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七
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七、
部屋に戻ると、ペルフェが目を覚ましていた。
「おにいさん……。ルシアンが来たんですか? 声が聞こえて」
「ああ。心配してたみたいだぞ」
ペルフェが寂しそうに微笑む。
「ルシアンは……昔から僕を心配してくれるんです。でも、王宮では……僕を守れないって辛そうで……」
俺はペルフェの隣に座って、手を握った。
「もうそんなことも思わせない。ルシアンも味方だ。俺たちが一緒に、ペルフェを自由にする」
ペルフェが俺の手を握り返して。
「……おにいさん、大好きです」
俺はペルフェを抱き寄せる。
「俺もだ。好きだよ、ペルフェ」
薪ストーブの火が部屋を暖かく照らす中、俺たちは静かに抱き合った。
ただ、静かに。
朝、目が覚めるとペルフェは俺の腕の中でまだ眠っていた。
相変わらず夜は魘されているようだが、俺が背中を撫でればすぐ安心した顔をして寝る。額に触れると熱はほとんど下がっていて、呼吸も穏やか。
俺はそっと髪を撫でる。
「……お前、そんな顔で寝てると、キスしちゃうぞ」
ペルフェが目をゆっくり開けて、俺を見上げる。やべ、聞かれたかな。
「……おにいさん……おはようございます」
「おはよう。昨夜は怖かっただろ。魘されて……」
ペルフェが少し顔を赤くして、俺の胸に顔を埋める。
「……覚えてます。でも、おにいさんがずっと抱きしめてくれて……怖くなくなりました」
俺は背中を抱き寄せた。
「なら、今日もこうしてやる。毒が出るまで……いや、出た後もな」
ペルフェが小さく笑って、俺の首に腕を回す。
「おにいさんの胸……一番安心する場所です」
朝食の時間になったらしい、ヒナがトレイを持って部屋に入ってきた。
「兄貴、王子様起きた? 今日もスープとハーブ茶だよ~!……って、また抱きしめてるじゃん! 朝からイチャイチャ?」
「治療だ。毒を出すための」
「ふーん、治療ねぇ。兄貴の治療、毎日続いてるね~」
ヒナがトレイを置いて出て行くと、ペルフェが照れくさそうに言った。
「……ヒナさん、優しいですね」
「ああ。あいつは俺の妹だからな。お前も、もう家族みたいなもんだ」
ペルフェの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。するとペルフェが笑うから俺も嬉しくなって頬にキスをした。
「わ、お、おにいさん……」
照れているペルフェも可愛い。
「ふ、かわい。……スープ、冷えちゃうぞ」
指摘するとペルフェは急いでスープを手にするからこぼしそうになって危なっかしい。
気を取り直して、ペルフェがスープを飲んで、ふうっと息をつく。
「……おにいさんのスープ、毎日飲んでいると……体が軽くなる気がします」
「王宮から離れてるからだ。新しく毒が入らないようにしてる。あと数日……汗をたくさんかかせば、体内から排出できるはず」
ペルフェがカップを置いて、俺の手をそっと握った。
「……おにいさん、僕……触れられるのがまだ少し怖いんです。でも、おにいさんの手だけは……不思議と怖くない」
俺はペルフェの手を両手で包み込んで、目を合わせる。
「なら、俺で少しずつ慣らしていこうか。このくらいは……平気か?」
ペルフェが俺の手を握り返した。
「……平気です。温かくて……嬉しい」
俺はペルフェの指を一本ずつ、優しく撫でてみる。
ペルフェが少し体を縮こまらせるけど、すぐに緩んで微笑んだ。
「くすぐったいですけど、嫌じゃないです」
「嫌ならすぐ止めろよ」
「……もっと、してほしいです」
金髪からちらりと見える耳は赤い。俺はペルフェの掌を自分の掌に重ねてみる。
「じゃあ、こうやって……指を絡めてみるか?」
ペルフェが赤くなって、でも素直に指を絡めてくる。その素直さにキュンとして胸が痛い。
「……おにいさんの指、がっしりしてますね」
「お前は手が大きいな。でも華奢だ」
白い手をニギニギしていれば突然ペルフェが俺の手に自分の頰を寄せて言う。
「……おにいさんの手、好きです。昔は、手を握られるだけで体が固まって……息ができなくなってました。でも今は……おにいさんの手だと、違うんです。温かくて、優しくて……心まで溶けていくみたいで」
俺はちょっと照れた。そんなことを悟らせないようにペルフェの頰を優しく撫でて微笑む。
