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【欧州編】第3章:鬼才の洗礼
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指定された場所は、サン・ジェルマン・デ・プレにある創業百年の老舗カフェだった。
紫煙が漂い、哲学や芸術の議論が飛び交う店内。
蓮は、約束の席に座る男を見て息を呑んだ。
ジャン・リュック。
カンヌでパルム・ドールを二度受賞した、フランス映画界の生ける伝説。
無造作に伸びた白髪、丸眼鏡の奥の鋭い眼光。彼は蓮が席に着いても、手元の新聞から目を離さなかった。
「……お初にお目にかかります。蓮です」
蓮はフランス語で挨拶し、右手を差し出した。
ジャン・リュックはようやく顔を上げ、蓮の手を無視して、まるで品定めをするように上から下へと視線を走らせた。
「綺麗だな」
監督は溜息交じりに呟いた。褒め言葉ではないことは、その軽蔑を含んだ響きで分かった。
「君の出演作は観たよ。ハリウッドのブロックバスター、日本のアクション映画。……どれも完璧だ。表情の作り方、間の取り方、発声。教科書に載せたいくらい美しい」
「ありがとうございます。ですが、俺はあなたの映画に――」
「退屈なんだよ」
ジャン・リュックの言葉が、鋭いナイフのように蓮の言葉を遮った。
「君の演技には『飢え』がない。満たされた人間が演じる悲劇ほど、白々しいものはない。君の瞳は澄んでいるが、そこには何も映っていない。ただの磨かれた鏡だ」
蓮は言葉を失った。
下積み時代の苦労、東京での焦燥、優音との別れ。それらを乗り越えてきた自負があった。だが、目の前の怪物はそれを「ない」と断じたのだ。
「私の新作の主役は、泥水を啜ってでも生きようとする男だ。君のような、ショーウィンドウに飾られたマネキンには演じられない」
監督は冷めたコーヒーを飲み干すと、席を立った。
「帰りたまえ、ムッシュ・レン。パリの観光を楽しむといい」
取り残された蓮の拳が、テーブルの下で強く握りしめられ、震えていた。
*
一方、その頃。
優音もまた、パリのラジオ局での収録を終え、打ちのめされていた。
「君の曲は『Jolie(可愛い)』だね」
パーソナリティのフランス人女性は、悪気なく言った。
「日本のポップスらしくて、とても聴きやすいわ。BGMにはぴったり」
BGM。
その言葉が棘のように刺さる。
言葉の壁があるとはいえ、彼女には伝わっていたのだ。自分の歌が、ここでは「消費されるだけの耳触りの良い音」に過ぎないことが。
(深みが、ない……?)
ホテルへの帰り道、セーヌ川の風が冷たく頬を刺した。
その夜。
ホテルの部屋に戻った二人は、互いに抱えた傷を隠すように振る舞った。
「どうだった? 監督とは」
優音が尋ねる。
「……ああ、悪くなかったよ。次は脚本を読んで検討したいと言われた」
蓮は嘘をついた。自分の全否定を、優音に知られたくなかった。
「そっか、さすが蓮だね。私も、ラジオ楽しかったよ」
優音もまた、笑顔を作った。
重ねた肌の温もりだけが救いだったが、心の奥底にある不安の種は、静かに根を張り始めていた。
(第3章 完)
紫煙が漂い、哲学や芸術の議論が飛び交う店内。
蓮は、約束の席に座る男を見て息を呑んだ。
ジャン・リュック。
カンヌでパルム・ドールを二度受賞した、フランス映画界の生ける伝説。
無造作に伸びた白髪、丸眼鏡の奥の鋭い眼光。彼は蓮が席に着いても、手元の新聞から目を離さなかった。
「……お初にお目にかかります。蓮です」
蓮はフランス語で挨拶し、右手を差し出した。
ジャン・リュックはようやく顔を上げ、蓮の手を無視して、まるで品定めをするように上から下へと視線を走らせた。
「綺麗だな」
監督は溜息交じりに呟いた。褒め言葉ではないことは、その軽蔑を含んだ響きで分かった。
「君の出演作は観たよ。ハリウッドのブロックバスター、日本のアクション映画。……どれも完璧だ。表情の作り方、間の取り方、発声。教科書に載せたいくらい美しい」
「ありがとうございます。ですが、俺はあなたの映画に――」
「退屈なんだよ」
ジャン・リュックの言葉が、鋭いナイフのように蓮の言葉を遮った。
「君の演技には『飢え』がない。満たされた人間が演じる悲劇ほど、白々しいものはない。君の瞳は澄んでいるが、そこには何も映っていない。ただの磨かれた鏡だ」
蓮は言葉を失った。
下積み時代の苦労、東京での焦燥、優音との別れ。それらを乗り越えてきた自負があった。だが、目の前の怪物はそれを「ない」と断じたのだ。
「私の新作の主役は、泥水を啜ってでも生きようとする男だ。君のような、ショーウィンドウに飾られたマネキンには演じられない」
監督は冷めたコーヒーを飲み干すと、席を立った。
「帰りたまえ、ムッシュ・レン。パリの観光を楽しむといい」
取り残された蓮の拳が、テーブルの下で強く握りしめられ、震えていた。
*
一方、その頃。
優音もまた、パリのラジオ局での収録を終え、打ちのめされていた。
「君の曲は『Jolie(可愛い)』だね」
パーソナリティのフランス人女性は、悪気なく言った。
「日本のポップスらしくて、とても聴きやすいわ。BGMにはぴったり」
BGM。
その言葉が棘のように刺さる。
言葉の壁があるとはいえ、彼女には伝わっていたのだ。自分の歌が、ここでは「消費されるだけの耳触りの良い音」に過ぎないことが。
(深みが、ない……?)
ホテルへの帰り道、セーヌ川の風が冷たく頬を刺した。
その夜。
ホテルの部屋に戻った二人は、互いに抱えた傷を隠すように振る舞った。
「どうだった? 監督とは」
優音が尋ねる。
「……ああ、悪くなかったよ。次は脚本を読んで検討したいと言われた」
蓮は嘘をついた。自分の全否定を、優音に知られたくなかった。
「そっか、さすが蓮だね。私も、ラジオ楽しかったよ」
優音もまた、笑顔を作った。
重ねた肌の温もりだけが救いだったが、心の奥底にある不安の種は、静かに根を張り始めていた。
(第3章 完)
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