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【ヤドリギの契約者Ⅰ】
しおりを挟む「この短剣は偽物さ!しかし魔女を殺すに特化された逸品には違いない!」
彼女の言葉は男を戸惑わせ、さすがに死者もこれには困惑した。死者と死者、生者と死者がお互いを見合わせた。
「どういった事でしょうか」
「私の師も、あんたと同じで書物に関してはルナティックでね」
「成る程…ネ-ミングには凝るタイプとお見受けしました!ならば最初から、本物で通して頂いた方が、さぞかし気分も盛り上がりましょうに」
「私…そういうの分かんないんだよね。本なんて、数行でも読んだ日には、頭は痛くなるわ眠くなるわで」
「ならば私めが、貴女を支える知恵の杖となりましょう!」
「年寄りには杖でも贈ったら皆が皆喜ぶとでも?」
「いや年寄り扱いした訳ではなく、脩辞法を用いた比喩でして」
「あんた、じっくり話すと面倒くさそうな男だね」
彼女は剣を抜いた。
「それでノ-ラ オブライエンを殺すつもりだった…と貴女は先程申されましたが」
「いかにもだよ」
「ではノ-ラ・オブライエンは魔女だと」
彼女は剣を構えたまま落胆の瞳を彼に向けた。
「歴史学者は、ともかくだ…あんた作家にはなれないと私は見たね」
「歴史小説も書いてみたいと常々、こう見えて中々のものと自負している次第です」
「今のやり取りでシェイクスピアなら1章は既に書いているだろうね、尤も」
「シェイクスピアも読まれていないと」
「文句あるのかい?」
「いえ、別に」
男は可笑しさを堪えるように横を向いた。
「貴女は実に勇敢なお方だと先程からお見受け…」
「ヤドリギ」
男の言葉を遮るように彼女の言葉が森に響いた。
「ノ-ラ・オブライエンは魔女そのものではなくて【ヤドリギの契約者】と呼ばれる者だ。正確に言うと、その系譜に名を連ねる人間さ」
私は幸福だった。誰に聞かれても胸を張ってそう答えられる。
私が幸福を感じて生きる事が出来たと思うのは今は、それが失われたと思うからだ。
人々から疎外され部屋に閉じ込められた私。
こんな私でさえ、いつか白馬に乗った王子が目の前現れて、呪いを解いてくれる。そう信じていた。
15になった時に、その人は本当に目の前に現れた。王子ではなく、私より2つ年上の女の子で彼女は魔法使いだった。
彼女は魔法使い。少なくとも私は今も、そう信じている。
彼女は私を外の世界に連れ出し「私もこの世界で生きていいんだ…」そう教えてくれた。
お姉さんの元で仕事を手伝いした。お茶を入れたり、時には危険な案件に出くわしたりもしたけど、それは充実した楽しい毎日だった。
独立してからも、お姉さんは私に色々アドバイスしてくれた。なにより仕事も順調だった。
いつもアルカナは私の手元にあった。触れてさえいれば安心出来た。
クリスマスにはジンジャーブレッドのクッキーを焼いて、お姉さんの家を訪ねた。ハ-ブを混ぜたワインは私たちには重いから。
シャンパンに絞って飲むためのオレンジ。スモークしたサ-モンに焼きたてのタ-キはバスケットの中でまだ温かい。
最後にブランデーをかけて火をつけるクリスマス・プディングは「アンチクライスだから一度も口にした事がない」確かそう話していた。
どんな顔をするだろう。文字通り最後の楽しみだ。
しかし人は幸せな時の中にいても明日の未来を疑わずにはいられないものなのだろうか。
私はカ-ドに問いかけてしまう。私とお姉さんのいる未来の姿を。
けれど結果はいつも私を落胆させる。深い失望の闇へと陥ちる。
姉さんがいて家族に囲まれた幸せな風景。無論そこに私の姿はない。
暗い森の入り口を抜けて彼女の家の未来の窓から私は見ている。
置き忘れられ埃を被った古い肖像画のように。
お姉さんの幸福は私の幸福ではないんだと知った。妬む事や哀しむ事が、不幸なのではなく、その感情に染まりきる事が出来ない自分が、今こうしてここにいる事が不幸なのだ。
クリスマスに私は、ジンジャーブレッドやご馳走を詰め込んだバスケットを提げて窓の外にいた。
暖炉の火が部屋の中を暖かい光で包み、クリスマスらしい素敵な陰影を作っていた。
童話の世界に出てくるような、魔法使いの女の子と花束を抱えた男性のシルエット。2つの影はやがて1つになる。
男の胸に顔を預けるようにしていた彼女の瞼が開く。
暖炉の焔のせいか、頬が薔薇のように紅く染まって見えるのは。
茨の冠のように黒い睫毛が開いて、見つめる先に外で凍えた私がいて、私の心はその時言葉を呟いた。
「私の事を野良犬みたいに見るのは止めて、お姉さん」
呟やきではなく、多分それは絶叫…心が血を流す時に上げる叫び声だった。
あれは、本当に現実だったのか。
アルカナが見せた未来?
魔女が見せた幻?
それとも、アブサンや阿片の幻覚かしら。
波間に呑まれていく絵札を見つめながら橋の上でノ-ラ・オブライエンは問いかけた。
テムズ川の水の流れは何も答えてはくれなかった。
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