幽々として誘う

舞台譲

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第三十三夜 誘

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 二週間後、灯籠堂の事務所で、祭塚一条は大量の書類に悩まされていた。

 机の上には、所狭しと神祇省から送られた書類が重ねられ、一枚一枚眼を通してから、適当な記述を加えていく。すでに三時間程もその作業を続けてきたが、さすがに集中力が途切れ、一条は椅子の背もたれに寄りかかった。

「あーもう多すぎだ。どんだけ書類書かせば気が済むんだよ、あいつらは」

 あの異界を出たあと、一条たちはすぐに外法対策局に捕まった。事情聴取こそ受けられたが、秋水がいなくなっても改変された曼荼羅が機能し続けており、事情を話すことも出来ず、しばらくは呪術師専用の独房で無為な時間を過ごすことになった。

 それがだいたい三日。その後は主人がいなくなった曼荼羅が機能を停止し、一条たちは事情を話せるようになったのだが、その内容に対策局の連中は眼を丸くした。

 なにせ今の呪術社会のシステムが、知らぬ間に機能を書き換えられていたのだ。誰だって驚く。彼らの慌てふためく様子はそれなりに愉快ではあったが、そのあとの展開は思い出したくもないほど忙しかった。事件の調査のために根掘り葉掘り話を引き出され、関わりのあった方々の場所へと連れ回される。ようやく事務所に帰れたかと思えば、次は大量の始末書作りに事件の概要をまとめた資料作り。

 いい加減羽を伸ばしたい所だが、この仕事量ではしばらくは無理そうだ。

 ローテーブルで資料を作る和泉も、残業続きの生活に辟易したのかソファに倒れ込んだ。

「はぁ。休暇が欲しい。あとデートとかしたーい。今は男の子よりも女の子がいいわ。可愛い女の子といちゃいちゃして癒されたいぃー」

「現実逃避はいいから早く手を動かせ。まだ仕事山積みなんだから。それに、神祇省の職員と比べたらずっとマシだろ。いやホント、止めといて良かったぜ」

「そこ喜ぶとこなの? 確かに今あそこで働くなんて絶対にご免なのはわかるけど」

 事件発覚後、神祇省全体が類を見ないほどに慌ただしく動くことになった。

 五法曼荼羅に関わる局が多いというのもあるが、秋水が蟲を寄生させた呪術師が予想以上に多かったというのもある。本来、怪異や呪術を取り締まるべき外法対策局にすら蟲を寄生させられていた人物がいたのだ。今後の神祇省の信用にも、この件は影響を与えただろう。

 特に過去に秋水が所属していた霊地計画局の状況は酷いものだ。曼荼羅が改変されたことに気づかず、更に巣身蟲を寄生させられていたせいで知らぬ間とはいえ、犯罪を手伝わされたのだ。五法曼荼羅の再調整を行う前に、上役の何人かの首が切られるかもしれない。

 ポテトチップスを齧る音を響かせたあと、綾人がふぅんとあまり感心のなさそうな声を出した。彼は和泉の向かいのソファに座り、呪術書を読んでいた。

「みんな大変だねぇ。誘ちゃんも実家帰っちゃったし、しばらくは大忙しだね」

「綾人、そこで煎餅食ってるだけなら家帰れ。お前まだ謹慎続いてんだろ。退屈だからって事務所来てんじゃねえよ」

「だって家にいたら爺ちゃんに小言を言われ続けるんだよ。逃げたくもなるでしょ」

 まだ学生だということもあり、綾人は事件発覚後、簡単な事情聴取を受けたあと祖父の待つ家に帰ることとなった。事件解決に尽力したとはいえ、さすがにお咎めなしということにはならず、祖父や大教院で世話になっている講師にこっぴどく叱られたらしい。とはいえ叱られた程度で綾人がめげるわけもなく、こうして隙を見ては事務所に顔
を出していた。

