7 / 34
第七夜 休息
しおりを挟む
テーブルに並べられた甘味の数々を、蓮司は呆れた表情で眺めていた。
苺パフェにパンケーキ、プリンにブラウニー、甘ったるいデザートの群れに何故か紛れる一皿のカプレーゼ。その見てるだけでむせ返りそうな甘味を食すのは、しい女の子たちではなく、呪術師の少年、六倉綾人だった。綾人はスプーンでプリンを掬って食べると、次はパフェ、その次はパンケーキ、さらにその次はカプレーゼのトマトと、目の前の品々を食べていく。
蓮司はカルボナーラをフォークで巻き取りながら、ぼやくように尋ねた。
「お前さ、普段なに食って生きてんの。いつもこんな感じ?」
「さすがにそれはないって。今日は爺ちゃんの眼がないからね。自分の好きなものを頼んだん
だ。いつもはタンパク質は豆腐や卵、食物繊維やビタミンは適当な果物から取ってる。ぼく、肉と魚と野菜が駄目なんだよねー。あ、でもトマトとお米は食べれるよ」
「ほぼ主要な食材抜けんてじゃねえか。なにそれ。アレルギー?」
「ううん。単なる偏食」
この孫の面倒をひとりで見ているというお爺さんに同情する。
さぞ気苦労が多いだろうと思いながら、蓮司は巻き取ったカルボナーラを口に入れた。
西新宿周辺の調査を終えた蓮司たちは、腹ごしらえのため付近のファミレスを訪れていた。
誘は一条との用事があるらしく、途中で別れたためこの場にはいない。男だけのむさい食事になると思ったが、注文した品はその真逆を行くとは予想だにしなかった。
夕どきを越えたとはいえ、まだファミレスにはそれなりの人がいる。家族連れに、勉学に励む学生、友人で集まる者たち。だがさすがにこれだけの甘味をただ一人の少年が食べているのはこのテーブルくらいだろう。
ホールを歩いていたウェイトレスのひとりが、軽快な足音を目の前で止めた。
「うっわー。注文受けた時も驚いたけど、実際に目にすると強烈ね。ねぇ蓮司、あんたの友達、ほんとにこれ全部ひとりで食べるの」
大橋緑。現在大学三年生で、セミロングの黒髪をお下げのようにして左肩に流した女性だ。
彼女はかつて蓮司が喫茶店でアルバイトをしていた時の先輩だ。このファミレスを選んだのも、以前彼女から貰った大量のクーポン券で、安上がりに夕食が食べれると考えたためである。
「お構いなくー。ちゃんと全部食べますとも。もし食べ切れなくても蓮司君が食べてくれるし」
「お、その手があったわねー。きみぃ、蓮司の扱いわかってるじゃなーい」
「いやいや何で俺がそんなことしなきゃならないんすか」
「だって人の面倒見るのってあんたの得意技でしょ。ほら、前の飲み会でも、あたしが泥酔したとき介抱してくれたじゃない。助かったわぁ」
「っざけんな! あんな介抱もうご免だっつーの! あの時先輩ほんと酷かったんすからね! x下ネタ乱発に逆セクハラ、絡みはウザいわ、ゲロまで吐くわ。皆さんどん引きしてましたよ」
本当に思い出すのもれる悲惨な酔い方だった。時間が進むごとに店員の眼も険しくなり、健全な高校生男児の夢をぶち壊すには、充分以上の破壊力があったといえよう。
「あ、あらやだ。あたし、そんなことまでしてたの。どうりで翌日、皆そっけなかったわけね」
「あれ、蓮司くんって高校生だよね。なのに飲み会?」
「こいつには呑ませてないわよ。その辺りはきちっとしてますって」
「一度先輩のバンドのライブに付き合ったら、そのまま他の集まりにも誘われるようになったんだよ。もうバンドは解散したから、単なる飲み会に変わったけどな。いやほんと、酒も呑まないのになんで俺そんなとこ行ってるんだろうね」
「だってあんた便利なんだもん。ひとりだけ酔わないでいてくれるから、皆安心して酔えるし」
「ざけんな。しまいにゃ襲いますよ」
「やれるもんならやってみな。あ、そうだ。あんた今度池袋の音楽フェス行く? 横浜でのフェスは来れなかったけど、今回はどう」
「行けると思います。いまはバイトもないから、代理で働かされることもないっすからね」
