サマー子爵家の結婚録    ~ほのぼの異世界パラレルワールド~

秋野 木星

文字の大きさ
86 / 100
第五章 聖なる夜をいとし子と

愛しい子

しおりを挟む
 セーラはデビッドを部屋の外へ追い出して、赤ちゃんの口に乳首を含ませた。

生まれたての赤ちゃんというのは抱きにくいし、ちっとも乳首に吸い付かない。
あちらは乳首をただ舐めている感じで、こちらはくにゃくにゃした身体を支えなければならない。慣れない抱っこに肩が凝ってきた。

こんなことでお互いが、本当にやっていけるのだろうか?
30分も四苦八苦していると、赤ちゃんは焦れて泣き出すし、こっちもくたびれて泣きたくなってくる。


そんな時に軽いノックの音がして誰かが入って来た。
看護士さんかと思ったらどうも違うようだ。上質な生地の洋服を着た年配のご婦人だ。手には大きな荷物を持っている。

「失礼します。メリークリスマス。なかなか…苦労しているようね。」

「こんばんは。初めてなので…お互いが初心者なんです。」

セーラは肩をすくめて、にじみかけていた涙をぬぐった。


ご婦人は部屋の中まで入って来て、自己紹介をした。

「誰かと思ってるでしょうね。デビッドの母親のマーガレットよ。このジュニアちゃんの服やオムツを持って来たの。あなたの入院道具もね。」

「あの、ミセスサマー、違うんです! デビッドはおかしなことを言ってますが、私は…。気持ちが弱くなっててつい、イエスの返事をしたんです。すぐに、すぐに消えますから。」

セーラの叫びに呼応するかのように、赤ちゃんは大声で泣きだした。
そんな二人の様子をマーガレットは推し量るように見ていた。そして、顔元を和らげるとベッドの近くまでやって来た。

「まあまあ、そんなことは後でもいいのよ。大事なのはこの子のことでしょ。こんなに泣いて、お乳が足りてないようね。体重をはかりましょう。私がミルクをこしらえて来るわ。」

マーガレットは、セーラの手から赤ちゃんを取り上げると手馴れた様子で体重を量り、記録用紙を見て「まぁ、全然飲めてないわ。」と言ったかと思うと、首を振りながら赤ちゃんを抱っこしたまま、外に出て行ってしまった。

その間セーラは何が起こっているのかわからず、呆然としてマーガレットの行動を眺めていた。
マーガレットと入れ替わりにデビッドが部屋に入って来たので、セーラは慌ててはだけていた手術着の胸の前を合わせた。

「そのままのほうがいい眺めなのに。」

「バカねっ。そういう訳にはいきません。」

「なんだよ。結婚したら眺め放題なんだから一緒だろ。」

「…その事だけど、ご家族に反対されたでしょ。無理なのよ。会ったばかりだし、身分も違いすぎるみたいだし。」

「プハッ、さっきからいやに弱気だな。変更は認めない。僕はあの子の父親になると決めた。そして君の夫になると決めたんだ。僕は頑固だからね。君もいいかげん覚悟した方がいいよ。」

デビッドは軽口をたたいているように見えるが、目の中には誰にも動じない強い光があった。
この男ときたら…本人が言っているように本当に頑固だわ。


朝から雪の中を歩き回った挙句あげくの心労、急な出産、そしてさっきまでの慣れない授乳と続いて、さすがのセーラもそんなデビッドに言い返す気力もなかった。

もう布団を被ってふて寝するしかない。

デビッドが何やらバッグから取り出してゴソゴソしている音は聞こえていたが、セーラはもう放っておくことにした。「セーラ、着替えだよ。」という声を遠くに聞いたような気がした時には、もうセーラは眠りに落ちていた。

そんなセーラの様子に気付いたデビッドは、ベッドの側に来て愛おしそうにセーラの寝顔を眺める。
あの雪の中を陣痛の痛みを抱えて、教会に向かって必死に歩いていたセーラ。身の上話からも苦労の日々だったことがわかる。好きだった男にお腹の子だけ残して死なれて、どんなに心細かったことだろう。それでも笑いを忘れない。

