幽々として誘う

舞台譲

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第三十四 蓮司

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 扉を開け、もういなくなってしまった兄の部屋へと入る。

 かつて兄がいた部屋は、以前と何ひとつ変わらずに家のなかに佇んでいた。

 ふかふかそうに見えて意外と硬いベッド、その脇にあるCDと漫画が並べられた棚、その棚の上にはオーディオが置かれ、押し入れのなかにはもう使われることのない剣道具が入れられている。啓の持ち物は、すべて、彼の部屋に残されたままになっていた。

 蓮司は扉を閉めると、箒とちり取りで簡単な掃除を始めた。前の掃除からまだそれほど経っていない。人の出入りが少ないこともあり、積もる埃はそれほど多くはなかった。

 啓の部屋を残したのは、家族全員で決めたことだった。

 部屋を見れば、この家の長男が死んだことを思い出して辛い気持ちになる。それでも啓が生きていたという痕跡を残していようと思い、父と母はこの部屋をそのままに置いたのだ。

 彼らの意見に蓮司も賛成し、いまもこうして当番制の掃除をしていた。

 もし啓が生きている時にこの部屋を掃除することになれば、そんなものは放って外にでも遊びに出かけていただろうから、こうして部屋を綺麗にするのは不思議な感じだった。

 床の掃き掃除が終わり、蓮司はちり取りに集めた埃をゴミ箱へと捨てた。

 続けて、棚や、その上に置かれたオーディオを雑巾で拭き始める。

 たまに、母がこの部屋で泣く声が聞こえる時がある。

 まだ啓が死んでからそれほど時間は経っていない。葬式や他の雑多な仕事が終わり、いよいよ啓の死に心を痛めるようになったのだろう。とはいえ、予想したほど母の悲嘆は大きくなかった。彩の死に啓が影響したという偽りの記憶が、神祇省の手によって直されたことが大きいだろう。半年間の記憶の辻妻合わせは大変だったらしいが、そのお陰もあり、母は彩の死で啓を責めたという後悔をすることもなく、日常を過ごしている。あの冷めた家庭環境も、確かに啓が体験したことだから、この記憶の改変には少しだけ思う所もあった。

 それでも母が思い詰めることなく生活出来ているのだから、啓も納得してくれる筈だ。

 あらかたの掃除を終え、ゴミ箱を持って部屋を出ようとしたとき、ふと、棚のなかにビートルズのアルバムがあることに気づいた。

 ザ・ビートルズ。

 ホワイト・アルバムという俗称もある、白一色のジャケットだ。

 懐かしさを感じて、ついそのジャケットを手に取った。

 何度も耳にした曲が幾つもあるにも関わらず、蓮司はこのジャケットの中身をきちんと聞いたことがない。いつもこの部屋から壁越しに流れてくる曲を聞き流すだけで、あまり興味も湧
かなかったからだ。

 けれど、このジャケットの持ち主がいなくなったいまは、彼がどんな曲を聞いていたのか知りたくなり、蓮司はCDを取り出し、それをオーディオのなかに入れた。

 ベッドに腰を落ち着け、オーディオから流れる曲に耳を傾ける。二枚組みで三十曲以上もあるアルバムは、どれも曲調の異なる多彩な作品で、耳を飽きさせることがない。

 曲を聞きながら、蓮司はかつて緑にロックフェスに誘われたことを思い出した。

「行けば良かったな。ロックフェス」

 今更ながらに、彼女に申し訳なさを感じる。

 あの朗らかな先輩の葬式に、蓮司は行くことが出来なかった。蓮司自身が忙しかったこともあるが、アルバイト先でしか繋がりのない人間に、葬式の通知が届くわけもない。葬式があったと彼女のバンド仲間に聞いたときには、その式自体が終わってしまっていた。

 後悔先に立たず、とは良く言ったもので、こんなことなら、バイトなんてサボってでも、ロックフェスだけでも行けば良かったと思ったくらいだった。

 このままだと哀しさが強くなりそうだと思い、蓮司はオーディオを止めようと腕を伸ばした。だが指先がボタンに触れる直前、馴染みのある曲が流れ出した。

 ロッキー・ラクーン。ビートルズの数ある曲なかでも、啓が特に好んだ楽曲だ。

 蓮司はホワイトアルバムのジャケットを見ながら、その曲を聞いた。

 気づけば、ジャケットにはひと雫の水滴が落ちていた。 
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