ステップガ―ルとワイバ―ンの領主

六葉翼

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【ノ―ラ オブライエンⅣ】

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ノ―ラは毎日アルカナだけは肌身話さず持ち歩いた。

子犬のように傍らに置いて、けして他人の手には触れさせなかった。

父親の店の隅に自分で買った小さなテ-ブルを置いて占いを始めた。

店に買い物に来た客が希望すれば無料で占いをした。

「彼女の占いはよく当たる」

忽ち評判になった。

店に用がない客でもノ-ラに占って欲しくて店を訪れた。靴下やハンカチ-フが飛ぶように売れた。

女性も多く来店するようになったので、父親は婦人用の帽子や手袋も急いで用意しなければならなかった。

とてもノ-ラと父親だけでは注文が追いつかず占いどころではなかった。

すると買い物をしたのに占ってもらえない客から不満の声が上がった。

やがて新しい店員が店で働くようになり、ノ-ラは占いに専念出来た。女性従業員は皆ノ-ラと同じ制服を着て働いた。

店を二階建てに増築改装した際に店名を

めかし屋からウイッチ・クラフトに改名した。

ウイッチ・クラフトは西ロンドンの名物となった。父親は娘のノ-ラに感謝して店名に【ノ-ラ・ロズウエルの店】とつけたがった。

しかしノ-ラは父親に「自分はもうすぐ家を出るから」と言って断った。

従業員募集の貼り紙を出して、その中から選んだ若い娘を1人だけ雇うと、その娘にアルカナを教えた。

「勘のいい子だから大丈夫」

そう父親に言い残し家を出た。父親も母親も誰も彼女を止められなかった。

「お姉さん、私野良犬の腹蹴っ飛ばせるようになりましたわ!」

「それは、よかった」

「ええ、今もここに来る間に、若い雄犬が舌を出して厭らしく腰を振って近付いて来たので、私やってやりました!」

「で、今日は何の用だい?長居されると商売の邪魔なんだけどね」

「そう言うと思って長居させたくなる物をたんと持って参りましたの」

そう言ってノ-ラは彼女の目の前に大きなバスケットを置いた。

バスケットの中身は沢山の可愛らしいお茶菓子だった。

あの時は季節ではなく用意出来なかったキュ-カンバンサンドの緑も瑞々しい彩りを添えていた。

「キュウリのサンドイッチなんて生まれて初めて食べたけど、美味いもんだね!いくらでも食べられそうだよ!」

「まだまだ沢山ありますから、たんと召し上がれ」

机の上で頬杖をついたノ-ラが微笑む。

「あんたが稼いだお金で買った材料かい?」

「はい」

「大したもんだね、この間まで格子のついた部屋で膝を抱えて泣いてた娘が」

「お姉さんには遠く及びません」

「いや、大したもんだよ。この仕事をしてて良かったと思う事が」

彼女はそう言って声を詰まらせた。

「大丈夫ですか?今お茶を入れて差し上げます」

「大丈夫、かなりマスタードが効いてるね」

「マスタードは入ってませんよ」

「何故分かるんだい?」

「これは全部母に習って私が拵えたものだからです」

紅茶をカップに注ぎながらノ-ラは彼女に言った。

「父が言うんです、お姉さんと同じ仕事をするのなら『遠くに行け』と」

「…それは、つまり占いや霊媒の仕事なんてけしからん真似をするなら親子の縁を切る、そういう事かい?」 

「とんでもない!そんな恩知らずな言葉を口にしたら、いくら父親と謂えど私が許しません!」

「じゃあ何なんだい、実の娘で今やあんたは金の卵を産む鷄様じゃないか」

「鶏だなんて失礼しちゃいますね」

ノ-ラは口を尖らせた。

「『仕事を教えてくれた、恩のある方の近くで同じ店を構えるような、無作法な真似だけはしてくれるな…最低でも町2つ、30マイルは離れるべきだ』…ですって」

「私もかつて師にそう言われたよ」

「お姉さんも?」

「無作法な私は師に『私がいては邪魔になりますか?』と聞いたんだ」

「それで師匠様は何とお答えになったのですか?」

「私が近くにいて、商いに困るのはお前の方だ…そう言われたよ」

「私姉さんみたいに身の程…いえ怖いもの知らずじゃありません」

「今あんた身の程知らずって」

「言ってません!」

「いや、言った!この嘘つき魔女め!」

2人は些細な事でも大声を出して笑い合った。細い体の何処に入る場所があるのか、と思う位お菓子も沢山食べた。

