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第2章 小雪との出会い
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藪をかき分けた先、獣道のような開けた場所で、その光景は展開されていた。
「ひっ、ひぃっ!」
泥にまみれた従者らしき男が、背中を斬られて這いつくばっている。
その奥、一本の松の木を背にして、一人の少女が短刀を構えて立っていた。
年齢は十六、七ほどか。
着物は上質だが土埃で汚れ、結い上げた黒髪も乱れている。だが、その瞳だけは異様に澄んでおり、目の前に群がる薄汚い男たちを、恐怖ではなく強い意志で睨みつけていた。
(野武士……いや、落ち武者崩れの盗賊か)
博史は木の陰から冷静に観察した。
男たちは三人。粗末な腹巻(鎧)を身につけ、手には刃こぼれした太刀や槍。
そしてリーダー格と思しき男が、未だ煙を吐く火縄銃を手にしている。先ほどの銃声はこれだ。
「へっへ、諦めろ姫さんよぉ。供の者はもう動けねぇ。大人しく着物を脱げば、命までは取らねぇよ」
下卑た笑い声を上げながら、男たちがじりじりと包囲を狭める。
少女の手が微かに震えているのが見えた。だが、彼女は短刀を喉元に向けた。
「近づくな! 近寄れば、舌を噛んで自害する!」
「おっと、そいつは勿体ねぇ」
一触即発。
博史の脳内で、瞬時に計算が走る。
自分は丸腰。相手は武器持ちが三人。まともに戦えば十秒で殺される。
だが、彼らには隙がある。「未知のもの」に対する警戒心が欠落しているのだ。
(いけるか? いや、やるしかない)
博史は深呼吸を一つすると、ジャケットの襟を整え、あえて足音を高く響かせて藪から姿を現した。
「そこまでだ」
よく通る低い声。
予想外の方向から現れた人影に、盗賊たちの動きが止まる。
「ああん? 何だテメェは」
一斉に向けられる殺意。
しかし、博史の奇抜な格好――現代のテーラードジャケットにスラックス、革靴――を見た男たちは、一瞬だけ狼狽した。
「な、南蛮人か……? いや、髷(まげ)がねぇ。坊主か?」
博史は恐怖を理性で押し殺し、不敵な笑みを浮かべて歩み寄る。
ポケットの中で、スマートフォンのロックを解除した。輝度は最大。音量も最大。
「我が名は鷹野博史。天の使いである」
「あ? 天の使いだと?」
リーダー格が唾を吐き捨て、火縄銃の銃口を博史に向けた。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ! どこの手の者だ!」
距離は十メートル。
火縄銃の有効射程内だ。だが、博史は知っている。一度撃った火縄銃は、次弾装填に三十秒はかかる。今のあの銃は、ただの鉄の棒だ。
「その筒は、今は火を噴かぬだろう?」
博史の指摘に、男がギクリとする。
「それに、私に鉄砲ごときが通じると思うか?」
「な、なんだと……?」
「私は雷(いかずち)を操る。立ち去らねば、お前たちに神罰を下すぞ」
ハッタリだ。完全なるハッタリ。
だが、科学のないこの時代、未知の現象はすべて「神仏」か「妖術」になる。
男たちは顔を見合わせた。「こいつ、何なんだ」「気味わりぃな」。
「ええい、斬っちまえ!」
痺れを切らした槍持ちの男が、博史に向かって突進してきた。
今だ。
博史はスマホを掲げ、予めセットしていた**『防犯ブザーアプリ』**のアイコンをタップした。同時に、背面のLEDライトをストロボ発光させる。
ピリリリリリリリリリリリリッ!!!!
