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027 ルールオブローズってか
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相手の木剣を躱して懐に入り込み、相手の目を見据えながらその胸元の薔薇を、利き手とは逆の手でするりと抜き去る。
「うおっ、いつの間に」
説明をしながらカレブの胸元にあった薔薇を抜き取って見せたラドゥに、周りから様々な歓声が上がった。流れるような鮮やかな動作で薔薇を抜き、最後に顔面を突き合せる形となって、女性騎士からため息も聞こえた。カレブとラドゥという騎士団の綺麗どころが真剣な顔を至近距離で突き合わせている光景が、彼女らには何だかいけないものでも見ているような感覚に陥ったらしい。
周囲に漂う甘い薔薇の香りがそれらを助長しているのかもしれない。
「……とまあこんな感じで間合いを詰めて、剣を避けるかガードしつつ、反対側の手でサッと薔薇を取るんです。基本はこんな感じですね。同じようにやってみてください」
「結構難しいぞこれ。剣技の勢いのまま向かうと取る前に薔薇が散る」
「薔薇を取るときは、あくまでも紳士的に、ですよ副団長。乱暴にむしり取って薔薇が散ったり折れたりしたら即失格ですからね」
「あっ、激しく動きすぎると俺のほうの薔薇も散っちまう」
「そうなんですよ、こっちも守りつつ戦わないといけません」
「例えばこう剣でくいっと引っかけて取るのはダメなんだよな?」
「薔薇は貴婦人だと思ってください。たおやかな貴婦人に剣を向けて引っかけますか?」
「ん~、なるほどそういうことか~」
ある日の夕方、訓練を終えて帰っていく騎士たちをよそに、居残り特訓しているカレブとラドゥ。
騎士団駐屯地内にある庭園を管理する庭師から、見頃を終えてあとは捨てるだけになった薔薇を貰ってきて、バルファークの騎士のスポーツ「薔薇の戦い」の特訓をしていた。来週末アルシャイン邸の訓練場で行われるカレブとリギアの勝負のためだ。
ルールを知っているラドゥがカレブを教えることになったのだが、ラドゥ自身は本当なら婚約者のリギアに教えてやりたかった。でも、カレブに「王都の騎士団に所属しているラドゥ卿は俺側についてもらうぞ」などと言われて仕方なくカレブにルールを教えることになったのである。
リギアは寄宿学校の帰りにバルファークのタウンハウスに寄って、今邸に領地から来て滞在しているラドゥの父ウィルケン・バルファークの従者の騎士に指導を受けながら「薔薇の戦い」の練習をしているはずである。
ウィルケンは此度の勝負における審判役を立候補したため、公平を期すためにあえてリギアの指導は行わず、己の侍従官であるバルファークの騎士たちにリギアの指導を任せていた。
いつも寄宿学校の学生寮に住んでいる婚約者のリギアがタウンハウスに来ているので、早く帰って顔を見たいラドゥなのだが、カレブにつかまり、父親のウィルケンからもカレブを手伝ってやれと言われて仕方なくこうして仕事終わりに人もまばらな訓練場で居残り特訓に付き合っていた。
庭師に貰った枯れかけの薔薇を胸に刺して、剣技と組み手の訓練をしている美形の二人の騎士に回りは一体何をしているのかと、興味シンシンで見ている騎士もいた。その中にはそれは一体なんの競技なのかと質問してきたのを答えてやると、面白そうだと言って飛び込みで参加してくれる騎士もいて、カレブはわりと練習相手には事欠かなかった。
「薔薇は貴婦人。胸元に抱いた貴婦人は労わり守り、向こう側にいる貴婦人はエスコートするように優しく触れて取る」