「せっかく出てきたなら外で友達と遊べば……あ、ごめん。綾人くん友達いなかった」

「……和泉ちゃん、さすがに今のは酷いんじゃないかな。ぼくにだって友達くらいいるよ。ほら、蓮司君とか、誘ちゃんとか」

「そういや蓮司の奴はどうしてるんだ。ここ最近余裕なかったから、局の連中が成瀬家を中心に記憶操作してるって
くらいしか聞いてないんだが」 

 元々、生まれていない筈の赤児が成瀬家に居座っていたせいで、西新宿の住宅街を中心に、かなりの記憶の書き換えが行われている。

 書き換えられた記憶の範囲が広く、その内容が細かいこともあって、今度ばかりは心王曼荼羅に頼れず、呪術師たちが直接事件の隠蔽を行ったそうだ。記憶の齟齬が出ないよう、一夜で書き換えを終わらせたというから驚きだ。相当多くの人材を使ったのだろう。

 一般人たちの記憶が次々に書き換えられるなか、唯一、蓮司は記憶の保持が認められることになった。元々超能力者に対しては、自衛のため、隠匿の規制が甘いというのもあるが、彼自身の能力的な部分も大きい。蓮司の眼は、自身の過去からも決して眼を離さない。

 強力な眼を持つということもあり、蓮司は今後、異能保護課の監視下に置かれることになる。秋水が興味を抱いたように、蓮司の眼は強力だ。今後を考えれば必要なことだろう。

 それより気になるのが、彼の現在についてだ。兄と妹、それに加えて慕っていた先輩まで亡くしたのだ。蓮司の今後が心配だった。

「葬式も終わって、最近はお兄さんの身辺整理で大変みたいだよ。忙しくて両親も哀しむ暇がないって言ってた」

「問題はその後だな。話に聞く限り、蓮司の母親はわりと繊細みたいだし」

「うん、でも大丈夫だと思うよ」まったく心配した様子もなく、綾人はポテチを齧った。「蓮司君、面倒なこと片付いたら、また剣道始めるつもりだって言ってた。今度はやらない理由を捜さずに、やりたいことはきちんとやるって。勉強とか、スポーツとか、青春とか、もっと色々チャレンジするってさ」

 どうやら心配する必要はなさそうだ。過酷な体験をして、逆に吹っ切れたのかもしれない。

 まだしばらくは辛いことも多いだろうが、この分なら大丈夫だろう。

「んーちょっと頭動かなくなってきた。糖分補給、糖分補給っと」

 和泉はソファから立ち上がり、菓子置きになっている台所脇の戸棚を開いた。

「マカロンは……ないわよねー。最近調達してなかったし、あるのは和菓子だけか。どら焼き、羊羹、芋羊羹、お団
子、花餅、お饅頭……ねぇ和菓子多すぎじゃない。うちって和菓子派と洋菓子派、二対二で拮抗してた筈だけど」

「誘が買ったやつだな。俺もあいつも、在庫が尽きる前に買ってたから溜まってんだよ」

「立つ鳥、跡を濁しまくってるわね」仕方ないという様子で、和泉は饅頭をひとつ取り、それを齧りながらソファに座った。「けど、誘ちゃんがうちに来て、もう一年になるのかぁ。依頼人が一緒に働くことになるなんて驚いたけど、長いようで短かったわねぇ。……誘ちゃん、いなくなるのかぁ。可愛い女の子、いなくなっちゃうのかぁ。美少年とイケメンが職場にいるのは良いけど、華がないのは寂しいなぁ。可愛い女の子、抱きしめたいなぁ」

