24 / 25
【エルフィン ナイトの章】
【聖夜のエピローグⅣ】
しおりを挟むキルシェがバブシカの屋敷に弟子として住むようになった秋の日のことだ。
庭に散った枯葉を掃除していると、花がすっかり落ちかけた桜の木に、実がなっているのを見つけた。
桜の実は不味いとよく言われる。果実酒にでもすれば、飲めないことはない。
不味いと呼ばれる物に人は、わざわざ興味を示さない。彼女もそうだった。
目の前にたわわに実った木の実は、プラムや桃に似た形をしていた。
赤褐色や薄桃色した果実は見るからに美味しそうに見えるものだ。
しかし遠目に見て、プラムよりも桃よりもずっと小ぶりなその実は、なんとも微妙な肌色をしていた。
それ以上は色づくことはなく、今が完熟の状態だった。それが証拠に既に皮がはじけて、縦に亀裂が入った実が数多く見受けられたからだ。
キルシェの記憶の中にある桜の実とは明らかに違っていた。
しかし此処は魔法使いの御屋敷である。彼女はすぐに考えを巡らせた。
「魔女の住む御屋敷に生えている桜の実だもの…他のと違っていても、少しもおかしくはない」
そう考えた彼女は梯子を持ち出して、幹に立て掛け梢まで登り、果実に手を伸ばした。
夏の間はそよがれ守られて。落葉を始めた木の葉の中で謎の実は、噎せ返る甘酸っぱい芳香を放っていた。
その実はアマレットの香りに似ていた。
アマレットとは、杏の仁を取り出して作られる酒のことだ。
しかし杏や桜桃の実の香りの甘さにはない。強い酸味が鼻につく。
果実から発生する青酸ガスの香り。木の上でもいだ果実を藤の籠に詰め、彼女はいそいそと師の所に持って行った。
いち早く、この魔法の実の生っているのを見つけたと伝えたい。収穫したら師匠を喜ばせることが出来るかもしれない。
そう彼女は考えた。
「バブシカ様、桜の木がこんなに実をつけましてございます。見て下さい!」
「それは阿呆の果実だ」
彼女が持ち込んだ、アーモンドの実がぎつしりと詰め込まれた藤籠。
それを見たバブシカは頭を掻いた。
「キルシェ、それは魔法の実でも桜でもなくアーモンドの実だよ」
「 ですが!バブシカ様は『あれは桜の木だ』と言って私にその名前を下さいました!」
キルシェは幼い頃から利発で、勝ち気な性格の少女だった。
その瞳の奥は旺盛な探究心に満ちて、偽りや誤魔化しを本能的に嫌い見抜いた。
不正をする者は他人も自分も、けして許すまじという正義の炎が燃えていた。
だからバブシカは自分の後を継ぐ者に相応しいと考え、彼女を弟子に迎えた。
「阿呆の住む家の木には、阿呆の実が生るものだ。勿論阿呆は私だ」
そう言って彼女の頭を撫でた後、そのまま部屋に隠って出て来なかった。
もしかしたら自分の名前は、アーモンドかアマレットに変えられてしまう。
「自分は余計なことをしたのでは」
そう考えると、忽ち不安になった。
しかしバブシカは自分の部屋から出て来るとすぐ「その実が入った藤籠を持って台所に来るように」と彼女に言った。
「魔法使いになると、とかく何かと便利なものだ。しかし油断してると、家にある草木の名前も分からないような馬鹿になってしまう。この私がいい例さ」
台所で服の袖を捲り、よく手を洗いながら彼女の師は彼女に言った。
「だから弟子を持つことは、すごくいいことなのさ。私が知らないことを、お前が運んで来て教えてくれるからね」
そう言って彼女の見ている前で、包丁でアーモンドの実を割って見せた。
紅色の薄い果肉に包まれた見覚えがある楕円形の種子が顔を除かせていた。
「触ってまだ実がやわらかいうちは収穫の次期ではないのさ。もっと実が乾いて、胡桃のように固くならないと、水分で実が腐ってしまうからね」
そう言って包丁の刃先で器用に種だけ取り出して笊に置いた。