刃を潰した練習用の剣や木剣なのだが、いつもの豪快な剣技をしつつも薔薇を散らさないように行うのが非常に難しい。まず相手の薔薇を目指す前に、激しい動きで自身の胸元の薔薇が散ってしまうことに気を付けなければいけない。
敢えて花びらが散りやすい枯れかけの薔薇を選んだのは、練習用というだけでなく、そういった気遣いを養うためでもあった。
「楽しそうですね、副団長。ラドゥ卿と何をされているんですか?」
「ああファラ卿。今帰りか?」
「ええ。でもにぎやかな声が訓練場から聞こえてきたので」
「お騒がせしてすみませんモニーク部隊長。お疲れ様です」
「全然。君もお疲れ様、ラドゥ卿」
通りすがりのファラ・モニーク卿に声を掛けられる。女性騎士の彼女は来春リギアが所属する予定の第七部隊の隊長、すらりとした長身で隊服の似合ういわば男装の麗人である。最近王城勤務の大人しめな文官の男性と見合い結婚をして幸せいっぱいな新婚の花嫁であった。
彼女はカレブとラドゥ、そして仲間の騎士たちがわいわいやっているこの競技のこと聞いてきたので、ラドゥはざっと説明をする。
「へえ、『薔薇の戦い』なんてお洒落な名前がついているんですね。ラドゥ卿の故郷のスポーツなのですか」
「そうなんです。今回副団長とその娘さんがそれで勝負するってことになりまして、その練習に付き合っているんです」
「まあ、騎士団所属ってことでラドゥ卿にはこっち側についてもらったんだけどな」
「そうなんですか。ん、副団長、娘さんというのは本当だったんですね、あの噂」
あの衝撃的な出会い、早期入団試験の面接で初めて会ってからはや二か月経とうとしているが、その頃からリギア・アイゼンという存在は騎士団の中でかなりの話題になっていたのだ。
やはりこの国では珍しい銀髪に赤紫の瞳という容姿、副騎士団長カレブ・アルシャインの固有名詞にもなっていたその容姿がもう一人存在したという事実に、公表はしていなくとも皆カレブの血縁だとうすうす感じているらしい。
まだ籍を入れていないので正式に発表はできないが、血縁で間違いないだろうことをカレブは苦笑しながらファラ卿に告げた。
「まあ、俺の若気の至りってやつ」
「ふふふ、当時はやんちゃしてたって聞いていますよ副団長。ですがどうしてすぐ引き取ってさしあげないんです? 今の副団長なら、娘さん一人養うくらいできそうですけど。 最近お付き合いされてた方と壮絶な別れをされたようですし」
「ぶふっ……その話やめてくんない? 割と騙されてた感じだから黒歴史なんだよね……。まあ、娘を引き取りたいのはやまやまなんだけど向こうが拒否してるもんだからさ」
「あ、もしかして『今更なによ!』ってやつでしょうか?」
「……目きらっきらしてるじゃん。卿そういうの好きなん?」
「趣味でどろどろ愛憎劇の小説読んでますもので」
「読むんだ、そういうの」
女性騎士のあこがれであるファラ・モニーク卿は割とそういう趣味もあったようだ。
カレブはとりあえずこれまでのことをかいつまんでファラ卿に話して聞かせた。
「ふうん……。それでこの薔薇の戦いとやらをすることになったんですね。リギア・アイゼン嬢といえば、私実技試験の試験官でしたから彼女がどれくらいできるのか少し見させてもらいましたよ」
「あー、俺は面接官のほうだったから実技のほうは書類だけでしか知らねえんだよな。優秀だとは聞いていたけど」
「優秀なんてレベルじゃないですよ副団長。彼女、武器の扱いも素晴らしいですけど、彼女の強みといえばやはりあのすばしっこいとこでしょうね。トラック競技試験でも仲間内でぶっちぎりの足の速さでした。誰も彼女の足に追いつけないんです」