「仕事もしてない幽霊部員君の特権というわけだ。来るなら精々楽しみなよ。奢ってやるからさ。じゃ、わたし仕事あるからもう行くね」
あまり話しすぎたせいか、緑がテーブルから離れると、通りすがりの他の店員が彼女を注意した。その折檻に緑は苦笑いをしながらも、申し訳なさそうに頭を下げた。
綾人はパフェに乗っていた苺を食べると、緑の感想を言った。
「やー中々パワフルそうな人だね。けど蓮司君、文句は言いつつ楽しそうだったね」
「なんだかんだ世話になってるし、実際楽しいからな、あの人」
蓮司が大橋緑と出会ったのは、去年の秋のことだ。剣道部に行かなくなり、何か別のことをしたくなった蓮司は喫茶店でアルバイトをすることにした。そのとき自分に仕事を教えてくれたのが、同じくバイトとして働いていた緑だった。
緑は都内の大学へ通学しており、千駄ヶ谷周辺で一人暮らしをしている。毎夜友人と呑むせいで親からの仕送りもすぐに尽きるという理由でバイトをする生粋の飲んだくれだった。
彼女と交友関係を結ぶようになったのは、当時、兄が洋楽に嵌っていた影響で、隣の部屋にいた蓮司も洋楽を度々耳にすることになったことに起因する。緑は好きな曲を鼻歌で歌うことがある。その曲のレパートリーのなかに、たまたま蓮司が耳にした曲があったのだ。
それがきっかけで仕事以外のことも話すようになり、以来、ライブや飲み会、街遊びに誘われるようになった。蓮司がバイトを止め、緑がバイトを変えた今も、その関係は続いている。
その辺りの過去を話したあと、蓮司たちは、料理を注文する前にしていた話に戻った。
「それで蓮司君、君には本当にお兄さんの死相が視えたの? ぼくには視えなかったんだけど」
「だからさっきも言っただろ。腹部の所にはっきり視えたって。ここへ来る時に、同じ死相持ちを視たのに、まだ疑うのかよ」
西新宿からこのファミレスへ来る途中、蓮司は死相を持つひとりの女性を目にした。
二十代前半の栗色の髪をした女性で、腹部に胴体を輪切りにしたかのような死相を持っていた。たまに、死相持ちにはあの手の現実離れした死相を持つものがいる。
綾人たち呪術師は、蓮司のような眼がなくとも死相持ちを見分ける能力があるらしく、蓮司が彼女を見つけたのとほぼ同じタイミングで、彼も死相持ちに気づいていた。
綾人はカプレーゼの最後のトマトを食べると、続きを言った。
「君が死相持ちを見分けられることは、もう疑ってないよ。けどお兄さんに関しては別だ。ぼ
くは本当に、あのお兄さんには何も感じられなかったんだ。そうなると、君が本当に未来も視えるのか、それともすでにお兄さん自身が何かされてる場合のことも考えないといけなくなる」
「何かって……なんだよ」
綾人は真剣な面持ちで黙り込んだ。一日中一緒にいたが、初めて見る顔だった。
「まだわからない。けど、こうなると君の眼がどの程度の力があるかも確かめておかないとね。そこをはっきりさせておかないと、この先の調査がつまづいちゃうよ」
啓に死相が視えるか視えないかは、綾人にとって余程重要な問題らしい。問題の中心に肉親がいるということもあり、蓮司の不安はより強くなった。
大量の甘味類を食べ切ると、綾人はレシートを指に挟んで立ち上がった。
「少なくとも、君の回りでおかしなことが起きてるのは確かだ。家に纏わり付く微弱な霊気に、死相を宿すお兄さん。家族だけでなく、ご近所の人たちまで君とは食い違う記憶を持っているときてる。最初は君の方がおかしいのかもと思ったけど、今日一日過ごして、どうもそれが違うこともわかった。一条さんにも報告して、これは本気で調べないとだね」
そう思ってもらっただけでも、ある意味では収穫かもしれない。
灯籠堂に依頼をするまでに、色々なヒトにこの問題を話した。けれど、誰も本気で相手をしてくれることはなかった。自分が知らない他人の過去が初めて視えるようになった時もそうだ。皆、子供がふざけて言っているだけだと相手にしてくれなかった。周囲ではなく、自分の方がおかしいのだと気づき、やがては視たものを話すこともなくなった。決して助けることが出来なかったから、死相を持ったヒトたちの命も諦めるようになった。
