Villain

小林マコト

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02 Alivian

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 救うことは、悪なのか。




 英雄と呼ばれた男、アリヴィアン=ヴァロフはそっと青い女の目を見た。
 私を、殺せ。音もなく口の動きだけで紡いだ言葉は、確かに青の女に届いた。

「かつての英雄がこのように、笑えるだろう?」
「……いや、笑えないよ。私にはどうにも笑えない。お前はこの国を救っただろう。何も死ぬことなんて」
「そうだな、私が国を救った。私だけでなく他の者の力もあったが、私が国を救ったんだろう。だが、多くの人を殺し他国を滅ぼしたのもまた、私だ」

 アリヴィアンと女の他に誰もいない、厳粛な雰囲気に包まれた教会の聖堂に、二人の声だけが響く。
 ふと、女は手に持っていた二冊の本のうち、一冊を開いた。何も書かれていない、真っ白な本。アリヴィアンは女が何をしようとしているのかわかったのだろう、ゆっくりと女に近付いた。

「私が死ねば、きっとこの国は混乱に陥るだろう。けれどそれも一時のことだ。この国に英雄はもういらない。周辺諸国との同盟も組んである。戦いはもう、いらないんだ」
「……そうだね。ここはもう、大国と呼べるほどになった。お前の働きのおかげだよ。けれど、だからって、王を支える立場のお前が勝手に死ぬことはできないだろう」
「許されなくてもいい。私は罪を犯した。それだけで、死ぬ理由になる。……私を殺せ。君に殺されるなら、幸せだ」

 女の頬に、そっと手を伸ばした。アリヴィアンがこの女に会ったのはつい先程のことだったが、どうしてか、初対面とは思えないくらいに懐かしく感じた。

「どうしても、死ぬのか」
「ああ、どうしても」

 はあ、と溜め息を吐いて、女はアリヴィアンと目を合わせた。その目はもう、アリヴィアンに死を与える覚悟をしていた。
 それを見て、アリヴィアンは満足そうに微笑んだ。笑みは弱々しく、とても英雄とは思えぬ表情だった。一歩分女から離れて、持っていた剣を女に渡す。女は本を床にばさりと落とし、その剣を受け取った。

「最期に一つ、聞いてもいいかな」
「なんでも」
「どうして、私に殺させるんだ」
「……君が、私が初めて殺した女と、よく似た目をしているからだ」
「……そうか」

 女はアリヴィアンの答えを聞いてすぐ、彼の腹に深く剣を突き刺した。アリヴィアンの呻き声が聞こえたが、構わずに刺した剣をぐるりと回す。それから、一気に引き抜いた。



 アリヴィアン=ヴァロフは、小国エラートの軍人だった。英雄と呼ばれる前は、ごく普通の生活を送っていた。幼い頃は、城から抜け出してきたという自称第一王子と共に、ちょっとしたやんちゃもしていたが、心優しい青年に育っていった。自称第一王子の友人が本物の王子だと知ったのは、軍人になってからだった。

 エラートは小さく、大陸内でも目立つ存在ではなかった。むしろ存在することも忘れられるような、なんの取り柄もない、強いて言えば、他国より教育が進んでいるだけの国だった。戦争に明け暮れる他国より平和なためだ。
 軍も自衛のためにと存在はしていたが、その活動は自然災害が起きたときだけだった。王は賢く、エラートの弱さを知っていた。他国に侵略するなど無謀だと、よく理解していた。

 アリヴィアンも、軍人になろうと思ったのは、国を守ろうと思ったわけでも国を大きくしようと思ったわけでもなかった。王子である友人に、自分も一時的に軍に入るからお前も入れと勧められたからだった。
 なんとなく軍人になったが、アリヴィアンの能力は素晴らしいものだった。戦闘力も、アリヴィアンの考える戦術も、他の者よりはるかに優れていた。