「それが本当なら……俺は嬉しいよ。いつでも触れていいからな。俺の手は、お前のためにあるんだから」
少しキザったらしかったか。しかしペルフェが目を細めて微笑む。その顔は嬉しそうだった。
「……おにいさん、大好きです」
午後、客が少ない時間に俺はペルフェを裏庭に連れ出した。
「少し歩いて血流を良くしよう。毒を押し出すために」
ペルフェが俺の腕にしがみついて、ゆっくり歩く。毒素もだいぶ抜けてきて、ふらつくことはもうないのだが……。これ以上は野暮か。
春の風が冷たいけど、俺の体温でペルフェは震えずに済む。
ペルフェが立ち止まって、俺の手を握り直す。
「……おにいさん、手を繋いで歩くの……夢みたいです」
「夢じゃねえよ。現実だ」
俺はペルフェの腰を抱く。細っこい腰だった。
「もっと近くに寄ってこい。冷えるだろ」
勢い余ってペルフェは俺の胸に寄りかかってきた。
「……おにいさんとこうしていると、王宮のことが遠く感じます。あの冷たい目も、触れられる恐怖も……全部、消えていくみたい」
俺はペルフェの髪を撫でる。金髪一本一本に光が反射して綺麗だと思った。
「消えてくれて構わない。俺がお前の新しい居場所になるから」
ペルフェが俺を見上げる。
「……おにいさんと一緒にいると、未来が楽しみになるんです」
その言葉に、俺の胸が熱くなった。
「俺もだ。ペルフェと一緒にいる未来が楽しみだ」
笑い会う時間が幸せで仕方なかった。
時は過ぎ夕方。店を閉めて部屋に戻ると、ペルフェの熱がまた少し上がっていた。
俺は毛布を追加して、ペルフェを抱きしめた。
「今日はもう寝ろ。俺がずっとそばにいる」
ペルフェが俺の胸に顔を寄せて、甘えてくる。子猫みたいで可愛い。
「……おにいさん、大好きです。ずっと……そばにいてください」
「ああ。ずっとだ」
その夜、ペルフェは俺の腕の中で眠った。
俺は薪ストーブの火を見ながら、思う。
毒の排出は進んでる。
ペルフェの触れられる恐怖も、少しずつ溶けていってる。でも、王宮の影はまだ消えてない。
夕方の通りは、人の声と店の灯りでまだ賑やかだった。健康のための散歩の途中だった。
いつもなら、ペルフェはこういう時間帯になると、少しだけ歩く速度を落とす。体力がないのを気にして、俺に気づかれないようにする癖だ。
だから、足が止まった瞬間、違和感の方が先に来た。
「……ペルフェ?」
振り向くと、彼は道の真ん中で立ち尽くし、片手で胸元を押さえていた。顔色が、昼間よりも明らかに悪い。
「だ、大丈夫です……ちょっと……」
そう言いかけた声が、途中で途切れる。
次の瞬間、膝が折れた。
「おい!」
咄嗟に腕を掴んで支える。体が思ったより軽くて、嫌な予感がした。抱き寄せると、彼の呼吸は浅く、指先が冷えている。
全然良くなってないじゃないか!
「ペルフェ、聞こえるか」
名前を呼ぶと、薄く瞼が動いた。
「……おにいさん……?」
それだけ言って、視線が定まらなくなる。
人通りの多い場所で、立ち止まっている余裕はなかった。俺はそのまま彼を抱き上げ、近くの建物の軒下へ移動する。
「すぐ医者呼ぶ」
「……いえ……」
弱々しい声で、ペルフェが首を振った。
「前にも……こういうこと、ありましたから……」
「前にも、って……」
思わず語気が強くなる。
これが“たまにある”で済む話には、どう見ても見えなかった。
額に手を当てると、熱はない。けれど、肌の奥からじわじわと力が抜けていく感じが、触れただけで分かった。
「……すみません。迷惑、かけて……」
謝るな、と言いかけて、喉で止まる。
迷惑じゃない。
問題は、これが“初めてじゃない”ってことだ。
「どれくらい、こうなる?」
「……わかりません。今日は、少し……ひどい、だけで……」
少し、の言い方じゃなかった。本当は全然毒の排出なんてされてなかったんだ。
俺は歯を噛みしめる。
「街医者にでも、見てもらう」
「……たぶん……わからないと、思います」
その言葉に、胸の奥が嫌な形でざわついた。
「じゃあ、どこなら分かるんだ」
しばらく沈黙があった。
ペルフェは、視線を逸らしたまま、息を整えるのに時間をかけてから、ようやく小さく言った。
「……王宮でも、原因不明だって言われました」
その言葉が出た瞬間、空気が変わった。
俺は彼を抱えたまま、動きを止める。
「それ、本当か」
「はい……」
この国で一番医療が発展してるのは王宮にある医務院だ。そこで原因不明と言われたならもう手は……ないはずだ。
「……ペルフェはどうしたい」