鼓膜をつんざくような、高周波の電子音が森に響き渡った。
さらに、直視できないほどの強烈な閃光が、薄暗い森の中でチカチカと明滅する。
「うわああああっ!?」
「め、目が! 音がぁぁ!!」
男たちは槍を取り落とし、耳を押さえてうずくまった。
聞いたこともない金属的な叫び声(アラーム音)と、太陽のような閃光。
彼らにとって、それはまさに「雷神の怒り」そのものだった。
「ひ、ひぃぃ! 妖術使いだ! 祟られるぞ!」
「逃げろぉぉ!」
パニックに陥った盗賊たちは、我先にと森の奥へ逃げ去っていく。
その背中が見えなくなるまで、博史は仁王立ちを続けた。
静寂が戻る。
博史は大きく息を吐き、震えそうになる膝を手のひらで押さえた。
「……寿命が縮んだ」
アラームを止め、スマホをポケットにしまう。
ふと視線を感じて振り返ると、松の木の根元で、少女が呆然とこちらを見ていた。
短刀を持った手はだらりと下がり、大きな瞳が博史を凝視している。
「……あなたは」
鈴が転がるような、凛とした声だった。
「天狗様、ですか?」
博史は苦笑した。天狗。なるほど、山伏のような格好ではないが、異能の者という意味では当たらずとも遠からずか。
「いいえ。ただの通りすがりの学者です。怪我はありませんか?」
博史が手を差し出すと、少女は躊躇いながらも、その泥汚れのない白魚のような手を重ねてきた。
華奢だが、芯のある力強さを感じる手だった。
「……かたじけなく存じます。私は小雪(こゆき)。この先にある、椎葉(しいば)の里の者です」
「小雪さん。良い名前だ」
彼女が立ち上がったその時、博史の腹が盛大に「ぐうぅ」と鳴った。
張り詰めた空気が一瞬で緩む。
小雪がきょとんとし、それから口元を押さえて、花が咲くように可憐に笑った。
「ふふっ。天の使い様も、お腹は空くのですね」
その笑顔を見た瞬間、博史は確信した。
この退屈な世界から抜け出した先で、守るべき理由を見つけたと。
「……どうやらそのようです。里まで案内してもらえますか?」
こうして、二人の運命は交差した。
後に歴史を覆すことになる「青き鷹」と、それを支え続ける「雪の華」の物語が、ここから始まる。
(第2章 完)
「ひっ、ひぃっ!」
泥にまみれた従者らしき男が、背中を斬られて這いつくばっている。
その奥、一本の松の木を背にして、一人の少女が短刀を構えて立っていた。
年齢は十六、七ほどか。
着物は上質だが土埃で汚れ、結い上げた黒髪も乱れている。だが、その瞳だけは異様に澄んでおり、目の前に群がる薄汚い男たちを、恐怖ではなく強い意志で睨みつけていた。
(野武士……いや、落ち武者崩れの盗賊か)
博史は木の陰から冷静に観察した。
男たちは三人。粗末な腹巻(鎧)を身につけ、手には刃こぼれした太刀や槍。
そしてリーダー格と思しき男が、未だ煙を吐く火縄銃を手にしている。先ほどの銃声はこれだ。
「へっへ、諦めろ姫さんよぉ。供の者はもう動けねぇ。大人しく着物を脱げば、命までは取らねぇよ」
下卑た笑い声を上げながら、男たちがじりじりと包囲を狭める。
少女の手が微かに震えているのが見えた。だが、彼女は短刀を喉元に向けた。
「近づくな! 近寄れば、舌を噛んで自害する!」
「おっと、そいつは勿体ねぇ」
一触即発。
博史の脳内で、瞬時に計算が走る。
自分は丸腰。相手は武器持ちが三人。まともに戦えば十秒で殺される。
だが、彼らには隙がある。「未知のもの」に対する警戒心が欠落しているのだ。
(いけるか? いや、やるしかない)
博史は深呼吸を一つすると、ジャケットの襟を整え、あえて足音を高く響かせて藪から姿を現した。
「そこまでだ」
よく通る低い声。
予想外の方向から現れた人影に、盗賊たちの動きが止まる。
「ああん? 何だテメェは」
一斉に向けられる殺意。