だが今回ばかりは、諦めるわけには行かない。家族の命がかかっているのだから。
レジへ行くと、緑が会計の際、奢ると言って支払いを済ませてくれた。クーポンで金額が減るとはいえ、奢られてばかりでは申し訳ない。なにか返せるものでもあればと考えていると、彼女は介抱のお礼、と口にした。どうやら緑からしてみれば、前払いは済ませていたらしい。
礼を言い、レジから離れようとすると、緑は思い出したように言った。
「そうだ。明々後日、皆で上野で遊ぼうと思ってるんだけどさ、あんたも来る?」
奢ってもらって早々悪いが、蓮司は断らなければならなかった。今は遊ぶわけにはいかない。
「あーすみません。やめときます。ちょっとやらなくちゃいけないことがあるんで」
「いま蓮司君、家出中だから忙しいんだ。ぼくはその手伝いってわけ」
「へぇ家出かぁ。青春っぽいことしてんじゃない。けど、家族も心配するだろうから程々にね」
蓮司は頷き、綾人を連れてファミリーレストランを出た。
新宿の夜は明るい。陽が落ちてもギラギラと街は輝き、人々は店から店へと行き来する。飲食店からは下品なほど大きな音で宣伝のBGMが流され、路上ではキャッチセールスが行き交う通
行人に呼び込みをかけている。
その街のなかで、綾人は満足そうに「満腹満腹ー」とお腹をさすった。
「やー緑さん、良いひとだね。お酒も好きみたいだし、誘ちゃんとも相性良さそう」
「酒って、あいつ学生だよな。バレなきゃ問題ないだろうけど、気をつけさせろよ」
「そこは問題ないよ。誘ちゃん、セーラー服着てるけど、学生じゃないし、見た目通りの年齢でもないからね」
予想外の事実に蓮司は驚いた。学生ではないどころか、あの見た目で酒を呑んでも良い歳だということにさらに驚く。精々自分と同じか、ひとつ上くらいにしか思わなかった。
「じゃあなんであいつ制服着てんの。趣味? コスプレ?」
「んー誘ちゃんが来たの、ぼくが灯籠堂で働く前だから良くは知らないんだ。なんでも最初は着飾ることをしない誘ちゃんに呆れて、和泉ちゃんが色々着せたとか」
「……なんでそれでセーラー服になるんだよ」
「和泉ちゃんがべた褒めしたらしくて、本人も気に入っちゃったんだよ。これがわたしの制服ですって。以来、プライベートでは色々着るけど、灯籠堂で働く時は黒のセーラー服を着るようになったんだ。学割も利くし、不便もあるけど便利の方が多いって言ってたよ」
「学割って、またセコい真似を。そりゃ見た目だけなら通るんだろうけど、確認しろよ、店員」
そういえば、誘の着ていた制服は見たことがあるような気がする。確か、何処かの女子校の制服だった筈だ。恐らく裏で買ったんだろうが、その制服を持っていた和泉というヒトは何者なのだろう。話に聞く限り、女性ではあるのだろうが。
そんなことを考えながら歩いていると、周囲の景色が、前触れもなく色あせた。
街を歩く人影が次々に消え、色鮮やかな街の灯りがモノクロ映画のように色を失っていく。
「どうなってんだこれ。怪異って奴か」
「違う。空間封鎖なんて高度な結界、自然発生の怪異には出来ない。出来たとしても、ぼくたちだけを選別するなんて……」
綾人が言い切るよりも先に、さらなる異変が起きた。
路上のマンホールが溢れた水に押し出されるようにして動いたかと思うと、その隙間から挽肉で固めたような鼠が大量に溢れてきた。すべて、昨日の鼠と同じ姿をしていた。
鼠たちはビルの壁を走ったかと思うと、寄り集まり、巨大な腕を形作って頭上から蓮司たちを襲ってきた。綾人は蓮司の前に出ると、地面に片腕をつき、腕の文様から墨の盾を造り出した。巨腕は盾にぶつかると簡単に崩れ、ぼろぼろと蓮司たちの周囲へと落ちた。その鼠たちが四方から迫り来る。だが綾人は盾から大蛇へと墨の形を変え、鼠たちに対抗する。大蛇は瞬く間に鼠たちを飲み込み、逃げ道を作り出した。
「蓮司君、こっち!」
鼠たちとは逆方向に走り出す。一瞬優勢だった墨の蛇も無数の鼠には敵わず、全身をカリカリと噛み削られていく。逃げ切れなければ、自分たちもああなるのだと思うとぞっとする。
「くそっ。時間があれば、もっと精巧な絵を作ってあいつらなんて蹴散らしてやれたのに!」
「んなこと悔しがってる場合か! もっと速度あげろ! 追いつかれるぞ!」
大蛇を食い切った鼠が、津波のように路上を埋め尽くしながら追ってくる。結界で覆われた街中は、何処へ逃げれば良いのかわからない。それでも逃げなければと思い、道を曲がる。
その路上を半ばまで走り、蓮司は呆然とした。全速力で動かしていた足もつられて止まる。
右も、左も、ビルの壁の一面には、数え切れないほどの鼠が張り付いていた。
赤い眼を光らせ、きぃきぃと嘲笑うように鳴いている。
前も後ろも、右も左も鼠だらけ。逃げ場などなかった。
足を止めた蓮司たちに、鼠の大群が襲い掛かる。
蓮司が諦めかけたその時、綾人が再び腕を地面につけた。だが今度描いたのは盾でも蛇でもない。周囲へと走るように引いた境界線だった。綾人を中心に半径数メートルの範囲を、三重の円が覆う。円と円の間に、幾つもの文字が書かれた境界線に触れた瞬間、鼠たちは弾かれるように吹き飛んだ。
「これでしばらくは保つと思う。けど、さすがにこの数を倒し切るのは難しいかも」
「……どうすんだよ」
「助けを呼ぶ。一条さんたちが来るまで生き残らないとね」
境界線の内側、円と円の隙間に犬や蛇といった獣の絵が描かれていく。それらは平面から三次元の形を得て、蓮司たちを守るように鼠たちと対峙した。
「けどま、ただ守るだけなんてぼくらしくないからね、全部倒すつもりで足掻かせてもらうよ!」
墨の獣たちが鼠の群れへと走る。
獣たちは、鼠に食われながらも、主人の敵対者を蹴散らし始めた。
苺パフェにパンケーキ、プリンにブラウニー、甘ったるいデザートの群れに何故か紛れる一皿のカプレーゼ。その見てるだけでむせ返りそうな甘味を食すのは、しい女の子たちではなく、呪術師の少年、六倉綾人だった。綾人はスプーンでプリンを掬って食べると、次はパフェ、その次はパンケーキ、さらにその次はカプレーゼのトマトと、目の前の品々を食べていく。
蓮司はカルボナーラをフォークで巻き取りながら、ぼやくように尋ねた。
「お前さ、普段なに食って生きてんの。いつもこんな感じ?」
「さすがにそれはないって。今日は爺ちゃんの眼がないからね。自分の好きなものを頼んだん
だ。いつもはタンパク質は豆腐や卵、食物繊維やビタミンは適当な果物から取ってる。ぼく、肉と魚と野菜が駄目なんだよねー。あ、でもトマトとお米は食べれるよ」
「ほぼ主要な食材抜けんてじゃねえか。なにそれ。アレルギー?」
「ううん。単なる偏食」
この孫の面倒をひとりで見ているというお爺さんに同情する。
さぞ気苦労が多いだろうと思いながら、蓮司は巻き取ったカルボナーラを口に入れた。
西新宿周辺の調査を終えた蓮司たちは、腹ごしらえのため付近のファミレスを訪れていた。
誘は一条との用事があるらしく、途中で別れたためこの場にはいない。男だけのむさい食事になると思ったが、注文した品はその真逆を行くとは予想だにしなかった。
夕どきを越えたとはいえ、まだファミレスにはそれなりの人がいる。家族連れに、勉学に励む学生、友人で集まる者たち。だがさすがにこれだけの甘味をただ一人の少年が食べているのはこのテーブルくらいだろう。
ホールを歩いていたウェイトレスのひとりが、軽快な足音を目の前で止めた。
「うっわー。注文受けた時も驚いたけど、実際に目にすると強烈ね。ねぇ蓮司、あんたの友達、ほんとにこれ全部ひとりで食べるの」
大橋緑。現在大学三年生で、セミロングの黒髪をお下げのようにして左肩に流した女性だ。
彼女はかつて蓮司が喫茶店でアルバイトをしていた時の先輩だ。このファミレスを選んだのも、以前彼女から貰った大量のクーポン券で、安上がりに夕食が食べれると考えたためである。