強いね、君は。

あどけない寝顔は、小さな女の子のようだ。思わず顔がほころんでしまう。

「よほど疲れてたんだな。おやすみ、僕の可愛い戦士。」

デビッドはセーラの髪をかき上げると、おでこにそっとキスをした。


**********


 翌朝、セーラが目を覚ますと胸が痛いほど腫れあがっていた。両方の胸がゴリンゴリンに張っている。

「うーん、痛い。何これ?」

するとグスグスと鼻を鳴らしていた赤ちゃんが「ほゃぁほんゃあ、ほんぎゃぁほんぎゃあ!」と本格的に泣き出した。

「ん~、またお乳か。…バディ、お前も好きだなぁ。」

デビッドが半分寝ぼけながら、とろんとした声で赤ちゃんに答えている。

どうも夜中に起きてミルクを飲ませてくれていたようだ。セーラはちっとも気付かなかった。
余程ぐっすりと眠っていたらしい。


セーラは本能に従って赤ちゃんを抱き上げると、胸にぎゅっとデイビーを抱きしめた。

何かを探すように口を空けながら顔を揺らすデイビーの前に乳首を突き出すと、昨夜とは打って変わって飛びつくようにして乳首を口に含んだ息子は、ウンクッウンクッと力強くお乳を飲み始めた。
痛かった片方のお乳が、見る間にスッと楽になって行くのがわかる。反対側も飲んで欲しいけど、この子は当分乳首を放しそうにない。

カーテンの隙間から差し込んだ朝の光が、デイビーの一生懸命な顔を照らしている。

「ふふ、可愛い。まつげが長いわ。このキリっとした眉毛はセディに似てるわね。耳の形は私かしら。不思議、こんなに小さな手なのに爪が綺麗に生えてるなんて。この長細い爪の形も私に似てるみたい。」

意図して出来た子ではないのに、セドリックと自分の血を引いている姿かたち。セーラは言いようもない敬虔けいけんなものをそこに感じた。

自分の見知らぬ母親と父親のことをつい考えてしまう。セーラの顔も、二人に似ているのだろうか? そんな確かめるすべもないことを思って苦笑が漏れた。


「お乳を飲ませるのが上手くなったみたいだね。」

その声に目を向けると、デビッドがソファベッドに座って、セーラとデイビーをじっと見ていた。
昨日恥ずかしかった胸を見せていることも、今朝は何とも思わない。母親になるというのはこういうことなんだろうか。

「昨夜はありがとう。夜中にデイビーにミルクをやってくれたんでしょ。」

「うん、君はぐっすり眠ってたから、起こすのは忍びなかったんだ。この子はデイビーと呼ぶことになったんだね。」

「ええ、さっき抱き上げた時に、心の中で自然にそう呼んでたの。」

「いいね。デビーより可愛いよ。看護士のスーザンはデビーベビーって韻を踏んで呼んでるけどね。」

デビッドの面白がっている声音に、セーラの眉がピクリとあがる。

「スーザンですって? いつの間にそんなに親しくなったのかしら?」

「やきもちかい? 嬉しいな。」

「そ、そんなことはないわよ。ちょっと疑問だっただけ。」

「夜中にバディにミルクを飲ましてる時に、ちょっと話しただけだよ。」

「バディ?」

「ああ、僕の相棒だからね。…初めて腕に抱いた時に何だか魂の結びつきを感じたんだ。教会の雪の中で君を抱いた時にも感じたな。病院のスタッフに君を預けた時には、訳のわからないひどい喪失感を感じたよ。…セーラ、僕たちは出会うべくして出会ったんだと思う。君といると自然だ。僕たちは一緒にいるべきなんだよ。」


デビッドの言葉がセーラの胸の中にスッと入って来た。

朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ時のように自然と顔がほころぶ。
この人ったら、本当に…。

「そうね、そうかもしれないわね。」

デビッドはそれを聞くとニヤリと笑った。

「もう反論は許さないからね。僕の家族への説得は二人で取組んで行こう。うちのおじいさまは手強いぞ~。セーラはその笑顔で僕を助けてくれよ!」

「もうっ、なんて現金な。あなたには負けたわ。ええ、あなたの言う通りにやってみましょう。上手く行かなくても、その時はその時だわ。なるようにしかならないものね。」

「セーラ哲学かい? いい考え方だね。」

デビッドはセーラのような苦労は知らないだろう。手の中に何も持っていない生活では、先のことを思い悩んでもしょうがないのだ。

「銀のスプーンをくわえて生まれて来た人には、わからないわ。」

「え? なんか言った?」

「ううん、何でもない。」


デイビーを抱き直してもう片方の胸の乳首をくわえさせながら、セーラは「上手くいかなくても、元の生活に戻るだけ。失うものは何もないわ。」と心の中で呟いたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

処理中です...