「要らぬ気遣いはしなくていいよ、ノ-ラ…しかし」

指についたスコ-ンのクリームを舐めながら、緋色の瞳がノ-ラを見据える。

「この茶菓子を客に振舞うつもりなら脅威だ。30…いや100マイルは離れておくれ」

「ありがとう、お姉さん」

輝くような笑顔を見て彼女はノ-ラの成功を確信した。

たとえ嘘でも、明日死が待っている人間であろうとも…希望の欠片の1つも与えらないで何が占い師か。彼女は常々そう思って人に接して来たからだ。

今のノ-ラはそれが出来る。彼女の笑顔を見た人ならば、もっとそれを見たいと思うはずだ。

「親父さんのところで商いの仕方を学び、占いの腕を磨いたんだね」

「私はお姉さんみたいに天賦の才能には恵まれていません、だから頑張るしかないんです!」

「本当に才能のない子が『この仕事がしたい』と言って来たら私は『まず娼館で働け』と言うよ、人が何を求めているか学ぶにはそれが一番だからね…もっとも男限定だけど、けどノ-ラ、あんたは違うよ」

「私、お姉さんが働けというなら娼館でも働きます!」

「あんた娼館がどんな事をする場所か知ってるのかい?」

「知ってますとも!」

ノ-ラは胸を張って得意気に答えた。

「男性が日々の鬱憤を晴らし、晴れやかな気持ちで明日を迎えるための大人の社交場…と父が申しておりました」

「具体的に言うと」

「お前にはまだ早いと父が…」

ノ-ラは彼女に耳うちされた途端に拳を握りしめ立ち上がった。

「もう帰るのかい?」

「ちょっと父の店に行って裁ち鋏を取って参ります」

「何する気だい!?」

「お姉さんにそんな事をさせる不埒で破廉恥な輩は、すべて切り落とします!」

「輩って」

「私に嘘をついた父も晴れやかな明日は来ないでしょう!させるもするも許しませんたら!」

「そんな事したらイ-スト・エンドの殺人鬼の女版になっちまうよ」

「イ-スト・エンドの殺人鬼…いま随分騒ぎになっていますね。新聞にも、父の店に来るお客さんも、その話題で持ちきりです。娼婦ばかりを狙うとか…」

「なんだ、あんた娼婦の意味知ってるんじゃないか」

「ある程度は」

ノ-ラは舌を出して見せた。

「お姉さん、知ってますか」

ノ-ラは悪戯っぽい目で彼女を覗き込んだ。

「娼婦をなさるような女の人って、こんなに胸が開いたドレスを着るんですよ」

言うが早いかノ-ラは彼女の着ているコ-トを一気にはだけさせた。はしゃいでいたノ-ラは息を呑んだ。

薄い胸と、まだ子供のように華奢な鎖骨の下から、白い下着に隠れた胸元のあたりまで、十字の火傷のような赤い傷痕が目の前に飛び込んで来たからだ。

「ごめんなさい、お姉さん…私知らなくて」

「醜いだろ?昔師の教えに背いた結果追った傷だ」

彼女は俯いたまま静かに答えた。

「そんな傷痕すぐに消えますよ」

そんな傷痕…言ってしまった後でノ-ラは再び罪の意識に苛まれた。

「気にする事はない」とでも言いたげに目を細めてノ-ラの髪を撫でる。

「消せるさ、でも消さないでおこうと思ってるんだ」

「何故ですか?こんなに白くて美しい肌をなさっているのに」

「それが私が仕出かした事に対する代償だと考えている。いつか私が自分のした事を許してやれる日が来たら、その時は…!」

コ-トを戻そうとした左手の手首をノ-ラの右手が掴んだ。

「私が許して上げます、お姉さんの罪を」

ノ-ラは彼女の傷痕にキスをした。自分は一体どうなってしまったのだろう。尊敬するお姉さんに無礼な真似をして。

隠しておきたい秘密に土足で踏み込み。あまつさえ傷痕に接吻など。裏腹に、この萌えたつような心の高揚と自信は何処から湧いて来るのだろう。そう思わずにいられない。


「ま…まあね、これから商売を始めようって娘が観葉植物みたいじゃ困るからね」

慌てて胸元を仕舞いながら彼女は素っ気なく言った。

「はい、私温室育ちじゃありませんから…お姉さん、もう何だって出来ますよ、私」

「でも、まさか、あんたいくら安いからってイ-スト・エンド辺りで商売なんか考えてないだろうね」

「タ-ミナル駅が建設され海軍がプール(船のたまり場)にあの辺り、テムズ川流域を利用するとかで、船舶関連の工場も沢山出来てると聞きました」

「駅が出来たおかげで住宅街が取払われて、他所の国から職を求めて移民が大量に流れ込んで来ている、治安も風紀も乱れ放題、あれじゃあ誰が何時何をしでかしてもおかしくないよ」

