その聖女、前世は魔女と呼ばれた殺し屋でした

蟹三昧

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第2章

第17話 その殺し屋、チェイスする

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「エメルド様ってお名前らしいわよ」

「まぁ……お名前まで素敵なんですのね」

 令嬢たちのそんな会話が耳に届いた瞬間、雷に打たれたかのような衝撃とともに、私の記憶の引き出しが一気に開いた。

(え!? エメルドって、あのエメルドお兄ちゃん!?)

 まさか、こんなところで出会えるだなんて…!

 彼の名前はエメルド・フォン・ベリロス。〈アルカナ∽クォーツ〉のメインキャラクターの一人で、主に〈白ルート〉で活躍する人物だ。

 ベリロスの姓の通り、彼は、先日私やルベルを保護してくれたクォーツラント王宮騎士団の団長――ヘリオドール・フォン・ベリロス卿の息子だ。

 ゲーム内でのエメルドは、ルベルの側近であり護衛騎士。ルベルより四歳年上で、親友として彼を支える相棒的な存在だった。

 見た目こそスマートで爽やかな好青年。少しだけ女性関係にだらしない面もあるが、根は誠実で忠義に厚い。〈カナ∽クォ〉本編でも、ルベルが窮地に陥る重要なイベントで、命を賭して彼を守り抜く姿が描かれていた。

 誰に対しても分け隔てなく接し、面倒見の良い兄貴キャラ。万人受けする〝正統派イケメン〟なルックスと、その性格からファンも多く、ファンの間では、〝老若男女問わず全人類を『妹』にする魔性の男〟とまで呼ばれていた程である。

 私の本命最推しはルベルではあるけど、こちとら〈カナ∽クォ〉ガチ勢。

 全キャラクターに思い入れはあるけれど、エメルドだけはちょっと特別。ルベルの次に好きなキャラクターで、彼のファンに倣って「エメルドお兄ちゃん」と呼んでいたほどには、愛着を抱いていた。

(ちなみに、〝ルベルの次に好きなキャラ〟は最低でも七人はいる。つまりメインキャラ全員と、主人公のラピスとサフィラ。それからユニットキャラ達に……要するにほぼ全員。何なら敵役ですら推せる)

 今、目の前に居るエメルドは、まだ少年の面影が残るが、作中でも色男キャラクターだっただけに、とてつもなく美形だ。あまりのイケメンオーラに目が眩む。周囲のご令嬢たちが熱を上げるのも納得だ。

 今まで出会ってきたルベルやカーネリアン――年若い王子たちとはまた違った、〝年上のお兄さん〟の魅力がある。

(とは言え、享年二十六歳の私からしたら全然子どもではあるんだけどね。ふふ、幼いエメルドお兄ちゃん可愛い~……)

 なんてことを考えながら、エメルドを見つめていると彼も私の視線に気付いたのか。

 一瞬お互い視線が合い、ドキりと胸が鳴る。

 まずい。流石に凝視していたとバレるのは恥ずかしい。そう思い、視線を逸らそうとしたその時、彼のエメラルドグリーンの瞳がふわりと細められ、ウィンクをされた。

「なっ、えっ」

 再度、胸の奥がドクンと跳ねて、思わず肩をすくめそうになる。その瞬間、

「きゃああああ!!!! 今ウィンクされましたわ!!」

「私にしたのよ!!」

「いいえ、わたくしよ!!」

 いいや、私にですけど!? 思わず、令嬢達に続いて声を上げそうになる。けれども、今はそれどころではない。エメルドお兄ちゃんの、不意打ちウィンクに私の心臓はまだ暴れている。

(あ、危ない……〝妹〟になる所だった)

 まだ熱い頬と、震える胸を抑える。このタイミングでエメルドを拝むことが出来た奇跡に感謝をしつつ、この場を離れようとしたその時だ。

「きゃあっ!  ちょっと、何をするの!?」

 突然、令嬢のひとりが悲鳴を上げた。

 その声に、周囲の空気がピンと張り詰める。令嬢の肩が誰かにぶつけられたように揺れ、そのすぐ脇を、ひとりの子どもが駆け抜けていく姿があった。

 痩せた体つきに、ぼろぼろの服。年の頃は……五つか六つ、といったところか。

(あれ、今……何かを盗った?)

「大丈夫ですか!? ……お怪我は?」

 エメルドが令嬢に駆け寄る。

「……えっ、ない! わたくしのブローチが……! スリよ!  誰か、あの子を止めて!」

 少しの沈黙のあと、声を震わせながら令嬢は叫んだ。

 遅れて周囲がざわつき始める。けれど、誰もすぐには動けなかった。子どもは身軽に人波をすり抜けながら、開放区の方へ向かって走っていく。

「……さかしい坊やだ。警備の手薄な時間帯を狙ったな」

 エメルドは小さくそう呟いた。すでに、その目は走る子どもの背中を鋭く捉えていた。

 それは私も同じで、その逃げ足の速さ……いや、それ以上に、あの動線の選び方に、覚えがある。

(この感じ……間違いない、次は右の路地――)

