キャンバスに描かれた聖騎士の純愛

樹 史桜(いつき・ふみお)

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003 瞼のエリー

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「過労のようなものですね。何かストレスが重なったのでしょう。しばらく安静にして、栄養を摂れば問題ないかと」
「そうですか。ありがとうございます」
 
 見慣れぬ天上の模様が目に入り、少し離れた場所から男性二人の声が聞こえてくる。一人は年配の男性の声、もう一人は若々しい男性の声だ。
 薄目にそちらを眺めやると、部屋の入口のあたりで白髪交じりの医者らしき人物と、明るい色の長い髪をした背の高い男性が話していた。
 話の内容をぼんやりと反芻したジリアンは、彼らが話しているのは自分のことのようだと感じ取った。 
 
「くれぐれもお大事にして差し上げてください」
「はい。ありがとうございました先生」
「はっはっは。なんのなんの。それにしてもようやく神鳥の聖騎士エリアス殿にも良い方が現れたようですな」
「そ、そういう関係ではありませんよ」
「いやいや、部屋にお連れして甲斐甲斐しく看病などと、大切にしていなきゃできませんよ」
「いや、本当に……お、幼馴染でして」
「幼馴染、よろしいじゃありませんか。気ごころの知れた方を奥方にするならきっと末永く仲良く暮らせます。義父上のアシュバートン卿もお喜びになられるでしょう」
 
 朗らかに笑いながら医者らしき初老の男性は部屋を出て行く。その姿をお辞儀をしながら見送ったあと、こちらにくるりと振り向いた男性は、ジリアンがうっすらと目を開けているのに気が付いてこちらに駆け寄ってきた。

 彼の姿はすっかり逞しい男性らしくなったけれど、覗き込んでくるその深い青の瞳は、子供のころ修道院の保育所で面倒を見てくれていた双子の一人、エリーと全く変わっていなかった。
 やはり、エリーはエリアス・ハイランドその人なのだと、ジリアンは改めて思った。
 
「……ジリアン、気が付いたんだね。私が分かるかい?」
「え、えっと……聖騎士の、エリアス・ハイランド様……?」
「エリアスでいいよ、ジリアン。君と私の仲じゃないか」
「いや、どんな仲ですか……って、そういえば私、橋で」
「あは。良かった。そう、君はあのあと過労で倒れたみたいなんだ」
「え、過労って……」
「最近忙しかったのかい? 疲れていたんだね。そうだ、気分が良くなるお茶を頂いたんだ。今淹れてあげるからね」

 そう言っていそいそと部屋を出ていくエリアスの姿を茫然と見送ったジリアンは、しばらくそうしていたが改めてあたりを見回した。

「ここがどこなのか聞くの忘れた……」



 エリアスが淹れてくれた香り高いお茶を頂きながら、一体何があったのかを聞いてジリアンは恐縮しきりだった。

 あの橋のところでジリアンは色々なことが合ってキャパオーバーになったらしく、気絶してしまったところをエリアスがここに運んでくれたそうだ。
 ちなみにここはエリアスの自宅で、ハイドランジア正教会の敷地内にある聖騎士隊の寮。寮といってもエリアスのような上位騎士にあたる者にはアパートメントのような部屋ではなく一人ひとり独立したヴィラが充てられているらしく、この広々とした一軒家はエリアスが一人で住んでいる。
 ここの近くに彼の弟である聖騎士オスカー、友人の聖騎士ジェラルドもそれぞれヴィラを与えられているとのことだった。

 一体どうしてここに連れてこられたのかというと、ジリアンの自宅の住所を聞く前にジリアンが倒れたので、エリアスはとりあえず自宅に連れて帰ったらしい。
 ジリアンは気絶して一時間ほどここで休まされていたそうだ。その間に教会の医者にまで診てもらったそうで、ジリアンは恐縮しきりだった。

「男一人の部屋だから気の利いたものはないけれど、ゆっくりしていってかまわないからね」
「いや、あの、すぐにお暇しますので……」

 ――さすがに幼馴染とはいえ聖騎士様のヴィラに自由民である私が長居するなんて恐れ多いことできないってば……。

 お茶を飲み終わったらすぐに帰ろう。有名な聖騎士が自宅に女を連れ込んだと噂になったら居た堪れない。
 この国では正教会に所属とはいえ騎士の男女交際や結婚は普通に許されているけれど、だからこそ自分のような一介の自由民である女がその相手になるなんて烏滸がましい。
 それに、ジリアンは失恋したばかりで次の色恋沙汰や噂になるようなことにかまける心の余裕がなかったので、そんな噂の的になるようなことは避けたかった。

