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第一章 結婚編「蜜に似た毒」
第三話 離別
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頼充の葬儀が終わると、帰蝶は稲葉山城に送り返されることになった。
馬に揺られ、朝日を浴びる頬はこけ落ち、目には暗い影が差していた。あまりの絶望に座る気力さえなく、涙も出なかった。
やっと、二人で睦まじく暮らせると思った矢先だった。元来命を慈しむことに喜びを感じる帰蝶は、生まれ来る自分たちの子供まで夢に描いた。が、そんな幸せに満ちた頼充との暮らしはたった一年で終わりを告げたのだった。
───これから私は、どうすればいいのか
気力を失い、馬の上で突っ伏してしまいそうなのをなんとか堪えた。それでも稲葉山城の門が見えてくると、体内に再び温かな生気が宿る心地がした。
金華山山頂にそびえる稲葉山城。
父・道三が整備した城だ。帰蝶は四季を通じて緑色に輝く金華山の姿が好きだった。その迫力あふれる山姿は、父その人を現しているかのようだ。帰蝶は父が大好きだった。鷹狩を帰蝶に教えたのも道三だった。道三は四角四面で融通の利かない嫡男・義龍と武芸の稽古をするよりも、のびのびとした帰蝶とともに野に出て狩りをして過ごすことを好んだ。
頼充との政略結婚は、信頼する父が決めたこと。だから仕方ないことと受け入れた。
自らの思いに何とか折り合いをつけ、頼充と本当の夫婦になろうとしたが、その努力もむなしく志半ばで生涯の伴侶となるべき人と死に別れることとなった。あまりに唐突なことだった。
死に別れる前の数日間にいたっては、誰にも入る隙のない二人だけの世界に閉じこもり、無心に愛を求めあっていた。その相手が一瞬にして冷たい体となり帰らぬ人となったのだ。帰蝶は突然のことに現実を呑み込めずにいる。
当初「人質」として送り込まれた「斎藤家の姫君」としての役割は、こうして思いもよらぬ形で終わりを告げたのだった。
「よく戻ったな」
「父上」
帰蝶は道三の包み込むような笑顔を見つめ、涙がにじむのを堪えた。
夫を亡くした愛娘を、父が慰めてくれる。そう帰蝶は期待した。
「このたびはお手柄だったな」
思いもよらぬ言葉に、帰蝶は顔を上げた。目で父に尋ねる。
「頼充をなきものとした手際の良さ、秀逸であった」
「なんのことか、わかりかねます」
そう言って記憶を巡らせ、すぐに薬包の残像が脳裏をよぎった。
「血の流れが速くなり、血気盛んな様子となり、間もなく心の臓が破られる、秘境の地のわずかな者だけが調合を知る妙薬と、光秀から聞いている」
赤銅色に染まった頼充の死に顔を思い出し、胃の奥から熱いものがこみ上げて喉に押し寄せた。胸を押さえ、嗚咽し、息を荒げた。
「父上、あなたと光秀の仕業なのですか」
「鷹の献上を受けた旨が書かれたお前からの文で、頼充がいまだに織田斯波氏と繋がっていることを察知できた。頼充は一方的に和睦を破り斯波氏の協力を得て攻撃を仕掛けるつもりであったのだろう。
そうなれば再び美濃国内が戦で荒れることとなる。
が、そうはならなかった。文をくれたお前の、そして薬を人知れず頼充に飲ませることができた、おまえのおかげだ。お前はこの美濃が戦火に襲われるのを防いだ。多くの領民の命を救ったのだ」
聞き終えるころには帰蝶の頬に幾筋もの涙の筋が頬を伝っていた。
「父上、あなたという人は・・・」
立ち上がりざまに懐刀を振り上げた。片手でぱしりと受け止めると道三が微笑んだ。
「相変わらず、威勢がいい。それでこそ、わしの娘だ」
帰蝶は父の居室から走り出て、廊下にうずくまった。橘が、嗚咽を振り絞る背中を抱きかかえた。
───姫の輿入れによって、多くの領民が死なずに済むんだ。
光秀の言葉が、くっきりと蘇る。
