星を仰ぐふたりのシナリオ

TAKAHARA HIROKI

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第11章:空白を埋める夜

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蓮が借りているウエスト・ハリウッドのアパートは、古いが手入れが行き届いていた。
窓辺には、枯れかけた観葉植物。冷蔵庫には、日本食スーパーで買った納豆と豆腐。
そこは、華やかなLAのどこよりも「生活」の匂いがした。
「……ん」
ソファで毛布にくるまっていた優音が、身じろぎをした。
蓮は台所で火を弱め、鍋の蓋を取る。味噌の香りが部屋に広がった。
「起きたか? 雑炊、作ったけど食えるか」
優音はぼんやりとした目で蓮を見つめ、小さく頷いた。
あの日、サンタモニカで保護して以来、優音はこのアパートで暮らしている。
最初はただ泥のように眠り続けていた。アダムの元での生活と、裏切りのショックで、心身共に限界だったのだろう。
今の優音は、かつての生意気で強気な彼女とは別人のように静かだった。
「熱いから気をつけろよ」
テーブルに椀を置く。優音はスプーンで少しずつ口に運んだ。
湯気越しに見る彼女の横顔は、まだ痛々しいほど痩せている。けれど、血色は少しずつ戻り始めていた。
「……美味しい」
「だろ。俺もこっち来てから自炊覚えたんだ。日本にいた頃は、コンビニ弁当かロケ弁ばっかだったからな」
蓮は努めて明るく振る舞った。
優音はスプーンを止め、ぽつりと呟いた。
「ごめんね、蓮。忙しいのに、迷惑かけて」
「迷惑だなんて言うな。俺だって、一人の飯は味気なくて参ってたんだ」
蓮はオーディションの資料を片付けながら言った。
嘘ではなかった。優音がここにいるだけで、部屋の空気が変わった。
言葉少なでも、同じ空間に「かつての自分」を知る人間がいること。それが、異国の地で擦り減っていた蓮の精神を、どれほど安定させているか。
食事を終えると、長い夜が始まる。
テレビはつけない。優音が、英語のニュースや派手な音楽番組を怖がるからだ。
代わりに、窓の外の車の音だけがBGMになる。
優音は、部屋の隅に置かれた蓮のギターケースを、じっと見つめていることがあった。
けれど、決して触れようとはしない。
一度、蓮が「弾いてみるか?」と聞いた時、彼女は青ざめた顔で首を横に振った。
『声が出ないの。歌おうとすると、喉が詰まって……アダムの顔が浮かぶ』
彼女の音楽は、深く傷つけられ、封印されてしまっていた。
「ねえ、蓮」
「ん?」
「私、もう空っぽだよ。歌も歌えないし、お金もないし……蓮に返せるものなんて、何もない」
優音の声が震えた。自己嫌悪と無力感。
蓮は読みかけの台本を置き、ソファに座る優音の隣に腰を下ろした。
触れそうで触れない、絶妙な距離。それは高校時代の、まだ何者でもなかった二人の距離感だ。
「返さなくていい。それに、空っぽじゃない」
「……?」
「お前は、俺の『空白』を埋めてくれてる」
蓮は天井を仰いだ。
「日本で売れてた頃、スケジュールはパンパンで、金もあって、周りにはいつも人がいた。でも、心の中はずっと空っぽだったんだ。誰も俺自身を見てない気がして」
視線を戻し、優音を見る。
「でも、お前は違う。お前がいるだけで、俺は『ただの蓮』に戻れる。それだけで十分なんだよ」
優音の瞳から、一粒の涙がこぼれた。
蓮は躊躇いながらも、その涙を指先で拭った。
その夜、二人は同じベッドで眠った。やましい意味など微塵もない。
ただ、夜の闇に怯える優音の手を、蓮が強く握りしめていただけだ。
その体温は、冷え切っていた優音の心の芯を、ゆっくりと、しかし確実に温めていった。
数日後。
蓮は新しい映画のオーディションに向け、ピリピリとした空気を纏っていた。
難しい役どころだ。言葉の壁だけでなく、感情表現の繊細さが求められる。
リビングで一人、同じセリフを何度も繰り返す蓮。だが、どうしても納得がいかない様子で頭を抱えた。
「……くそ、どうしても『嘘』っぽくなる」
台本を投げ出しそうになった時、キッチンから優音が近づいてきた。
彼女はおずおずと、床に落ちた台本を拾い上げた。
「……相手役、やろうか?」
小さな声だった。
蓮は驚いて顔を上げた。
「いいのか? セリフ、英語だぞ」
「読んでるの、ずっと聞いてたから。なんとなく分かる」
優音は台本を開き、向かいの椅子に座った。
まだ歌うことはできない。
けれど、今の自分を救ってくれている蓮のために、何か一つでも役に立ちたい。その想いが、彼女を一歩踏み出させた。
「Scene 4. Action.」
優音の声で、部屋の空気が変わる。
それは、音楽の神様に見放された彼女が、再び表現の世界へと足を踏み入れる、最初の一歩だった。
(第11章 完)
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