「うーん、そうか。仕方ないね。幼馴染とはいえ、少し馴れ馴れしかったかな。すまない、ジリアン」
「い、いえ! その、聖騎士様……エリアス様がお気になさることじゃないです。あの、ちょっとびっくりしちゃって。お、怒らないで聞いていただきたいんですが」
「うん?」
「あの、実は私、子供のころ貴方と弟さんのこと、お、女の子と勘違いしていて……そ、それで、その、優しいお姉ちゃんたちだと思ってて……」
「えっ、お、女の子? お姉ちゃん?」
「すみませんすみません! こ、子供のころの私、本当に何もわかってなかったので。む、昔からお綺麗な方という意味で! あ、お綺麗って、女性らしいとかじゃなくて、こう、感覚的に綺麗なものは綺麗っていう意味でっ」
 
 さすがにエリアスも苦笑している。一応「貴方が見目麗しいから仕方ない」などとニュアンスを込めて取り繕ったけれど、男性にとって「綺麗」は必ずしも誉め言葉にはならないのを思い出してさらに落ち込んでしまう。

 ――あああ~私のバカバカバカ!

「……ごめんなさい」
「いや、そんな謝らなくていいんだけれど。そうか、お姉さんだと思っていた相手が再会してこんな体格の大きい男性騎士になっていたら、そりゃあビックリするだろうね。気にしなくていいよ、確かに子供のころはよく女の子と間違われていたからね」
「そ、そうなんですか……」
「この髪の長いのも家のしきたりでね。弟のオスカーも長髪なんだ。そのせいで騎士学校に入学した際も上級生によく騎士じゃなく役者にでもなったらどうだと揶揄われていたよ。私もオスカーも」
「ひ、ひどいですね……って、私も大概ですけども」
「いやいや、ジリアンは子供のころだから仕方ないよ。それで私もオスカーも揶揄ってきた上級生を見返そうとかなり身体を鍛えたんだ。オスカーなんて負けず嫌いだから、絶対に強くなってやるって燃えていたなあ」

 それで努力を重ねて、その揶揄ってきた上級生より先に聖騎士試験に合格してやったんだ、とエリアスは誇らしげに笑った。
 あの綺麗で華奢で女子のようだった双子が、今や王都オルテンセでもこの人ありと謳われる聖騎士になっているなんて。月日が経つとこうして変わっていくものなのだと改めて実感する。
 そして、そんな出世をして順風満帆な彼とは正反対に、失恋して気分は底辺を彷徨う自分との落差に溜め息を禁じ得ない。

 それでも思い詰めたジリアンが橋から身を投げるかもしれないと勘違いして「自害はいけない」と説得するところなんて、何くれとなく世話を焼いてくれたあの頃の「エリー」の優しさは大人になっても変わっていなかった。

 ――すごいなあ。彼に比べて私は、なんて劣等感も感じるけど、不思議とさっきより元気が出てきた気がする。懐かしい人に会ったからかな。

 それとも一度気絶して気持ちが落ち着いたのかもしれない。まだたまにこみ上げてくる失恋の悲しみはあるだろうけれど、全く耐えられないほどではなくなった気がする。

 気持ちが表情に出ていたのか、ジリアンの最初よりは晴れやかになってきた表情を見て、エリアスはくすりと笑った。

「元気が出てきたみたいだね、ジリアン」
「はい、落ち着いてきました。気絶する前はどん底気分だったんですけど、今はだいぶ平気です」
「どん底って……やっぱりあの時」
「あ、違いますよ! あの時は落ち込んではいても本当に身投げしようなんて思ってなくて。これ、これを落としそうになって慌てただけなんです」

 ジリアンは、自分のバッグの横に置いてあったプレゼントの箱を指さした。これも倒れた際にエリアスが一緒に持ってきてくれたらしい。

「大事そうに抱えていたプレゼントだったね」
「ええ、実はドワーフの職人さんに作ってもらった一点ものが入っているので、落としたら大変だと思ってあの時慌てていたんです」
「ドワーフの! それは本当に貴重なものだね。きっと贈られた人は喜ぶだろうね。いや、身投げと勘違いしてすまない。でも無事で良かったよ、プレゼントも君も」
「……んー、まあ、贈る相手は今日いなくなっちゃったんですけどね。はは……」 
「えっ……そ、そう、なのか……?」
「あ、す、すいません。なんかぽろっと口に出てしまいました。……あはは、ぶっちゃけると私、ついさっき失恋しちゃいましたー」

 自嘲したジリアンの乾いた笑いにエリアスの笑顔が凍り付く。ジリアンは余計な事を言ってしまったと思ったけれど、なんだか話してみたくなった。このエリアスになら昔馴染みのよしみで吐き出したかったのかもしれない。
 一度話し出したら、それが呼び水みたいに次々と吐き出す言葉がとまらなくなってしまった。

「今日は彼の誕生日だったんです。しばらく会えなかったからとっておきのプレゼントを持って彼の家に行ったら、彼、貴族のお嬢様とイチャイチャしてたんですよね。婚約したんですって、私の知らないうちに」
「ジ、ジリアン」
「貴族のお嬢様に見初められるなんて、さすが大店ベネット商会の跡取り息子だなって、感心すらしちゃいました」
「……」
「しかも、伯爵家のお嬢様ですよ? 伯爵家って王家の方々にも近しい爵位の方たちですよね? そんなお嬢様に見初められて幸せそうにキスしている二人を見て、ああ、私もう空気そのものなんだなって……」
「……っ、ちょ、ちょっと待っててジリアン」
「え?」