「やってごらん」
彼女にはスプーンが手渡された。
「剥いた種の半分は笊に入れて、残りの半分は水を入れた桶に入れるように」
師匠のバブシカは彼女に何か用を言いつける時に必ず一度自分がやって見せた。
それは掃除の仕方だったり、食事の下拵えであったり、普通の家庭で母親が娘に教えることと何も変わりはなかった。
毎日食べる料理にしても、大鍋で煮た蛙や蛇や、怪しげな薬草が出て来るわけでもなかった。
「魔法使いの弟子になったら一番大切なことは魔法使いと生活することだ」
彼女の師のバブシカはよく彼女にそう言った。魔法使いの屋敷に住み、同じ空気を吸い、同じ水や食物を口にして眠る。
人と違う速さで成長するが、その頃にはもう難解な呪文を読み解き暗記出来るようになっている。
そうなるまで魔法は、人にけして寄りつかないし、身につきもしないものだ。そう彼女は師に教えられた。
「ただし、人が教えられて出来るようなことが一度で覚えられぬようなら」
彼女は直ちに魔法使いの弟子をやめなくてはならないと言われていた。
「今ここにいるあんたは死んでしまう」
死んでしまう。魔法使いの弟子ではなくなることを意味していた。
朝目覚めたら、彼女はなにも覚えてはいない。師匠のことも魔法のことも、ここで暮らしたことも、死ぬまで思い出さない。
彼女の以前住んでいた家族ではない。
別の土地で別の家族と暮らすことになるだろう。せめてもの温情だった。
そこからまた彼女は人としての一生が始まる。それだけだ。
いざ魔法使いになった者が、しくじりを犯せばそれは死を意味する。
その苦しみは、相手が魔道の者である場合、想像を絶するものである。どんな残酷な仕打ちが待っているか分からない。
そうなる前に弟子から再び人の道を選んで迎える死の方がいい。
余程その者には救いだろうというのが彼女の師の考えだった。
まだ彼女は後戻り出来る、子供の姿をしている。そう彼女の師は話した。
彼女は戻りたくなかった。
ここで、師の元で立派な魔法使いになりたいと願った。
弟子として暮らす日々は、彼女の失われた日常のように見えても、それは人の日常ではなかった。
彼女が手放したものは永久に戻らない。
代わりに魔法使いになる。師匠のバブシカのような、偉大な魔女といつか呼ばれるように私もなりたい。
師の言葉は一言一句聞き逃さず、いつも教えられたことは、必ず一度で覚えられるようにした。やがて成長して呼ばなくても足元に小犬が寄りつくように、魔法に彼女が慕われる日が来るまで。
彼女の修行は続いた。
「笊にとった種は鉄鍋で煎ればいい。実の方はあまり使い道があるとは思えないけど、今日はマジパンの生地に混ぜて焼いてみようか…そう、煎った種は紙の上で冷まして広口の瓶に詰めておけばいいよ」
彼女は手解きを受けて鉄鍋を煽る。
魔法ではなくこれは料理だ。
種を外した実は細かく刻まれた。
グランペットやヴィクトリア風のサンドウイッチやスコーンの中に入って、お茶の時間にアーモンドと一緒に出された。
水に2日間ほど浸したアーモンドの種は、細かく擂り潰した後で、水を入れた鍋で炊いてから濾して、さらに糖蜜を加えて煮ればアーモンドミルクになる。
アーモンドミルクは、牛や山羊のミルクよりもずっと日持ちがよく、紅茶やコー匕ーに混ぜると風味が良くなった。
彼女は沸かした本物の牛のミルクにそれを入れて飲むのが好きだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結
まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。
コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる