星を仰ぐふたりのシナリオ

TAKAHARA HIROKI

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第7章:偽りのハーモニー

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アダムのアパートメントは、ベニスビーチの近くにあった。
窓を開ければパームツリーと海が見える、開放的な部屋。朝の光が白いシーツを照らし、隣で眠るアダムの寝顔を浮かび上がらせる。
「……Morning.」
目を覚ましたアダムが、けだるげに笑いかけて腕を伸ばしてくる。
優音はその腕の中に滑り込みながら、自分が別の人間になったような感覚を味わっていた。
東京での優音は、常に何かに怯え、誰かの顔色を窺っていた。けれど、ここでは誰も私を縛らない。アダムは私の声を「神からのギフト」だと褒め称え、毎日のように愛を囁いてくれる。
「Today is the day, Yu on.(今日は大事な日だ、優音)」
アダムが起き上がり、コーヒーを淹れながら言った。
今日は、二人で作ったデモトラックを、彼の知人である音楽レーベルのエグゼクティブに聴かせる日だ。
スタジオでの作業は刺激的だった。
優音が口ずさむ日本的なヨナ抜き音階(ドレミソラ)のメロディに、アダムが最新のR&Bのビートと、重厚なシンセサイザーを重ねる。
完成した楽曲『Orient Blue』は、優音自身も聴いたことのない、哀愁と都会的なクールさが同居する不思議なサウンドに仕上がっていた。
「君のその『悲しみ』の周波数がいいんだ。東洋の神秘だね」
アダムは作業中、よくそう言った。
褒め言葉だと分かっていても、優音は胸の奥でチクリとした痛みを感じることがあった。
彼は私の「悲しみ」を愛している。私が蓮を想って流した涙の成分を、彼は最高の素材(スパイス)として料理しているだけではないか——そんな疑念が頭をもたげるのだ。
午後、ダウンタウンの高級ラウンジ。
紹介されたプロデューサーの男は、葉巻をくゆらせながら『Orient Blue』を聴いていた。
曲が終わると、男は満足げに頷いた。
「Brilliant. This beat is sick, Adam.(素晴らしい。このビートは最高だ、アダム)」
「Right? And the vocal sample is catchy, too.(だろ? ボーカルのサンプルもキャッチーだ)」
アダムの言葉に、優音は耳を疑った。
Sample(サンプル)。
彼は私を「シンガー」ではなく、あたかも楽器の音色素材の一つであるかのように紹介したのだ。
「Uh, Adam?」
「Shh, babe. We are talking business.(シッ、ハニー。今はビジネスの話だ)」
アダムは優音の腰に手を回し、強く引き寄せた。その力は愛情表現というより、所有物を誇示するような強引さだった。
彼は優音を見ずに、プロデューサーに向かって熱弁を振るう。
「彼女の声は使えるよ。加工すればもっと化ける。アジア市場向けのキラーチューンになるはずだ」
英語のスピードが速くて全ては聞き取れなかったが、「Use(使う)」「Process(加工する)」「Market(市場)」という単語だけが、冷たい氷の粒のように耳に残った。
その夜。
アパートに帰ってからも、アダムの興奮は収まらなかった。
「契約は目の前だ! 俺たちの曲が世界で流れるぞ!」
シャンパンを開け、乾杯する。
優音はグラスを見つめながら、意を決して尋ねた。
「ねえ、アダム。あの曲の歌詞……私が書いた日本語の部分、なんで英語に変えたの?」
「ん? ああ、だって日本語じゃ意味が通じないだろ? クールな響きがあればそれでいいんだ」
「でも、あの歌詞には意味があるの。私の……大切な思い出が」
「Yuon.」
アダムは冷ややかな目で優音を見た。さっきまでの情熱的な恋人の顔はどこにもなかった。
「ここはハリウッドだ。思い出なんて金にならない。売れるか、売れないか。君は俺の言う通りに歌えばいい。俺が君をスターにしてやるんだから」
その言葉は、日本で言われた「バーター」という言葉と、奇妙に重なって響いた。
場所が変わっても、言葉が変わっても、私は結局、誰かの「踏み台」や「付属品」としてしか扱われないのだろうか。
「……I'm tired.(疲れたわ)」
優音は逃げるようにベッドに入り、壁に向かって背を向けた。
アダムは気にした様子もなく、PCに向かって新しいトラックを作り始めている。
枕元に置いたスマートフォン。
SIMカードを抜いて以来、ただの音楽プレーヤーと時計代わりになっていた黒い板。
Wi-Fiに繋げば、日本のニュースは見られる。蓮がどうしているか、検索できる。
けれど、優音はその誘惑を必死に押し殺した。
(見ちゃダメ。見たら、今のこの生活さえも、すべて偽物だと認めることになってしまう)
背中越しに聞こえるアダムの鼻歌。
それはとても美しく、そしてひどく空虚だった。
ハーモニーは完璧に合っているはずなのに、心だけが不協和音を奏でている。
この「LAドリーム」が、砂上の楼閣であることを、優音は本能的に悟り始めていた。
(第7章 完)
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