「お構いなくー。ちゃんと全部食べますとも。もし食べ切れなくても蓮司君が食べてくれるし」
「お、その手があったわねー。きみぃ、蓮司の扱いわかってるじゃなーい」
「いやいや何で俺がそんなことしなきゃならないんすか」
「だって人の面倒見るのってあんたの得意技でしょ。ほら、前の飲み会でも、あたしが泥酔したとき介抱してくれたじゃない。助かったわぁ」
「っざけんな! あんな介抱もうご免だっつーの! あの時先輩ほんと酷かったんすからね! x下ネタ乱発に逆セクハラ、絡みはウザいわ、ゲロまで吐くわ。皆さんどん引きしてましたよ」
本当に思い出すのもれる悲惨な酔い方だった。時間が進むごとに店員の眼も険しくなり、健全な高校生男児の夢をぶち壊すには、充分以上の破壊力があったといえよう。
「あ、あらやだ。あたし、そんなことまでしてたの。どうりで翌日、皆そっけなかったわけね」
「あれ、蓮司くんって高校生だよね。なのに飲み会?」
「こいつには呑ませてないわよ。その辺りはきちっとしてますって」
「一度先輩のバンドのライブに付き合ったら、そのまま他の集まりにも誘われるようになったんだよ。もうバンドは解散したから、単なる飲み会に変わったけどな。いやほんと、酒も呑まないのになんで俺そんなとこ行ってるんだろうね」
「だってあんた便利なんだもん。ひとりだけ酔わないでいてくれるから、皆安心して酔えるし」
「ざけんな。しまいにゃ襲いますよ」
「やれるもんならやってみな。あ、そうだ。あんた今度池袋の音楽フェス行く? 横浜でのフェスは来れなかったけど、今回はどう」
「行けると思います。いまはバイトもないから、代理で働かされることもないっすからね」
「仕事もしてない幽霊部員君の特権というわけだ。来るなら精々楽しみなよ。奢ってやるからさ。じゃ、わたし仕事あるからもう行くね」
あまり話しすぎたせいか、緑がテーブルから離れると、通りすがりの他の店員が彼女を注意した。その折檻に緑は苦笑いをしながらも、申し訳なさそうに頭を下げた。
綾人はパフェに乗っていた苺を食べると、緑の感想を言った。
「やー中々パワフルそうな人だね。けど蓮司君、文句は言いつつ楽しそうだったね」
「なんだかんだ世話になってるし、実際楽しいからな、あの人」
蓮司が大橋緑と出会ったのは、去年の秋のことだ。剣道部に行かなくなり、何か別のことをしたくなった蓮司は喫茶店でアルバイトをすることにした。そのとき自分に仕事を教えてくれたのが、同じくバイトとして働いていた緑だった。
緑は都内の大学へ通学しており、千駄ヶ谷周辺で一人暮らしをしている。毎夜友人と呑むせいで親からの仕送りもすぐに尽きるという理由でバイトをする生粋の飲んだくれだった。
彼女と交友関係を結ぶようになったのは、当時、兄が洋楽に嵌っていた影響で、隣の部屋にいた蓮司も洋楽を度々耳にすることになったことに起因する。緑は好きな曲を鼻歌で歌うことがある。その曲のレパートリーのなかに、たまたま蓮司が耳にした曲があったのだ。
それがきっかけで仕事以外のことも話すようになり、以来、ライブや飲み会、街遊びに誘われるようになった。蓮司がバイトを止め、緑がバイトを変えた今も、その関係は続いている。
その辺りの過去を話したあと、蓮司たちは、料理を注文する前にしていた話に戻った。
「それで蓮司君、君には本当にお兄さんの死相が視えたの? ぼくには視えなかったんだけど」
「だからさっきも言っただろ。腹部の所にはっきり視えたって。ここへ来る時に、同じ死相持ちを視たのに、まだ疑うのかよ」
西新宿からこのファミレスへ来る途中、蓮司は死相を持つひとりの女性を目にした。
二十代前半の栗色の髪をした女性で、腹部に胴体を輪切りにしたかのような死相を持っていた。たまに、死相持ちにはあの手の現実離れした死相を持つものがいる。
綾人たち呪術師は、蓮司のような眼がなくとも死相持ちを見分ける能力があるらしく、蓮司が彼女を見つけたのとほぼ同じタイミングで、彼も死相持ちに気づいていた。
綾人はカプレーゼの最後のトマトを食べると、続きを言った。