「医務院に、行きたいです」
「……戻る気か」
「戻る、っていうか……」
ペルフェは困ったように笑った。
「捕まるぞ」
即座に言った。
「お前も。……俺も」
それは脅しじゃなく、事実だった。
第二王子が、何の許可もなく王宮を離れていたことが表沙汰になれば、面倒で済むはずがない。
まして、俺は身分も後ろ盾もない一般人だ。
ペルフェは、一瞬だけ目を伏せた。
「……わかってます」
「じゃあ――」
「それでも」
遮るように、彼が言った。
弱々しい声なのに、その言葉だけは、不思議と揺れていなかった。
「……それでも、行きたいです」
俺は言葉を失う。
「このまま……倒れ続けるのは、嫌で……」
息を吸うたび、彼の胸が小さく上下する。そのたびに、体の奥がきしむような音がする気がして、俺は無意識に腕に力を入れていた。
「……少しでも希望が欲しい。……生きたい、んです」
その一言が、決定打だった。
反論なんて、できるわけがない。
俺は、目を閉じて、短く息を吐く。
「……最悪、俺は捕まる。お前も自由はなくなる」
「……それでも」
ペルフェは、俺を見上げた。
「おにいさんと、一緒なら……」
ずるい言い方だと思った。
でも、責める気にはなれなかった。
俺は舌打ちしそうになるのを堪えて、額に手を当てる。
「……覚悟しとけ。戻ったら、もう今までみたいには、いかない」
「……はい」
それでも、ペルフェは微かに笑った。
俺はその笑顔に、腹を括った。
「行くぞ。王宮だ」
そう言うと、彼の肩から腕を回し、抱え直す。
ペルフェは小さく息を吐いて、俺の服を掴んだ。
「……ありがとうございます」
「礼はいらねえ」
そう返しながら、胸の奥では、別の言葉が渦巻いていた。
――捕まるかもしれない。
――自由を失うかもしれない。
――それでも。
それでも、こいつが生きるなら、それでいい。
そう思ってしまった時点で、
もう俺の選択は、決まっていた。
部屋に戻ると、ペルフェが目を覚ましていた。
「おにいさん……。ルシアンが来たんですか? 声が聞こえて」
「ああ。心配してたみたいだぞ」
ペルフェが寂しそうに微笑む。
「ルシアンは……昔から僕を心配してくれるんです。でも、王宮では……僕を守れないって辛そうで……」
俺はペルフェの隣に座って、手を握った。
「もうそんなことも思わせない。ルシアンも味方だ。俺たちが一緒に、ペルフェを自由にする」
ペルフェが俺の手を握り返して。
「……おにいさん、大好きです」
俺はペルフェを抱き寄せる。
「俺もだ。好きだよ、ペルフェ」
薪ストーブの火が部屋を暖かく照らす中、俺たちは静かに抱き合った。
ただ、静かに。
朝、目が覚めるとペルフェは俺の腕の中でまだ眠っていた。
相変わらず夜は魘されているようだが、俺が背中を撫でればすぐ安心した顔をして寝る。額に触れると熱はほとんど下がっていて、呼吸も穏やか。
俺はそっと髪を撫でる。
「……お前、そんな顔で寝てると、キスしちゃうぞ」
ペルフェが目をゆっくり開けて、俺を見上げる。やべ、聞かれたかな。
「……おにいさん……おはようございます」
「おはよう。昨夜は怖かっただろ。魘されて……」
ペルフェが少し顔を赤くして、俺の胸に顔を埋める。
「……覚えてます。でも、おにいさんがずっと抱きしめてくれて……怖くなくなりました」
俺は背中を抱き寄せた。
「なら、今日もこうしてやる。毒が出るまで……いや、出た後もな」
ペルフェが小さく笑って、俺の首に腕を回す。
「おにいさんの胸……一番安心する場所です」
朝食の時間になったらしい、ヒナがトレイを持って部屋に入ってきた。
「兄貴、王子様起きた? 今日もスープとハーブ茶だよ~!……って、また抱きしめてるじゃん! 朝からイチャイチャ?」
「治療だ。毒を出すための」
「ふーん、治療ねぇ。兄貴の治療、毎日続いてるね~」
ヒナがトレイを置いて出て行くと、ペルフェが照れくさそうに言った。
「……ヒナさん、優しいですね」
「ああ。あいつは俺の妹だからな。お前も、もう家族みたいなもんだ」
ペルフェの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。するとペルフェが笑うから俺も嬉しくなって頬にキスをした。
「わ、お、おにいさん……」
照れているペルフェも可愛い。
「ふ、かわい。……スープ、冷えちゃうぞ」
指摘するとペルフェは急いでスープを手にするからこぼしそうになって危なっかしい。