 その実力が認められてきた頃、エラートは国が始まって以来の危機に直面した。
戦争で負けなしの隣国が、エラートに攻め入ろうとしているという。

 どうにか戦争は避けようとしたものの、どうにもならずエラートも戦争の準備を始めた。負けるのは誰の目にも明らかだった。

 戦争は悲惨なものだった。
 エラートの軍は国境付近で敵を抑えることしかできず、それももう困難になってきている。
 あるとき、このままではいけないとアリヴィアンは軍の総司令に直接提案した。
 それは、アリヴィアンが英雄と称えられる、一歩だった。

 賢明な総司令はアリヴィアンの提案を受け入れ、そしてアリヴィアンにその座を譲った。総司令はどこまでも賢明で、エラートをひたすらに愛していた。アリヴィアンも例え死しても国を守ろうと誓った。

 アリヴィアンが指揮を取りはじめてからというもの、エラートは隣国軍相手に今までが嘘のように勝利し続けた。アリヴィアンを総司令とすることに、多少不満を持つ者もいたが、国王と前総司令、そしてアリヴィアンの友人である王子の言葉でそんなものはなくなっていた。先の勝利もあって、皆はアリヴィアンを受け入れた。

 そして。
 エラートは隣国に勝利し、その国土を得た。
 はじめは内乱も多く、国王も突然大国となったため政治を行うのに手こずっていたものの、すぐに民の納得する政治を行うようになった。
 内乱もアリヴィアン率いる軍が被害を最小に抑えるよう細心の注意を払って制圧した。

 エラートの国民たちもまた、隣国の国民だった者と自分たちとの間に壁を作らず、同じ立場で接していた。そのことで多少の衝突もあったらしいが、すぐに打ち解けていた。

 その後、大国に勝てたのは奇跡だったはずだと、他国に攻め入られることが何度かあったが、アリヴィアンの活躍により、それらはすべて勝利に終わった。
 小国エラートは、大国となり、大陸内でエラートに宣戦布告をする国はなくなった。

 アリヴィアンは、英雄と呼ばれた。

 その頃のアリヴィアンは、自らの選択が正しかったかどうかわからなくなっていた。
 夢を、見た。初めて人間を殺したときの夢だ。あまりに現実味のある夢。初めて殺した女が、腹に剣を刺して殺した女が、剣をそのままに立ち上がり、アリヴィアンを責めるのだ。お前がやっていることは我が国がやっていたことと何も変わらない。攻め入られたからといって、国土を奪っては侵略と変わらないだろう。お前は私を殺し、多くの人間を殺し、多くの国を滅ぼした。お前は私にこの剣を刺した感触を忘れたのか。お前は殺した者たちを忘れたのか。お前は、本当に英雄なのか。英雄ならば私たちも救っているべきではないのか。すべてを救う英雄なら、すべてを。

 毎夜見る夢に、アリヴィアンは耐えられなくなった。殺した者はそれこそ覚えていられないほど多かったが、多くを殺したことはしっかりと覚えている。初めて殺したあの女のことも、忘れられるはずがない。あの女は敵の密偵だった。総司令となったアリヴィアンに近付き、寝首を掻かれそうになった。人間の気配に飛び起き、馬乗りになっていた女を投げ、近くに置いていた剣で刺した。あの女は最期に、誰かの名を叫んでいた。アリヴィアンは命を狙われたことと人間を殺してしまったことへの恐怖で、どんな名を叫んでいたか聞き取れなかった。
 聞き取れなかったことは、あとになって後悔した。あの女が誰を想い死んだのか。殺した自分が、覚えていなければならなかったのではないか、と。

 アリヴィアンは日に日に自らの死を願うようになった。夢で言われた言葉が、アリヴィアンにそうさせていた。
 そして、何を考えたでもなくふらりと足を向けたこの教会で、初めて殺した女によく似た青い目をした女が現れて、ああ、ここで死ぬべきだ、と思った。



 青の女は、床に落としたアリヴィアンの血のついた本を拾い上げ、開いたまま落とした方の本を読んだ。「Alivian Valov」と書かれたその本は、彼の生涯を綴っていた。

 軽くそれを読んだあと、もう一冊、開かずに落とした本を拾う。開けばそれも真っ白で、そこに女はアリヴィアンの血を滴らせる。白が赤に染まったあと、また白に戻ったのを見て、溜め息を吐いて閉じた。