「事実殺人事件も起きていますしね、ロンドンの北部は止めておきます」

「悪い事は言わないウエスト・エンド辺りが無難さ」

「お姉さんなら、どんな場所を選びますか?」

「あんた、今日は私にそれを聞きたくて来たんだろ?」

「ばれちゃいましたか」

「ロンドン塔とかビックベンとかタワー・ブリッジ…客が目印にして探し易い場所がいいね」

「ロンドン塔の辺りは家賃が高そうですし、タワー・ブリッジやビックベンの辺りはウエスト・エンドの目と鼻の先、殺人鬼のお台所です」

「そっから橋を1つずつ下って」

「ハマ-スミス橋はどうでしょう?私あの橋と橋の上から見える風景が大好きなんです」

「ブリーディング・ハ-ト・コ-ト(血濡れの心臓通り)かい?」

ノ-ラは頷いた。

「また物騒な名前の通りを選ぶね、訳を聞いていいかい?」

「だって私魔女ですから」

「英国的だね」

「駄目でしょうか?」

「いや、きっとみんな気に入るよ、多分私も商売するならそこを選ぶね」

「でも、お姉さんの家は目印も何もない寂しい郊外の一軒家…何故ですか?」

ノ-ラは疑わしそうな目を彼女に向けた。

「もしかして嘘を教えて私の事業を転覆させようと企んでらっしゃる?」

「私は川や橋は嫌いなんだよ。通る度に金をふんだくられるし…橋の上には物売りがいて喧しいったらありゃしない」

「それだけですか?」

「いや、縁ある者は戸口を板で塞いでも家を草で隠してもやって来る…今のあんたみたいにね」

「お姉さん程のお方であれば、それで充分なのですね。私、納得致しました」

ノ-ラは立ち上がって彼女に右手を、差しだした。

「さあ、お姉さん参りましょう」

「参りましょうって何処へ?」

「ハマ-スミスまで船で川を下って、ゆっくりお散歩です」

「それは、お散歩じゃなくて、あんたの物件探しだろ?」

「弟子の面倒は最後まで見るものですよ、それと」

「まだ何かあるのかい?」

「私物件を決める前に家を出てしまいましたので、しばらくここで御厄介になりたいと存じます」

「………………」

「あの、お姉さん」

「何だい」

「外に置いてある荷物は私自分で運べますから…駄目でしょうか?」

「ブリーディング・ハ-ト・コ-トの名前の謂れをあんた知ってるかい?」

「勿論!17世紀に通りで貴婦人が殺されて、ばらばらにされた…にも拘わらず遺体が発見された時、心臓だけが脈を打ち血を流していた…確かそんな話」

「私が聞いたのは、さる貴婦人が身分の違いから父親に恋人と別れさせられ、哀しみのあまり彼女は胸から血を流したと」

「素敵!そっちの方が断然素敵!」

「では、あんたが家族と住んでた7ダイアルズ、7つの日時計通りの交差点には文字通り日時計がある、名前の由来だ」

「ええ、見た事あります」

「でも昔から、あの通りには最初から日時計は6つしかないんだ」

「初めて知りました、お姉さんはその理由を知っているのですか!?」

「知ってるよ」

「是非とも教えて下さい」

「今すぐ知りたいかい?」

「いえ、今日はいいです。出来ればずっと後で…世の中には私が知らない事が沢山あるのですね」

「当然の如くね」

「前から思ってたんですが、どうしてお姉さんは私と2つくらいしか違わないのに…その…そんなに」

「何だいノ-ラ言ってごらん」

「喋り方がお婆さんみたいなんですか…ごめんなさい!」

「子供の頃から師と一緒で、口癖が移ったんだ、悪かったな、娘らしくなくて!」

「その師匠は男性ですか?」

「お婆さんみたいな喋り方の男に『弟子になれ』と言われて、お前は弟子入りするか」

「そうですか、良かった」

ノ-ラは窓の外の初夏の緑に囲まれた田園風景に目を細める。

「この世界は不思議な事がいっぱいですね」

昨日まで見ていた窓の風景とは明らかに違う世界が、そこには広がっていた。

「お姉さんと2人ならイ-スト・エンドの殺人鬼だって恐くありません。今から2人で捕まえに行きましょうか!」

