幽々として誘う

舞台譲

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第三十二夜 終局

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 洞全体を揺るがすほどの風が止んだとき、枯れた菖蒲の花の上に誘と秋水は倒れていた。

 戦闘の痕跡に呆れながら、一条は彼らのもとへと歩いた。

 洞の端で結界を張って身を守っていたが、戦闘の余波は凄まじく、所々に傷が増えていた。

 うつ伏せに倒れ、意識を失っているだけの誘を見て、彼女が無事であるとわかり安堵する。          

 すぐに安全な所に連れ出したいが、それより先にもうひとりの状態を確認する方が先だった。

 息も絶え絶えの状態ではあったが、秋水はまだ生きていた。

 左胸を中心にして肩に至るまで、巨大な風穴を体に穿たれているにも関わらず、彼は未だ生命活動を続けている。とはいえ、生きているだけだ。先程の戦闘で魂魄を酷く損傷したらしく、もはや曼荼羅や如意宝珠との繋がりも揺らいでいる。まだ生きているのは、屍鬼化した肉体そのものが頑丈だからだろう。それも、あと数分足らずで尽きるだろう。過剰な力を行使し、その支えもなくなったせいで、すでに秋水の肉体は端から崩れ始めていた。

「よぉ、お疲れさん。残念だったな。念願叶わなくて」

 視線だけを一条に向けると、秋水は呆れたようにため息を吐いた。

「酷い奴だ。普通、その念願を潰した奴が言うことか?」

「なんせそれが仕事だからな」

 一条は煙草に火をつけ、煙を一息吸ったあと再び口を開いた。

「馬鹿な奴だよ、お前は。蓮司も過去に囚われていたが、お前のはもっと酷い。自分の過去でもないものに、なんでそこまで執着する。程々を知れよ。一族の歴史とはいえ、お前が視てきたのは他人の記憶だ。そんなもの歴史を学ぶ程度のものに抑えとけば良かっただろうに」

 君にはわからないよ、と秋水は言い、その視線を何もない虚空に移した。

「僕たちの意識は、積み重ねてきた記憶で形作られている。けど僕の頭の片隅には、自分以外の誰かの記憶が常にあった。それを子供の頃からずぅっと見続けてきたんだ。そうするとね、次第に自分のことがわからなくなる。他人の記憶の筈なのに自分の記憶のように感じ、いま此所にいる自分が不確かに感じる」

 哀れな男だった。この男はある意味、死相持ちたちと同じだ。彼らが生前の自身の行動を再現するように、秋水自身も歴代当主たちの意志をなぞって生きてきたのだ。

「そんな眼をするなよ、一条。少なくとも、僕には選択は出来たんだ。その選択をした結果がこれだ。失敗こそしたが、なんの後悔もない。君たちに謝罪する気もこれっぽっちもないよ。僕は雀の涙ほども、自分が間違ったなんて思っていないんだから」

 秋水の体はすでに七割りが崩れていた。それでも彼は愉快そうに笑みを浮かべた。

「あぁ本当に、馬鹿なことをしたよ君たちは。あともう少しで、この世のなかの苦悩をひとつ消し去ってやれたのに。けど良いさ。それが君たちの選択だ。その間違った選択で君たちが苦しむのを、僕は向こうで笑って見てやるよ」

 彼は肉体が崩壊しながらも、最後まで笑みを浮かべていた。

 自分の行いに、なんら恥じることはないと証明するように。

 あとに残されたのは、秋水が着ていた着流しと菖蒲の花を描いた羽織りだけだった。

 彼の体だったものは、灰となって崩れ、さらさらと風に吹かれて消えてしまった。

 煙草の煙を吐いたあと、一条はもういなくなってしまった知人に向けて呟いた。

「負けず嫌いめ。けど、そんなんだから、こんな所まで来ちまったんだろうな」

 一条は踵を返し、まだ意識のない誘のもとへと歩き出した。

 草木は見る影もなく枯れ、元凶の少女は先程までの戦いとは真逆の穏やかな表情で眠っている。頬をつついても目覚める気配はない。一条は彼女を背負い、出口へと向かうことにした。

 思えば、彼女との付き合いも長くなった。最初は調査のために紫堂家の里に行った筈が、そこの土地神が分霊とはいえ、仕事に付き添うことになるとは思わなかった。

 初めて出会った時の誘は、人形じみていて人間らしさなど欠片もなかった。それが人間的な日常に触れ、徐々に感情を育み、豊かな表情をするようになった。

 もしかしたら、あの家の神様は自分の仕事に退屈していたのかもしれない。長い間、ずっと同じ場所に引き蘢っていたのだ。少しは羽を伸ばしたくなったのだろう。

 だがそれも終わる。彼女が外の世界に出ていた理由も、こうして消えてしまった。

 ここを出て、諸々の仕事を終わらせれば、彼女ともお別れだ。

 そのことに一抹の寂しさを感じながら、一条は歩を進めた。
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