「君が死相持ちを見分けられることは、もう疑ってないよ。けどお兄さんに関しては別だ。ぼ
くは本当に、あのお兄さんには何も感じられなかったんだ。そうなると、君が本当に未来も視えるのか、それともすでにお兄さん自身が何かされてる場合のことも考えないといけなくなる」
「何かって……なんだよ」
綾人は真剣な面持ちで黙り込んだ。一日中一緒にいたが、初めて見る顔だった。
「まだわからない。けど、こうなると君の眼がどの程度の力があるかも確かめておかないとね。そこをはっきりさせておかないと、この先の調査がつまづいちゃうよ」
啓に死相が視えるか視えないかは、綾人にとって余程重要な問題らしい。問題の中心に肉親がいるということもあり、蓮司の不安はより強くなった。
大量の甘味類を食べ切ると、綾人はレシートを指に挟んで立ち上がった。
「少なくとも、君の回りでおかしなことが起きてるのは確かだ。家に纏わり付く微弱な霊気に、死相を宿すお兄さん。家族だけでなく、ご近所の人たちまで君とは食い違う記憶を持っているときてる。最初は君の方がおかしいのかもと思ったけど、今日一日過ごして、どうもそれが違うこともわかった。一条さんにも報告して、これは本気で調べないとだね」
そう思ってもらっただけでも、ある意味では収穫かもしれない。
灯籠堂に依頼をするまでに、色々なヒトにこの問題を話した。けれど、誰も本気で相手をしてくれることはなかった。自分が知らない他人の過去が初めて視えるようになった時もそうだ。皆、子供がふざけて言っているだけだと相手にしてくれなかった。周囲ではなく、自分の方がおかしいのだと気づき、やがては視たものを話すこともなくなった。決して助けることが出来なかったから、死相を持ったヒトたちの命も諦めるようになった。
だが今回ばかりは、諦めるわけには行かない。家族の命がかかっているのだから。
レジへ行くと、緑が会計の際、奢ると言って支払いを済ませてくれた。クーポンで金額が減るとはいえ、奢られてばかりでは申し訳ない。なにか返せるものでもあればと考えていると、彼女は介抱のお礼、と口にした。どうやら緑からしてみれば、前払いは済ませていたらしい。
礼を言い、レジから離れようとすると、緑は思い出したように言った。
「そうだ。明々後日、皆で上野で遊ぼうと思ってるんだけどさ、あんたも来る?」
奢ってもらって早々悪いが、蓮司は断らなければならなかった。今は遊ぶわけにはいかない。
「あーすみません。やめときます。ちょっとやらなくちゃいけないことがあるんで」
「いま蓮司君、家出中だから忙しいんだ。ぼくはその手伝いってわけ」
「へぇ家出かぁ。青春っぽいことしてんじゃない。けど、家族も心配するだろうから程々にね」
蓮司は頷き、綾人を連れてファミリーレストランを出た。
新宿の夜は明るい。陽が落ちてもギラギラと街は輝き、人々は店から店へと行き来する。飲食店からは下品なほど大きな音で宣伝のBGMが流され、路上ではキャッチセールスが行き交う通
行人に呼び込みをかけている。
その街のなかで、綾人は満足そうに「満腹満腹ー」とお腹をさすった。
「やー緑さん、良いひとだね。お酒も好きみたいだし、誘ちゃんとも相性良さそう」
「酒って、あいつ学生だよな。バレなきゃ問題ないだろうけど、気をつけさせろよ」
「そこは問題ないよ。誘ちゃん、セーラー服着てるけど、学生じゃないし、見た目通りの年齢でもないからね」
予想外の事実に蓮司は驚いた。学生ではないどころか、あの見た目で酒を呑んでも良い歳だということにさらに驚く。精々自分と同じか、ひとつ上くらいにしか思わなかった。
「じゃあなんであいつ制服着てんの。趣味? コスプレ?」
「んー誘ちゃんが来たの、ぼくが灯籠堂で働く前だから良くは知らないんだ。なんでも最初は着飾ることをしない誘ちゃんに呆れて、和泉ちゃんが色々着せたとか」
「……なんでそれでセーラー服になるんだよ」
