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第8話
10・モフモフ野郎のご乱心(その3)
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駅から本社までは、晴天なら徒歩数分ほど。
けれども、この豪雨のせいで俺のスニーカーは水浸しになり、コートもリュックもずっしりと重たくなってしまった。
それでも前に進もうとしたのは、本社に近づけば近づくほど風圧が強くなるのを感じたからだ。
やっぱり、予想どおりだ。
大賀は、絶対この先にいる。
果たして、本社ビルの前にひとりの男が立ち尽くしているのが見えた。
「──バカか、あいつ」
思わずそう呟いたのは、あいつのケツから尻尾が出ていたからだ。
しかも、遠巻きに見ている一部の野次馬連中が、こぞってスマホを掲げている。
くそ、と吐き捨てて、俺は大きく足を踏み出した。
「大賀……っ」
名前を呼んだとたん、滝のような雨が口に入り込んできた。
「大……ゲホッ……大賀、おい……っ」
何度もむせかえりながら、それでも必死に声を張り上げる。
なのに、あいつが振り返る気配はまったくない。それもそのはず、俺の声は完全に雨音に消されてしまっているのだ。
やばい、どうしよう。
どうすれば、あいつは振り向いてくれるんだ?
迷っているうちに、ふと気がついた。あいつが、ジリジリと足を進めていることに。
──え、まさか本社に入るつもりか? この悪天候を引き連れて?
カフェを訪ねた際、店舗自体には被害はなかったから、このままビルに入ったところで問題はないのかもしれない。
けれど──
(もし、そこに坂沼が現れたら?)
あのふたりが対峙することになったとしたら?
それこそ、どうなるかわからないじゃないか。
「大賀、待て、行くな!」
俺は、なんとかヤツに近づこうとした。ここはもう身体を張ってでも、あのモフモフ野郎を止めなければいけないような気がした。
けれども、ある程度までは近づけてもその先にはどうやっても踏み込めない。
厚い空気の壁のようなものがあって、それが俺の接近を拒むんだ。
「大賀、頼む! こっちを見ろ!」
気付け! 落ち着け!
まずは我に返って、この豪雨を止めてくれ!
人間だったころのお前は、もっと感情のコントロールができていたはずだろ?
どんなにやっかみや嫌がらせを受けても、淡々と受け流していたじゃないか。
なのに、なんで他人の──それもただの元チームメイトにすぎない俺なんかのことで、そんなに怒ったりしているんだよ。
「頼む、戻れよ……元に戻ってくれ……」
俺が嫌いだった「圧倒的強者」みたいなお前を取り戻してくれ。
俺みたいな下っ端が歯ぎしりしている目の前で、いつも悠々とかまえていた「神童」らしいお前に戻ってくれよ。
「頼む、大賀……!」
もし、戻ってくれたら。
そうしたら──
「お前に、またおにぎりを作ってやるから!」
なんでそんなことを叫んだのか、自分でもよくわからない。
けれど、その瞬間、俺たちの間をさえぎっていた見えない壁が、ふっとやわらかくなるのを感じた。
(今だ──!)
俺はここぞとばかりに足を踏み出した。
フサフサの尻尾がぶるりと震え、大賀が初めてこちらに顔を向けた。
届く──たぶん、今なら俺の声が聞こえるはず。
「大賀、もういい」
手をのばし、ヤツの右手を包み込む。
「俺のことわかるか? わかるよな?」
「……」
「このとおり元気だから。お前が怒る必要はないから」
「……」
「だから、まずはこの豪雨をどうにかしろ。ついでに雷と暴風も」
大賀は答えない。
けれども、先ほどまで滝のようにアスファルトを打っていた雨は、明らかにその勢いを失っている。
「よし、それでいい……雨も風も雷も必要ない」
「……」
「落ち着いたら帰ろう。今日は久しぶりにうちに泊めてやるから」
で、明日の朝、おにぎりを食おう。
とびきりのやつ、作ってやるから。
「……いいのか?」
ようやく、大賀が言葉を発した。
「本当にいいのか?」
それが、坂沼へのあれこれについてなのか、それともおにぎりについてなのかはわからない。
それでも俺は「ああ」とうなずいた。
「もういい。大丈夫だから」
握った手に力をこめると、大賀は「そうか」とつぶやいた。
それまで逆立っていた尻尾が垂れ下がったかと思うと、そのままぐらりとこちらに倒れ込んできた。
慌てて支えたところで、よく知る声が背後から届いた。
「叶斗くん! 尊くん!」
神森だ。ようやくヤツも到着したらしい。
「大丈夫!? 支えられる!?」
「無理に決まってんだろ。重てぇよ、こいつ」
しかも、この尻尾どうするんだよ。そのへんのヤツらにめちゃくちゃ動画撮られてるぞ。
俺の指摘に、神森は「ああ、もう!」と声を張り上げた。
「バカ! バカバカバカ! 俺のモフモフ尻尾、勝手に持ち出して! これじゃもうモフモフコスプレできないじゃん!」
けれども、この豪雨のせいで俺のスニーカーは水浸しになり、コートもリュックもずっしりと重たくなってしまった。
それでも前に進もうとしたのは、本社に近づけば近づくほど風圧が強くなるのを感じたからだ。
やっぱり、予想どおりだ。
大賀は、絶対この先にいる。
果たして、本社ビルの前にひとりの男が立ち尽くしているのが見えた。
「──バカか、あいつ」
思わずそう呟いたのは、あいつのケツから尻尾が出ていたからだ。
しかも、遠巻きに見ている一部の野次馬連中が、こぞってスマホを掲げている。
くそ、と吐き捨てて、俺は大きく足を踏み出した。
「大賀……っ」
名前を呼んだとたん、滝のような雨が口に入り込んできた。
「大……ゲホッ……大賀、おい……っ」
何度もむせかえりながら、それでも必死に声を張り上げる。
なのに、あいつが振り返る気配はまったくない。それもそのはず、俺の声は完全に雨音に消されてしまっているのだ。
やばい、どうしよう。
どうすれば、あいつは振り向いてくれるんだ?
