そして夜は華散らす

緑谷

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外伝1【翡翠に懐古す】

其の三

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※※※ 鮮明な死体の描写、激しい流血描写などがあります ※※※


 錆色の光に浮かび上がるひとつの影。見るもおぞましい、それはまさに異形であった。

 耳と鼻をそぎ落とされた、人間のような顔。のっぺりとしたそこにはめ込まれたふたつの眼は虚ろで、あまりにも大きすぎる。口は両目の間から縦に引き裂け、長すぎる首の半ばまでびっしりと牙が覆っている。腐った肉色の胴体のあちこちからは、人間の腕にも似た触手が皮膚を突き破ってみっしりと生えていた。脚は八本、一見すると蜘蛛に似た形状である。

 通常の【獣】なんぞ、いくらでかくておぞましい恰好をしていたところで、その図体は大人の男をふたり重ねたぐらいしかないというのに、こいつはそのさらに数倍以上のでかさだった。

 その後ろから、血と泥を凝った毛並みの【獣】らが続く。狼にも似ているが、やはりこちらのほうが狼よりも数倍でかい。そこに何人もの人間を潰してかき混ぜたような、吐き気を催す姿をしていた。ヒトの顔を無理やりイヌ科の動物に仕立て上げた、そんな違和感と不気味さを同居させた顔のほかに、明らかに人間と思しき別の顔がそこかしこで悲鳴をあげている。鋭い牙と爪、地面を踏みしめて立つ手足は動物のソレとも、人間のソレともつかぬ歪な形状をしていた。

 四つ足のものと、ヒトに似た部分を持ったもの。世見坂の言葉がよみがえる。――冗談じゃない。ヒトに似た部分どころか、もはや人の肉体そのものじゃないか。外の国とは違う形のソレらに、俺は鳥肌を禁じ得なかった。

 何よりも雑魚の数が多い。ざっと把握した限り、飛び出してきたのはおおよそ十五。おそらくこれだけじゃない。

「で、でか、い……」

 左隣にいるやつが怯えて声を漏らす。そうだ、こいつは外の国で見たやつらの数倍でかい。ここで死体を食って育ったというのか? それとも別の何かがあるのか。

「ひ……!」
「うそだろ、なんでこんなの、俺たちが」

 あちこちからあまりの醜悪さに呻くのが聞こえてくる。世見坂だけが舞うように距離を詰めていく。そこに【狼】どもが数体群がり、世見坂を追う。世見坂が軽い身のこなしで追撃をいなし、躱し、その背に、頚椎に、刀を鋭く打ち込んでいく。

 血がしぶく。のたうち回る【狼】の首を一撃で刎ね、返す刃で後ろにいた【狼】の眉間へと刃を突き立てた。銀色が鋭く翻る。息絶える直前の一撃によって軍服の右袖が引き裂かれるが、その前に手首をばさりと斬り落として深手を負うのを回避していた。姿勢を低くして後ろからの攻撃を避け、下から柔らかな顎の下部、喉から一気に脳天まで刺し貫く。痙攣する【狼】の身体を蹴り上げながら、血をぬぐうこともなく、世見坂が次の獲物へと襲い掛かる。

 ――笑っている。あいつは、この、命のやり取りを心の底から楽しんでいる。異形の命を刈り取るその様を、俺は半ば呆然としながら眺めていた。

「撃て!! 怯むな!! 散開し距離を取れ! 仕留めるまで撃ち続けよ!!」

 大尉の怒号が飛び、我に返る。世見坂が単騎で突っ込んだおかげで、敵の注意の大半はそちらに向いている。しかし、何体かはこちらへ向かっている。

 指示に従い、救護班は瓦礫の影に身を隠しながら銃撃にて援護する。他の連中も応戦しているが、やはり一番でかい【獣】には一切通じていないようだった。【狼】には銃もそれなりに有効だが、決定打に欠ける。

 大尉を含めた数人が、刀を手に応戦する。大尉は無駄のない動きで牙を剥く【狼】を斬り捨てていき、残る上位階級の部下らがそれに続く。大尉の周囲は、彼専用の精鋭とも言える人々だと聞いたことがある。世見坂もおそらくはそのひとりなのだろう。

 勢いは、徐々にこちらの有利になりつつあった。最初は怖気づいていた若者たちも、これを好機ととらえたか。命令を半ば無視して前へ突出する連中も見られた。

「第十三小隊所属、六名ッ! 下がれ!! 前へ出すぎだ、銃で応戦しろ!!」

 音と音が入り乱れる中、分隊を率いる軍曹が叫ぶのが耳に入った。見れば、世見坂が戦うすぐ近くの瓦礫に、まだ若い軍人たちが固まっている。

 あいつばかりなんだ、ぼくらにだってそれぐらい簡単だろう――遠くで声こそ聞こえないが、読唇した連中は確かにそう言っていた。

 世見坂は。俺はとっさに世見坂を探した。また追加で湧き出てきた【狼】どもを相手に、もはや返り血まみれのままで舞っている。その視線は【獣】に注がれているものの、近寄ってきた連中は見えていないらしかった。