 女が立ち上がったのと同じくして、聖堂の扉が乱暴に開けられた。アリヴィアン、と叫びながら入ってきた男に、女はゆっくりと振り向いた。

「アリヴィアン……!  お前が殺したのか!」
「……そうなるね」

 血だまりに倒れるアリヴィアンを見て、男が顔を真っ青にして、そしてすぐに顔を真っ赤にして、女の方へ駆け寄り胸ぐらを掴んだ。女は表情を変えずにその男を見つめる。

「お前が、アリヴィアンの友人の、王子様だね」
「何故殺した!  アリヴィアンは国を守った英雄だろう!  殺す理由がない!」

 男の口から英雄という言葉が出た瞬間、女は男を蹴り飛ばした。その表情は、あまりに冷たいものだった。

「アリヴィアン=ヴァロフが国を救ったと同時に多くの国を滅ぼしたのを忘れたか」

 男ははっとする。まさか滅ぼされた国の、と護身用に持っていたナイフを取り出そうとするも、その前に女はアリヴィアンの腹の剣を抜き、男に向けた。アリヴィアンの血が、男に滴った。

「お前に聞きたいことがある。こうでもしないとお前は聞いてくれないだろう?  大人しく答えてくれたら、私もアリヴィアン=ヴァロフを殺した理由を話そう」

 お前の名は、イサイだね?

 女の問いに、唇を噛みながら男――イサイは頷いた。
 すっと目を細めた女は、イサイに向けていた剣を下ろした。

「アリヴィアンが初めて殺した女は、お前の名を叫んで死んだらしい。アリヴィアンは覚えていなかったけれど、この本には確かに記されている。イサイ、お前は、ミーアという女を知っているかな」

 その名に、イサイは目を見開いた。

「知っているも何も……私の、腹違いの妹だ」
「……そう、か」
「だ、だか、ミーアは戦争で死んだはずだ。そう報告が上がっている。アリヴィアンに指揮を譲った者からだ。アリヴィアンに殺されたなど……」
「アリヴィアン=ヴァロフはお前にミーアなんて妹がいるとは知らなかったようだよ。ミーアはアリヴィアン=ヴァロフに殺されたとき、こう言った。『にいさま、ミーアは、イサイにいさまを愛しております』。……はっきりと記されているよ。私の推測だけれど、ミーアはお前のために、アリヴィアンを殺そうとしたんじゃないかな。お前だけは生かしてやるからこちらに寝返ろとかの国に言われたとか。どうであれ、ミーアが死に、エラートが勝利を治めたことには変わりない」

 そういえばミーアは、あの戦争の時イサイだけは生きていてくれと何度も言っていた。
 イサイはアリヴィアンに目を向ける。穏やかな表情をしていた。ここ最近の苦悩の表情ではなかった。殺されてようやく救われたというのか。国を守りたいがために追い詰められていた英雄は、死に救われたのか。イサイは何もわからなくなっていた。

「お前が苦しく思うのも無理はないと思うよ。妹を友人に殺され、その友人は誰かもわからない。なんて悲劇だろうね」

 女は剣を捨て、床に座り込んだままアリヴィアンを見るイサイの横を通り過ぎた。
 と、少し行って立ち止まり、

「私の目は、そんなにミーアに似ているのかな」

 そう問うた。
 イサイは答えない。

「まあ、どうでもいいか」

 女はまた歩き始める。
 教会を出ると、大きな月が美しく輝いていた。少しの間その美しさに見惚れるも、手に持つ二冊の本を思うと、月を愛でる気も失せた。

 また、純粋な悪ではなかった。
 多くの人間を殺し多くの国を滅ぼしていれば、悪になり得るのではと思っていた。だが、やはり英雄は、何かを救った者は、純粋な悪ではないらしい。

 愛することは悪ではなかった。救うこともまた、悪ではなかった。

 少し探し方を変えてみよう。次は、この月のように清らかな、愛も何かを救おうという感情も持たない者、本当に醜い者を探そう。

 青い女は教会から離れていく。
 教会からは、イサイの悲痛な叫びが、風にのって聞こえるような気がした。





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