「残念だけど自分の仕事と、あんたの事で手一杯だよ」

そして2人と殺人鬼の話は、また別の話だ。

その日2人はボートでテムズ川を下った。ノ-ラは終始機嫌よく、彼女の知らない不思議な詩を口ずさんだ。

「その詩は何だい?」

「【スナ-ク狩り】です」

今度は彼女にそう教えてくれた。


「初めて出会った時ノ-ラ・オブライエンは私の手で殺すべきだった」

彼女の言葉を聞いた男は驚きの声を上げた。

「お孫さんに詐欺の片棒を担がせるような真似をしたからですか!?」

「ノ-ラは孫を自宅に待たせて阿片窟で男を引っかけ、客を取らせようとしたんだ」

「そんな!」

彼女は絶句する男を尻目に瞳は虚空を見つめていた。今や森は死者たちで立錐の余地もない。

しかし彼女は意に介す様子は微塵もない。

「あんたはノ-ラに誘われなかったのかい?」

「私が話した時は、ほとんど正体がなく支離滅裂でした…それでも私は、すがる気持ちで彼女の家を訪ねたのです」

「よかったね、私に水晶玉で頭を割られなくて」

彼女の唇が薄い笑みをかたち作った。

「あれは…あの部屋に倒れていた男性は貴方の仕業でしたか」

「その後びっくりして、部屋を飛びだしたのは私の孫娘さ。それから…いちいち説明するのも面倒だね」

「ノ-ラという女性は貴女に大恩を感じていたし、姉のように慕っていたと、お話を聞く限り、そのような印象しか持ち得ませんでしたが」

「私も妹分が出来たみたいで嬉しかった」

「それ以降2人の間に何かいさかいでも」

鼻先まで伸びて来る死者の手を五月蝿く払いながら男は聞いた。

「何もないさ、私は所帯を持ち、ノ-ラは占いで名を馳せ、顧客に有名人や政治家のパトロンを持つまでになった…共に人生は順調だった」

「では何故?」

彼女はオ-クの枝を見つめたまま呟いた。

「それでも朝の太陽と夕方の太陽が同じじゃないって事くらい私にだって分かるさ。さすがに、この年ならね」

彼女の言葉に、男は返す言葉が見つからない。

「さっきから何をしきりに見ておられるのですか?」

「ヤドリギを探していた」

「ヤドリギとはクリスマスなんかに玄関に飾る灌木のような、あれですか」

「オ-クの木につくヤドリギはとても希少でね、ここには1つもないようだけど」

「玄関に飾ると魔女除けになるとか」

「それは迷信だ」

「まあ確かに」

「私はヤドリギを恐れないから」

2人の間の会話が途切れた。しかし静寂とは程遠い死者の呻き声が空間を埋め尽くす。

「初めて出会った時外に連れ出して雑踏の中で始末するつもりでいた」

「ノ-ラ・オブライエンが貴女に何をしたと」

「煩い」


「煩い死者共が」

彼女は左側コ-トを少しだけ開いた。限りなく黒に近い濃紺のベルベットのドレスの生地が覗く。

しかし男の目を釘付けにしたのは内側に縫い込まれた無数の短剣の束であった。

死者の群れが後退る。

「魔女以外にも多少は効果があるみたいだねえ」

「その剣は一体」

「カルンウェナンの短剣」

「カルンウェナンの短剣…それは確か」

男は額に指をあて思い出す仕草をした。

「思い出さくていい」

しかし男は顔を上げ顔を輝かせ言った。

「ア-サ王伝説の元となった【マギノビオン 四枝】に記された、ア-サ王が魔女を真っ二つに切り裂いたと言われる伝説の短剣!まさかまさか、この世に実在していたとは…が、しかし」

「うるさい!お黙り!」

「あれは、ただの短剣で魔法の剣でもなんでもない…」

たちどころに集結した死者に再び囲まれた。

「馬鹿男爵」

「もう少し爵位は上です」

「馬鹿伯爵」

「位が上がっても、ますます馬鹿にされているような…因みに、もう1つ位が上です」

彼女は舌打ちした。

「まったく…これだから英国の男は!」
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