 ばらばらと、瓦礫から若い奴らが走り出す。手には各々刀や銃が握られていた。【狼】ではなく、その奥にいる【獣】を狙っている。

「離れろ!!」

 大尉が声を張り上げる、と同時に【獣】が吼えた。喉首まで裂けた“口”から、紅い何かが飛び出した。舌だ。先端が鋭く尖った舌が、距離を詰めていたうち数人の腹を刺し貫く。そして絶望の悲鳴とともに【獣】のほうへと引き寄せられ、なすすべもなくその“口”へと押し込められていく。

 弾かれたように世見坂が駆ける。追いすがる【狼】の前脚を裂いて足止めしつつ、今まさに獲物を食おうとする【獣】めがけて刀を振りかぶった。

 助けてくれ、と隙間から伸ばされた幾本もの腕に、その剣筋がわずかに鈍った。【獣】の身体から伸びた触腕が、世見坂の胴体を打ち据えて跳ね飛ばす。助けを求める腕々はいともたやすく引きちぎられ、そうして残った部分は、閉ざされた口の中からほとばしる悲鳴とともに、ゆっくりと咀嚼されていった。

 世見坂は猫のような身のこなしで受け身を取り、間髪入れずに襲い来る【狼】どもを次々と斬り払う。それを目の当たりにした残り数人が、世見坂の背中を突き飛ばす。バランスを崩す世見坂の右肩に、【狼】の爪が食い込んだ。同時に世見坂の刀が【狼】の胴体を引き裂き、内臓と思しきモノが傷口からあふれ出る。着地に失敗しもんどりうつ【狼】の首を刎ね、また新たに宵青の髪に、まとう軍服に、返り血を塗り重ねていく。

 怖気づいた連中が、真っ青な顔をして逃げていく。しかし、無防備なまま逃げるばかりの獲物たちを、【獣】どもが見逃すわけもない。先ほど見かけた坊やのひとりが【狼】どもに追い付かれた。もつれた足を食いちぎられ、倒れてすぐさま群がられていく。そうしていとも簡単に、頭蓋と脳髄を、体中を、いたるところを噛み砕かれ引き裂かれていく。仲間が瞬く間に肉塊にされていく様に錯乱した残りも、同じような末路をたどった。

 俺は思わず目を背け、奥歯をきつく噛みしめる。目の前で助けられない命がある――医者として、軍人として、見限らねばならないこの瞬間が、たまらなく俺は嫌だった。たとえ相手がどんなにクソ野郎だったとしても、助けなくていい命などあってたまるか。

 視界の端を影がよぎった。こんなところにまで来たのかと、思わず反射で発砲する。

「ひいぃ!!」

 情けない悲鳴が耳を打つ。聞き覚えのある声、改めて視界に収めてみれば、それは紛れもなく同僚の天明浄楽だった。見た限り怪我した様子はないが、なぜこんなところにいるのだろうか。

「おま……馬鹿野郎!! 急に飛び出して来るんじゃねえ!! あぶねえだろうが!!」
「ち、違う!! ぼくは逃げたんじゃない!!」

 こちらが問い詰めたわけでもないのに、言い訳がましい言葉が飛び出した。天明の顔は真っ青で、全身ががたがたと震えている。今にも失神しそうな状態だ。休ませたほうがいいかとも考えたが、プライドの高いこいつが果たして俺の言うことを聞くかどうか。

「あ、あ、あんなモノがいるなんて聞いてない、あんな危険を冒してまで戦う必要なんてない、でも違う、ぼ、ぼくは逃げたわけじゃない、た、高い場所を陣取れば、向こうも上がってこられない、だからそっちから援護をしにいくんだ、いいか、絶対こっちに来るなよ、絶対だからな!!」

「おい待て、ひとりで動くな!!」

 天明は一息にそうがなり立てると、俺の制止も聞かずに走り去っていく。それを引き戻すか一瞬悩んだ直後、さらに悲鳴が重なった。大尉が剣を振るう隣、側近のひとりが足を食いちぎられ、血だまりの中に倒れている。

 上司らが銃を乱射しながら怪我人のもとへ走る。怪我人を担ぎ上げる上司らの背を守るため、俺は【狼】らの中に無我夢中で飛び込んだ。

「――ッ、らぁァ!!」

 俺は雄たけびを上げながら、予備の銃をもう一丁引き抜いてがむしゃらに発砲した。もともと二丁同時使用を想定されていないせいで、腕に伝わる反動がひどい。下手したら肩が外れるかもしれない。だが、外れた肩ははめなおせばいいだけだ。それにたとえ銃弾が当たらずとも、目くらまし程度にはなる。

 せめてこの状況の中、ひとりでも誰かを助けるために、俺は走る。足の速さには自信があるほうだが、それでも異形のほうが身体能力ははるかに高い。発砲し牽制しながらでも、みるみるうちに距離が縮まっていく。人間の怨嗟の声にも似た唸りが背中に迫る。せめてもう一撃、振り向いた俺に牙が、爪が、振り上げられた。間に合わない――!

