その聖女、前世は魔女と呼ばれた殺し屋でした

蟹三昧

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第2章

第16話 その殺し屋、空回る

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「――来てしまった…ついにこの日が」

 そう呟くと、思わず深くため息を吐いていた。

 芳しい花々の香りと新緑の匂いが混じり合い、春とも初夏ともつかぬ穏やかな陽気が静かに揺れている。

 ここは、『王都中央植物公苑』。王家が直轄で管理しているこの庭苑は、格式高い場所ながらも一部が市民に開放されており、平日だというのに人影もちらほら見える。

 風は心地よく、色とりどりの植物が整然と咲き誇る苑内は、どこを切り取っても絵になる美しさだった。私が今立っている、中央広場の時計台前では、庭師たちがせわしそうに立ち働いている。

 周囲には、仮設のやぐらや飾り付けの道具が積まれており、予想するに近々何か催し物があるのかもしれない。

 そんな麗らかで賑やかな景色とは裏腹に、私の心情は、緊張による吐き気と眩暈と、〝彼〟に再び会える喜びと興奮で、もう何が何だかわからなくなっていた。

 何せ、待ち合わせ時間の二時間前に到着するくらいだ。空回るにも程がある。

 遡る事一週間前。カーネリアンの突然の訪問からの、彼――ルベルからの手紙。

 推しからの直筆のお手紙で「またお会いしたい」と言われて、平静でいられる方がどうかしている。

(ルベルからのデートのお誘い……いや、違っ、デートって言ったのはカーネリアンで…私はそんなやましい気持ちなんて微塵もないのよ。本当なんだから)

『――助けてくれてありがとう。昨日さくじつのお礼をしたいので、一週間後の午後二時に中央植物公苑の時計台前に来ていただけませんか?』

 ……実際の文面は、もっと丁寧で格式ばった表現だったけれど――要約すると、こういった内容だ。

 ルベルらしい、柔らかで誠実な言葉で綴られた手紙。それを読み返すたびに胸は高鳴り、甘酸っぱい気持ちになる。ほぼ毎日、隙あらば読み返していたせいか、結局この一週間ロクに寝られていない。

 そんなコンディションでも、肌艶がいいのは流石は十三歳。若さって偉大だ。

 それに今日の〝お着替え隊〟のメイド達も、どこか妙に張り切っていた気がする。

 お着替え隊長のローズは「これはもう、最っっっ高に可愛くしてさしあげませんと!」と高らかに宣言し、彼女の号令のもと支度が始まった。

  髪型は、左右にふわりと結い上げたハーフツインテール。

 身に纏ったサックスブルーの小花柄ワンピースは、丸襟のヨーク切り替えに、ダークブラウンの小さなリボンとくるみボタンが施されている。スカート丈は長くふんわりとしており、軽やかな風に合わせてひらりと揺れる。

 そして頭には、花を模したつるレースのヘッドドレス。装いに合わせ、足元もぬかりはなく、革製の低ヒールのストラップシューズに、白いクルー丈ソックスには、さりげなくリボンがあしらわれていた。

 〝お着替え隊〟の頑張りの甲斐あって、今日も今日とて可愛い私。

 気合い入りすぎじゃない? と心配になるが、個人的な非公式の場とは言え、王子様からのお呼ばれ。気合いは入れてなんぼだし、それに多分〝お着替え隊〟達も、その意図を汲み取ってくれたのだろう。

 しかし、いくら気がはやったとは言え、到着が早過ぎた。ルベルがやってくるまでの間どうやって暇を潰そうか。そう考えていた時だ。

「――お嬢様。待ち合わせのお時間まで余裕がございますし、お散歩でもなさいませんか。……その方が、気が紛れるかもしれませんよ?」

 同行してくれていたアメリアが、微笑みを浮かべてそう提案してくれた。今朝からの私の様子があまりにもおかしかったせいか、いつも以上に気遣ってくれている感じがする。

 彼女に迷惑を掛けてしまって、申し訳ない気持ちになる。

「そ、そうね!…うん、ちょっと歩いてみたいかも」

 私は小さく頷き、膨れ上がる胸の高鳴りを押し込めながら、アメリアと共に散歩へ繰り出すことにした。





「ではお嬢様、行きたい場所はございますか?」

 歩きながら、アメリアが優しく尋ねる。

 ここ『王都中央植物公苑』のことは、移動中の馬車の中で、彼女から説明を受けていた。

 この植物公苑は、大きく三つの区分に分かれている。

 王族や貴族が利用する〝特別区〟、錬金学会や薬学研究所の管理下にある〝研究区〟、そして一般市民に開放された〝開放区〟だ。

 ルベルとの待ち合わせ場所は、特別区に属する時計台広場。

 時間帯のせいか、周囲には品の良い散歩客がちらほらいる程度だったが、開放区側に近づくにつれ、徐々に人通りが増えてきた。

 遠くの方から、子どもの甲高いはしゃぎ声が届く。笑い声、駆ける足音、名前を呼び合う声――それらが少しずつ混ざり合い、空気の密度が変わっていくのを感じる。

 その空気の中にほんのわずかな、ざわつきのようなものが混じっている気がして、つい耳を澄ませてしまう。

 それに開放区には、ちょっとした出店や屋台が並んでいるらしく、甘い焼き菓子や香草茶の匂いが、ほのかに鼻をくすぐった。その活気に惹かれるように、足がそちらへ向いてしまう。

