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第5話

3・モフモフ野郎と朝食作り(その1)

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翌朝、大賀はきっちり指定した時間に台所に現れた。

「よく起きられたな」
「これくらい問題ない」
「まあ、そうだよな」

昔の俺らは朝練があったから、この時間にはとっくに起きていたもんな。
もっとも、今の俺にはかなりキツいけど。
おかしいよな、野球を辞めてからまだ2年ほどしか経っていないのに。

「んじゃ、やるか。まずは手を洗って、レタスをちぎるところから」

今日は、サラダを作らせることにした。
ひとまず初日だからさ、簡単なところから始めないと。

「ちぎる、とは?」
「そのまんま。ふつうにちぎるだけだよ」
「大きさは?」
「一口サイズくらい」

大賀は、何か言いたげに手元を見た。

「……なんだよ」
「いや、包丁は使わないのかと」
「レタスにはな。きゅうりのときに使うから、覚悟しておけよ」
「わかった」

大賀のデカい手が、レタスをひきちぎっていく。
少しやりにくそうなのは、レタスがしなびているから。
まあ、安売りしてたヤツだから仕方ないんだけどさ、このまま食うのはさすがにいまいちだよな。

(お湯で復活させっか)

といっても電気ポットのお湯だと熱すぎるから水で割る。
指をつっこんで「温いな」って感じなのが適温。

(……こんなとこだな)

そこに、大賀がちぎったレタスをどっさり突っ込んだ。

「なぜお湯につける? 消毒のためか?」
「違ぇよ、シャキッとさせるため。このまま2~3分放置すると、いい感じにシャキシャキ感が戻るんだ」

よし、そろそろだな。
ザルを使うのは面倒なので、レタスを押さえてボウルを傾ける。

「ほら、見ろ!」
「……なるほど」

なっ、驚くよな!
俺も初めてやったときは「すげー!」って感心したよ。
こんなちょっとした手間で、レタスのシャッキリ感が戻るんだ。発見したやつ、マジですげぇよな。
さて、ここからは料理っぽい作業だ。

「包丁取ってくれ。足元の扉を開けたとこにあるから」

まず、大賀にはきゅうりの輪切りをやってもらう。
で、いい感じだったら、にんじんのみじん切りと千切りも頼む予定。
きゅうりの輪切りは、初心者向けなんだよな。野菜自体がやわらかいから、コツさえ掴めばトントンいける。
でも、にんじんはちょっと難しい。
野菜そのものが固いし、千切りする前に「縦切り」か「斜め切り」をしないといけない。つまりもう一手間かかるってわけだ。
さて、大賀の腕前は──

「って、待て待て! 指! 指ひっこめろ!」
「……引っ込めろとは?」
「左指だよ! きゅうりに添えてる指!」

そんな無防備に伸ばすな。スパッと行くぞ。

「どうすればいい?」
「調理実習で習っただろ。野菜に添えたまま丸めて、こう……猫の手にするんだよ!」
「……猫」

ビシッ、と何かをはたき落とすかのように大賀の尻尾が揺れた。

「あいにく俺は狼だが」
「いや、知らねぇよ。とにかく猫の手──」

って、待て。
誰が「狼」だって?

「俺だ。尻尾を見ればわかるだろう」

いや、わかんねーよ。狼のこと、そんなに詳しくねぇし。
つーか、犬じゃなかったのか。
ずっと「犬っぽい尻尾だな」って思ってたんだけど。

「じゃあ、この際『狼の手』でもいいや。とにかく、こんなふうに指を丸めろ」

実際にやってみせると、大賀は「なるほど」と左指を引っ込めた。

「これでいいだろうか」
「おう。で、次は右手だけど」

包丁を持つときは深めに。
なんなら、手を被せる感じで。

「で、刃の腹んとこを左手の第一関節に当てて、『切る』よりは『かする』みたいなイメージで下ろしていくんだ」

そう、これが初心者向けの輪切りのコツ。
最初のうちは「切る」つもりでやると、どうしても太い輪切りになるんだよな。
でも「かする」だと、いい感じに薄めの輪切りができあがる。
ちなみに、キャベツの千切りも同じで「切る」より「かする」でやるとうまくいくんだよなぁ。
で、大賀はどうかというと──

(今日はこれで終わりだな)

たぶん、きゅうりの輪切りで精一杯。
まあ、最初はこんなもんだろう。

(しばらくは、これとキャベツの千切りをやらせるか)

で、慣れてきたら他の野菜の切り方を教えよう。
もちろん「料理を覚えたい」って気持ちが継続するなら、だけど。

(途中で投げ出す可能性もあるもんな)
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