そういえば合格祝いにとカレブがサプライズ訪問した際に突然逃げ出したリギアにカレブはなかなか追いつけなかった。たかが十五歳の女学生に、元傭兵で歴戦の騎士であるカレブがである。普通に追いかけても到底追いつけないので、仕方なく学生寮の前で待ち伏せしてようやく捕まえたのを、カレブは遠い目をして思い出していた。
「バルファークでもリギアの逃げ足の速さは同年代の子たちの中でも一番でしたよ」
「そういえば同郷の婚約者がいると言っていたね。もしかして彼女なのかな、ラドゥ卿?」
「はい、実はそうなんです。彼女が成人したら結婚する予定です」
はにかむラドゥにファラ卿が「はいはいご馳走様~」と茶化す横で、カレブが「成人後すぐに結婚って早すぎんだろ……」などとぼやいているが、気にしたら負けであるとラドゥは思った。
「それにしても面白そうですね、薔薇の戦いとやらは。副団長、ラドゥ卿、私にも教えてくれませんか」
「ああもちろん。時間があるなら一緒に勉強しようぜ。やってみていい感じなら騎士団の訓練に取り入れるのもいいよな」
「それはいい。じゃあ、ラドゥ卿、私にも教えてください。薔薇を胸元に刺すんでしたっけ?」
枯れかけた薔薇がたくさん入った箱の中から散りすぎてはいない薔薇を一輪手に取ったファラ卿は、それを隊服の胸ポケットに差し込んでみた。だがそれをラドゥは一旦やめさせた。
「あ、モニーク部隊長。貴方は耳あたりの髪に薔薇を差し込んでください」
「え? 髪?」
「ちょっと待てラドゥ卿。俺にはさっき胸元って言ってたじゃねえか」
「さっき言ったのはあくまでも基本の流れでして、男性は胸ポケットでいいんです。でも女性の場合は髪に刺すんです。アクセサリーみたいに。……そう、そう。このように相手が男性だった場合と女性だった場合では少しルールが変わるのがこの競技なんですよ」
ファラ卿は短く切った髪にその薔薇をそっと差し込んで「これでいいのですか?」と首を傾げているので、薔薇の戦いのルールを改めて説明するラドゥ。
男同士の場合は、お互いの胸元に刺した薔薇をどちらが素早く抜き取るかの勝負だった。だがこれが男性と女性との戦いになると、少し違ってくる。
女性は通常通り相手の胸元から薔薇を抜くのだが、女性に対する男性は相手が髪に刺した薔薇を取って落とし、自分の胸元にあった薔薇を彼女の髪に刺し直すのだそうだ。
「なんでそんなに違うんだ?」
「ええと、その……女性の、その、む、胸元に手を伸ばすのは失礼にあたりますから」
カレブの素朴な質問に、ラドゥは少し赤くなりながらそう話した。
「あー、そういう……」
「なるほど、確かに胸に男の手が迫ったら嫌だなあ」
「男もちょっと躊躇するもんな」
「あれれ、副団長ってそうなんですね。そういうの迷わない方かと」
「ひっでえ。ファラ卿俺のことそんな変態だと思ってたわけ? 俺はフェミニストです」
「あらら、ふふふ、そういうことにしましょう」
ファラ卿の揶揄いにカレブは悪びれながらも苦笑した。
「ま、まあ、あくまでも紳士的なスポーツなので、そういうルールになっているんです。女性同士の場合は通常通りでいいんですけど」
「なるほど、奥が深いね、薔薇の戦いは」
「ってことは、リギアも髪に薔薇を刺してくるんだよな……」
「そうなりますね。……ちょっと、副団長、何にやにやしてるんですか」
――あのリギアが薔薇を髪に。なにそれめっちゃ可愛いな。晩餐会のときのドレス姿も良かったけど、化粧とかせずに飾るのは髪の薔薇だけってのも、リギアに合っててなんか良い。
リギアが髪に薔薇を刺してカレブに向かって戦いを挑んでくるであろうことを想像しただけで感動してしまうカレブ。
