十年監禁

小林マコト

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 彼が次にやってきたのは、一週間後のことだった。
 この十年、一日たりとも彼に会わない日はなかった。まして、一週間も来なかったことなんてあるはずがない。どんなに遅い時間になっても、彼は必ず私に会いに来てくれていた。彼の顔を久々に見て、少し、違和感を覚える。

「ごめんね、いろいろ忙しくなっちゃって、全然来れなかったんだ。会いたかったよ。大丈夫だった?」

 私の様子に気づいていないらしく、彼はいつも通りだった。眉を八の字にして、ごめんねと何度も言う。そして、私をぎゅっと抱きしめた。
 いつものことだ。彼はよく、私を抱きしめる。そこに私がちゃんと存在するか、確かめるように。そうして私を抱きしめたまま、安心したように深く息を吐くのだ。

「僕は君に会えなくて寂しかったよ。君は?」
「私……私も、寂しかったよ」
「そっか。うれしいなあ。今日はちゃんとご飯、作るからね」
「うん。ありがと。手伝えること、ある?」
「僕一人で大丈夫だよ。君はそこにいて」
「わかった」

 彼があまりにも変わらないものだから、私もごく普通に話せたと思う。変に跳ねる心臓は、悟られないだろうか。それだけは心配だ。
 腕から解放されて、彼は台所へ、私はベッドへ行く。準備を始める音が、日常に戻ったことを実感させた。
 実のところ、冷蔵庫の中のものは、全然足りていなかった。作り置きは一日二食だとしても四日分しかなく、ちょっとずつ、節約しながら食べた。ほとんど動かない生活で心底よかったと思った。私は小食な方ではないから、引きこもりでなければ耐えられなかっただろう。昨日の夜に冷蔵庫を空にして、今日は水だけでしのいでいた。彼が来てくれて、本当によかった。
 向かい合って食事をとる。彼のご飯は、やっぱりとてもおいしい。いつもより多く食べてしまったけど、彼がうれしそうに笑ったから、まあいいかとこちらもうれしくなる。

 食べ終えて、食器を片付けたら、もうやることがなくなってしまう。そうすると、やっぱりあのことが気になってきて、うずうずしてくる。聞きたい。問いただしたい。そうは思うけれど、彼の雰囲気がそうさせない。
 外に出たいと思っている。外に出て、親殺しの罪を償いたい。きっと一生かかっても消えないものだけど、それでも、もう逃げるのは嫌だ。せっかく匿ってくれた彼には悪いけど、出るしかないと思う。

「ねえ、やっぱり」
「君が言いたいことはわかるよ。その前に、僕からも話、させて」

 遮られて、姿勢を正した。正面に座る彼に、どんな厳しいことを言われても、今日はしっかり私の考えを伝えようと決意して。
 彼の様子はいつもと変わらず、何を考えているのか読めないきれいな笑みを浮かべて、こちらを見ていた。すべてを見透かすような目に、ひるみそうになる。

「君、外に出たいんでしょ?」
「それはっ……、もちろん」
「そっか、やっぱり変わってないんだね。うーん、どうしようかな」

 彼からその話題が出るなんて予想もしてなくて、驚いた。困った顔をして、頭をかく彼は、これまで見てきたものと変わらない。その問いの本当の意味が、わからない。

「僕はさ、反対だよ。外に出て、君が捕まってしまうのは見ていられないからね。人を二人も殺したんだ、長らく会えなくなるだろうし。まだ時間が必要だよ」
「つ、捕まって、いいと思ってる。むしろ自分から」
「君にそれができる?」

 急に声色が変わって、私の喉から、ひゅっ、とおかしな音がした。
 鋭い目が私に向けられる。口元の弧は上向きなのに、目だけが、私を責めている。

「苦しさから逃げるために、親まで殺した君が?」

 彼の言う通り、私は勝手な被害妄想から、親を殺した。
 あのときは逃げたけれど、今はもう、正面からそれに向き合えると思った。だから。

「自分勝手も程々にしなよ。あのとき、僕に匿われた時点で、君の罪は君だけのものじゃなくなったんだ」

 ――吐き気がした。
 口を手で押えてトイレに駆け込む。彼は動かなかった。
 胸に何か、重たくてどろどろしたものが落ちたようだった。――違う。それはたぶん、ずっと胸の中にあったものだ。どうして忘れていたんだろう。どうして、これまで気にならなかったんだろう。苦しい。吐き気がおさまらない。もう胃の中に何も残っていないのに。
 体温が急激に下がっていくのを感じた。体が震えてしまう。寒くてたまらない。指先なんか凍ってしまったみたいだった。

 なんとか落ち着いて、トイレから這い出した体勢のままだるい体を床に投げ出していると、彼が近づいてきて、何が楽しいのか笑顔のまま、大丈夫かと尋ねてきた。
 これが大丈夫に見えるか。今も、その顔を見ているだけで、治まった吐き気がぶり返してきているのに。

