異世界でも働きたくないので、辺境貴族の末っ子としてもふもふと昼寝します

第2部：ゆるふわスローライフに新たな風？ ～噂の真相と小さな来訪者たち～

第25話：豊穣の噂と街道の賑わい。僕のせい？アスターテ領がなんかすごいことになってるらしい

　ルーク特製『春色のハーブティー』がクライネル家でブームになってからしばらく経った頃。
　アスターテ領は、本格的な春の活気に包まれていた。
　領都アスターテで月に一度開かれる定期市も、冬の間とは比べ物にならないほど賑わいを見せている。

　その日の朝、メイド長のマーサは、いつものように市場へ買い出しに赴いていた。
　春の陽光がきらめく市場には、新鮮な野菜や果物、焼きたてのパン、そして近隣の村々から持ち込まれた様々な品物が所狭しと並べられている。

「やあ、マーサさん！今日も早いねぇ！」

「これはこれは、クライネル家のメイド長殿。いつもご贔屓にありがとうございますだ」

　顔なじみの商人たちが、威勢の良い声をかけてくる。
　マーサはにこやかに挨拶を返しながら、今日の献立に必要な食材を選んでいく。
　ふと、彼女の耳に、行商人たちの会話が飛び込んできた。

「それにしても、今年の春はアスターテ領の作物が特に良いって評判だぜ」

「ああ、聞いた聞いた。例年よりも早く、しかも品質の良い山菜や初物の果物が、もう市場に出回ってるらしいじゃないか」

「うちの親方も言ってたよ。アスターテの土は何か特別な力でもあるんじゃないかってな。あそこの小麦でパンを焼くと、いつもよりふっくら仕上がるんだとさ」

「へえ、そりゃすごい。やっぱり、この土地は『豊穣の女神様に愛されてる』って噂は本当なのかもな」

　その会話を耳にしたマーサは、ふふ、と小さく微笑んだ。
　行商人たちの言う「特別な力」や「豊穣の女神様の愛」が、もしかしたら屋敷にいる小さな『祝福の天使様』の無自覚な影響によるものかもしれない、などとはおくびにも出さない。
　だが、彼女の心の中では、その確信がますます強くなっていた。

（ルーク坊ちゃまのお力が、少しずつ領全体にも良い影響を与え始めているのかもしれませんわね……素晴らしいことですわ……）

　マーサは、質の良い春野菜をいくつか選びながら、そんなことを考えていた。

　一方、クライネル邸の門では、門番を務める古参の兵士たちが、最近のちょっとした変化について話し合っていた。

「おい、聞いたか？最近、このアスターテ街道を通る旅人の数が、なんだか増えてるらしいぜ」

「ああ、俺もそんな気がしてたんだ。特に、商人風の馬車や、吟遊詩人みたいな格好の連中をよく見かけるようになったよな」

「例年のこの時期にしちゃあ、ちょっと多いよなぁ。何かあったのかねぇ？」

「さあな。だが、悪い噂じゃなさそうだ。みんな、アスターテの豊かさとか、珍しい産物の話をしてるって言うしな」

　一人の若い兵士が、少し興奮したように付け加える。

「俺、昨日見かけた吟遊詩人から聞いたんですけど、なんでも王都の方じゃ、『東の果てのアスターテって土地には、飲むと幸せになる不思議なお茶がある』とか、『奇跡みたいな味のお菓子がある』なんて噂が、まことしやかに囁かれてるらしいですよ！」

「なんだそりゃ、おとぎ話みてえだな！」

　古参の兵士は笑い飛ばしたが、若い兵士は真顔だ。

「でも、本当らしいんですよ！その吟遊詩人も、その噂を確かめにわざわざ王都から来たって言ってましたから！」

　その会話は、ちょうど散歩から戻ってきたルークの耳にも、ほんの少しだけ入った。
　もっとも、今の彼にとっては「ふーん、そうなんだー」程度のもので、すぐにモルとの追いかけっこに夢中になってしまったのだが。

　アスターテ領の静かで穏やかな日常。
　その水面下では、ルークの知らないところで、彼の存在がもたらす小さな奇跡の波紋が、ゆっくりと、しかし確実に広がり始めていた。
　それは、やがて新たな出会いを運び、彼の『ゆるふわスローライフ』に、ほんの少しだけ新しい風を吹き込むことになるのだが……。
　まだ、誰もそのことに気づいてはいなかった。