そんな彼を見て首を傾げているファラ卿と、少々心配になってしまうラドゥであった。
あと三日ほどで、そのリギアとの決戦の日がやってくる。
「うおっ、いつの間に」
説明をしながらカレブの胸元にあった薔薇を抜き取って見せたラドゥに、周りから様々な歓声が上がった。流れるような鮮やかな動作で薔薇を抜き、最後に顔面を突き合せる形となって、女性騎士からため息も聞こえた。カレブとラドゥという騎士団の綺麗どころが真剣な顔を至近距離で突き合わせている光景が、彼女らには何だかいけないものでも見ているような感覚に陥ったらしい。
周囲に漂う甘い薔薇の香りがそれらを助長しているのかもしれない。
「……とまあこんな感じで間合いを詰めて、剣を避けるかガードしつつ、反対側の手でサッと薔薇を取るんです。基本はこんな感じですね。同じようにやってみてください」
「結構難しいぞこれ。剣技の勢いのまま向かうと取る前に薔薇が散る」
「薔薇を取るときは、あくまでも紳士的に、ですよ副団長。乱暴にむしり取って薔薇が散ったり折れたりしたら即失格ですからね」
「あっ、激しく動きすぎると俺のほうの薔薇も散っちまう」
「そうなんですよ、こっちも守りつつ戦わないといけません」
「例えばこう剣でくいっと引っかけて取るのはダメなんだよな?」
「薔薇は貴婦人だと思ってください。たおやかな貴婦人に剣を向けて引っかけますか?」
「ん~、なるほどそういうことか~」
ある日の夕方、訓練を終えて帰っていく騎士たちをよそに、居残り特訓しているカレブとラドゥ。
騎士団駐屯地内にある庭園を管理する庭師から、見頃を終えてあとは捨てるだけになった薔薇を貰ってきて、バルファークの騎士のスポーツ「薔薇の戦い」の特訓をしていた。来週末アルシャイン邸の訓練場で行われるカレブとリギアの勝負のためだ。
ルールを知っているラドゥがカレブを教えることになったのだが、ラドゥ自身は本当なら婚約者のリギアに教えてやりたかった。でも、カレブに「王都の騎士団に所属しているラドゥ卿は俺側についてもらうぞ」などと言われて仕方なくカレブにルールを教えることになったのである。
リギアは寄宿学校の帰りにバルファークのタウンハウスに寄って、今邸に領地から来て滞在しているラドゥの父ウィルケン・バルファークの従者の騎士に指導を受けながら「薔薇の戦い」の練習をしているはずである。
ウィルケンは此度の勝負における審判役を立候補したため、公平を期すためにあえてリギアの指導は行わず、己の侍従官であるバルファークの騎士たちにリギアの指導を任せていた。
いつも寄宿学校の学生寮に住んでいる婚約者のリギアがタウンハウスに来ているので、早く帰って顔を見たいラドゥなのだが、カレブにつかまり、父親のウィルケンからもカレブを手伝ってやれと言われて仕方なくこうして仕事終わりに人もまばらな訓練場で居残り特訓に付き合っていた。
庭師に貰った枯れかけの薔薇を胸に刺して、剣技と組み手の訓練をしている美形の二人の騎士に回りは一体何をしているのかと、興味シンシンで見ている騎士もいた。その中にはそれは一体なんの競技なのかと質問してきたのを答えてやると、面白そうだと言って飛び込みで参加してくれる騎士もいて、カレブはわりと練習相手には事欠かなかった。
「薔薇は貴婦人。胸元に抱いた貴婦人は労わり守り、向こう側にいる貴婦人はエスコートするように優しく触れて取る」
刃を潰した練習用の剣や木剣なのだが、いつもの豪快な剣技をしつつも薔薇を散らさないように行うのが非常に難しい。まず相手の薔薇を目指す前に、激しい動きで自身の胸元の薔薇が散ってしまうことに気を付けなければいけない。
