星を仰ぐふたりのシナリオ

TAKAHARA HIROKI

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第5章:逃避行のチケット

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第2部:迷走する旋律(渡米・喪失編)

街は私の歌で溢れていた。
コンビニに入れば有線放送から、テレビをつければバラエティ番組のBGMとして、そして駅前の大型ビジョンからはドラマのダイジェスト映像と共に。
『片想い』は、オリコンチャートの上位に食い込み、配信ランキングでも1位を記録した。
しかし、SNSのコメント欄を埋め尽くすのは、私の歌声への称賛ではなかった。
『この歌詞、完全にドラマの蓮と美月のことだよね!』
『二人の愛のテーマソング、泣ける』
『美月ちゃんを想う蓮くんの気持ちを代弁してるみたい』
私の叫びは、世間というフィルターを通した瞬間、「蓮と美月の純愛を盛り上げるためのBGM」へと変換されていた。
自分の分身であるはずの歌が、知らない誰かの所有物になっていく。その感覚は、緩慢な窒息に似ていた。
ドラマの打ち上げパーティーは、都内のクラブを貸し切って行われた。
会場は熱気に包まれていた。視聴率は右肩上がり、最終回は30%超えという社会現象。スタッフもキャストも勝利の美酒に酔いしれている。
「優音ちゃん、歌ってくれてありがとな! 君のおかげでドラマに深みが出たよ」
プロデューサーが酒臭い息で肩を叩いてくる。優音は曖昧に微笑んでウーロン茶を啜った。
視線の先、VIP席には蓮と美月がいた。
二人は寄り添って座り、何かを囁き合っては楽しそうに笑っている。それは「番宣」のための演技ではなかった。誰が見ても、恋人同士の距離感だった。
蓮がふと席を立ち、こちらへやってきた。
少し顔が赤い。
「優音、楽しんでるか?」
「うん、おめでとう蓮。すごい視聴率だね」
「ああ……夢みたいだ。何もかも、美月さんのおかげだよ。俺一人じゃここまで来れなかった」
蓮の瞳は、熱っぽく潤んでいた。
彼は優音の隣に座り、少し声を潜めて言った。
「俺さ、美月さんに誘われたんだ。来月、彼女の馴染みの店で食事しようって。……もしかしたら、本当の付き合いになるかもしれない」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
蓮は少年のように無防備な笑顔を見せている。
彼にとって優音は「一番の親友」であり「戦友」だ。だからこそ、この喜びを一番に報告したかったのだ。その無邪気な信頼が、優音の心を鋭利な刃物のように抉(えぐ)った。
「……そっか。よかったね、蓮」
喉が張り付いて、うまく声が出ない。それでも精一杯の演技で、優音は口角を上げた。
「応援してる。蓮には、幸せになってほしいから」
「サンキュー、優音! お前ならそう言ってくれると思った」
蓮は嬉しそうに私の肩を抱き、すぐにまた光の中——美月の元へと戻っていった。
取り残された優音は、グラスの水滴で濡れた手を見つめた。
(もう、ここに私の役目はないんだ)
蓮は手に入れたのだ。輝かしいキャリアと、隣に立つべきふさわしいヒロインを。
色褪せた台本と錆びた弦で慰め合っていた夜は、もう終わったのだ。私がこれ以上そばにいることは、彼にとっても過去の鎖にしかならない。
翌日。
優音は事務所に辞表ではなく、「無期限の休暇願」を提出した。
当然、引き止められた。ヒット曲を出した直後の新人が何を言っているんだと怒鳴られた。
けれど、優音の意志は固かった。「喉の治療」という嘘の診断書と、これまでの印税を盾にして、強引に納得させた。
その足で、成田空港へ向かった。
行き先はロサンゼルス。
音楽の本場だから、なんて高尚な理由ではない。ただ、蓮と美月のニュースが届かない場所へ、日本語のノイズが聞こえない場所へ行きたかっただけだ。
空港のロビーで、優音はスマートフォンのSIMカードを抜き取った。
指先ほどの小さなチップ。これさえ捨てれば、私は誰とも繋がらなくて済む。
蓮の連絡先も、SNSのアカウントも、すべてこの中にある。
「さようなら、蓮」
ゴミ箱にそれを落とすと、乾いた音がした。
搭乗アナウンスが流れる。
片道切符の逃避行。
手荷物はギター一本と、小さなスーツケースだけ。
かつて蓮と夢見た「世界」へ、私は一人で、逃げるように旅立つ。
(第5章 完)
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