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第9話 リナージュは日本を不思議に思う

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(この世界ではあんなに美味しいお料理を頂いて、お金を払わなくていいんですか?)

《あー違うよ。予め払っておいただけ。普通は多分そっちと同じようにお金を払うよ》

(なるほど、そういうことですか。お金が紙でできているというのは興味深いです)

《ん? ああ、知識が流れ込んでいったんだっけ》

 お食事を終えた私はカオリの案内通りに建物の廊下を進んでいた。
 カバンの中にお財布が入っていて、そこに紙のお金が入っているという知識が頭の中に流れ込んできたのだ。
 どうやら知識は全てを取得したというよりは、知識を取得して知りたいと思ったことが分かるようになっている仕組みのよう。

《ふふ。エレベーター見てもびっくりするのかな?》

(エレベーターですか……? ええと、上下に移動する小さな部屋ですか……。一体それはどんなものなのでしょう)

《あ、あれだよ。四角いボタンに触れればいいから触ってみて》

 開けた場所にいくつかの扉が壁についている。
 椅子に座っている男性の口にくわえているものから煙が立ち昇っていて何やら臭いです。
 知識ではタバコというものらしいですが……臭いです。

(タバコってあんなに臭いのになぜ口にくわえているのですか? ご自分は臭くないのでしょうか……)

《あー、えーと……。吸うと良い気分になれるんだよ。私はお店のお客さんやコウジが吸ってて慣れてるから平気だけど。
 あっちの世界の空気を吸ってる人からしたらそりゃ臭いよね》

(良い気分ですか……? そう聞くと少しだけ興味があります)

《あーだめだめ、体に悪いしお金かかるから》

(身体に悪くてお金もかかるというのに吸うとはなんとも不思議なものなんですね)

《はは、そうだね。この世界はストレス溜まってる人が多いから……。っと、ほら、来たよ》

 カオリと話しているうちにエレベーターというものの扉が開く。
 小さな箱のような部屋。こんなに小さな部屋は今まで見たことがありません。

 それより誰も中に人がいないというのになぜ扉が勝手に開いたのでしょうか?

 そう考えると、これが自動ドアというものだと知識が教えてくれた。
 教えてくれただけで不可思議なものには変わりはないのですが。

《じゃ、1って書かれてるボタンを押して閉じるを押しちゃって》

 言われた通りにすると扉が勝手に閉まり体が浮遊感に包まれていった。

(下に降りて行っている……ということですか?)

《そうだよ。意外とびっくりしてないね……?》

(知識が流れ込んできましたから。といっても驚いてはいますよ。これがエレベーターですか……)

 キョロキョロと見回してみても特に何かあるわけではないのですが、興味深くてつい頭を動かしてしまう。
 多少の息苦しさは狭い部屋だからでしょうか。
 それでもなんだか楽しい気分になりますね。

 しばらくするとエレベーターが目的地へと着いたようで、自動でドアが開いていく。
 まず見えたのは男性の姿。清潔感のある格好をしていて、どうやらドアが閉まるのを防いでくれているようです。
 ボタンを押している間はドアが閉まらないようになるらしいのですが、非常に興味深いですね。
 勿論、淑女として心遣いに応えるため丁寧に腰を折ってからエレベーターに背中を向けた。

《うは! そんなことしなくていいんだよ。めちゃくちゃ驚いた顔してたよ!》

(そうなのですか? 当然の事かと思ってやったのですが……。それよりこの後はどうすればいいのでしょう?)

《別にやっちゃ駄目ってことはないけどさ。リナージュがこの世界に来たら、人間磁石のように男をひっつけてきそうだな……。
 ま、いいや。えっと、あの透明なドアから出て行けばいいよ》

 なんだか不名誉な言葉を言われた気がしますが……気にしないことにしますか、と思ってカオリが言ったであろう先に目を向けた。
 の瞬間に後ろから男性の声がかかる。

「もし。お嬢さんの素晴らしい様相に心を打たれてしまいました。私、こういうものです。もしよろしければ今度ご一緒にお食事でも如何ですか?」

 振り返った先に立っていたのは、先ほどエレベーターの扉が閉まらないようにしてくれていた男性。
 小さな紙切れ――どうやら名刺というものを私に差し出してきながら小さく頭を下げている。
 勿論男性からのお誘いを無下に断ることはしないのが淑女の務め。
 私はその名刺を受け取って男性に微笑みかけた。

「はい。ありがとうございます。いずれまたゆっくりとお時間を取らせていただければと思います」

《あーあーあー。駄目だよ、そんなの! そこは断んなきゃ!》

(え、そうなのですか? 男性の誘いは断らないのが常識なのでは……?)

《違うよ。この世界ではそうじゃないの。とりあえず忙しいから失礼しますとか言っておいて》

 技術や物が違う上に文化も違うということのよう。
 とりあえずカオリの言うとおりにすることにした。

「けれど、今は少し急いでいますので申し訳ないのですが……」

「はい。構いませんよ。ご連絡お待ちしておりますので……」

 柔和な笑顔を浮かべた私より一回り以上年齢の高い男性は、エレベーターの方へと戻っていった。
 私がいた世界の人とは顔立ちが違いますが、中々に好印象を持てる男らしい顔だった気がします。

《いや、しっかし私が知り合えるタイプの人って感じじゃなかったのに、リナージュのオーラと佇まいのおかげ……ってことなのかな》

(そうなのですか……? よく分かりません)

《うん、多分ね。名刺ちょっと見てみてよ》

 カオリの言うとおりに名刺を見るとこんなことが書かれていた。

『相沢産業代表取締役社長 相沢宗二朗 』

 他には電話番号や住所といった項目。
 知識によると全てがその人を表す肩書というかデータのようなもの。
 私にとってのセントフィールド公爵家といったようなものなのでしょうか。
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