 その、瞬間。夜の色が視界に割り込んだ。長い髪がほどけて乱れる。腕を一閃、ひどいにおいのするどす黒い液体が噴水のようにほとばしり、容赦なく顔に、身体に降りかかる。

 渇いた土色の床が濡れて汚れる。切り裂かれた身体を痙攣させ、【狼】が一匹倒れ伏した。飛び掛かってくるもう一体を、鋭い銀が翻弄する。いつものあいつからは想像できないような荒々しさで狼】の顔面を蹴りあげると、のけぞる喉に刀の切っ先をねじ込んだ。手首をひねり刃を滑らせ、頸動脈と思しき場所を躊躇なく切断する。

 どれだけの【狼】を屠ったのか、軍服は原型をとどめぬほどにずたずたになり、下の襯衣しゃつにもまだらに血がにじんでいる。ざんばらになった髪を鬱陶しそうに手でかきあげ、世見坂はちろりと唇を舐める。紅い瞳はいつにもまして鮮やかで、おぞましさすら覚えてしまう。そして何よりも――口の端を釣りあげて、世見坂は陶然と笑っていた。

 なんなんだ、こいつは。思わず脳裏にそんな言葉がよぎっていく。なんでそんな顔ができるんだ。こんな状況で、仲間にも犠牲が出ている状態だというのに、なんでそんな楽しそうに笑っていられるんだ。

「どうか、してるぜ」

 思わず零れ落ちた俺の言葉が、聞こえているのかいないのか。世見坂はぼろきれになった黒布を引きちぎると、荒く肩で息をしながら最奥の【獣】を見据えた。

 【獣】も世見坂を敵と認識したらしく、触手をうごめかせながら虚ろな視線を注いでいる。濁って澱んだ大きすぎる目には、はっきりと殺意が見て取れた。

 同時に、動く。世見坂が走る。鋭く伸ばされた触手が世見坂の足をとらえたが、あっという間に斬り落とされる。走る。走る。肩を、腕を捕まえるたびに、世見坂の容赦ない一撃がそれを断ち割る。恐るべき反射速度だ。まるで人間技と思えない。

 【獣】が咆哮とともに醜い身体を引きずりながら世見坂へと迫る。人間の手を模した形の触腕が、不規則な動きで世見坂を捕らえようと伸びる。何度引き裂かれても断ち切られても、めりめりと嫌な音をさせて再生していくさまに吐き気がこみあげる。それでも世見坂は肉薄し、その身に刃を突き立てては引き裂き、触腕を断ち切る、を繰り返していた。

 弱っていた【狼】にトドメを刺した大尉が、振り向きざまに声を張る。

「世見坂、もういい。狩れ。迅速にだ」

 大尉の命令が届いたのか、世見坂の動きが変わった。触手をすり抜け、舞うような動きで足を一本斬り落とす。続けざまにもう一本。さらに一本。あまりにも速すぎる攻撃に崩れ落ちながら、【獣】は呆然と斬り落とされた足を見つめていた。

 みちみち、と嫌な音が鳴る。足も触手同様に再生させようとしているのだろう。俺はその場にとどまり、発砲して妨害する。でかすぎる目がこちらを見る、しかし【獣】が動くより先に、世見坂の刀が片目に突き立った。

 悲鳴。咆哮。世見坂の身体を【獣】の腕が薙ぎ払う。吹っ飛ばされた世見坂が受け身を取るが、膝を折って口から一塊血を吐いた。内臓に傷がついたのかもしれない。

 わずかな隙を【獣】は逃さなかった。世見坂の右腕を【獣】の長い舌が巻き取り、巨大な“口”へと引きずり込む。だが――その口が世見坂を飲み込む前に、世見坂の刀が舌を斬り落とした。舌から激しく血がしぶく。反動でよろめく【獣】の口の中へそのまま身体をねじ込み、世見坂が刃をを突き入れ縦に引き裂く。数多の人間の声を縒り合わせた、禍々しい悲鳴がする。引き抜きざまに手首を返し、渾身の力で横に切り裂く。重たい首を支えることができず、【獣】がのけぞる。ぶちぶちと肉が割れていく音が生々しく響いた。

 短い、笑い声がする。世見坂が、嗤っている。無防備にさらされた頸に鋭く刀を滑らせる。断つのは一瞬。急所を切断された【獣】は、どす黒い血を雨のように降らせながら倒れ込む。生臭いそれを浴びながら、世見坂はただうっとりと嗤っていた。
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