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第26章 空の殺し屋
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ズズズズズ……!
『地獄の沼』は、その名の通りだった。
底なしの泥濘(ぬかるみ)が、重量二十トンの蒸気戦車『建御雷(タケミカヅチ)』を飲み込もうとする。
エンジンは限界まで唸り、煙突からは黒煙と共に火の粉が噴き上がっていた。
「油温上昇! このままじゃオーバーヒートします!」
機関室でボイラーマンが悲鳴を上げる。
博史は操縦桿と格闘しながら、窓の外を見た。
歩兵たちが腰まで泥に浸かりながら、必死に倒木をキャタピラの下に敷いている。進軍速度は亀の歩みだ。
(ここだ……。狙うなら、ここしかない)
博史の背筋に、冷たい戦慄が走った。
動きが止まった今、自分たちは格好の「的」だ。だが、周囲に敵影はない。
ならば――上か。
「対空監視ッ!!」
博史が叫んでハッチを開けた、その時だった。
ヒュンッ、ヒュンッ……という、風を切る異様な音が頭上から降ってきた。
「……鳥か?」
兵士の一人が空を指差す。
いや、鳥ではない。それは巨大な「白い翼」を持っていた。
山頂の『黒鉄の城』から、数機の影が滑空してくる。
木と帆布で作られた翼。下部には一人の兵士がぶら下がっている。
ギャレットがリリエンタールのグライダーを軍事転用した、**『強襲用戦闘グライダー』**だ。
「空襲だ! 散開しろぉぉ!!」
博史の警告と同時に、先頭のグライダーから黒い物体が投下された。
ヒュルルル……ドガァァンッ!!
着弾と同時に、粘り気のある液体が撒き散らされ、激しく燃え上がった。
ナパーム弾だ。
逃げ場のない泥沼の中で、兵士たちが炎に包まれる。
「ぎゃああああ! 熱い、泥でも消えない!」
「水だ! ……いや、水じゃダメだ! 砂をかけろ!」
パニックに陥る歩兵たちを嘲笑うかのように、グライダー隊は旋回し(上昇気流をうまく捕まえている)、次なる獲物――『建御雷』に狙いを定めた。
「クソッ、上からとは卑怯な!」
博史はハッチから身を乗り出し、ライフルを構えた。
だが、速い。
滑空速度は時速数十キロ。しかも不規則に風に乗って動くため、狙いが定まらない。
カァーンッ!
投下された爆弾が戦車の装甲で弾け、火炎が車体を包み込む。
鉄の装甲は無事だが、吸気口から煙が入り込み、車内は地獄のような熱気と有毒ガスに満たされた。
「ゴホッ、ゴホッ! 大将、窒息します!」
「エンジンが止まる! 火が酸欠だ!」
このままでは蒸し焼きだ。
博史は煤だらけの顔で空を睨んだ。
ライフルでは当たらない。主砲は仰角(上向きの角度)が足りない。
どうする? どうやってあのハエどもを叩き落とす?
(……待てよ。奴らは『風』に乗っている)
博史の脳内で、物理演算が高速で回る。
グライダーは軽量だ。爆風や乱気流には極端に脆い。
そして、ここは湿地帯。水蒸気は充満している。
「……機関停止! 安全弁を閉鎖しろ!」
「はぁ!? 止まったら的ですよ!」
「いいからやれ! 圧力を限界まで溜めろ!」
博史は砲手に怒鳴った。
「主砲、装填! 弾種は『散弾(キャニスター)』だ!」
「で、でも仰角が足りません!」
「車体を傾けるんだ! 左のキャタピラを泥に沈めろ!」
無茶苦茶な命令だった。
だが、乗員たちは博史の狂気的な確信に従った。
左側の履帯を逆回転させ、わざと泥沼の深みへハマらせる。車体が大きく左に傾き、主砲が斜め上――空を向いた。
グライダー隊の隊長機が、動かなくなった戦車を見て好機と判断し、急降下爆撃の態勢に入った。
一直線に向かってくる。
「今だ……ボイラー、緊急排気(ブロー)!!」
プシュウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!!!!