「和泉ちゃんがべた褒めしたらしくて、本人も気に入っちゃったんだよ。これがわたしの制服ですって。以来、プライベートでは色々着るけど、灯籠堂で働く時は黒のセーラー服を着るようになったんだ。学割も利くし、不便もあるけど便利の方が多いって言ってたよ」
「学割って、またセコい真似を。そりゃ見た目だけなら通るんだろうけど、確認しろよ、店員」
そういえば、誘の着ていた制服は見たことがあるような気がする。確か、何処かの女子校の制服だった筈だ。恐らく裏で買ったんだろうが、その制服を持っていた和泉というヒトは何者なのだろう。話に聞く限り、女性ではあるのだろうが。
そんなことを考えながら歩いていると、周囲の景色が、前触れもなく色あせた。
街を歩く人影が次々に消え、色鮮やかな街の灯りがモノクロ映画のように色を失っていく。
「どうなってんだこれ。怪異って奴か」
「違う。空間封鎖なんて高度な結界、自然発生の怪異には出来ない。出来たとしても、ぼくたちだけを選別するなんて……」
綾人が言い切るよりも先に、さらなる異変が起きた。
路上のマンホールが溢れた水に押し出されるようにして動いたかと思うと、その隙間から挽肉で固めたような鼠が大量に溢れてきた。すべて、昨日の鼠と同じ姿をしていた。
鼠たちはビルの壁を走ったかと思うと、寄り集まり、巨大な腕を形作って頭上から蓮司たちを襲ってきた。綾人は蓮司の前に出ると、地面に片腕をつき、腕の文様から墨の盾を造り出した。巨腕は盾にぶつかると簡単に崩れ、ぼろぼろと蓮司たちの周囲へと落ちた。その鼠たちが四方から迫り来る。だが綾人は盾から大蛇へと墨の形を変え、鼠たちに対抗する。大蛇は瞬く間に鼠たちを飲み込み、逃げ道を作り出した。
「蓮司君、こっち!」
鼠たちとは逆方向に走り出す。一瞬優勢だった墨の蛇も無数の鼠には敵わず、全身をカリカリと噛み削られていく。逃げ切れなければ、自分たちもああなるのだと思うとぞっとする。
「くそっ。時間があれば、もっと精巧な絵を作ってあいつらなんて蹴散らしてやれたのに!」
「んなこと悔しがってる場合か! もっと速度あげろ! 追いつかれるぞ!」
大蛇を食い切った鼠が、津波のように路上を埋め尽くしながら追ってくる。結界で覆われた街中は、何処へ逃げれば良いのかわからない。それでも逃げなければと思い、道を曲がる。
その路上を半ばまで走り、蓮司は呆然とした。全速力で動かしていた足もつられて止まる。
右も、左も、ビルの壁の一面には、数え切れないほどの鼠が張り付いていた。
赤い眼を光らせ、きぃきぃと嘲笑うように鳴いている。
前も後ろも、右も左も鼠だらけ。逃げ場などなかった。
足を止めた蓮司たちに、鼠の大群が襲い掛かる。
蓮司が諦めかけたその時、綾人が再び腕を地面につけた。だが今度描いたのは盾でも蛇でもない。周囲へと走るように引いた境界線だった。綾人を中心に半径数メートルの範囲を、三重の円が覆う。円と円の間に、幾つもの文字が書かれた境界線に触れた瞬間、鼠たちは弾かれるように吹き飛んだ。
「これでしばらくは保つと思う。けど、さすがにこの数を倒し切るのは難しいかも」
「……どうすんだよ」
「助けを呼ぶ。一条さんたちが来るまで生き残らないとね」
境界線の内側、円と円の隙間に犬や蛇といった獣の絵が描かれていく。それらは平面から三次元の形を得て、蓮司たちを守るように鼠たちと対峙した。
「けどま、ただ守るだけなんてぼくらしくないからね、全部倒すつもりで足掻かせてもらうよ!」
墨の獣たちが鼠の群れへと走る。
獣たちは、鼠に食われながらも、主人の敵対者を蹴散らし始めた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜
KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。
~あらすじ~
世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。
そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。