迷っているうちに、ふと気がついた。あいつが、ジリジリと足を進めていることに。
──え、まさか本社に入るつもりか? この悪天候を引き連れて?
カフェを訪ねた際、店舗自体には被害はなかったから、このままビルに入ったところで問題はないのかもしれない。
けれど──
(もし、そこに坂沼が現れたら?)
あのふたりが対峙することになったとしたら?
それこそ、どうなるかわからないじゃないか。
「大賀、待て、行くな!」
俺は、なんとかヤツに近づこうとした。ここはもう身体を張ってでも、あのモフモフ野郎を止めなければいけないような気がした。
けれども、ある程度までは近づけてもその先にはどうやっても踏み込めない。
厚い空気の壁のようなものがあって、それが俺の接近を拒むんだ。
「大賀、頼む! こっちを見ろ!」
気付け! 落ち着け!
まずは我に返って、この豪雨を止めてくれ!
人間だったころのお前は、もっと感情のコントロールができていたはずだろ?
どんなにやっかみや嫌がらせを受けても、淡々と受け流していたじゃないか。
なのに、なんで他人の──それもただの元チームメイトにすぎない俺なんかのことで、そんなに怒ったりしているんだよ。
「頼む、戻れよ……元に戻ってくれ……」
俺が嫌いだった「圧倒的強者」みたいなお前を取り戻してくれ。
俺みたいな下っ端が歯ぎしりしている目の前で、いつも悠々とかまえていた「神童」らしいお前に戻ってくれよ。
「頼む、大賀……!」
もし、戻ってくれたら。
そうしたら──
「お前に、またおにぎりを作ってやるから!」
なんでそんなことを叫んだのか、自分でもよくわからない。
けれど、その瞬間、俺たちの間をさえぎっていた見えない壁が、ふっとやわらかくなるのを感じた。
(今だ──!)
俺はここぞとばかりに足を踏み出した。
フサフサの尻尾がぶるりと震え、大賀が初めてこちらに顔を向けた。
届く──たぶん、今なら俺の声が聞こえるはず。
「大賀、もういい」
手をのばし、ヤツの右手を包み込む。
「俺のことわかるか? わかるよな?」
「……」
「このとおり元気だから。お前が怒る必要はないから」
「……」
「だから、まずはこの豪雨をどうにかしろ。ついでに雷と暴風も」
大賀は答えない。
けれども、先ほどまで滝のようにアスファルトを打っていた雨は、明らかにその勢いを失っている。
「よし、それでいい……雨も風も雷も必要ない」
「……」
「落ち着いたら帰ろう。今日は久しぶりにうちに泊めてやるから」
で、明日の朝、おにぎりを食おう。
とびきりのやつ、作ってやるから。
「……いいのか?」
ようやく、大賀が言葉を発した。
「本当にいいのか?」
それが、坂沼へのあれこれについてなのか、それともおにぎりについてなのかはわからない。
それでも俺は「ああ」とうなずいた。
「もういい。大丈夫だから」
握った手に力をこめると、大賀は「そうか」とつぶやいた。
それまで逆立っていた尻尾が垂れ下がったかと思うと、そのままぐらりとこちらに倒れ込んできた。
慌てて支えたところで、よく知る声が背後から届いた。
「叶斗くん! 尊くん!」
神森だ。ようやくヤツも到着したらしい。
「大丈夫!? 支えられる!?」
「無理に決まってんだろ。重てぇよ、こいつ」
しかも、この尻尾どうするんだよ。そのへんのヤツらにめちゃくちゃ動画撮られてるぞ。
俺の指摘に、神森は「ああ、もう!」と声を張り上げた。
「バカ! バカバカバカ! 俺のモフモフ尻尾、勝手に持ち出して! これじゃもうモフモフコスプレできないじゃん!」
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