これが私の役割なのだ。これが、女の戦なのだ。帰蝶は思った。
馬に揺られ、朝日を浴びる頬はこけ落ち、目には暗い影が差していた。あまりの絶望に座る気力さえなく、涙も出なかった。
やっと、二人で睦まじく暮らせると思った矢先だった。元来命を慈しむことに喜びを感じる帰蝶は、生まれ来る自分たちの子供まで夢に描いた。が、そんな幸せに満ちた頼充との暮らしはたった一年で終わりを告げたのだった。
───これから私は、どうすればいいのか
気力を失い、馬の上で突っ伏してしまいそうなのをなんとか堪えた。それでも稲葉山城の門が見えてくると、体内に再び温かな生気が宿る心地がした。
金華山山頂にそびえる稲葉山城。
父・道三が整備した城だ。帰蝶は四季を通じて緑色に輝く金華山の姿が好きだった。その迫力あふれる山姿は、父その人を現しているかのようだ。帰蝶は父が大好きだった。鷹狩を帰蝶に教えたのも道三だった。道三は四角四面で融通の利かない嫡男・義龍と武芸の稽古をするよりも、のびのびとした帰蝶とともに野に出て狩りをして過ごすことを好んだ。
頼充との政略結婚は、信頼する父が決めたこと。だから仕方ないことと受け入れた。
自らの思いに何とか折り合いをつけ、頼充と本当の夫婦になろうとしたが、その努力もむなしく志半ばで生涯の伴侶となるべき人と死に別れることとなった。あまりに唐突なことだった。
死に別れる前の数日間にいたっては、誰にも入る隙のない二人だけの世界に閉じこもり、無心に愛を求めあっていた。その相手が一瞬にして冷たい体となり帰らぬ人となったのだ。帰蝶は突然のことに現実を呑み込めずにいる。
当初「人質」として送り込まれた「斎藤家の姫君」としての役割は、こうして思いもよらぬ形で終わりを告げたのだった。
「よく戻ったな」
「父上」
帰蝶は道三の包み込むような笑顔を見つめ、涙がにじむのを堪えた。
夫を亡くした愛娘を、父が慰めてくれる。そう帰蝶は期待した。
「このたびはお手柄だったな」
思いもよらぬ言葉に、帰蝶は顔を上げた。目で父に尋ねる。
「頼充をなきものとした手際の良さ、秀逸であった」
「なんのことか、わかりかねます」
そう言って記憶を巡らせ、すぐに薬包の残像が脳裏をよぎった。
「血の流れが速くなり、血気盛んな様子となり、間もなく心の臓が破られる、秘境の地のわずかな者だけが調合を知る妙薬と、光秀から聞いている」
赤銅色に染まった頼充の死に顔を思い出し、胃の奥から熱いものがこみ上げて喉に押し寄せた。胸を押さえ、嗚咽し、息を荒げた。
「父上、あなたと光秀の仕業なのですか」
「鷹の献上を受けた旨が書かれたお前からの文で、頼充がいまだに織田斯波氏と繋がっていることを察知できた。頼充は一方的に和睦を破り斯波氏の協力を得て攻撃を仕掛けるつもりであったのだろう。
そうなれば再び美濃国内が戦で荒れることとなる。
が、そうはならなかった。文をくれたお前の、そして薬を人知れず頼充に飲ませることができた、おまえのおかげだ。お前はこの美濃が戦火に襲われるのを防いだ。多くの領民の命を救ったのだ」
聞き終えるころには帰蝶の頬に幾筋もの涙の筋が頬を伝っていた。
「父上、あなたという人は・・・」
立ち上がりざまに懐刀を振り上げた。片手でぱしりと受け止めると道三が微笑んだ。
「相変わらず、威勢がいい。それでこそ、わしの娘だ」
帰蝶は父の居室から走り出て、廊下にうずくまった。橘が、嗚咽を振り絞る背中を抱きかかえた。
───姫の輿入れによって、多くの領民が死なずに済むんだ。
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これが私の役割なのだ。これが、女の戦なのだ。帰蝶は思った。
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