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序章 邂逅(であい)

序章ー1:マヒコとマイコ、師弟の邂逅

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 少年は身軽に建物の屋上を走り、風に乗るように空へ身をおどらせた。
 崩れた建築物や隆起して砕けた道路、かしいだ信号機や電柱が多くあり、目にしたそれらの人工物の全てが、雑草やこけ、樹木に覆われて、緑色に染まる廃墟の都市。
 景色の6割近くが緑に染まり、地球外のモノと思しき植物が多く生えるその廃墟の都市を、薄緑色がかった、煙のように揺れる力場で身を包む少年が、人外の速度で駆け抜ける。
 廃墟の屋上を跳び、別の廃墟の上へ着地しては、また風のように疾駆する少年。
 右肩に全身が真っ白の子犬をへばり付かせ、腰には一振りの日本刀を差し、未来風の武士とも言うべき装束に身を包んで、その少年は廃墟の屋上から、荒れた道路へと飛び降りた。
 20m以上の高さから道路へ飛び降りる少年。着地の瞬間、薄緑の力場が揺れて突風が生じた。
 少年はふわりと道路に舞い降り、眼前に見える3人の少女達へ視線を送って、ホッとした顔で言葉をつむぐ。
「魔獣に囲まれてるが、まだ全員生きてる。どうにか間に合ったか……良かった」
 少年の眼前には、異形の女性達に取り囲まれている3人の少女がいた。
 少女達は、突然道路に降り立った、ぼんやりと淡く緑色がかる少年を見て目を丸くするが、すぐさま我に返って口を開く。
「お、お願いしますっ! 助けて、助けてくださいっっ!」
 重傷で苦悶くもんを顔にきざみ、倒れ伏した2人の少女が唇を動かすものの声は出ず、代わりに、その少女達の横でへたり込む、軽傷でおかっぱ髪の少女が1人、必死に叫んでいた。
 つるを髪のようにらし、苔や葉を肌に生やした、植物と融合した人間とも言うべき異形の女性達。
 明らかに地球外の生き物であるその者達が、突然現れた少年を威圧するように、恐ろしく冷めた視線をジトリと送っている。
 異形の者達に取り囲まれ、手傷をも負わされて、訪れるであろう死におびえていた3人の少女達も、少年の登場に希望を見出し、すがるように見詰めていた。
 両者の視線を集めた少年は、助けを求める少女達を見て、落ち着かせるように淡く笑う。
「最初から助けるつもりだっての……助太刀すけだちするぞ!」
 日本の関西地方。【魔晶ましょう】によって作られた迷宮の1つ、【魔竜の樹海】。
 その緑の迷宮の一角、第1迷宮域で、少年は少女の魂の叫びに、確かに応じたのである。

 【魔晶】。そう呼ばれる結晶構造物が地球各地に突然出現したのは、21世紀が到来して、切り良く20年目に当たる年の、3月のことであった。
 異形の生物を次々と呼び出し、周囲の空間を未知の異空間と入れ換える力を持つ、【魔晶】。
 人類は、【魔晶】に召喚された生物のことを魔獣、【魔晶】が出現させた未知の異空間を迷宮と呼称し、自分達の知る世界を一新した両者を恐れた。
 迷宮を抜け出し、頻繁ひんぱんに都市を襲撃する魔獣達に対抗するため、力を求めた人類は、やがて魔法という、魔獣が武器とする力、人類の知る物理法則をくつがえす力を手にする。
 そして、地球各地へ多数の【魔晶】が出現してから、30年余りの歳月が経過した頃。
 魔獣と人類との闘争が日常化した世界の日本では、魔法を身に付け、国から迷宮へ出入りすることを許された、学科魔法士がっかまほうしと呼ばれる者達が活躍していた。