「ねえ、結婚に興味ある?」

 またトイレへ這う私に、突拍子もないことを言い出す。返事をしている余裕はないし、そもそもその言葉の意味が、今の私には理解できない。なんだそれは、今それは必要なのか、その話をしたらこの吐き気は治まるのか。
 思考が乱暴になっていくのを感じる。ああ、でももういい。苦しい。心臓に何か詰まっている。腹から何かせりあがってくる。実体のない何かが。

「三年前の君の誕生日、そういう話したよね。覚えてる? 君、僕とだけは絶対に結婚したくないって言うんだもん、あれ結構ショックだったなあ」

 喋っている暇があるなら助けてほしい。喉に何か詰まっている。心臓にも、肺にも、何か嫌なものが詰まっている。お願いだから、これを取り除いてほしい。
 ずっと私を救ってくれた彼だから、それくらいは簡単だろう。けれど彼は、にこにこ笑ったままで、助けてはくれない。
 そのきれいな顔が好きだと思っていた。今も好きだ。でも、その目に映る私は、いつも醜くて嫌いだ。今なんて、トイレにすがっている汚い女じゃないか。やめてほしい。見ないでほしい。それか、助けてほしい。

「今日はもう帰るよ。僕がいたら、落ち着けないでしょう? 明日、また話そう」

 そう言って、彼は私に背を向けた。待って、いかないで、助けて、でも、もう来ないで、私にその顔を見せないで。
 頭の中がぐちゃぐちゃになって、もう自分が何を言っているのかわからない。ただ、彼の顔も姿も見たくないと思っているのに、傍にいてほしくてたまらなかった。
 玄関のドアに手をかけた彼が、こちらも見ずに言う。

「こっち見ちゃ、だめだよ」

 低い声は、逆らうことを許さない強さを持っていた。慌てて俯いて、目をぎゅっと閉じる。じゃあね、満足そうなそれはドアの閉まる音と重なり、鍵が閉められる頃には、もう完全に消えてしまった。
 完全に彼の気配がなくなってから、ゆっくり瞼を持ち上げる。何か、胸が痛いような気がした。
 落ち着くまで、トイレの前で意識的に力を抜く。そうしなければ、とても落ち着けるようには思えなかった。
 なんとか頭が回るようになったら、口をよくよくゆすいで、歯磨きもして、汚してしまっていないか確認した。きれいなままであることに安心して、シャワーを浴びる。少し冷たいくらいのぬるいお湯で。

 中学生くらいから、混乱したり、落ち込んだりしたら、気分を切り替えるためにシャワーを浴びるようにしている。はじめは意識しないと切り替えられなかったけど、体が覚えてくれたのか、繰り返しているうちに自然と替えられるようになった。
 体を拭いて、服を着て、頭を乾かす。そうしているうちに吐き気も治まり、冷静に物事を考えられるようになる。まだ少し頭は痛むけど、考えるだけなら問題はなかった。
 彼の言葉と様子を、できるだけ思い返す。自分のことで手一杯で、ほとんど覚えてなかったけど、唯一これだけは確かだった。

 それは、彼は私をここから出すつもりはない、ということ。

 私のためなのか、そうじゃないのか。わからないけれど、とにかく彼は私を出すつもりはない。自首なんて絶対にさせてはくれないだろう。きっと、彼のことだから、どんな手を使ってでも。
 どうして。理由は思いつかない。彼の言うことが本当だったとしたら、私はとっくに死んだことになっているはずだし、私の両親は自殺したことになっているはずだ。自首はしないと言ったら、いないはずの人間としてこっそり隠れて生きていくと約束したら、彼は出してくれるだろうか。――たぶん、出してはくれない。
 彼はこうと決めたら滅多なことがない限り変えない、少し頑固な面があることを私はよく知っている。今の彼は、私を外に出さないと、決めたはずだ。それは彼の中で当然のことで、絶対のことなのだろう。だとすれば、私ができることは、彼を説得することだけだ。
 でも、それはほとんど不可能に近い。彼はとても口が上手く、人を丸め込む能力が高い。これまでの関わりの中で身をもって知っている。現に、これまでも出たいと言ってきたけれど、結局は彼に説得され、納得してきた。そんな相手を任すほど、私は話が上手くはない。

 このままでは出られない。出した結論にめまいがした。
 どうして彼は私を出さないのか、聞いてみたい気がする。でも、もう二度と会いたくない気もした。彼を目の前にしただけで、たぶん震えてしまう。
 だというのに――どうしようもなく会いたくもある。一体、私はどうしたんだ。自分の気持ちが少しもわからない。頭がぐらぐらする。
 冷蔵庫に入れていない、ぬるい水を飲む。薬はない。

 自分がどうしたいのか、彼がどうしようとしているのか。
 また吐き気がしそうだ。考えることをやめて、布団に潜り込む。

 その夜、閉じ込められる夢を見た。
 何不自由ない部屋の中で、ふと顔を上げると彼がいる。こちらに優しい微笑みを向けている。
 けれど、彼と私との間には鉄格子があった。
 ああ、私は捕まったのか。
 よくわからない安心感に、深く息を吐いた。
 そして、自然な流れで、当然のことのように、私は首を吊った。目の前に垂らしてあった、わっかになった縄に頭を入れた。

 絞まる感覚が、とても気持ちよかったのを、覚えている。




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