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【欧州編】第8章:仮面舞踏会(マスカレード)
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翌朝、二人は鐘の音で目を覚ました。
窓を開けると、街の様子が一変していた。
通りを行き交う人々が、奇妙な仮面(マスク)をつけているのだ。
「そうか、カーニバルだ」
蓮が思い出したように言った。
ベネチア・カーニバル。世界三大カーニバルの一つ。
「私たちも、つけようか」
優音の提案に、蓮も頷いた。
顔を隠すためではない。今の自分たちではない「何者か」になるために。
リアルト橋の近くにある、マスケラ(仮面)の専門店に入った。
壁一面に飾られた華やかな仮面たち。
蓮が選んだのは、悲しげな道化師「ピエロ」の白い仮面。
優音は、口元だけを隠す金の装飾が施された「コロンビーナ」を選んだ。
仮面をつけると、世界が変わった。
視界が狭まる分、聴覚や触覚が研ぎ澄まされる。
二人はサン・マルコ広場へと向かった。
そこは、色とりどりの衣装を纏った人々で埋め尽くされ、異様な熱気に包まれていた。
バロック音楽が流れ、貴族の格好をした人々が優雅に踊っている。
「踊ろう」
蓮が手を差し出した。
「私、ダンスなんてできないよ」
「俺もだ。ステップなんて適当でいい」
蓮の手は熱かった。
人混みの中、二人は身体を密着させ、音楽に身を委ねる。
言葉はいらなかった。
蓮の指先が、優音の背骨をなぞる。その微かな震えが、言葉以上の感情を伝えてくる。
(怖いんだ……蓮も)
完璧な俳優という仮面の下で、彼はずっと怯えていたのだ。自分自身を見失うことに。才能が枯渇することに。
そして優音もまた、自分の歌が空っぽになることに怯えていた。
仮面の下で、二人の視線が絡み合う。
蓮の瞳が、仮面の奥で濡れていた。
その瞬間、優音の頭の中で、霧が晴れるように音が鳴り響いた。
ロンドンのスタジオで、エレナに言われた言葉。
『霧の中を漂う羽みたい』
違う。私は羽じゃない。
今の私は、この泥臭くて、温かくて、悲しい人間たちの熱気の中にいる。
蓮の鼓動、石畳の感触、運河の匂い。
それら全てが、旋律となって優音の身体を駆け巡った。
優音は踊りながら、小さくハミングした。
それは既存の曲ではない。今、この瞬間に生まれたメロディ。
ワルツのような、レクイエムのような、けれど底抜けに明るい、愛の歌。
蓮の動きが止まる。
彼は優音の腰を抱いたまま、耳元で囁いた。
「……聞こえるよ、優音」
「え?」
「お前の『本音』が。……すごいな、魂が震える音だ」
蓮の手が強く優音を抱きしめる。
広場の喧騒が遠のく。
仮面舞踏会の中心で、二人はようやく、お互いの素顔を見つけたのだった。
(第8章 完)
窓を開けると、街の様子が一変していた。
通りを行き交う人々が、奇妙な仮面(マスク)をつけているのだ。
「そうか、カーニバルだ」
蓮が思い出したように言った。
ベネチア・カーニバル。世界三大カーニバルの一つ。
「私たちも、つけようか」
優音の提案に、蓮も頷いた。
顔を隠すためではない。今の自分たちではない「何者か」になるために。
リアルト橋の近くにある、マスケラ(仮面)の専門店に入った。
壁一面に飾られた華やかな仮面たち。
蓮が選んだのは、悲しげな道化師「ピエロ」の白い仮面。
優音は、口元だけを隠す金の装飾が施された「コロンビーナ」を選んだ。
仮面をつけると、世界が変わった。
視界が狭まる分、聴覚や触覚が研ぎ澄まされる。
二人はサン・マルコ広場へと向かった。
そこは、色とりどりの衣装を纏った人々で埋め尽くされ、異様な熱気に包まれていた。
バロック音楽が流れ、貴族の格好をした人々が優雅に踊っている。
「踊ろう」
蓮が手を差し出した。
「私、ダンスなんてできないよ」
「俺もだ。ステップなんて適当でいい」
蓮の手は熱かった。
人混みの中、二人は身体を密着させ、音楽に身を委ねる。
言葉はいらなかった。
蓮の指先が、優音の背骨をなぞる。その微かな震えが、言葉以上の感情を伝えてくる。
(怖いんだ……蓮も)
完璧な俳優という仮面の下で、彼はずっと怯えていたのだ。自分自身を見失うことに。才能が枯渇することに。
そして優音もまた、自分の歌が空っぽになることに怯えていた。
仮面の下で、二人の視線が絡み合う。
蓮の瞳が、仮面の奥で濡れていた。
その瞬間、優音の頭の中で、霧が晴れるように音が鳴り響いた。
ロンドンのスタジオで、エレナに言われた言葉。
『霧の中を漂う羽みたい』
違う。私は羽じゃない。
今の私は、この泥臭くて、温かくて、悲しい人間たちの熱気の中にいる。
蓮の鼓動、石畳の感触、運河の匂い。
それら全てが、旋律となって優音の身体を駆け巡った。
優音は踊りながら、小さくハミングした。
それは既存の曲ではない。今、この瞬間に生まれたメロディ。
ワルツのような、レクイエムのような、けれど底抜けに明るい、愛の歌。
蓮の動きが止まる。
彼は優音の腰を抱いたまま、耳元で囁いた。
「……聞こえるよ、優音」
「え?」
「お前の『本音』が。……すごいな、魂が震える音だ」
蓮の手が強く優音を抱きしめる。
広場の喧騒が遠のく。
仮面舞踏会の中心で、二人はようやく、お互いの素顔を見つけたのだった。
(第8章 完)
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