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第3章
第27話 その殺し屋、父の帰還①
しおりを挟む灰色に染まった世界。遠くから、ノイズ混じりの、不揃いな鐘の音が響く。
古い建物に、色のないステンドグラス。そして、中央には、女神の石像。ここは――教会?
気がつくと、私の膝の上には小さな仔ウサギが一羽居て、ヒクヒクとその小さな鼻を震わせている。
『あら、この仔……あなたに懐いたみたいね』
ザザッ……とノイズと共に、現れたのは、低くてよく通る、優しい声だった。
見上げると、そこには銀白の髪の女性がひとり立っている。
(誰……?)
顔を見ようとしたが、どうしても、見えない。
見ようとするたび、鉛筆で殴り描いたような乱雑な線が、その輪郭をかき消してしまう。
そして、その隣には――小さな子どもの姿があった。
女性同様、顔はぐちゃぐちゃな線で消されているのに、どうしてか、私には笑っているように見えた。
『この仔をぼくだとおもって、なかよくしてね』
そう言って、ウサギを抱き上げ、手渡す彼の瞳は――
(あか……?)
そう自覚した途端、ノイズが走り、視界が歪んで、暗転する。
そして、次に飛び込んで来たのは、赤く染まる手のひらだった。
『お父様、やめて! おやめください!!!』
耳を裂くような声。
誰の声なのかは、わからない。……幼い少女が泣き叫んでいる。
ふと視線を逸らすと、さっきまで膝の上にいた筈の仔ウサギが、地面にグッタリと倒れていた。
その身には、ナイフが突き立てられ――白い毛並みが、赤く濡れ、大地を汚している。
『嫌……、いや……ッ! ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……!』
少女の慟哭が、ぐわんと頭の中に反響する。
そして、手のひらに滴っていた紅い雫が、波に変わり、一気に私の中へ押し寄せてきた。
少女の声に呼応するように、大きくなり、やがて、黒く、染まる。
――悲しみ、怒り、辛い、苦しい、無理、無駄。
黒く染まった感情の波が、すべてを呑み込み、私を沈めていった。
◇
「――なに、これ……」
瞼を開けると、見慣れた天蓋が視界に映った。淡いレースの隙間から光が差し込み、ぼんやりと白く滲んでいる。
私は、びっしょり濡れた頬を拭いながら、ぼんやりと部屋を見渡す。さっきのは――夢? それにしては、妙にリアルな感触だった。
何かを見ていたはずなのに、まるで水に溶ける砂のように、記憶が隙間からすり抜けていく。
どんな内容だったかは、もう思い出せない。でも、確かなことがある。とても、不快で、辛くて、胸が痛かった。
今でも胸の奥が、締め付けられるように苦しい。
心の一部が、まだ夢の中に取り残されているような、そんな居心地の悪さを感じる。
ゆっくりと上体を起こそうとしたら――ぐらり、と視界が揺れた。
私、いつの間に寝ていたんだろう。さっきまで、朝食を食べていた筈なのに。
そこまで思い出すと、頭の奥がズキリと軋むように痛んだ。
(外が明るい……今、何時……?)
時計が見たいと思い、ぼんやり辺りを見渡す。まだ、意識が朦朧としているのか、イマイチ焦点が定まらない。
すると、部屋の隅にあるバスケットの中に入ったウサギのぬいぐるみと目が合った。
白くて、ふわふわの毛並み。首には可愛らしいリボンが巻かれており、ガラス玉で出来た瞳が、光を受けて赤くキラリと輝いている。
(……あれ?)
