Villain

小林マコト

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01 Valeriana

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 愛することは、悪なのか。



 ヴァレリアナ=カッサンドラ=アンドレオーリは狂ったように笑い声を上げた。床に座り込み、だらりと力の抜けた右手には、赤く染まったナイフが。ヴァレリアナの傍らには若い男が倒れている。まだぬるい、流れる血。ヴァレリアナが殺したことは、誰の目にも明らかだった。

「……酷いな」

 笑うヴァレリアナと倒れた男を見て、青い女は顔をしかめた。ノックもなく部屋に入ってきた、二冊の本を小脇に抱えるその女は、静かに後ろ手で扉を閉める。一歩踏み出して、その足音でようやく、ヴァレリアナが女に気付いた。

「だれ……?」

 虚ろに微笑むヴァレリアナ。女はその微笑みに、ゆるゆると笑って返す。ゆっくりとヴァレリアナに近付き、目線を合わせた。

「どうして殺したんだ」

 あいしてるんだもの。女の目からつうっと涙が流れた。言葉にしたからか、次から次へと溢れるそれ。ナイフをはなし、両手で顔を覆う。あいしてるんだもの、あいしてるから、だから。
 愛している。同じ言葉を繰り返すヴァレリアナに、女は呆れたように溜め息を吐いた。

「どうしてこうなったのか、話してくれるね」

 女に促され、ヴァレリアナは静かに口を開いた。



 ヴァレリアナは望まれて産まれてきた子だった。裕福な商人の長女、兄弟は兄が二人。両親も優しく、幸せな幼少期を過ごしていた。
 成長するにつれ、ヴァレリアナは美しい少女になった。賢く、されど華やかな少女。貴族に負けず劣らずのその美貌に、諸侯からの求婚は尽きなかった。
 娘の意思を尊重した両親は、ヴァレリアナが頷かない限りそれらすべてを断り続けた。

 そしてヴァレリアナは恋に落ちる。彼は靴職人を志す若者だった。優しい目をした男だった。逞しい身体をした男だった。寡黙な男だった。一目で恋に落ちたヴァレリアナは、彼と逢瀬を重ねた。彼もまたヴァレリアナに恋をした。
 両親は初めて恋をした娘を微笑ましく思っていたが、ヴァレリアナの美貌に狂わされたある貴族がそれを許さなかった。ヴァレリアナを嫁に出さねば潰してやる。両親は困り果てた。娘の恋を邪魔したくはない。しかし、だからといって家を潰されるわけにもいかない。運命を呪う毎日だった。

 ヴァレリアナ本人にも、その貴族から脅しがかかった。愛する男を殺されたくなくば我が妻となれ。ヴァレリアナは泣き崩れる。彼と別れたくはない。けれど、彼が死ぬのも耐えられない。家が潰されるのも。どうにもできず、ただ返事をする約束の日が近付く――。



 その約束の日が、今日だった。
 悩みに悩んだヴァレリアナが選んだ道は、あろうことか心中であった。彼と別れるならば、彼が死ぬのならば、愛が消えるのならば、この手で共に。
 彼の暮らすこの部屋を訪ねれば、中に招かれた。持ってきたナイフが鈍く光る。私もすぐにいくわ。呟いた言葉は彼の呻きと重なった。崩れ落ちる彼。手を染める赤。何故だ、ヴァレリアナ。理解できないと訴える彼の目は、とても悲しいものだった。
 無性に笑いが込み上げてきた。ああ、私はなんてことをしてしまったのだろう。嫌に冷静な自分がいた。笑うしかなかった。

 そして、今に至る。

 女は、小さく震えるヴァレリアナを哀れみを含んだ目で見つめる。他に道はなかったのか。そう問うことは躊躇われた。逃げることも、ヴァレリアナには許されていなかったのだ。自由に生きてきたように見えて、ヴァレリアナは無数の鎖に繋がれていた。

「死ねば、きっとずっと一緒に」
「そんな都合のいいことはないよ。死はただの無だ。周囲の人間の記憶には残っているだろう、けれどそれもいずれ消える。本人には何も残らない」
「わかってる……わかってるわよ」

 何も見えていないような目はやはり虚ろで、今にもナイフを手にしそうだった。女はそっと落とされたナイフに手を伸ばす。

「死にたいか」

 ヴァレリアナの首筋にそのナイフを当て、女が言った。答えは聞かずともわかる。しかし、あえて女は問うた。死にたいか、彼の後を追いたいか。ヴァレリアナは頷いた。せめて、彼の隣で。ヴァレリアナにとって世界とは彼だった。ああ、ああ、女の後ろに彼が見える。優しく微笑んでいる。こちらへおいで、ヴァレリアナ。愛しい彼。殺してごめんなさい、愛してるわ。首筋に痛みが走る。女は眉を寄せていた。哀れまないで、私は幸せなの。女の顔に赤が飛び散った。青い髪に赤が映える。彼が手を招いていた。待って、今すぐいくから。置いていかないで、あいしてるわ。



 そして、ヴァレリアナは息絶えた。



 ヴァレリアナ=カッサンドラ=アンドレオーリは愛の果てに男を殺した。
愛することは、悪なのか。女には到底悪には思えなかった。ただ、それが正しいことかもわからなかった。

 男に寄り添うようにヴァレリアナを寝かせる。
 持っていた二冊の本から一冊を選び、それを開く。まだ何も書かれていないその本に、ヴァレリアナの血を垂らした。ページが赤に染まる。しかし、それはつかの間のことで、すぐに元の白に戻った。ヴァレリアナが『純粋な悪』ではないという証明だった。





 何度目かの溜め息を吐き、もう一冊の本を開く。そして同じように血を垂らした。すると今度は、文字が浮かび上がった。表紙には「Valeriana Cassandra Andreoli」と題が綴られる。
 その本は、ヴァレリアナの生涯を描いた物語となった。

 女は立ち上がり、その場を去る。扉を開き、一歩踏み出して、ふと振り返った。返り血の赤に染まった白いシャツの胸ポケットからマッチを取りだし、それを擦って火をつけた。近くにあった窓のカーテンに火を移し、息を吹き掛ける。火は激しさを増す。ついには壁に移り、部屋を燃やし始めた。
 女は満足そうにして、扉を閉じる。外から燃えていく様を眺め、せめて二人が共に天へ、はたまた地へ向かう篝火となるよう祈った。空は晴れ渡り、女の髪のような澄んだ青だった。







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