気を取り直して、ペルフェがスープを飲んで、ふうっと息をつく。
「……おにいさんのスープ、毎日飲んでいると……体が軽くなる気がします」
「王宮から離れてるからだ。新しく毒が入らないようにしてる。あと数日……汗をたくさんかかせば、体内から排出できるはず」
ペルフェがカップを置いて、俺の手をそっと握った。
「……おにいさん、僕……触れられるのがまだ少し怖いんです。でも、おにいさんの手だけは……不思議と怖くない」
俺はペルフェの手を両手で包み込んで、目を合わせる。
「なら、俺で少しずつ慣らしていこうか。このくらいは……平気か?」
ペルフェが俺の手を握り返した。
「……平気です。温かくて……嬉しい」
俺はペルフェの指を一本ずつ、優しく撫でてみる。
ペルフェが少し体を縮こまらせるけど、すぐに緩んで微笑んだ。
「くすぐったいですけど、嫌じゃないです」
「嫌ならすぐ止めろよ」
「……もっと、してほしいです」
金髪からちらりと見える耳は赤い。俺はペルフェの掌を自分の掌に重ねてみる。
「じゃあ、こうやって……指を絡めてみるか?」
ペルフェが赤くなって、でも素直に指を絡めてくる。その素直さにキュンとして胸が痛い。
「……おにいさんの指、がっしりしてますね」
「お前は手が大きいな。でも華奢だ」
白い手をニギニギしていれば突然ペルフェが俺の手に自分の頰を寄せて言う。
「……おにいさんの手、好きです。昔は、手を握られるだけで体が固まって……息ができなくなってました。でも今は……おにいさんの手だと、違うんです。温かくて、優しくて……心まで溶けていくみたいで」
俺はちょっと照れた。そんなことを悟らせないようにペルフェの頰を優しく撫でて微笑む。
「それが本当なら……俺は嬉しいよ。いつでも触れていいからな。俺の手は、お前のためにあるんだから」
少しキザったらしかったか。しかしペルフェが目を細めて微笑む。その顔は嬉しそうだった。
「……おにいさん、大好きです」
午後、客が少ない時間に俺はペルフェを裏庭に連れ出した。
「少し歩いて血流を良くしよう。毒を押し出すために」
ペルフェが俺の腕にしがみついて、ゆっくり歩く。毒素もだいぶ抜けてきて、ふらつくことはもうないのだが……。これ以上は野暮か。
春の風が冷たいけど、俺の体温でペルフェは震えずに済む。
ペルフェが立ち止まって、俺の手を握り直す。
「……おにいさん、手を繋いで歩くの……夢みたいです」
「夢じゃねえよ。現実だ」
俺はペルフェの腰を抱く。細っこい腰だった。
「もっと近くに寄ってこい。冷えるだろ」
勢い余ってペルフェは俺の胸に寄りかかってきた。
「……おにいさんとこうしていると、王宮のことが遠く感じます。あの冷たい目も、触れられる恐怖も……全部、消えていくみたい」
俺はペルフェの髪を撫でる。金髪一本一本に光が反射して綺麗だと思った。
「消えてくれて構わない。俺がお前の新しい居場所になるから」
ペルフェが俺を見上げる。
「……おにいさんと一緒にいると、未来が楽しみになるんです」
その言葉に、俺の胸が熱くなった。
「俺もだ。ペルフェと一緒にいる未来が楽しみだ」
笑い会う時間が幸せで仕方なかった。
時は過ぎ夕方。店を閉めて部屋に戻ると、ペルフェの熱がまた少し上がっていた。
俺は毛布を追加して、ペルフェを抱きしめた。
「今日はもう寝ろ。俺がずっとそばにいる」
ペルフェが俺の胸に顔を寄せて、甘えてくる。子猫みたいで可愛い。
「……おにいさん、大好きです。ずっと……そばにいてください」
「ああ。ずっとだ」
その夜、ペルフェは俺の腕の中で眠った。
俺は薪ストーブの火を見ながら、思う。
毒の排出は進んでる。
ペルフェの触れられる恐怖も、少しずつ溶けていってる。でも、王宮の影はまだ消えてない。
夕方の通りは、人の声と店の灯りでまだ賑やかだった。健康のための散歩の途中だった。
いつもなら、ペルフェはこういう時間帯になると、少しだけ歩く速度を落とす。体力がないのを気にして、俺に気づかれないようにする癖だ。
だから、足が止まった瞬間、違和感の方が先に来た。
「……ペルフェ?」
振り向くと、彼は道の真ん中で立ち尽くし、片手で胸元を押さえていた。顔色が、昼間よりも明らかに悪い。
「だ、大丈夫です……ちょっと……」
そう言いかけた声が、途中で途切れる。
次の瞬間、膝が折れた。
「おい!」
咄嗟に腕を掴んで支える。体が思ったより軽くて、嫌な予感がした。抱き寄せると、彼の呼吸は浅く、指先が冷えている。
全然良くなってないじゃないか!
