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第3章:レンズの向こう側
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東京都内の高級ホテル、その最大規模の宴会場。
数百もの報道陣が詰めかけ、無数のカメラのフラッシュが焚かれる光景は、まるで白昼の雷雨のようだった。
優音は舞台袖の暗がりで、眩暈(めまい)を覚えていた。
今日はドラマ『追憶の果て』の制作発表記者会見。主題歌を担当する優音も、一応は登壇者の一人として呼ばれていた。だが、彼女の立ち位置はステージの最も端、MC席の隣だ。
「それでは、主演のお二人の登場です!」
司会者の高らかな声と共に、会場の扉が開く。割れんばかりの拍手と、目が潰れそうなほどのフラッシュの嵐。
その光の中を、蓮が歩いてきた。
完璧に仕立てられたダークネイビーのスーツ。プロのヘアメイクによって整えられた髪。そして、数百のレンズに向けられた、あの完璧な笑顔。
数ヶ月前まで、錆びた弦のギターに合わせて公園で歌っていた青年とは、生物としての種族が違うようだった。彼は完全に「こちら側」の人間になっていた。
そして、彼の隣を歩く女性に、優音は息を呑んだ。
橘 美月(たちばな みつき)。
今、最も旬なトップ女優。画面越しでしか見たことのなかった彼女は、実物の方が遥かに圧倒的だった。
深紅のドレスを纏い、その場にいるだけで空気を支配するようなオーラがある。蓮の腕に自然と手を添え、微笑む姿は、まるで一枚の完成された絵画のようだった。
「うわ、お似合い……」
「こりゃ大ヒット間違いなしだな」
記者たちのそんな囁きが、優音の耳に届く。
ステージ中央の椅子に座った二人は、記者からの質問に淀みなく答えていく。蓮は堂々としていて、美月はそれを余裕の笑みでサポートする。二人の間には、すでにプロとしての信頼関係、あるいは共犯関係のような空気が出来上がっていた。
優音の出番は、会見の最後にほんの数分だけ設けられていた。
「続きまして、主題歌『片想い』を歌う、新人歌手の優音さんです」
紹介され、一歩前へ出る。数台のカメラが義理でこちらに向いたが、大半の記者は蓮と美月の次の表情を狙っていた。
優音は用意していた挨拶を、マイクに向かって淡々と述べた。自分の声が、ひどく頼りなく響く。
(私は、透明人間みたいだ)
あの眩しいスポットライトの中央にいる二人と、その光の端に辛うじて引っかかっている自分。
「レンズの向こう側」の世界。そこは、選ばれた者だけが立てる場所であり、自分はたまたまそこに迷い込んだ異物なのだと痛感させられた。
会見が終わり、関係者だけでバックヤードへと移動する。
張り詰めていた緊張が解けたのか、蓮がふっと息を吐き、ネクタイを緩めた。その視線が、隅に立っていた優音を捉えた。
「優音! 見たかよ、あのカメラの数。すげえな」
蓮が駆け寄ってくる。その興奮した様子は、昔のままの蓮だった。優音は少しだけ安堵し、強張っていた頬を緩めようとした。
「うん、すごかったね。蓮、すごくかっこよかったよ」
「だろ? 俺も足震えてたけど、なんとか……」
その時だった。
「蓮くん、次の媒体取材、もう始まるわよ。急いで」
凛とした声が、二人の会話を割った。美月だった。
彼女は優音の方を一瞥もしなかった。悪意があるわけではない。ただ、彼女の視界には、主演俳優である蓮と、次の仕事のことしか映っていないのだ。それは、プロとしてのあまりにも真っ当な態度だった。
「あ、はい美月さん! ごめん優音、また後でな!」
蓮は何の躊躇いもなく、美月の元へと駆けていった。
美月は慣れた様子で蓮の背中に手を添え、次のインタビュールームへと誘導していく。二人の後ろ姿は、あまりにも自然で、入り込む隙など微塵もなかった。
「……また後で、ね」
誰もいない廊下で、優音は呟いた。その言葉が果たされる保証がどこにもないことを、彼女は予感していた。
ポケットの中で、デモテープの入ったUSBメモリを握りしめる。
これが私の全て。バーターだろうが、おまけだろうが、この歌だけは私の真実だ。
レンズの向こう側へ行ってしまった彼に届くように歌うには、声を枯らすほど叫ぶしかないのだと、優音は悟った。