戦車の排気口から、溜め込まれていた高温高圧の蒸気が一気に噴出した。
爆音と共に、巨大な白いキノコ雲が湿地帯の上空へ発生する。
急激な上昇気流と乱気流。
突っ込んできたグライダーが、煽られてバランスを崩した。
「なっ、視界が……!?」
白い霧の中で、敵パイロットが慌てたその瞬間。
「撃てぇぇぇッ!!」
ズドンッ!!!
上を向いた主砲から、散弾(数百個の鉄球)が放たれた。
それは巨大なショットガンのように広がり、バランスを崩していたグライダーの翼をハチの巣にした。
バリバリッ!
翼が砕け散る。
「う、うわぁぁぁぁ!」
隊長機はきりもみ回転しながら墜落し、泥沼に突っ込んで爆発した。
それを見た後続機たちが、恐れをなして散開しようとする。
「逃がすな! 歩兵隊、一斉射撃!」
博史の号令で、泥まみれの歩兵たちがライフルを一斉に向けた。
高度を下げ、速度を失ったグライダーは、ただの大きな凧だった。
ババババババッ!
次々と翼を撃ち抜かれ、残りの機体も森の中へと墜落していく。
***
静寂が戻った沼地に、蒸気の音だけが響いていた。
博史はハッチから這い出し、空を見上げた。
全機撃墜。
「……勝った、のか?」
兵士たちが呆然と呟く。
博史は大きく息を吐き、泥だらけの顔を拭った。
「ああ。……だが、これからが本番だ」
彼が指差した先。
沼地を抜けたその先に、巨大な黒い影が聳え立っていた。
切り立った崖の上に築かれた、難攻不落の要塞。
ギャレットの本拠地、『黒鉄の城(アイアン・キャッスル)』。
もはや小細工は通じない。
残るは正面突破のみ。
博史は『建御雷』のボンネットを叩き、最後の命令を下した。
「エンジン再始動。……あの城門をぶち破りに行くぞ」
愛する者を奪還するため、そして二つの未来の決着をつけるため。
青き修羅は、最後の戦場へと足を踏み入れる。
(第26章 完)
『地獄の沼』は、その名の通りだった。
底なしの泥濘(ぬかるみ)が、重量二十トンの蒸気戦車『建御雷(タケミカヅチ)』を飲み込もうとする。
エンジンは限界まで唸り、煙突からは黒煙と共に火の粉が噴き上がっていた。
「油温上昇! このままじゃオーバーヒートします!」
機関室でボイラーマンが悲鳴を上げる。
博史は操縦桿と格闘しながら、窓の外を見た。
歩兵たちが腰まで泥に浸かりながら、必死に倒木をキャタピラの下に敷いている。進軍速度は亀の歩みだ。
(ここだ……。狙うなら、ここしかない)
博史の背筋に、冷たい戦慄が走った。
動きが止まった今、自分たちは格好の「的」だ。だが、周囲に敵影はない。
ならば――上か。
「対空監視ッ!!」
博史が叫んでハッチを開けた、その時だった。
ヒュンッ、ヒュンッ……という、風を切る異様な音が頭上から降ってきた。
「……鳥か?」
兵士の一人が空を指差す。
いや、鳥ではない。それは巨大な「白い翼」を持っていた。
山頂の『黒鉄の城』から、数機の影が滑空してくる。
木と帆布で作られた翼。下部には一人の兵士がぶら下がっている。
ギャレットがリリエンタールのグライダーを軍事転用した、**『強襲用戦闘グライダー』**だ。
「空襲だ! 散開しろぉぉ!!」
博史の警告と同時に、先頭のグライダーから黒い物体が投下された。
ヒュルルル……ドガァァンッ!!
着弾と同時に、粘り気のある液体が撒き散らされ、激しく燃え上がった。
ナパーム弾だ。
逃げ場のない泥沼の中で、兵士たちが炎に包まれる。
「ぎゃああああ! 熱い、泥でも消えない!」
「水だ! ……いや、水じゃダメだ! 砂をかけろ!」
パニックに陥る歩兵たちを嘲笑うかのように、グライダー隊は旋回し(上昇気流をうまく捕まえている)、次なる獲物――『建御雷』に狙いを定めた。
「クソッ、上からとは卑怯な!」
博史はハッチから身を乗り出し、ライフルを構えた。
だが、速い。
滑空速度は時速数十キロ。しかも不規則に風に乗って動くため、狙いが定まらない。
カァーンッ!
投下された爆弾が戦車の装甲で弾け、火炎が車体を包み込む。
鉄の装甲は無事だが、吸気口から煙が入り込み、車内は地獄のような熱気と有毒ガスに満たされた。
「ゴホッ、ゴホッ! 大将、窒息します!」
「エンジンが止まる! 火が酸欠だ!」
このままでは蒸し焼きだ。
博史は煤だらけの顔で空を睨んだ。
ライフルでは当たらない。主砲は仰角(上向きの角度)が足りない。
どうする? どうやってあのハエどもを叩き落とす?
(……待てよ。奴らは『風』に乗っている)
博史の脳内で、物理演算が高速で回る。
グライダーは軽量だ。爆風や乱気流には極端に脆い。
そして、ここは湿地帯。水蒸気は充満している。
「……機関停止! 安全弁を閉鎖しろ!」
「はぁ!? 止まったら的ですよ!」
「いいからやれ! 圧力を限界まで溜めろ!」
博史は砲手に怒鳴った。
「主砲、装填! 弾種は『散弾(キャニスター)』だ!」
「で、でも仰角が足りません!」
「車体を傾けるんだ! 左のキャタピラを泥に沈めろ!」
無茶苦茶な命令だった。
だが、乗員たちは博史の狂気的な確信に従った。
左側の履帯を逆回転させ、わざと泥沼の深みへハマらせる。車体が大きく左に傾き、主砲が斜め上――空を向いた。
グライダー隊の隊長機が、動かなくなった戦車を見て好機と判断し、急降下爆撃の態勢に入った。
一直線に向かってくる。
「今だ……ボイラー、緊急排気(ブロー)!!」
プシュウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!!!!
戦車の排気口から、溜め込まれていた高温高圧の蒸気が一気に噴出した。
爆音と共に、巨大な白いキノコ雲が湿地帯の上空へ発生する。
急激な上昇気流と乱気流。
突っ込んできたグライダーが、煽られてバランスを崩した。
「なっ、視界が……!?」
白い霧の中で、敵パイロットが慌てたその瞬間。
「撃てぇぇぇッ!!」
ズドンッ!!!
上を向いた主砲から、散弾(数百個の鉄球)が放たれた。
それは巨大なショットガンのように広がり、バランスを崩していたグライダーの翼をハチの巣にした。
バリバリッ!
翼が砕け散る。
「う、うわぁぁぁぁ!」
隊長機はきりもみ回転しながら墜落し、泥沼に突っ込んで爆発した。
それを見た後続機たちが、恐れをなして散開しようとする。
「逃がすな! 歩兵隊、一斉射撃!」
博史の号令で、泥まみれの歩兵たちがライフルを一斉に向けた。
高度を下げ、速度を失ったグライダーは、ただの大きな凧だった。
ババババババッ!
次々と翼を撃ち抜かれ、残りの機体も森の中へと墜落していく。
***
静寂が戻った沼地に、蒸気の音だけが響いていた。
博史はハッチから這い出し、空を見上げた。
全機撃墜。
「……勝った、のか?」
兵士たちが呆然と呟く。
博史は大きく息を吐き、泥だらけの顔を拭った。
「ああ。……だが、これからが本番だ」
彼が指差した先。
沼地を抜けたその先に、巨大な黒い影が聳え立っていた。
切り立った崖の上に築かれた、難攻不落の要塞。
ギャレットの本拠地、『黒鉄の城(アイアン・キャッスル)』。
もはや小細工は通じない。
残るは正面突破のみ。
博史は『建御雷』のボンネットを叩き、最後の命令を下した。
「エンジン再始動。……あの城門をぶち破りに行くぞ」
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