はとつとつと言葉を織っていく。

「飢えて渇けば、皆水や食べ物を欲す。それと同じことだ」

 英雄は語る。宵闇の声で。唄うように滑らかに、流れるように淡々と。

「皆、そうして日々を生きている。何かに飢えて何かに渇き、それを満たそうとして生きている。やつがれもそうだ。だから飢えたときに、渇いたときに、それを求め、満たしている」

 朱い瞳がこちらを視ている。何も映していないはずの視線に射竦められて、身動きが取れなくなる。蒼く冴えた鋼を滑る、濁った赫が溜まってゆく。

「肉を裂き、骨を断ち、命を浴びる。戦場でしか得られなかった高揚と絶頂を――刃から伝わる命の感触を、全身でしゃぶりつくし舐めつくしてやっと、やつがれは息ができるのだ。生きていると、実感できるのだ」

 終宵がとろりと蕩け笑う。熱を含んで濡れる緋の眼に、心臓が握りつぶされそうになる。全身がざわつき総毛立つ。不規則な鼓動にめぐる血と、ともに駆け巡る痺れと熱は、一体何なのだろうか。眼が、そらせない。

「――そうしてやっと、やつがれは満たされる」

 かすれた吐息が、上ずる声が、彼の興奮を生々しく伝えてくる。

「気が狂わんばかりの強烈な飢えが、魂の奥底から干からびそうなほどの渇きが満たされる。それは何者にも代えがたい甘露ではないか?」

 終宵の語らうことは、およそ正気とは程遠いものだった。一から十まで何もかもすべてが、狂った価値観に基づいていた。人の命を奪い取り、それを生存の欲求と同列に語るなど、正気の沙汰とは思えない。

 それでも、なぜだろう。なぜ、それを否定できないのだろうか。違う、と形にしかけた東雲の声は、呼吸は、喉に貼りついたまま欠片も外へ出ようとしない。

 夜が来る。黄昏の欠片を瞳に宿し、煌々と燃え盛るその瞳に魅入る。そこに灯るのは、東雲の内側に刻み込まれているのと、同じモノ。飢えと渇きと、それがわずか満たされた悦び。唇を舐めるその舌の赤さは、まさに流れた命をかみ砕きしゃぶり咀嚼する魔性のそれであった。

 東雲の沈黙から何を読んだのか。終宵は深く息を吐くと、ざくりと髪をかきあげた。それから小さく首を振り、微苦笑を浮かべる。ヒトでない何かの気配は身を潜め、また静謐の夜更けが舞い戻る。

「……だから言っただろう。誰にも理解などできはすまい、と。やつがれも君に理解してほしいとは思わぬよ」

 凍り付いた喉からは、かすれた呼吸しか漏れ出さない。返答はいっさい、できなかった。

 理解できないと思った。思った、はずだったのに――飢えが満たされた瞬間を目の当たりにし、東雲は己の内側にある確かな“ソレ”に気づいてしまったのだ。己の中に息づく、“狂おしいほどの飢えと魂が干上がる渇き”に。

 しなやかな仕草で刀を収めると、終宵は立ちすくむ東雲へ両の手を差し出す。手袋に包まれた手、着流しの袖の合間より、骨ばった手首がさらされる。

「さて、捕まえぬのかね? 僕を」

 ヒトの形をしたモノは、両目を細めて問いかける。絶望的だと思っていた距離が、唐突に現実へ引き戻されていく。

 一歩近づき腕を伸ばせば、触れられるくらいの間合い。ためらいながらも足を踏み出し、東雲は腰から手錠を外した。無骨で冷たい金属で、終宵の手首を戒める。鈍い銀色に、透き通る象牙の肌が寒々しい。

「それでいい」

 うつくしい魔性が微笑んだ。そこにはあざけりも憤りもなく、ただ純粋に、かつての部下の手柄を喜んでいるようだった。

「なぜ、」

 思わず口をついた問いに、

「そういう気分だったから、だ。水が飲みたくなるのと同じだな」

 彼は面白そうにささやいて、月夜の笑みをたたえるのだった。

 ああ、この人は狂っている。本当にどうかしている。だからこそ、なのだろうか。迷いがないからこそ、ここまで強くあれるのだろうか。ここまで余裕であれるのだろうか。

 めまいがひどくて、頭が痛くて、東雲は吐息をこぼし目を閉じる。それから奥歯を食いしばり、しなやかな背にそっと手を添えた。
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