しかし、博史の奇抜な格好――現代のテーラードジャケットにスラックス、革靴――を見た男たちは、一瞬だけ狼狽した。
「な、南蛮人か……? いや、髷(まげ)がねぇ。坊主か?」
博史は恐怖を理性で押し殺し、不敵な笑みを浮かべて歩み寄る。
ポケットの中で、スマートフォンのロックを解除した。輝度は最大。音量も最大。
「我が名は鷹野博史。天の使いである」
「あ? 天の使いだと?」
リーダー格が唾を吐き捨て、火縄銃の銃口を博史に向けた。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ! どこの手の者だ!」
距離は十メートル。
火縄銃の有効射程内だ。だが、博史は知っている。一度撃った火縄銃は、次弾装填に三十秒はかかる。今のあの銃は、ただの鉄の棒だ。
「その筒は、今は火を噴かぬだろう?」
博史の指摘に、男がギクリとする。
「それに、私に鉄砲ごときが通じると思うか?」
「な、なんだと……?」
「私は雷(いかずち)を操る。立ち去らねば、お前たちに神罰を下すぞ」
ハッタリだ。完全なるハッタリ。
だが、科学のないこの時代、未知の現象はすべて「神仏」か「妖術」になる。
男たちは顔を見合わせた。「こいつ、何なんだ」「気味わりぃな」。
「ええい、斬っちまえ!」
痺れを切らした槍持ちの男が、博史に向かって突進してきた。
今だ。
博史はスマホを掲げ、予めセットしていた**『防犯ブザーアプリ』**のアイコンをタップした。同時に、背面のLEDライトをストロボ発光させる。
ピリリリリリリリリリリリリッ!!!!
鼓膜をつんざくような、高周波の電子音が森に響き渡った。
さらに、直視できないほどの強烈な閃光が、薄暗い森の中でチカチカと明滅する。
「うわああああっ!?」
「め、目が! 音がぁぁ!!」
男たちは槍を取り落とし、耳を押さえてうずくまった。
聞いたこともない金属的な叫び声(アラーム音)と、太陽のような閃光。
彼らにとって、それはまさに「雷神の怒り」そのものだった。
「ひ、ひぃぃ! 妖術使いだ! 祟られるぞ!」
「逃げろぉぉ!」
パニックに陥った盗賊たちは、我先にと森の奥へ逃げ去っていく。
その背中が見えなくなるまで、博史は仁王立ちを続けた。
静寂が戻る。
博史は大きく息を吐き、震えそうになる膝を手のひらで押さえた。
「……寿命が縮んだ」
アラームを止め、スマホをポケットにしまう。
ふと視線を感じて振り返ると、松の木の根元で、少女が呆然とこちらを見ていた。
短刀を持った手はだらりと下がり、大きな瞳が博史を凝視している。
「……あなたは」
鈴が転がるような、凛とした声だった。
「天狗様、ですか?」
博史は苦笑した。天狗。なるほど、山伏のような格好ではないが、異能の者という意味では当たらずとも遠からずか。
「いいえ。ただの通りすがりの学者です。怪我はありませんか?」
博史が手を差し出すと、少女は躊躇いながらも、その泥汚れのない白魚のような手を重ねてきた。
華奢だが、芯のある力強さを感じる手だった。
「……かたじけなく存じます。私は小雪(こゆき)。この先にある、椎葉(しいば)の里の者です」
「小雪さん。良い名前だ」
彼女が立ち上がったその時、博史の腹が盛大に「ぐうぅ」と鳴った。
張り詰めた空気が一瞬で緩む。
小雪がきょとんとし、それから口元を押さえて、花が咲くように可憐に笑った。
「ふふっ。天の使い様も、お腹は空くのですね」
その笑顔を見た瞬間、博史は確信した。
この退屈な世界から抜け出した先で、守るべき理由を見つけたと。
「……どうやらそのようです。里まで案内してもらえますか?」
こうして、二人の運命は交差した。
後に歴史を覆すことになる「青き鷹」と、それを支え続ける「雪の華」の物語が、ここから始まる。
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