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第1章
第6話 その殺し屋、見失う
しおりを挟むサフィラ・フォン・パパラチア。
私はとんでもない人物に転生してしまったようだ。
ぐにゃりと揺れる視界と震える胸を抑え、何とか平然を保ちたい。けど、無理かもしれない。
でも、一旦落ち着こう。私は魔女。私は魔女。プロの殺し屋だった魔女。深呼吸だ。
――サフィラは、〈カナ∽クォ〉の物語において、『原初の魔女見習い』である主人公ラピスと対になる、もうひとりの選ばれし者だ。
ざっくり言うとライバルキャラクター……いや、サブヒロインであり、作中では『輝石の聖女』として知られていた。
優雅で、静謐。圧倒的な魔力を持ち、その強さと美しさから、登場するたびに物語の空気が変わる。謂わば、キーキャラクター的存在。
……けれど、ひとつだけ気になって仕方ないことがある。それは、私自身の容姿だ。
作中のサフィラは、〝パパラチア〟――すなわち蓮の花の色をそのまま纏ったような少女だった。
柔和な鴇羽色の髪に、濃いピンクの瞳。気品と幻想、そしてどこか儚さを感じさせる、存在感のある美しさの持ち主。
今の私は、濃紺のふわふわとしたロングウェーブに、青い瞳。
その色合いは、夜空か深海のように、静寂を湛えている。どこか陰を引いたその色彩は、私の知る彼女とは、まるで違っていた。
(どうして、姿が違うの……?)
とは言え、サフィラ・フォン・パパラチア公爵令嬢とまで言われたのだ。私が〝あの〟サフィラであることは、ほぼ間違いないのだろう。
〈アルカナ∽クォーツ〉におけるサフィラは、少々特殊な立ち位置にあるキャラクターだ。
彼女は、パパラチア公爵という人物の娘で、ルベルを始めとした王子達の幼馴染でもある。
ゲーム内のサフィラは、常に物憂げ。無感動で無表情。そして時々毒舌を吐くという、冷たい人形のような少女。
だが、そんな内面とは裏腹に、鴇羽色のふわふわロングヘアーに白いドレス。そして小柄で愛らしいルックスもあってファンも多い。
〈カナ∽クォ〉は作品キャッチコピーが『輝石が紡ぐ王国ではじまる、見習い魔女の選択と冒険』というだけに、象徴的なゲームシステムがある。それが、物語のルート分岐だ。
一定の時点で、プレイヤーがどちらと共に進むか――すなわち、「誰の手を取るか」を選ぶことで、物語はふたつに分かれる。
ファンの間では、それぞれ〈白ルート〉と〈黒ルート〉の名で呼ばれており、この分岐がまさに〝究極の二択〟。
主人公が手を取った側が、ヒーローとして物語の中心に立ち、逆に選ばれなかった側は敵となり、主人公の前に立ちはだかる。
その結果、選ばなかった側にいる推しキャラと、命のやり取りを余儀なくされることもあるのだ。
――だが、サフィラは違う。
彼女は、どのルートでも必ず敵として登場する、謂わば〝絶対味方にならない〟キャラクターだった。
主人公が〈白ルート〉を選べば黒側の陣営として登場し、逆に〈黒ルート〉を選べば白側の陣営として登場する。
最終的に彼女は、その膨大な魔力を実の父親であるパパラチア公爵に利用され、使い捨てられてしまうのだ。
いやいや。物語を動かす大事な人物な上に、この気合いの入ったキャデラザ。それに、己の運命を悟ったような意味深発言。
なんやかんや救済ルートがある筈でしょ? そう思うプレイヤーは決して少なくはなかった。
それこそ、私を〈カナ∽クォ〉に沼らせた友人…と呼んでいいのかな。
中学生時代の同級生だった「委員長」もその一人。
彼女はサフィラ仲間ルートを探すべく、本編を各ルート三十周はプレイしたと豪語していた程だ。
サフィラのことを考えていたら、ふと彼女の顔を思い出してしまった。
そして、私=サフィラだとすると、これまで引っかかっていた疑問の理由が明確になる。
まず、今朝のメイド達の反応。
私がお礼を言った後にした、あの目を丸くして驚いたような態度。
元々のサフィラは、常に感情の起伏が乏しく、誰に対しても塩対応で冷淡。滅多に感謝の言葉なんて口にしなかった。
それはきっと幼少期の頃からも同じで、だから、今朝の私が少し照れながら、「ありがとう」なんて言ったものだから、〝異変〟だと思われたのであろう。