 迷宮にもぐったばかりの、駆け出しの学科魔法士が魔獣に食い殺される。
 それは、【魔晶】の出現から30年以上経過した今の世界においてよくあることだったが、迷宮で死にかけていた駆け出しの学科魔法士が、熟練の学科魔法士に救われるということもまた、同様によくある話であった。
「ふむ……近場にいるのはこいつらだけか」
 少年は、魔獣達の眼力にも全く気圧けおされず、戦場へサッと視線を走らせる。
 異形の女性達、魔獣達は、計10体いた。円を描くように、3人の少女を包囲している。
 周囲には他の魔獣達が身を隠せる場所も多いが、気配は眼前にある者達のみであった。
 周りを吹き抜けると、五感によって現状を把握した少年は、3人の少女を救うため、絡みつく魔獣達の殺気を無視して、スッと腰に差した日本刀の柄に手をかける。
 その瞬間であった。少年の戦意の高まりを察した魔獣達が、先んじて一斉に魔法を具現化したのである。
「っ! 無詠唱の精霊攻撃魔法ですっ! けてぇぇーっ!」
 先ほど叫んでいた軽傷の少女が、慌てて警告を発するも、時すでに遅し。
 臨戦態勢だった魔獣達の攻撃魔法が瞬時に展開され、魔獣達の頭上に回転する砂塵の塊、魔法弾が幾つも出現して、まるで槍のように空を駆け、少年をつらぬこうと迫った。
 しかし、日本刀の柄に手をかけ、腰を落とした構えを見せた瞬間、少年の姿が消える。
 一瞬空間が震え、少年と少女達との間にいた魔獣が、突然真っ二つに斬断された。
 気付けば、目標を失った魔法弾が地面を爆砕し、少女達のそばには、日本刀を抜いた少年が立っていた。
 移動と攻撃を同時に行った少年に、魔獣達は驚き、一斉に距離を取る。
 軽傷の少女が風に揺れる髪を押さえ、呆けたように言った。
「〔武士さむらい〕学科固有の……精霊付与魔法《陽聖ようせい居合いあい》。構えによって魔法の想像図イメージを想起し、詠唱を省略して発動する……短距離空間転移による最速の魔法攻撃の1つ。は、初めて見ました」
「ご明察。まあ俺の装備を見れば、〔武士〕の学科魔法士ってことは分かるだろ?」
 軽傷の少女が小さく首を振る姿を見てから、少年は動揺する魔獣達へ視線を移した。
「少しは驚いたか? 無詠唱の魔法くらい人間にも使える。……とはいえ、不意討ちはさすがにもう通用しねえだろう。真っ当に戦っても多勢に無勢で要救助者のお荷物付き。おまけに、《旋風せんぷうまとい》の魔法力場も消失と。俺としたことが、移動用と割り切って使ったとはいえ、効力持続時間を考慮すんの忘れてたわ。もう少しもって欲しかったが、仕方ねえ」
 苦笑する少年の、全身を包む薄緑色がかった力場、魔法力場が、次第に薄れて消え去る。
 完全に魔法力場を失った少年が、背後にいる少女達を気にしつつ問いかけた。
「ミサヤ、少し厳しい。今は残りの魔力にも余裕がねえし、すまんが後ろを任せていいか?」
 肩から少年の着る羽織に付属した頭巾フードへ、いつの間にか収まっていた子犬が、顔をひょいと出し、少女達にも聞こえるように、脳裏にひびく魔法の思念を返した。
『マヒコの頼みとあらば、幾らでも力を貸しましょう……そこの小娘、頭を借りますよ?』
「わ、私ですか? うぷっ!」
 突然子犬が思念を放ち、自分の頭に飛び乗って来て、面食らう軽傷の少女。
 少女はおかっぱ髪を揺らし、不安そうにオロオロと、少年と頭上の子犬とを見ていた。
「一応言っとくが、ミサヤは融和型魔獣だ。同じ魔獣でも、あの敵性型魔獣達とは違うぞ? ミサヤの傍にいて、あいつらの注意を引かねえように、その場を動かず、静かにしてろ」
 振り返らずに言う少年の指示に、少女はビクリと動きを止め、手で口を押さえて従った。
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