「じゃあ、開放区にある出店でみせが見てみたい!」

 前世の頃。殺し屋の仕事で海外を転々としていた私にとって、数少ない楽しみのひとつが、その土地の市場を見て回ることだった。

 行き交う人々の雑多な声、嗅ぎ慣れない料理の香り、その国ならではのローカルな空気。

 それらを感じている時間が、当時の私にとってはほんのわずかな安らぎだった。

 異世界の出店とは一体どんなものなんだろう。

 これまでこの世界の料理はそれなりに味わってきたが、それはすべて貴族向けの〝品の良い〟食事ばかり。

 もちろんどれも美味しかったけれど、正直に言えば、私はもっと庶民的な料理――たとえば、屋台のスープや串焼き、コットンキャンディやフルーツ飴のような、駄菓子めいたものがあるのなら、ぜひ食べてみたい。

 だが、私のそんなワクワクをよそに、アメリアの反応は渋いものだった。

「……出店、でございますか。本日は護衛の者がおりません。申し訳ありませんが、公爵家のご令嬢であるお嬢様を、治安の安定しない開放区へお連れすることはできませんわ」

 そう言って、首を横に振るアメリア。

「えぇ~~そんな……」

 意外な返しに落胆する私。思わず、情けない声が漏れる。

 ――でも、考えてみれば当然か。

 今の私は、公爵令嬢。しかも『輝石の聖女候補』と言う立場だ。身分を考えれば、護衛なしで庶民の集まる開放区へ行くなんて、無謀にもほどがある。

 彼女が止めるのも、当然の話だ。

「……でも、そうだよね。変な事言ってごめんね」

(でも、ちょっとだけ、……ほんのちょっとだけ、屋台を覗いてみたかったなあ)

 未練を残しながらも、残念がる私を気遣ったアメリアの提案で、開放区の近くにある鈴蘭すずらん畑を見に行く事になり、その方向へトボトボ歩を進める。その時だ。

「ほら、あそこ……ご覧になって」

 上品な、けれど浮き立つような声が耳に届く。

 別に私に向けられた言葉ではなかったけれど、なんとなく気になって視線を向けてしまった。

 そこには、私より年上と思しき数人のご令嬢たちが、頬を染めながら一点を見つめてざわめいていた。

「まぁ……素敵な方~……」

「騎士団長様のご子息でしょう?お噂はかねがね聞いていたけれど、なんてお麗しいのかしら……」

「ほら、あなたもお声をかけてみたら?今ならまだ間に合うかもしれませんわよ」

 全員語尾にハートマークが付いて居そうな位の心酔っぷりだ。そんな、令嬢たちの熱っぽい視線の先を辿るように、私もそちらを見やる。すると、そこには――。

 鳶色とびいろの癖のある髪に、陽光をたたえたような色鮮やかな緑の瞳。それは、まるで透明度の高い緑柱石りょくちゅうせき……上質なエメラルドのようだった。長身で均整の取れた体躯に、少年の面影を残す美しい青年の姿があった。

 纏う衣服は平服ではあるが、仕立ての良いウイングカラーのシャツで、その上品さが際立っている。

 歳は……私より少し年上で、十六、七歳くらいだろうか。

 彫りの深い顔立ちはまだ若々しさを残しているのに、どこか完成された印象を受けるのは、きっとあの穏やかな笑みと、どの角度から見ても整っている横顔のせいだろう。

 その青年は、数歩離れた場所で声を掛けてきた令嬢のひとりと、丁寧に言葉を交わしている最中のようだった。

 けれど、その様子を取り巻く雰囲気は、談笑というより謁見……いやアイドルとのお話会のそれに見える。

(……って、あの人、どこかで見たような?)

 胸の奥で、小さな引っかかりが生まれる。

「エメルド様ってお名前らしいわよ」

「まぁ……お名前まで素敵なんですのね」

 令嬢たちのそんな会話が、追い打ちのように耳に届いた。

 ――エメルド。

 その名前を聞いた瞬間、雷に打たれたかのような衝撃とともに、私の記憶の引き出しが音を立てて、一気に開いた。


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