 ちらりと、ブローチを奪われたご令嬢に目をやる。

「お母様の形見だったのに……!  なんてことなの……っ!」

 そう言ってその場にうずくまり、泣き崩れる彼女の姿に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

「お嬢様、この場は危険です。離れましょう」

 アメリアが私の肩を抱き寄せようとするが、私はそれを首を振りながら拒否をする。そして、

「……アメリア、ごめん」

 そう言い、スカートの裾を軽くつまみ上げ、次の瞬間には駆け出していた。

「お嬢様!?」

 背後でアメリアの制止する声が上がるが、気にしている余裕はない。

 別にさっきの令嬢とは知り合いでもなんでもないけど、目の前で困っている人を見捨てる選択肢は、今の私にはなかった。

「右、だ!」

 それに逃げ道が見えているのに、見過ごすこともだ。

 脳裏に浮かぶのは、かつて幾度となく追い、この私から逃げた者たちの軌跡。この動線――あの角度の体重移動、視線の切り方、速度の緩急かんきゅう。すべてが逃げ慣れた者の動きだった。

 しかし、このロング丈のスカートで、あのすばしっこい子どもを追うには限界があるようで。

「走りづらい…!」

 舌打ち混じりに、そう思わず口にする。その時、背後から柔らかくも余裕がある声……エメルドの声がした。

「やあ、可愛らしいお嬢さん。お困りのようだけど、手を貸して差し上げましょうか?」

 振り返る間もなく、軽やかな足音が背後から迫ってきたかと思えば、隣に並ぶようにエメルドが現れる。息一つ乱さず走っているあたり、さすがは未来の騎士様だ。年若いとは言え、鍛えているだけのことはあるのだろう。

「え、手を貸すって…?」

 そう言いかけた瞬間、ふわっと突然地面が遠のいた。

「――えっ、わっ!?」

 身体がふわりと浮き、次の瞬間には、彼の両腕の中にすっぽりと収まっていた。ロングスカートが風にひるがえり、咄嗟とっさに両手で裾を押さえる。

「よいしょっと。……失礼、この方が早いと思いまして」

 突然のお姫様抱っこと、彼の顔面がぐっと近付いたことで、頭が真っ白になる。うわっ! 顔! 近! 良!

「あの坊やの逃げ道が見えてるんでしょう?……さあ、ご指示を。オレもお嬢さんと同じで、こう言うの見過ごせないタチなんでね」

 エメルドは悪戯っぽく片目を細めてそう言うが、すぐに真剣な面差しになる。

 そのまっすぐな視線に射抜かれ、私も自然と背筋を正す。

 興奮している場合じゃない。あの子を、なんとかしないと。

「……わかりました。お願い、します!」

「そう来なくっちゃ」

 口の端を吊り上げて笑う彼の顔は、どこか楽しげで、それでいて頼もしかった。

 私も、思わず安堵する。彼なら、きっと大丈夫だ。

 私は、エメルドの機動力の高さはトップクラスだったことを知っている。彼なら追いつける筈だ。

「では、このまま直進してください。……あと、質問なんですけど、この先ってスラム街とか、市場とかってあります?」

 幼い子どものスリ、この場合大体〝裏〟に誰かがいる。

 それに、先程エメルドが呟いた「警備の手薄な時間」と言う言葉。

 見たところ、あの子は時計が読めるかどうか怪しそうな子だった。前世で、世界を転々としていた頃、私は似たような子どもたちを幾度も見てきた自負がある。

 ……あのタイミングで特別区に入り込めたのは偶然ではない。恐らく〝仕込み〟がある筈だ。

 面倒なことになる前に、ここで押さえる必要がある。

「……そうだな。このまま真っ直ぐ行くと、市場があるはずだ」

 エメルドが答える声には、すでに警戒の色が含まれていた。

 彼の反応を見るに、私の推測は当たっているようだ。

「大したお嬢さんだな。じゃあ、オレはどうしたらいい?」

「逃げ道を塞いでください。たぶん、あの子は戻るつもりです。……市場にいる〝指示役〟のところへ」

 声が自然と引き締まる。エメルドもそれを感じ取ったのか、真剣な眼差しで頷いた。

「……承知した。だったら――この通路を抜けた先、右手に小道がある。そっちに回り込めば、あの坊やが戻るルートを先回りできるはずだ」

 そう言うなり、エメルドは私を抱えたまま方向を切り替える。ロングスカートがまたふわりと翻る。だが、風を切る速度は全く落ちず、その軽やかさに思わず息を呑んだ。

(この人、足も速いけど判断も速い。……流石エメルドお兄ちゃんだ)

「間に合わせるぞ、お嬢さん。キミの読み、信じてる」

 彼のエメラルドグリーンの瞳が、ちらりと私を見た。

 信頼の光がそこに宿っていて、なんだか少し、くすぐったい気持ちになる。

 曲がり角を曲がってすぐ、目の前の通りに飛び出したその瞬間だった。

「いた!!」

 開放区の端に差しかかったところで、見覚えのある小さな背中が目に入った。薄紫色のブローチを両手で大切そうに握りしめ、息を荒げながら、こちらに背を向けて走っている。

 エメルドの足がわずかに速まる。子どもが逃げ道として選びそうな脇道のひとつを横目に見つつ、彼は声を低くして言った。

「次、左の角に入るぞ。そこの先が、落としどころだ」


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