「ペルフェ、聞こえるか」
名前を呼ぶと、薄く瞼が動いた。
「……おにいさん……?」
それだけ言って、視線が定まらなくなる。
人通りの多い場所で、立ち止まっている余裕はなかった。俺はそのまま彼を抱き上げ、近くの建物の軒下へ移動する。
「すぐ医者呼ぶ」
「……いえ……」
弱々しい声で、ペルフェが首を振った。
「前にも……こういうこと、ありましたから……」
「前にも、って……」
思わず語気が強くなる。
これが“たまにある”で済む話には、どう見ても見えなかった。
額に手を当てると、熱はない。けれど、肌の奥からじわじわと力が抜けていく感じが、触れただけで分かった。
「……すみません。迷惑、かけて……」
謝るな、と言いかけて、喉で止まる。
迷惑じゃない。
問題は、これが“初めてじゃない”ってことだ。
「どれくらい、こうなる?」
「……わかりません。今日は、少し……ひどい、だけで……」
少し、の言い方じゃなかった。本当は全然毒の排出なんてされてなかったんだ。
俺は歯を噛みしめる。
「街医者にでも、見てもらう」
「……たぶん……わからないと、思います」
その言葉に、胸の奥が嫌な形でざわついた。
「じゃあ、どこなら分かるんだ」
しばらく沈黙があった。
ペルフェは、視線を逸らしたまま、息を整えるのに時間をかけてから、ようやく小さく言った。
「……王宮でも、原因不明だって言われました」
その言葉が出た瞬間、空気が変わった。
俺は彼を抱えたまま、動きを止める。
「それ、本当か」
「はい……」
この国で一番医療が発展してるのは王宮にある医務院だ。そこで原因不明と言われたならもう手は……ないはずだ。
「……ペルフェはどうしたい」
「医務院に、行きたいです」
「……戻る気か」
「戻る、っていうか……」
ペルフェは困ったように笑った。
「捕まるぞ」
即座に言った。
「お前も。……俺も」
それは脅しじゃなく、事実だった。
第二王子が、何の許可もなく王宮を離れていたことが表沙汰になれば、面倒で済むはずがない。
まして、俺は身分も後ろ盾もない一般人だ。
ペルフェは、一瞬だけ目を伏せた。
「……わかってます」
「じゃあ――」
「それでも」
遮るように、彼が言った。
弱々しい声なのに、その言葉だけは、不思議と揺れていなかった。
「……それでも、行きたいです」
俺は言葉を失う。
「このまま……倒れ続けるのは、嫌で……」
息を吸うたび、彼の胸が小さく上下する。そのたびに、体の奥がきしむような音がする気がして、俺は無意識に腕に力を入れていた。
「……少しでも希望が欲しい。……生きたい、んです」
その一言が、決定打だった。
反論なんて、できるわけがない。
俺は、目を閉じて、短く息を吐く。
「……最悪、俺は捕まる。お前も自由はなくなる」
「……それでも」
ペルフェは、俺を見上げた。
「おにいさんと、一緒なら……」
ずるい言い方だと思った。
でも、責める気にはなれなかった。
俺は舌打ちしそうになるのを堪えて、額に手を当てる。
「……覚悟しとけ。戻ったら、もう今までみたいには、いかない」
「……はい」
それでも、ペルフェは微かに笑った。
俺はその笑顔に、腹を括った。
「行くぞ。王宮だ」
そう言うと、彼の肩から腕を回し、抱え直す。
ペルフェは小さく息を吐いて、俺の服を掴んだ。
「……ありがとうございます」
「礼はいらねえ」
そう返しながら、胸の奥では、別の言葉が渦巻いていた。
――捕まるかもしれない。
――自由を失うかもしれない。
――それでも。
それでも、こいつが生きるなら、それでいい。
そう思ってしまった時点で、
もう俺の選択は、決まっていた。
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