 エリアスは開いたティーカップを片付けるとキッチンのほうへ行って何やらごそごそと用意をして、足早に戻ってきて早々テーブルの上に大きな酒瓶をどんと置いた。そしてその横に氷いっぱいのアイスペールとロックグラスを二つ置く。

「ジリアン、私で良かったら話聞くよ。こういう時は酒の勢いで吐き出してしまったほうがいいときもある」
「え?」
「何ならオスカーも呼ぼう。帰ってきたらうちに来るように伝言を……」
「いやいやいやいや! そんなことしなくていいですって!」
「じゃあ私とサシ飲みでいいの? 私は全然かまわないんだけれど」
「いや、飲むの決定なんですか」
「だってこのまま君を帰すのは何だか心配なんだよ……!」

 ――あ。なんか思い出してきた。そういえばこの人子供のころからやたらと世話焼きで、孤立しがちの私を何かといえばお世話してくれたんだっけ。そんなところ、全然変わってないんだな……。

 そう考えたらふと肩の力が抜けた。不意に目頭が熱くなり、じわじわと涙が溢れてきた。
 そんな彼女に、エリアスはそっと白いハンカチを差し出してくれたので、申し訳ないと思いつつも有難く使わせてもらうことにした。
 
 何でもない感じを装っていても、ハートブレイク中なのは変わりなくて、こんなささくれ立った気持ちにエリアスの優しさが染みすぎて涙があとからあとから溢れて止まらない。

「すみません……うっ、ひっく、あーもう、忘れようとしたのになあ……」
「……我慢していたんだね。いいよ、私だけしか見てないから」
「ううう~……ぐす、すみま、せん、すぐ、泣き止みます、から……」

 自分でも知らなかったが、コリンとの突然の別れは自分にはかなりの衝撃と悲しみを与えたらしかった。
 そしてあの美しい令嬢の勝ち誇った微笑みに何一つ太刀打ちできなかった気持ちの弱さが悔し涙となって流れてくる。
 
 本当にコリンのことが好きだった。些細な喧嘩はしたけれど、すぐにお互いに歩み寄って仲直りしてきた。
 今回だって、もしかしたら何かの間違いで、家で勝手に用意された婚約者に、親の手前仕方なく会っていただけだったとか、そうであって欲しかった。けれど、あの美しい令嬢に寄り添い、さも愛おし気に幸せそうにキスをしていたコリンの幸せそうな表情はそれが全て真実だと伝える。
 ジリアンに気づいたあと、弁明もしないまま目を逸らして、最後はジリアンが去るのに謝罪の言葉一つかけてくれなかったのだから。
 
 既にそこまで令嬢と親しかったのなら、あんな現場を見てしまう前に別れの言葉を彼の口から聞きたかったのに。
 なぜ、どうして、辛い、悲しい。そんな気持ちに蓋をして強いふりをしていたけれど、一度流れてしまった涙はそう簡単には止まってくれなかった。
 子供みたいにしゃくりあげながら涙を流すジリアンを、エリアスはただ横で静かに聞いてくれていた。

 それからしばらく気のすむまで泣いたあと、ジリアンは急に恥ずかしくなって苦笑しながらようやく吹っ切れた。やはり悲しいときは泣くのが一番のデトックスなのかもしれない。

「すみません。もう泣き止みました」

 ずびずびと鼻をすすりながら言うので説得力はないかもしれないが、とりあえず落ち着いてきたので大丈夫だと思う。
 
「本当に大丈夫かい?」
「あはは、全然変わってなかったエリアス様の優しい感じに弱音吐いちゃいました。……よし、せっかくですからお酒、頂きます!」
「大丈夫かい?」
「全然大丈夫! お酒大好きだし、それにエリアス様言ってたじゃないですか、思い出話もしたいしって」
「……わかった。じゃあお酒だけ飲むのも体に良くないから、何かあるもので作るからね」

 そう言って立ち上がったエリアスは、キッチンに行って黒いエプロンを身につけて長い髪を一つにまとめた。手慣れた様子に、彼が普段から料理もしているのが伺えてうっとりしてしまったが、いや、見とれてどうする、とジリアンは立ち上がった。

「私も手伝います」
「ジリアンはお客さんなんだから座ってていいんだよ」
「一緒に作りましょうよ。二人で食べたり飲んだりするんですから。その方が楽しいですよ。それに、実は私もお料理得意なんです」
「……それもそうか。じゃあ、手伝ってもらおうかな」

 そんな風にキッチンに二人で並び、 五、六種類の簡単なおつまみを二人で作ってテーブルに並べた。
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