敢えて花びらが散りやすい枯れかけの薔薇を選んだのは、練習用というだけでなく、そういった気遣いを養うためでもあった。
「楽しそうですね、副団長。ラドゥ卿と何をされているんですか?」
「ああファラ卿。今帰りか?」
「ええ。でもにぎやかな声が訓練場から聞こえてきたので」
「お騒がせしてすみませんモニーク部隊長。お疲れ様です」
「全然。君もお疲れ様、ラドゥ卿」
通りすがりのファラ・モニーク卿に声を掛けられる。女性騎士の彼女は来春リギアが所属する予定の第七部隊の隊長、すらりとした長身で隊服の似合ういわば男装の麗人である。最近王城勤務の大人しめな文官の男性と見合い結婚をして幸せいっぱいな新婚の花嫁であった。
彼女はカレブとラドゥ、そして仲間の騎士たちがわいわいやっているこの競技のこと聞いてきたので、ラドゥはざっと説明をする。
「へえ、『薔薇の戦い』なんてお洒落な名前がついているんですね。ラドゥ卿の故郷のスポーツなのですか」
「そうなんです。今回副団長とその娘さんがそれで勝負するってことになりまして、その練習に付き合っているんです」
「まあ、騎士団所属ってことでラドゥ卿にはこっち側についてもらったんだけどな」
「そうなんですか。ん、副団長、娘さんというのは本当だったんですね、あの噂」
あの衝撃的な出会い、早期入団試験の面接で初めて会ってからはや二か月経とうとしているが、その頃からリギア・アイゼンという存在は騎士団の中でかなりの話題になっていたのだ。
やはりこの国では珍しい銀髪に赤紫の瞳という容姿、副騎士団長カレブ・アルシャインの固有名詞にもなっていたその容姿がもう一人存在したという事実に、公表はしていなくとも皆カレブの血縁だとうすうす感じているらしい。
まだ籍を入れていないので正式に発表はできないが、血縁で間違いないだろうことをカレブは苦笑しながらファラ卿に告げた。
「まあ、俺の若気の至りってやつ」
「ふふふ、当時はやんちゃしてたって聞いていますよ副団長。ですがどうしてすぐ引き取ってさしあげないんです? 今の副団長なら、娘さん一人養うくらいできそうですけど。 最近お付き合いされてた方と壮絶な別れをされたようですし」
「ぶふっ……その話やめてくんない? 割と騙されてた感じだから黒歴史なんだよね……。まあ、娘を引き取りたいのはやまやまなんだけど向こうが拒否してるもんだからさ」
「あ、もしかして『今更なによ!』ってやつでしょうか?」
「……目きらっきらしてるじゃん。卿そういうの好きなん?」
「趣味でどろどろ愛憎劇の小説読んでますもので」
「読むんだ、そういうの」
女性騎士のあこがれであるファラ・モニーク卿は割とそういう趣味もあったようだ。
カレブはとりあえずこれまでのことをかいつまんでファラ卿に話して聞かせた。
「ふうん……。それでこの薔薇の戦いとやらをすることになったんですね。リギア・アイゼン嬢といえば、私実技試験の試験官でしたから彼女がどれくらいできるのか少し見させてもらいましたよ」
「あー、俺は面接官のほうだったから実技のほうは書類だけでしか知らねえんだよな。優秀だとは聞いていたけど」
「優秀なんてレベルじゃないですよ副団長。彼女、武器の扱いも素晴らしいですけど、彼女の強みといえばやはりあのすばしっこいとこでしょうね。トラック競技試験でも仲間内でぶっちぎりの足の速さでした。誰も彼女の足に追いつけないんです」
そういえば合格祝いにとカレブがサプライズ訪問した際に突然逃げ出したリギアにカレブはなかなか追いつけなかった。たかが十五歳の女学生に、元傭兵で歴戦の騎士であるカレブがである。普通に追いかけても到底追いつけないので、仕方なく学生寮の前で待ち伏せしてようやく捕まえたのを、カレブは遠い目をして思い出していた。
