その聖女、前世は魔女と呼ばれた殺し屋でした

蟹三昧

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第3章 

第26話 その殺し屋、聞こえてしまった

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 お粥のやさしい香りが立ちのぼる。

 麦の粒感を舌で感じながら、ミルクのとろみに包まれた一口をゆっくり噛んで、飲み込む。

(……うん。やっぱり、お腹はちゃんと空いてた)

 前世のころから、どんなに気分が悪くても、食欲がなくなることはなかった。

(胃腸だけは妙に強いんだよね。腹が減っては戦はできぬ、と言うし)

 前世の記憶が蘇ったばかりの頃は、少し食べただけで、すぐ満腹になってしまい、とても驚いた。
 華奢な見た目の通り、サフィラは食も細かったのだろう。
 今や、すっかり〝この身体〟も、私の食欲に合わせてくれるようになっていた。

 いつだったかの夕食時、お母様が嬉しそうに「あら、成長期かしら?」と笑って喜んでいたっけ。

 微笑ましい記憶を胸に、私はもう一口、スプーンを口に運んだ。

 そのモリモリと食べ進める、私の様子を見たアメリアは、安堵したように目元を細める。

「まあ、お嬢様。相変わらずの食べっぷりですわね。……安心いたしましたわ」

「ね? 大丈夫って言ったでしょ。……にしても、このお粥美味しい。もしかしてこれ、ココナッツミルク?」

 口元をナプキンで拭い、尋ねると彼女は「はい」と頷く。

「……本当は、別のお料理が用意されていたのですが、お嬢様の体調が心配で、私が作らせていただきましたの。お気に召していただき、光栄ですわ。でも、これだけじゃ足りませんかしらね?」

 微笑みを浮かべながら、含みのある言い方をするアメリア。

 丁度そのタイミングで、すっかり活性化したお腹が、返事をするように――ぐぅ~~と音を立てる。

 思わぬハプニングに、赤面する私。
 その様子を見たアメリアは、くすくすと笑いながら、一礼し踵を返す。

「……あらあら。ではもう少し、お持ちいたしますわね」

 そう言って、スカートの裾をふわりと揺らしながら扉の方へ向かって行った。





 アメリアが立ち去った後、部屋は再び静寂せいじゃくに包まれた。
 窓から差し込む陽の光は穏やかで、時折聞こえる小鳥の囀りが、私の心を落ち着かせてくれる。

 カップに口をつけ、ハーブティーをひと口啜る。草花の香りが喉を通り、じんわりと胸に沁みていく。

 可愛い服を着て、美味しいご飯を食べながら、ハーブティーを嗜む。そして、胸元に揺れるのは〝憧れの人〟からの贈り物。

 銃声も、血飛沫ちしぶきも、叫び声もない。かつて殺し屋だった私からしたら、まるで天国のような世界だ。

(普通の女の子の生活。……いや、それよりもずっと贅沢な暮らしをしているよね)

 ――けれど、こんなの束の間の夢に過ぎない。遅かれ早かれ、私は〝虚闇の獣〟の生け贄となり、あと数年足らずで、再び命を落としてしまう。

 別に、死ぬこと自体は怖くない。……前世の頃から、死は身近なものだったから。
 私が誰かの命を容易く奪うように、私もいつか容易く命を奪われるのだと、覚悟をしていた。

 天国も地獄も元より信じていなかったし、転生だなんて持っての他。けれど、私はその〝転生〟を果たしてしまった。
 しかも、生前大好きだったゲーム〈アルカナ∽クォーツ〉の世界に、だ。

 サフィラとして生活してきたこの一ヶ月。本当に、色々な事があった。

 転生して間もなく、強制的にお茶会へと連れ出され、ルベルのトラウマイベントを回避。カーネリアンから〝神聖のゆらぎ〟をそれとなく示唆しさされ、アメリアから以前のサフィラの様子や、輝石クォーツや魔力について教えてもらった。

