【R18】悪魔に殺虫剤

茅野ガク

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私を求めて

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『──対価を払えば、私を呼び出した君の願いを叶えよう』



 ダイニングキッチンに広がる黒い煙の中。その煙よりも更にもっともっと黒い影。
 影は、ひび割れるような声で私にそう告げると赤い目を光らせる。凍てつく冷気に、爪先の感覚が無くなっていく。このままじゃ──


(このままじゃ、しもやけになるっ!!)


 ガタガタと白い息を吐きながら、あの嫌な痒みを思い出して必死に起死回生の可能性を探り部屋中へ視線を走らせる。

(っ、 ア レ だ──!)

 Gから始まるその名も○○○○! 黒い悪魔!
 アイツ・・・を倒すための独り暮らしの必需品!
 いつ何時アイツが出てきやがっても良いように部屋の角に置いておいて良かった! 本当に良かった!
 ありがとう私! よくやった私! 今日はまた自分を褒められたよ嬉しいね!

 かじかむ身体を動かしてソレ・・をガッ! と掴むと赤い目に向けて躊躇なく噴射する。



「さっ、殺虫剤ビーーーーーームッッ!!!!!!」
 


 ブシャアアアアァァァァァァァァァァァァッッ!!
 中身がほとんど減っていなかった殺虫剤を全部使いきる勢いで全身全霊の力を人差し指に込め続けた。
 独特の臭いになんだか私までクラクラしてきた気がするけど良い子のお姉さまがたは真似しないでね!



《グアァァァァァァァァァァァッッッッ?!》



 殺虫剤を浴びた影が壊れた洗濯機みたいな声をあげながら床の上を転げ回る。



『っああああああああああぁぁぁ!!』



(ヒィィィィィッ! なんか形、変わってきた! 塩かけたナメクジみたいになってきたっ!! イケる?! このまま溶けて消える?!)


「────え?」
 しかし私の予想とは反対に、派手な音を立ててテーブルや椅子にぶつかる影が段々と輪郭を持ち始めた。
 ただの粘土の塊が捏ねていくうちに姿を変えるように。ぐにぐにと。ぐにぐにと。次々に変化していく。

 ライオン。鳥。猿。馬。
 どの生き物にも見えて、どの生き物にも見えない。
 殺虫剤の容器を構えたまま呆然とその様を見ていた私の前に最終的に現れたのは────



「ああああっ!! 何コレ! 何コレ! めっちゃ美味しいっ!」



 全裸の美青年だった。



 少しクセのある黒髪。彫りの深い顔立ち。180センチは軽く越えていそうな長身。ガッチリした肩幅。彫刻みたいな胸筋と腹筋。
 そして────



「処女になんてもの見せてくれるんじゃボケぇぇぇぇぇぇっ!!」



「ぐぁっ?!」
 カーン! と殺虫剤の缶が美青年の高い鼻にクリーンヒットする。
 しかし私はそれどころではなかった。


(なにアレなにアレなにアレっ! ナニ?! ナニなの?! いやでもちょっと待って大きすぎない?! ……はっ殺虫剤?! それこそ殺虫剤だったんじゃない?!)


 人生で初めて遭遇した未知の生物と未知の物体・・に動悸がおさまらない。悪魔を呼び出したことなんか既に頭から吹っ飛んでいた。殺虫剤・・・のことでいっぱいだった。

 だから──だから反応が遅れた。

「ひっどいなぁ、最初の霧は美味しかったけど、今のは痛かったよぉ? 俺を呼び出したのは、君でしょう? ……ってナニ君! 君みたいな魂の形、初めて見た!」

 ガシッ! と大きな手で頭を掴まれたと思ったら作り物めいた美貌が分厚いレンズ越しの視界いっぱいに広がる。
 深い夜の色の瞳がキラキラと私を見つめる。

「すっげぇー! ナニこの魂! めちゃくちゃ歪んでる! なのに絶妙にバランスのとれた形! 色も! なんでこんな色してんの?! どうやって生きてきたらこんなんなるの?!」

 ……おい悪魔。ケンカ売ってんのか。言い値で買うぞ。張り倒すぞ。
 そして人外にこんな風に言われる私の魂ってどうなってんだよ。歪んでるのは背骨だけにしといてよ。

「えー君、絶対美味しい! 君の体液とか絶対に俺好みの味だと思う! 俺、本当は処女好きじゃないんだけど君のなら美味しくいただけそう!」
「……いろいろ突っ込みたいところはおいといて、あなた、さっきの悪魔なの?」
「そう! 俺は君が呼び出した悪魔、エリュトロンだよ」
「……悪魔って、普通は処女が好きなんじゃないの?」
「あー? 確かに処女の願いばっか叶えてるヤツも仲間内にはいるけど? 俺、なんか偏食らしくて他の奴等と好みがあわないんだよねぇ」

 だから殺虫剤が美味しかったのか。




「ねっ、ねっ、君の願いはなに? 対価をくれればなんでも叶えてあげる!」


 
 それが、エリュトロン──リュートと私の出会い。
 最初の願いの対価は殺虫剤だった。
 殺虫剤の味がお気に召した彼は、殺虫剤と引き換えに「目のやりばに困るから服を着て欲しい」という私の願いを叶えてくれた。

 その後は…………うん、何故か殺虫剤と缶ビールで乾杯することになったんだ。
 嬉しかった。誰かとお酒を飲めるなんて。自分や家族以外の誰かと、笑いながらお酒が飲めるなんて。

 周りを転がる空き缶の数が両手じゃ足りなくなった頃。
 私の眼鏡を外してリュートが囁く。

「ケイナ? 天童京奈てんどうけいな? 俺のご主人様? 俺の缶はもう空っぽになっちゃったよ? もっと、もっと美味しいのちょうだい?」
「んにゅー? あ、ほんとらぁ。殺虫剤、もうないねぇ。れも、ろうしよう? 買いに行かないとストックはないんらぁ」
「殺虫剤よりもね? もっと美味しいものがココ・・にあるよ? ──ほら、君の、ココ……」

 そう甘く囁きながら、形の良い乾いた指先でチョンっと私の唇にリュートが触れる。



「君のココから溢れる唾液を舐めさせてご主人様? そうしたら、また願いを叶えてあげる。……うんと、気持ち良くしてあげる」



 殺虫剤を美味しいと言って飲む変わり者でも。大型犬のような空気をまとっていても。


 リュートの本性は人間を誘惑する悪魔だった。
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