「バルファークでもリギアの逃げ足の速さは同年代の子たちの中でも一番でしたよ」
「そういえば同郷の婚約者がいると言っていたね。もしかして彼女なのかな、ラドゥ卿?」
「はい、実はそうなんです。彼女が成人したら結婚する予定です」
はにかむラドゥにファラ卿が「はいはいご馳走様~」と茶化す横で、カレブが「成人後すぐに結婚って早すぎんだろ……」などとぼやいているが、気にしたら負けであるとラドゥは思った。
「それにしても面白そうですね、薔薇の戦いとやらは。副団長、ラドゥ卿、私にも教えてくれませんか」
「ああもちろん。時間があるなら一緒に勉強しようぜ。やってみていい感じなら騎士団の訓練に取り入れるのもいいよな」
「それはいい。じゃあ、ラドゥ卿、私にも教えてください。薔薇を胸元に刺すんでしたっけ?」
枯れかけた薔薇がたくさん入った箱の中から散りすぎてはいない薔薇を一輪手に取ったファラ卿は、それを隊服の胸ポケットに差し込んでみた。だがそれをラドゥは一旦やめさせた。
「あ、モニーク部隊長。貴方は耳あたりの髪に薔薇を差し込んでください」
「え? 髪?」
「ちょっと待てラドゥ卿。俺にはさっき胸元って言ってたじゃねえか」
「さっき言ったのはあくまでも基本の流れでして、男性は胸ポケットでいいんです。でも女性の場合は髪に刺すんです。アクセサリーみたいに。……そう、そう。このように相手が男性だった場合と女性だった場合では少しルールが変わるのがこの競技なんですよ」
ファラ卿は短く切った髪にその薔薇をそっと差し込んで「これでいいのですか?」と首を傾げているので、薔薇の戦いのルールを改めて説明するラドゥ。
男同士の場合は、お互いの胸元に刺した薔薇をどちらが素早く抜き取るかの勝負だった。だがこれが男性と女性との戦いになると、少し違ってくる。
女性は通常通り相手の胸元から薔薇を抜くのだが、女性に対する男性は相手が髪に刺した薔薇を取って落とし、自分の胸元にあった薔薇を彼女の髪に刺し直すのだそうだ。
「なんでそんなに違うんだ?」
「ええと、その……女性の、その、む、胸元に手を伸ばすのは失礼にあたりますから」
カレブの素朴な質問に、ラドゥは少し赤くなりながらそう話した。
「あー、そういう……」
「なるほど、確かに胸に男の手が迫ったら嫌だなあ」
「男もちょっと躊躇するもんな」
「あれれ、副団長ってそうなんですね。そういうの迷わない方かと」
「ひっでえ。ファラ卿俺のことそんな変態だと思ってたわけ? 俺はフェミニストです」
「あらら、ふふふ、そういうことにしましょう」
ファラ卿の揶揄いにカレブは悪びれながらも苦笑した。
「ま、まあ、あくまでも紳士的なスポーツなので、そういうルールになっているんです。女性同士の場合は通常通りでいいんですけど」
「なるほど、奥が深いね、薔薇の戦いは」
「ってことは、リギアも髪に薔薇を刺してくるんだよな……」
「そうなりますね。……ちょっと、副団長、何にやにやしてるんですか」
――あのリギアが薔薇を髪に。なにそれめっちゃ可愛いな。晩餐会のときのドレス姿も良かったけど、化粧とかせずに飾るのは髪の薔薇だけってのも、リギアに合っててなんか良い。
リギアが髪に薔薇を刺してカレブに向かって戦いを挑んでくるであろうことを想像しただけで感動してしまうカレブ。
そんな彼を見て首を傾げているファラ卿と、少々心配になってしまうラドゥであった。
あと三日ほどで、そのリギアとの決戦の日がやってくる。
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