そして、何よりもあの手紙だ。
私に、王子を地下倉庫に誘導しろと言ってきた、父からの手紙。
サフィラの父ことパパラチア公爵。ゲーム内での彼は、主人公達と対立する存在であり、物語の黒幕のひとりとも言える存在だ。
だとしたら、彼がルベルに危害を加えようとしていてもおかしくはない。
つまり、あの手紙の指示は、ルベルを殺すための罠の可能性が高い。
(……ルベルを、地下倉庫に? あっ)
その瞬間、頭の中で何かがカチリと繋がった。
ゲーム内にあった、とある過去エピソードが断片的に蘇る。
ルベル・フォン・カルブンクルス。彼は正義感が強く、真面目で、礼儀正しいまさに正統派王子様のキャラクターだ。
だが、それはあくまで表面的なもの。彼自身が、〝王族〟としての矜持と、努力の末に得た虚構でもある。
ルベルの生い立ちは複雑で、決して輝かしいものではない。
彼の母親は平民の出身で、かつて大劇場で人気を博した絶世の歌姫だった。
父親である国王は身分の差を越え彼女を愛し、彼女との間に生まれたルベルを、それはもう深く愛していた。
他の王子たちと同等――いや、それ以上の愛情を注いで。
その事実は、古き血統を重んじる王宮の者たちにとって、耐えがたい異物であった。
貴族たちは裏でルベルのことを嘲り、虐げ、中には明確な敵意を向ける者もいた。
『穢れた血を持つ王子に、王の資格があるはずがない。王子と呼ぶことすら憚れる存在』だ、と。
その生い立ちゆえに、ルベルは幼い頃から蔑まされ、場合によっては命を狙われることも珍しくなかった。
そんな彼が、人間不信に陥った決定的な出来事を、私は知っている。
幼少期のルベルはある日、仲良しだった女の子に「話がある」と呼び出され、地下倉庫へ向かった。
だがそれは罠で、彼はそのまま幽閉され、命を落としかけたのだ。
(待って。それって、もしかして…)
【地下倉庫】 【王子】 【誘導】 ……そして、罠。
全てのキーワードが、ひとつに重なり合う。
(サフィラが、その〝女の子〟だったんじゃ……!?)
その答えに辿り着いた瞬間、心臓がひときわ強く脈を打った。嫌な汗が背中を伝い、寒気が走る。
〈カナ∽クォ〉でサフィラとルベルは、プレイヤーが〈黒ルート〉を選んだ際に、敵対勢力として現れる。
特別印象的な絡みはなかったけど、言われてみればルベルがサフィラを気遣う様なセリフや、サフィラもサフィラでルベルへの当たりがそこまで強くなかった気がする。
いやでも、公式から明確に出ている情報じゃないし! ただの考えすぎ考察かもしれない。
しかし胸の奥では、確信めいた予感がじわりと広がっていく。
〈カナ∽クォ〉ファンとしては、新事実発覚の嬉しさ半分。ルベル推しとしては、正直かなり複雑な気持ちもある。……けれど、本当だとしたら。これは、かなり重大な事実だ。
もし本当にその〝女の子〟がサフィラだとしたら、彼の心を閉ざす原因が〝サフィラ〟つまり、〝私〟と言うことになってしまう。
「そんなの……絶対に嫌」
ぽつりと漏れた声は、思ったよりも震えていた。
「……あの、サフィラ様?」
不意にかけられた声に、私はハッとして顔を上げた。
目の前には、さっきまで一緒にいた令嬢の一人。困惑したような表情で、私を覗き込んでいる。
「いかがなさいましたの?体調でも悪いのですか?」
いけない。思わず考え込んでしまったようだ。
「い、いえ…大丈夫です。その、心配してくれてありがとう」
私は慌てて笑ってみせるけれど、令嬢の表情はまだどこか不安げだった。
誤魔化すように辺りを見回して、ふと、違和感に気づく。
(あれ……?)
さっきまで居たはずのルベルの姿が、どこにも見当たらない。
「……ルベル様は?」
「え? ああ、少し前に、どなたかと一緒に王宮の方へ向かわれましたわ。何かあったのかしら?」
瞬間、全身が冷たいもので包まれる。
(まさか……そんな)
さっきまでの不安が、現実になってゆくような感覚。私は衝動的にドレスの裾を持ち上げ、王宮の方へ駆け出した。
その時だ。
「……おいッ!!」
と、誰かに呼び止められたような気がした。でも、そんなの気にしていられない。
私は、ただルベルのもとへと走った。
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