「和泉ちゃん、煩悩溢れまくってるね」

「欲求不満なんだろ。ここんとこ働き詰めだからな。大丈夫だ。この仕事が終わったら、どうせ男にナンパされに行くか、女をナンパしに行くかする」

 一条は目の前の書類に判子を押したあと、席を立ち、事務所の出入り口へと歩いた。

「あれ、一条君どこ行くの?」

「屋上。さすがに集中力切れてきたからな。ちょっと煙吸いたいんだよ」

「禁煙、誘ちゃんがいなくなってから止めちゃったわね。ざんねんねー。煙草止めてくれる相手がいなくなって。また逢花ちゃんに文句言われちゃう」

「……これが、最後の一本だ。そしたら止める」

 どうせまた吸うわよー、という和泉の言葉を背に、一条は事務所の外へ出た。

 階段を上がり、屋上への扉を開く。

 青空のもと、屋上のコンクリートはジリジリと夏の陽射しに焦げ付かされていた。

 呪術的な特性もあり、暑さには強い方だが、さすがにこの陽射しの眩しさには辟易する。

 屋根ひとつないことに嫌気が差すが、それでも煙草を吸いたい気持ちの方が勝り、一条は吸殻入れのもとへと向かった。

 指をこすり、呪術で煙草に火をつけると、口のなかに涼やかな煙の味が広がる。

 入道雲を見ながら煙を吐くと、なぜか誘のことが頭に浮かんだ。

 ここで何度か喫煙を邪魔されたからだろう。

 紫堂家の土地神にとって、誘の肉体は分霊の器。代わりの利くものでしかない。

 お蔵入りになるか廃棄されるか、彼女はどちらの結末を迎えるのだろう。

 誘の場合、かなり複雑かつ高度に造られているので、後者になることはあまり考えられないが、それでも呪術社会の常識からすら外れた紫堂家だ。どうなるかはわからない。

 秋水が起こした一件は、紫堂家でもかなりの問題となっている。外法対策局も出入りする状況になり、紫堂家も呪術社会もしばらくは忙しなく動くことだろう。

 あの能天気な神さまは、そんな屋敷のなかで、どういう処分を受けることになるのか。

 元同僚の神様を心配しながら、一条は灰になった煙草を吸殻入れに放り込んだ。

 そのまま事務所へ向かおうと歩くが、その直前、屋上の出入り口にいる者を見て驚いた。

 件の少女、紫堂誘がなにやら両手に紙袋を持って仁王立ちしていたのだ。

 誘は吸殻入れへ視線をやったかと思うと、早足で一条のもとへと歩いた。

「一条さん、また煙草吸ったんですか? 駄目じゃないですか。そんなんじゃいつまで経っても、喫煙卒業出来ませんよ」

「いいだろ、別に。これが最後だよ、最後」

 あまりに驚いたので、喫煙者の変わり映えのない返答をしてしまう。

「つか、なんで俺が煙草吸う度にちょっかい出すんだよ」

「そりゃあ一条さんをいじれる数少ない要素ですからね。普段叱られてるぶん、ここでいじらないとっていたぁっ! なんでデコピンするんですか!」

「あ、悪い。ドヤ顔がむかついて、つい」

「ついで乙女にデコピンしないでください! まったくもぅ」

 拗ねた顔をしたあと、誘はごそごそと紙袋のなかを漁り、なかにあった物を取り出した。

「はい、これお土産です。京都の八つ橋ですよー。皆さんで美味しく食べてください」

「……なんで八つ橋? なんで京都? お前実家帰ったんじゃないの」

「いやぁ帰ったは良いんですけど、居場所がなくて。ほら、一応わたし、お家の念願潰しちゃったじゃないですか。世間体があるから口にこそしませんけど、あれを気にしてる屍鬼が多いんですよ。お陰で屋敷では針のむしろ。それでもめげずに、お煎餅を食べながらお座敷でゴロゴロしてたんですけど、対策局の相手をしながらもわたしに茶菓子を献上していた屍鬼がいい加減に切れて、これ以上何もせずにいるなら、ご神体に首を斬られるか、屋敷を出て行くかのどちらかにしろ、と怒ったんです。局の相手は面倒ですし、首も斬られるのもご免ですからね。仕方なく家を出たというわけです。何処に行こうかなぁと、考えていた所、思いついたのがこの灯籠堂。ですが手土産も持たずに戻るのは申し訳ない。そうだ、京都に行こう、と思い立ち、八つ橋を買うことになった次第です」

 あまりにアホらしくて、思わず天を仰いでしまう。

 ひとの心配なぞなんのその、目の前の阿呆は呑気に京都観光とかしていた。

 勝手に心配をしたのはこちらだが、その心配代を心から請求してやりたい。

「あーあ。煙草吸ってたのが馬鹿みてぇだ」

「そうですよ。禁煙出来ない一条さんは馬鹿なんですっていたぁ! またデコピンっ!」

 不満を口にする誘を置いて、一条は先に歩き出す。

 色々言ってはやりたいが、このささやかな喜びに免じて勘弁してやろう。

「とっとと行くぞ。八つ橋、全員で食うんだろ」

 はい、と嬉しそうに返事をして、誘は隣に並んだ。
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