華やかな宴の裏側で、少女の覚悟は静かに、しかし鋭く研ぎ澄まされていった。
(第3章 完)
数百もの報道陣が詰めかけ、無数のカメラのフラッシュが焚かれる光景は、まるで白昼の雷雨のようだった。
優音は舞台袖の暗がりで、眩暈(めまい)を覚えていた。
今日はドラマ『追憶の果て』の制作発表記者会見。主題歌を担当する優音も、一応は登壇者の一人として呼ばれていた。だが、彼女の立ち位置はステージの最も端、MC席の隣だ。
「それでは、主演のお二人の登場です!」
司会者の高らかな声と共に、会場の扉が開く。割れんばかりの拍手と、目が潰れそうなほどのフラッシュの嵐。
その光の中を、蓮が歩いてきた。
完璧に仕立てられたダークネイビーのスーツ。プロのヘアメイクによって整えられた髪。そして、数百のレンズに向けられた、あの完璧な笑顔。
数ヶ月前まで、錆びた弦のギターに合わせて公園で歌っていた青年とは、生物としての種族が違うようだった。彼は完全に「こちら側」の人間になっていた。
そして、彼の隣を歩く女性に、優音は息を呑んだ。
橘 美月(たちばな みつき)。
今、最も旬なトップ女優。画面越しでしか見たことのなかった彼女は、実物の方が遥かに圧倒的だった。
深紅のドレスを纏い、その場にいるだけで空気を支配するようなオーラがある。蓮の腕に自然と手を添え、微笑む姿は、まるで一枚の完成された絵画のようだった。
「うわ、お似合い……」
「こりゃ大ヒット間違いなしだな」
記者たちのそんな囁きが、優音の耳に届く。
ステージ中央の椅子に座った二人は、記者からの質問に淀みなく答えていく。蓮は堂々としていて、美月はそれを余裕の笑みでサポートする。二人の間には、すでにプロとしての信頼関係、あるいは共犯関係のような空気が出来上がっていた。
優音の出番は、会見の最後にほんの数分だけ設けられていた。
「続きまして、主題歌『片想い』を歌う、新人歌手の優音さんです」
紹介され、一歩前へ出る。数台のカメラが義理でこちらに向いたが、大半の記者は蓮と美月の次の表情を狙っていた。
優音は用意していた挨拶を、マイクに向かって淡々と述べた。自分の声が、ひどく頼りなく響く。
(私は、透明人間みたいだ)
あの眩しいスポットライトの中央にいる二人と、その光の端に辛うじて引っかかっている自分。
「レンズの向こう側」の世界。そこは、選ばれた者だけが立てる場所であり、自分はたまたまそこに迷い込んだ異物なのだと痛感させられた。
会見が終わり、関係者だけでバックヤードへと移動する。
張り詰めていた緊張が解けたのか、蓮がふっと息を吐き、ネクタイを緩めた。その視線が、隅に立っていた優音を捉えた。
「優音! 見たかよ、あのカメラの数。すげえな」
蓮が駆け寄ってくる。その興奮した様子は、昔のままの蓮だった。優音は少しだけ安堵し、強張っていた頬を緩めようとした。
「うん、すごかったね。蓮、すごくかっこよかったよ」
「だろ? 俺も足震えてたけど、なんとか……」
その時だった。
「蓮くん、次の媒体取材、もう始まるわよ。急いで」
凛とした声が、二人の会話を割った。美月だった。
彼女は優音の方を一瞥もしなかった。悪意があるわけではない。ただ、彼女の視界には、主演俳優である蓮と、次の仕事のことしか映っていないのだ。それは、プロとしてのあまりにも真っ当な態度だった。
「あ、はい美月さん! ごめん優音、また後でな!」
蓮は何の躊躇いもなく、美月の元へと駆けていった。
美月は慣れた様子で蓮の背中に手を添え、次のインタビュールームへと誘導していく。二人の後ろ姿は、あまりにも自然で、入り込む隙など微塵もなかった。
「……また後で、ね」
誰もいない廊下で、優音は呟いた。その言葉が果たされる保証がどこにもないことを、彼女は予感していた。
ポケットの中で、デモテープの入ったUSBメモリを握りしめる。
これが私の全て。バーターだろうが、おまけだろうが、この歌だけは私の真実だ。
レンズの向こう側へ行ってしまった彼に届くように歌うには、声を枯らすほど叫ぶしかないのだと、優音は悟った。
華やかな宴の裏側で、少女の覚悟は静かに、しかし鋭く研ぎ澄まされていった。
(第3章 完)
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