見覚えのある瞳に、心の奥で何かが引っかかる。
何かに似ている――そんな気がした。だけど、それが何なのかはまだ、思い出せなかった。
「あっ、そういえばこれって…あの時の!」
確か、私が前世の記憶を思い出した時に、思わずベッドの下に潜り込んで、それを見たアメリアを誤魔化す為に使ったウサギのぬいぐるみだ。
「あの日アメリアが片付けてくれてから、ずっとこの中にしまわれたままだったのね」
私はベッドから降り、おぼつかない足取りで、ぬいぐるみのそばへと歩み寄る。そして、そっと手を伸ばし、その小さな身体を抱き上げた。
私の両腕に、すっぽり収まるサイズで、思っていたよりもしっかりとしている。まるで本物の仔ウサギだ。ふわふわの毛並みが手に馴染み、心地よい。
「わあ……ふわふわだ。……前から思ってたけど、サフィラってこういう可愛いもの、好きだったのかな?」
ゲームでの彼女は、見た目こそ可憐な令嬢だったけれど、どんな時でも無表情で無関心。そして意外とサバサバとしていて、こういうファンシーなものに囲まれているイメージなんて、正直なかった。
でも、この部屋の内装や飾ってある小物、私服の感じからもしかしてと思ってはいたけど、子どもの頃の彼女は、こういうものが好きだったのかもしれない。
(ふふ……可愛いところあったんだなあ)
そう思うと、つい笑みがこぼれる。
そして、ぬいぐるみの赤い瞳を覗き込んだ瞬間、ある事に気が付いた。
「………え、ちょっと待って、これ……ルベルに似てない?」
白いふわふわの毛並み、赤い瞳、儚くも可愛らしい、何とも言えない尊みを感じる雰囲気……いや、これはもう完全にルベルだ。そう自覚したら、そうとしか見えない。なんという偶然なんだろう。
(――はっ! 今まで感じていた既視感ってコレ!?)
……まあ、単純に私が、白×赤の配色を見ると、条件反射でそう結び付けてしまう癖があるだけなんだけど。
配色一つで、推しを連想してしまうだなんて。パブロフの犬ならぬ、パブロフのルベルだ。
ちょっと違う気もするけど、細かいことは気にしないでおこう。
「へへへ……ダメだ、そう思ったら余計に可愛く見えてきた。あ、そうだ、名前! ルベルに因んで……ルーちゃんなんてどうかな」
名付けた瞬間、胸の奥で何かが、ふわりと芽吹いた気がした。
享年二十六歳の元・殺し屋女が、ぬいぐるみに名前を付けるだなんて、痛々しいことこの上ないけど、今の私は十三歳の令嬢だもの。多分、きっと、許される。
「うん。ルーちゃん、よろしくね。って、前からこの部屋に居たんだから、今更かも知れないけど」
私は、そのままルーちゃんを抱き抱えながら、壁時計を見上げる。針は、午後三時を少し過ぎたところを指していた。
昼寝にしては寝過ごしたな、と思ったのと同時に、胸の奥で、かすかな違和感が広がる。
「あれ……? 私、この格好……ナイトウェアだ」
私の記憶では、〝さわやかで可憐な朝露の精〟……もとい、ミントグリーンのケープワンピースを纏っていた筈だ。
それに、どことなく身体が嫌に軽い。力が抜けきったような、頼りない軽さ――まるで長い間熱に浮かされて、眠り続けていた後のような感覚だった。
「……一体、どういうことなの?」
そう小さく呟いた瞬間、嫌な予感が背筋を這い上がる。
そういえば、前世の記憶を取り戻す前にも、高熱で何日かうなされていたとアメリアが言っていた。もしかして、今回もまた同じようなことが――?
その時、コン、コン、と控えめなノック音が部屋に響いた。張りつめていた空気が、わずかに揺らぐ。
「……お嬢様、アメリアでございます。お加減はいかがですか?」
聞き慣れた穏やかな声に、緊張していた肩の力がふっと抜ける。扉越しでも、彼女の声にはいつもと変わらない柔らかさがあった。
静かに取っ手が回り、扉が開く。光が差し込み、アメリアの姿が現れた。
相変わらずの完璧な立ち姿。紫を帯びた漆黒の髪が、光を受けて優雅に揺れている。その微笑みの奥には、どこか安堵の影が見えた。
「あぁ……お嬢様! ようやく目を覚まされましたのね」
「え、ようやくって……どう言う事なの?」
私の問いに、アメリアは静かに微笑む。
ほんのわずかに唇を開いて――衝撃的な真実を告げた。
「実は……お嬢様は、この二日間ずっとお眠りになっていたのですよ」
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