 エメルドお兄ちゃんと追いかけたスリ事件。そして、何よりルベルとの公苑での逢瀬おうせ
 ……お母様のウサギ林檎も、メイドたちの賑やかな声も、みんな――もう、〝私自身〟の思い出だ。

 私はふと、胸元で光る〈サートゥルヌス〉のペンダントに視線を落とす。黄昏たそがれの色を湛えた輝きが淡く揺れているのを見つめながら、私は小さく息を吸い込んだ。

「……本当に、このままでいいのかな」

 せっかく転生したのに、〝物語〟を――いや、〝決められた運命〟をただ受け入れて生きていくだけだなんて。

 実際、私はルベルの運命を変え、彼を救うことができた。
 この世界は、確かにゲームの世界ではあるけれど、必ずしも全てが〝シナリオ通り〟に進むとは限らないのかもしれない。

 この世界は、私が思っていたより、ずっと〝生きている〟。
 ルベルの誓いを聞いたあの日、私の胸に灯った小さな希望。もしかしたら、運命は変えられるのかも知れない。

 私はそっと目を閉じる。
 瞼の裏に浮かぶのは、先ほど思い出していた、サフィラが生贄に捧げられるシーンだ。

 ――ザザッ…ザザッ

 頭の奥で、あの耳障りなノイズが弾ける。刺すような痛みがこめかみを貫き、視界の端がかすかに黒く染まる。

(また、これだ……)

 まるで〝誰か〟が、記憶の奥から手を伸ばしてくるみたいだった。
 触れようとすると、逃げていく。思い出そうとすると、痛みだけが残る。

 ノイズの奥で、長い鴇羽色ときはいろの髪と白いベールが揺れている。花の髪飾り。純白のドレス。その姿が、霞のようにぼやけて見えた。

 生贄に捧げられる――〝もう一人の私サフィラ〟。

 ――ザッ……ジジジジジジッ
 
 音が変わった。次の瞬間、モノクロと光のフラッシュが交互に押し寄せる。頭が割れそうだ。

 痛みを堪えるように唇を噛むと、視界の奥で、〝彼女〟がこちらを視つめている。微かに動く唇。でも、声は聞こえない。ただ、確かにその形だけが――。

 『 もう、………たく、ない 』

 次の瞬間、頭の奥が真っ白に弾けた。心臓が跳ね、ヴィジョンが途切れる――同時に、ガシャンッ! 何かが落ちた破裂音が響いた。

 瞼を開けると、足元には陶器の破片が散らばっていた。

 淡い色の液体が、じわりじわりと絨毯じゅうたんに滲み広がっていく。落ちたのは、私が先程まで手にしていた、ハーブティが入ったカップのようだ。

 何が起きたのか、理解が追いつかない。頭の奥で鈍い痛みが脈打ち、世界がゆっくりと遠のいていく。

(なにこれ……〝私〟、知らない……こんなシーン、ゲームにはなかっ……)

何かが流れ込んでくる――熱く、切なく、そしてあまりにも悲痛な、願いが。

「――アッ、はぁッ……ッ、も、もう、しにたく、ない?」

 息が絶え絶えの中、声にならない声が、胸の奥から溢れ出す。
 これは〝私〟じゃない〝誰か〟の気持ちだ。でも、確かに〝私〟の中に在る。

「――お嬢様ッ!? 大丈夫でございますか!? お嬢様!! ……!!」

 この声は……アメリア? 彼女の叫びが、遠くで反響している。

 視界の端が白く滲み、世界が溶けていった。
 誰かの足音、駆け寄る気配、焦った声。……それらが、だんだん遠ざかっていく。

 暗闇が広がり、静かに、音を失っていった。ああ――これは、落ちていく感覚だ。

 私は、闇に沈むようにして、意識を手放す。その瞬間、ふっと、遠くではすの花のような香りが鼻腔を掠めたような気がした。





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