しかし、その恩恵は平等ではなかった。
富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。
そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。
彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。
あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。
妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。
希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。
英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。
これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。
彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。
テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。
SF味が増してくるのは結構先の予定です。
スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。
良かったら読んでください!
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
盾の間違った使い方
KeyBow
ファンタジー
その日は快晴で、DIY日和だった。
まさかあんな形で日常が終わるだなんて、誰に想像できただろうか。
マンションの屋上から落ちてきた女子高生と、運が悪く――いや、悪すぎることに激突して、俺は死んだはずだった。
しかし、当たった次の瞬間。
気がつけば、今にも動き出しそうなドラゴンの骨の前にいた。
周囲は白骨死体だらけ。
慌てて武器になりそうなものを探すが、剣はすべて折れ曲がり、鎧は胸に大穴が空いたりひしゃげたりしている。
仏様から脱がすのは、物理的にも気持ち的にも無理だった。
ここは――
多分、ボス部屋。
しかもこの部屋には入り口しかなく、本来ドラゴンを倒すために進んできた道を、逆進行するしかなかった。
与えられた能力は、現代日本の商品を異世界に取り寄せる
【異世界ショッピング】。
一見チートだが、完成された日用品も、人が口にできる食べ物も飲料水もない。買えるのは素材と道具、作業関連品、農作業関連の品や種、苗等だ。
魔物を倒して魔石をポイントに換えなければ、
水一滴すら買えない。
ダンジョン最奥スタートの、ハード・・・どころか鬼モードだった。
そんな中、盾だけが違った。
傷はあっても、バンドの残った盾はいくつも使えた。
両手に円盾、背中に大盾、そして両肩に装着したL字型とスパイク付きのそれは、俺をリアルザクに仕立てた。
盾で殴り
盾で守り
腹が減れば・・・盾で焼く。
フライパン代わりにし、竈の一部にし、用途は盛大に間違っているが、生きるためには、それが正解だった。
ボス部屋手前のセーフエリアを拠点に、俺はひとりダンジョンを生き延びていく。
――そんなある日。
聞こえるはずのない女性の悲鳴が、ボス部屋から響いた。
盾のまちがった使い方から始まる異世界サバイバル、ここに開幕。
【AIの使用について】
本作は執筆補助ツールとして生成AIを使用しています。
主な用途は「誤字脱字のチェック」「表現の推敲」「壁打ち(アイデア出しの補助)」です。
ストーリー構成および本文の執筆は作者自身が行っております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる