そして夜は華散らす

緑谷

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肆章

其の一

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 男は惑い、姿を消した。


 何でも警察官がひとり、殺人鬼を追ってやめたとか遁走したとか、そんな話だというじゃないか。たかが下っ端の警察がひとり、突如人が変わったように人を斬っていなくなるなど、私にとってはどうでもいい話である。問題は別のところにあるのだ。

 諸君は獣を知っているか。私の言うソレは、二種類存在する。ひとつは【塔】の周囲に溜まる汚泥より生まれた、正体不明の化け物ども。

 もうひとつは――ヒトの形を模したモノ、魔性、ヒトの言葉を話し、ヒトを真似ている化け物。泥から生まれた異形どもよりよっぽど質の悪い、吐き気を催すほどに異質のモノ。

 時折混じるソレを見抜ける者は、決して多くはない。だが、私はその数少ないところに存在してしまっていた。私はソレがいかに醜悪であるかを、確かにこの目で見、肌で感じた。見抜けぬ愚か者は惑わされ、破滅する――アレはそういう存在なのだ。

 たとえて言うなれば、持ち主を惑わせ、狂わせる妖刀のようなモノ。そう、アレはいるだけで害悪となる。皆それを理解していない。

 警察官が“殺人鬼”に“惑わされた”。私の恐れていたことが起きている。殺人の急増、そして惑わされた者の報告。つまり、奴が姿を現したことに他ならない。アレが来ている。今度は私の首を狙っているに違いない。アレがここに来る、私を殺しにやってくる。

 アレが来るということは、あいつが私に目をつけたことを意味している。私にアレを差し向けているんだ。そうに違いない。そうでなければ、あんな上層にまでアレを送り込めるわけがない!

 ならばどうしたらいい? どうすればいい? 私は何をすればいい。せっかく、せっかくここまで上り詰めたというのに!! アレのせいでまた何もかもが台無しになる。まただ! またアレが私を食い散らすのか!!

 何としてでも止めなければ。殺してしまおうか? 否、否、否、そんな簡単に殺してなどやるものか。アレから受けた精神的苦痛は、たった一瞬で断ち切れるようなものではない。あんな、あんな化け物じみた――違う、あんな化け物と並べられ、化け物と組まされ、さんざんな扱いをされた私の身にもなってみろ。

 だから捕まえねばならない。捕まえて、閉じ込めて、私に反抗できなくしてやる。アレよりも、あいつよりも、私のほうが上なのだと、骨の髄まで教え込んでやらねば。

 立ち上がる。外套を肩から羽織り、廊下へ出る。これから会議に出なければならない。ああ――本当に、嫌な気分だ。





 第十二階層から第十四階層までは、軍と警察の本部として扱われる。東側が武力を用いる【軍】の軍用施設であり、かつ、軍人たちの住まいとなる集合住宅が設置されている。

 西側は警察の領分だ。なお、ここより上層は、現在もなお華族として名を知られる者や、この葦原国に何らかの影響を及ぼす力を持つ者たちなどが住まう場所となる。

 第十二階層、総司令部内廊下にて。靴音も高らかに響かせながら、天明浄楽てんめい・じょうらく少佐はいつも以上に厳しい顔を、さらに厳しくさせてむっつりと黙り込んでいた。

 鷹のように鋭い視線はせわしなくあちこちを舐め、部下がこちらを見ているのに気づいて舌打ちする。翡翠の裏地の黒外套、軍服の飾緒かざりおの先には天光紋てんこうもん。勲章が外れかけているのにまた苛立って、その辺の部下を捕まえて直させた。

 国軍・警察総本部は今、緊張状態にあった。下層で多発している殺人事件の増加、および治安の乱れが著しいというのである。

 国を動かす中枢、【針】に陣取る政治をつかさどる枢軸院は、事態を重く受け止め、武力を用いることのできぬ警察ではなく、武力で鎮圧することが可能である軍を動かそうとしているらしい。

 冗談じゃない。そんなことは警察がやるべきことであって、軍はあくまで武力でもって国を守るために費やされるべきだ。そのために警察という組織が編成されたのだから、軍の戦力をこれ以上削ってまですべきことではない。

 荒々しい足取りで、天明は灰色の廊下を進んでいく。鉄の枠で囲われた窓から見えるのは、並ぶ建物と回廊の連なった、他の階層とは異なる景色だ。

 【塔】は三重から成る同心円状に分かたれた居住区域を、幾重にも重ねて構築されている。階層ごとにその街並み、仕様は大きく異なるが、ここは他の階層に存在する【外殻】をすべて取り払い、代わりに建て増しされた集合住宅を等間隔に並べて、回廊や通路でつなげられている。

 そして、天と地を貫く【塔】の中枢部――失われた技術の髄、【針】を囲むように作られた、無骨な円筒形の建造物。それこそが、東西に分かれた軍部と警察本部をまとめ上げる総司令部であり、階層を行き来する際の関門であった。

 灰色にかすんだその景色を傍らに、天明は苛立たしさに歯噛みした。ただでさえ苛立つことばかりだというのに、そのうえ“アレ”の気配が濃くなってきている。まるで天明がここにいることを知っていると言わんばかりに。

 冗談じゃない。そもそもアレのことは、確かに戦の役に立たぬよう、身体の感覚を奪い足を斬り落として捨てたはずなのに!

 金属と石で作られた無骨な建物を進みながら、天明はひたすらに考える。アレはこの社会には過ぎたる力だ。同じ場所で呼吸することすらおぞましい存在だ。あいつは化け物なのだ。化け物はヒトの社会には不必要。平穏な時代で生きることなどできぬ生き物など、これから来るだろう未来のために、あの場でひっそりと始末してしまおうと思ったのに。

 舌打ちをまたひとつ。がつがつと乱暴に足を運ぶ天明の、荒い歩調がふと、止まる。

 総司令部の中央部、【針】の手前に作られた関門の鉄格子が、開く。発着場に降り立つうちの数名は、こちらを見て敬礼をし、西と東に分かれていく。その中に――ひとりだけ、異質が混じっていた。

 ひとりだけ軍服でも制服でもない。他の階層に出向くためには、まずはここ、総司令部を通らねばならない。通常ならば、こんなところを一般市民が歩けるわけがない。時折元軍人が呼び出されて招集することもあるが、そんなことは稀だ。戦争が終わり、用済みになった大多数は一般人として過ごしている。

 ここは軍用施設、絶対に一般人は入ることはできない。そのはずだというのに。

 天明は食い入るようにその姿を凝視する。蒼みを帯びた黒髪はぞろりと長く、伸びた背筋を野暮ったく隠している。生白い肌、薄気味悪いほどに整った顔。不透明な笑みを浮かべ、緋色の瞳は濁っているくせにどこかぎらぎらとして異様だった。

 黄昏の色の着流しに、軍で身にまとっていた同盟国からの黒の洋袴。長靴も刀も、軍で用いているものだった。肩に羽織る外套も、今まさに天明がまとうものとまるで同じ。

 全身の血が引いていく。手足が冷たくなっていく。ざあざあと音を立てて血が渦巻いていく。そんな馬鹿な、と叫ぶ理性と、ああこれだ、とうなる本能の声がする。

 あいつがとうとう寄越してきたのだ。自分を事件の一件として紛れさせ、そのまま消し去るために。

世見よみさか……」

 あれだけ注意を払っていたにも関わらず、思わず声が漏れてしまったのは、我ながら迂闊だったとしか思えない。

「その声は、天明か?」

 漏らした声を勝手に拾ったか、ソレは周囲を見回して名を呼んだ。何度も名を呼ばわってはきょろきょろとし、見るからに不審な動きをしている。部下が何か言いたげにこちらへ視線を投げているのが気に食わないが、この状態で無視はできない。おかしな噂を立てられるのはこちらとて困るのだ。

「……世見坂、ここだ」

 仕方なく、言葉をかける。そんなに声を張っているわけではないにも関わらず、それだけで居場所をつかんだらしい。

 奴は振り向いて手を挙げると、迷いのない足取りでこちらへ歩いてくる。なぜこいつは盲目なのに、杖すら持たぬまま歩けるのか。あのとき確かに目をつぶしたはずなのだ。そう、煙幕に混ぜた薬で感覚も何もかもをすべて奪い取ったはずなのに、なぜ。

 近づいてくる。あの頃よりもずいぶんと時を重ねた男が――ヒトの姿をした、化け物が。こちらへ向けて、歩いてくる。距離が縮まるたびに、肌がざわつき、胃の当たりが強く押さえつけられるような心地がする。血の臭いがかすかに香った気がした。

「久しいな、天明。息災か?」

 貼りつけたような、あくまでもニンゲンの真似をしているとわかる、感情の読めない面差し。三日月の形に細めた、濁った赫い目と薄い笑み。薄気味悪くて吐き気がする。

「あ、ああ……世見坂、久しいな。私はまあ、このとおりだ。貴様はどうなんだ?」
やつがれか? ふふ、見てくれのとおりさ。ただの暇人をしている」

 ただの暇人には到底見えない。そんなにも血の臭いをさせておいて、よくぞ他の連中は平気でいられるものだ。天明はこみあげる嫌悪感と憎悪を何度も飲み下しながら視線をそらした。

「君は忙しそうだな。あれから出世したんだろう。君は優秀だからな」
「はは、いやいや」

 心にもないことを、よくもそう簡単に口に出せる。天明は胸中を染める黒い感情に、きりきりと奥歯を噛みしめる。

 天明とコレ――世見坂終宵よみさか・よすがらは同期である。天明が軍に入隊した直後ほどに、当時の上司が突然連れてきたのが世見坂だった。

 地上の生まれだが、剣に関しては飛びぬけた天賦の才がある、軍の武力向上に役立つだろう。そんなことを言っていた上司が憎くてたまらなかった。

 天明自ら手を下して戦力外とし、追い落とすことでやっと昇格したというのに、またこいつは自分を脅かしにきた。あの頃さんざん屈辱を味わわせておいて、何もかも忘れた顔をして、どこまで自分を馬鹿にすれば気が済むのか。こちらに当時の屈辱を思い起こさせて殺すつもりだったのだろうが、そう簡単に殺されてやるものか! どちらの立場が上なのか、支配する側はどちらなのか――教えてやろうではないか。

 煮えたぎる腹の中を巧妙に隠しながら、天明は口の端に歪んだ笑みを刻む。

「よければ私のところに来ないか? 少し待たせるが、積もる話がしたいものだ」
「本当か? それは嬉しいな」

 世見坂が笑う。目を細めて、妙に嬉し気に。そんなモノも所詮は演技だ。コレはニンゲンの真似事をしているにすぎないのだから。

「この近くにある珈琲屋、覚えているかね」
「ああ、覚えているとも。僕は確か入ったことがなかったと思うが……」
「ならちょうどいい。そこで待っていたまえ。私はこれから少々会議があるのでな。あそこの珈琲と焼き菓子はそこそこうまい」
「僕は餡子があれば何でも嬉しいよ」
「頼めばもらえるだろうさ。さ、こっちだ」

 親し気になるような言葉を選びながら、天明は世見坂の背に手を添えて歩き出す。会議までには、まだ少し時間がある。その間にどうしてやろうか、せいぜい考えておくとしよう。

 会議は滞りなく終了し、珈琲屋へと急ぐ。軍人と警察官御用達のこの店は、本来は第八階層にある同盟国由来のものだ。どこもかしこも灰色で無骨で味気ない階層にありながら、内装に木材を用いて洋風に仕立てているからか、ここに通う軍人らも多かった。

 磨き抜かれて飴色の艶を含んだ扉を開く。かろかろと鐘が鳴り、店員が丁寧に天明へと頭を下げる。世見坂は端の席に座り、何をするでもなく目を閉じていた。目の前にはあんみつが入っていたと思しき空の器と、半分まで減って冷めた珈琲が残されている。

「待たせたな」
「いや、いいさ。待つ時間は嫌いではない」

 笑う男に苛立ちを覚えるが、それをぶつけるのは今ではない。金を支払い、連れ立って外に出る。すれ違う部下たちにぶしつけな視線を投げられるが、天明は威圧するようにひとつ一瞥をくれて歩くのみであった。

 天明に与えられた自宅は、十三階層の奥側にある。幾重にも連なる回廊を渡るにつれ、平たい塔に刻まれた扉の数が減っていく。階層が上がるにつれて、集合住宅の扉の数が少なくなるのは、その分だけ中が広く部屋数があるということに他ならない。

 懐から鍵を出して扉を開ければ、中から使用人が天明を出迎えた。

「旦那様、おかえりなさいませ」

 最近雇った年若い娘で、名を耀あかるという。顔の造作は人形のように美しく整い、瑞々しい肉付きをしている。よく仕事ができ、留守も任せられる上に、夜の伽もずいぶんと“うまい”。天明の気に入りだった。

 玄関こそ洋風の石畳にしてあるが、室内はすべて畳とふすま、障子で作られた昔ながらの部屋になっている。天明のいた第九階層の実家と同じ、葦原国の由緒正しい屋敷を模したものだ。窓は全面硝子張りになっており、陰気で無機質な鈍色の風景がよく見えるのだった。

 昔はここから見下ろすほどに低いところに住んでいた。もっともっと向こう側の、外れのほうの使い古しの部屋だった。女を連れ込むことすらままならなかったことを覚えている。

 軍は女人禁制、この階層も基本的に女を連れ込むことは禁じられている。しかし上位の軍人になると、使用人という体で情婦を囲う者も少なくはない。天明の情婦である彼女の服装も、厚手の着物と袴を合わせたもので、髪も短く切らせている。外に出るときは帽子と羽織を着用させ、女とわからぬようにしていた。

 聞けば既婚の者の中には、第八から第九階層あたりに本宅を構え、ここに情婦を住まわせている輩もいるというが、天明には興味のない話であった。

 この階層は他より明確に隔離され、管理され、閉ざされている。ここで何が行われたとしても、誰も知る者はいない。よほど軍の不利益とならぬ限りは、何が起きたとしても綺麗に処理される、あるいは黙殺される。ましてやそれが個々人の趣向となれば――この場所で何が起きたとしても、誰にもとがめられることはない。

 外套を脱ぎ、使用人へと投げて寄越す。視界の端で世見坂が座らされ、靴を脱がされている。あとで客人として扱わなくてもよいと言っておかねばなるまい。天明は耀に目くばせする。耀はひとつうなずいて、さらに奥の部屋のふすまを静かに開けた。中からは、濃く官能的な香りが漂ってくる。

「こちらへどうぞ」
「ありがとう。……麝香じゃこうか?」

 鼻がいいのは調査済みだ。これだけ香りが濃いならば、どんな薬品を使ったとしても気が付かれることはない。 

「ああ。奥の部屋で焚いている」

 奥へ、奥へ。誘い込む。無防備な背中に手を添えて、天明は“客間”へと世見坂をいざなう。そこで何をされるのか、知りもせず。天明が口元に刻んだ歪んだ笑みを、知ることもなく。
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