夏の日の時の段差

秋野 木星

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恐怖のスライド

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これは誰に言っても信じない話だと思う。


由紀恵はその日、何年か前に亡くなった祖母の家の後片付けに来ていた。

両親が共働きの為、おばあちゃんの家をなかなか片付けることができないでいたのだ。
誰も住んでいないのに税金だけがかかる家に業を煮やした母親が、夏休みに家でごろごろしていた由紀恵に命令を下した。

「ひと部屋だけでもいいから片付けて来てちょうだい。あそこの家を売却したお金は、あんたたちの進学費用になるんだからね」

大学進学という進路は、母の希望であって、由紀恵が考えている未来ではない。

由紀恵としては小難しい勉強よりも、演劇をやりたいと思っていた。そのため、できたら東京の専門学校へでも進学して、親の目が届かなくなったところで劇団のオーディションを受けるという計画を、密かに企てていた。
この計画はまだ、親友の恵子にしか打ち明けていない。

しかし大学に行くにしろ、専門学校というお茶を濁した道へ進むにしろ、おばあちゃんの家の売却金が、自分たち姉弟の教育費用になることには変わりはない。
そのため夏の日の暑い最中に、自宅から自転車で十五分の距離を、汗をかきかきやって来たのである。


自転車を家の東側にある勝手口の前に止めると、由紀恵は裏の物置の隠し場所から、鉄さび色の鍵を取ってきた。
今日は一人で来たので、玄関を開ける必要はないだろう。
それに夏場の暑い時に母屋を片付けるのは億劫だった。

由紀恵は今日、おばあちゃんが寝室にしていた蔵の離れを片付けるつもりで来たのだ。
夏は涼しく、冬は暖かいので、おばあちゃんは母屋の裏に建っている古い蔵をリフォームして住んでいた。


「蔵の中なら少しはひんやりして涼しいからね、っと……良かった開いた! この鍵、ちょっと錆びて来てるなぁ」

厚い蔵の壁は日光を遮断するので、日中でも薄暗い。

「電気、電気……あれっ? 蛍光灯がつかないな」

もうお母さんったら、電気と水道はそのままだって言ってたのに……
あ、もしかしたらもと電源を落としてるとか? 
えーと、ブレーカーはどこだっけ?

探してみると、蔵と物置小屋に挟まれた、細くて暗い廊下の壁にブレーカーらしき箱があった。

「椅子がいる……」

ブレーカーは高い所にあったので、由紀恵には手が届かない。
おばあちゃんが使っていた鏡台の椅子を、奥から運んできて、上に登った。

埃っぽいブレーカーの箱の蓋をなんとか開けて、次々とスイッチをオンにしていく。
最後のスイッチを入れた時に、パチッと青い火花が散った。

ブーンと八チの羽音のような音がする。


「うわっ、ヤバくない?これ。火事になったらどうしよう」

バケツに水を入れて置いとくべきかな。

由紀恵はブレーカーを注視しながら、そろりと椅子から降りた。
そして暗くて細い廊下を、足早に入り口の方に戻っていった。


「バケツ、バケツ、っと……どこだっけ?」


由紀恵が廊下の入り口を通り抜けた時に、なぜかヒンヤリとした冷たい空気が顔にあたった。

「あれ? エアコン? ……まさかスイッチを入れたままだったのかなぁ?」



入り口まで戻ってきた時、由紀恵は自分の目を疑った。

「…………エアコン……じゃ、ない…………?」

蔵の扉の外に見えたのは、……雪、だった。




*****




私は土を掘る。
適度に深く。
小石や雑草の根なども取り除きながら、ほこほこした柔らかいベッドになるように、丁寧に土をほぐす。

明るい五月の日差しは庭の木々をぴかぴかと輝かせ、新芽が出たばかりのしなやかな枝を、風がさわさわと揺らしている。空はあくまでも晴れていて雲一つ浮かんでいない。

「んー、これくらいでいいかな? 後は、ジョウロに水を汲んでこないとね」

やわらかくなった土に有機石灰をまいて、化成肥料を一緒にすき込んだ。後はポリポットの中身が入るだけ掘った円い植穴に、ジョウロで水を入れるだけだ。

「待っててね」

園芸店から家へやって来たばかりの花の苗に、内緒話をするように声をかける。


植穴にたっぷりと水を入れると、ポットから出した苗の根の様子を見る。白い根が細かく枝分かれしてびっしりと土の表面まで出て来ていた。

「窮屈だったんだね。もう五月だから、ちょっと根をほぐしてあげるよ」

根の付いた土をもんで、少しだけ下の方の根をほぐしてやる。
すると、花がホッとした顔をした。

優しく苗を植穴に入れてやり、ふかふかの土を寄せて「ここに落ち着きなさいねー」と株元を軽く抑えると、植え替えは完了だ。
ジョウロを持ち上げて、根が周りの土と馴染むように、たっぷりと水をかけてやった。
土がついた葉も茎も、冷たいシャワーを浴びて、さっぱりと綺麗になった。



「春の花が咲き揃いましたな。新顔のその子は夏の花ですか?」

道沿いから散歩をされている常連さんが、声を掛けてくれる。

「そうなんです。今日、夏野菜の苗を買いに園芸店に行ったら、この子に出会ってしまって」

「また、夏も楽しみですな。」

「ええ、また咲いたら見てやってください」

「はいはい、また見せてもらいますよー」

お互い名前も知らないご近所さんだが、お花のご縁で時たまこういう会話を交わしている。




*****




何度見ても、目の前に降り積もろうとしているのは雪である。

「雪っておかしくない? おかしいよね……今は夏だよ、夏休みだよ!」

由紀恵は、そろそろと蔵の扉を開けてみた。
少しきしんだが、その戸は音を立てて開いた。


「さむーーーいっ! 寒いじゃん。なんだこれっ?! いったい、どういうことなのよぅ……」

雪は、由紀恵が驚いている声などまったく聞こえないふりをして、シンシンと降り続いている。地面はあっという間に真っ白い雪で覆われてしまった。


「ハッ、自転車!!」

由紀恵が母屋の角を曲がり、家の東側の自転車を止めた場所に行ってみると、そこには自転車などもとからありませんでしたよというように、白い雪が降り積もっていた。


「なにこれぇ……どういうことなわけぇー??」

凍てついた雪の庭を見ると、声が震えてくる。
心臓はドクドクと音を立て、かじかんだ指先はピリピリした痛みを由紀恵に伝えてきた。


「ちょっと、誰か……誰かいますかー?! 誰かぁー、助けてーー!!」


由紀恵はパニックになって喉が枯れるまで叫び続けた。

すると前の道を歩いていた人が、立ち止まって、こちらの庭の奥を覗いているのが目に入った。


人がいる!

由紀恵はガクガクと震えて容易に力が入らない足をなんとか動かして、雪の中をその人のところへ歩いて行った。

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