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第一章:旅の始まりと騎士の英雄
6話:白銀はそこにひとり
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ソフィアを追い返した日から、数日が過ぎた。ソフィアは俺に会いに来なかった。まだこの町にはいると思うから一応探してはいるが、見つからない。会ってもう一度話をしたいのだが。連絡手段が会話か手紙しかないこの世界では、町の中で人一人探すのも相当難しい。
そう思えば、ソフィアは俺を探すときに、おそらくかなり苦労したのだろう。
まあ、それはさておき。
聞いたところによれば、この世界にはかつて英雄と呼ばれる者たちがいたらしい。人間には到達できない領域に踏み込み、神にすら届きえる力を扱うことができたのだとか。
残念ながら、今はもういないらしい。理由はしらない。
このアレーリアの町では、子供たちを寝かしつける時に決まって英雄の伝承を話すのだそうだ。悪逆の神を、正義の心を持った者たちが倒し、世界を救う。英雄には様々な人がいるらしいが、話の流れはすべて共通している。そうして英雄の話というのは、人々の生活の一部に溶け込んでいるのだ。
こういった理由で、特に人気がある英雄の誕生日には、特別な催し物が開かれる。
例えば、今日アレーリアの町では『銀騎士ローレンス生誕祭』が行われていた。
「――遊んで来い、か」
日差しの照る中、俺は出店でにぎわう通りを歩いていた。木の骨組みとモルタルで作られた中世ヨーロッパ的な住宅が立ち並ぶこの通りは、普段より圧倒的に人が多い。というのも今日は特別に出店が道の端に列をなしているのだ。だからそれ目当ての客が国中から大勢やってきているというわけだ。
清潔そうな服を着た人々の往来を見ていると、自分がひどく場違いな存在なのではないかと思う。
本当なら今頃、いつものように働いていた。だが店主が「若い奴はこんなときこそ遊んで思い出を作ってくるべきだ」と言って俺を店から追い出した。そればかりか少しお小遣いまでくれたのだ。
こんな時こそ店で働くべきではないかと俺は言ったのだが、店主は大丈夫だの一点張りで俺を祭りに行かせたがった。
そうして店主の押しに負け、俺は仕方なく今ここにいるのだ。
「来た以上は、ありがたく遊んだ方がいいんだろうな……」
でなければ店主の好意を無駄にしてしまう。
なんとなく出店を見て回っていると、日本での夏祭りを思い出した。射的に金魚すくい。くじ引きにかき氷。どれも今となっては懐かしい。
こっちの世界の出店に並んでいるのは、主に肉、果物、野菜、魚、パン……様々な食料品。それからどこか別の町で作られたアクセサリーや宝石。本や服もある。結構バリエーションが豊富で、見てるだけでも飽きない。
だがどうしても肉料理をだしている店の前を通るたび、肉を焼く音や匂いにつられそうになる。ただ単に焼いただけのもので、品質だって元の世界のものと比べたら天と地ほどの差があるのに、無性にかぶりつきたい衝動にかられる。
だがこの世界の肉は高い。買ってしまえばもらったお小遣いをすべて使い切ってしまう。買うものはよく考えたほうがいい。
そんな小学生みたいな計算を頭の中でしていると、なんだか元の世界に帰ってきたようで、自然と歩みが軽くなっていった。口笛も吹こうとしたが、さすがに目立つだろうからやめた。
とりあえず安いパンをいくつか買ってみた。これで腹を満たせばきっと肉の誘惑にも打ち勝てるはずだ。
人ごみにもまれていると、時折大きな獣も見かける。二足歩行するだけでなく、服まで着て、しかも話すことのできる人間大の獣。彼らは獣人と呼ばれる異種族だ。数ある異種族たちの内、人間と友好的な種族らしい。他の種族は聞いたことないが。
顔が人間であれば女、獣そのものであれば男、らしい。どちらにせよ近くを通るとその迫力に気圧される。なにしろ大きいのだ。男の獣人は俺よりも頭三つ分は高い。だから彼らを見かけるたびに俺はさりげなく遠くへ逃げている。
気が強いだけでやな奴らじゃない、とはネフェロが言っていた彼らの評価だが、そんなこと言われても怖いものは怖いのだ。元の世界でも犬とかが苦手だった。だっていきなり噛みつかれたらとんでもなく痛いだろう。
そんなとき不意に獣人の集団がそばを通りかかり、俺は生命の危機を感じて反射的にすぐそばの路地に入った。
「こわ……」
後ろを振り返って獣人たちが通り過ぎたのを確認する。今日は祭りだから余計に多いのだ。せめて俺のいるところには来ないでほしいものだ。お願いだから。
「……というか、なんだここ、臭いな」
俺は顔をしかめて鼻をつまんだ。
路地は暗く、ひどい匂いを放ち、しかもじめじめしていた。最悪な三拍子だ。
ネフェロに聞いたことがあるが、この町の路地には平気で汚物が投げ込まれるらしい。夜に道路掃除夫たちが掃除するから朝早くならあまり臭いはしないらしいが、こういった祭りの日はおそらく特にひどいのだろう。日本では考えられない衛生観念だ。
「……あ」
よく見ると、道の端では乞食たちが汚れるのもいとわずに座り込み、帽子を自分の前に置いていた。誰もがぼろぼろの服を着て、老若男女問わずしわだらけの顔をしている。ピクリとも動かないその様子は、まるで死んでいるかのようだった。
異世界にやってきたばかりのころは、こういった光景の中に自分がいたのだと思うと胸が痛くなった。
乞食たちが俺の持っているパンに目を向けた。ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。
ふとネフェロのことを思い出す。死にかけていた時、ネフェロに手を差し伸べられていなければ、俺は死んでいたはずだ。
ごめんなさい。心の中で店主に頭を下げる。
俺は路地を通りながら、パンを分けて乞食の帽子の中に入れていった。たまに帽子に入れる前にひったくるようにパンをもらっていく奴もいた。だがそれだけ腹が減っているということなのだろう。その気持ちは痛いほどわかる。
そうして俺が通ったあとは、みんな狂ったようにパンをむさぼり始めた。
奥に行くにつれて、乞食の姿も見なくなっていった。
次で最後にしよう、そう思った。
「――お前もほら、食えよ」
こんなところにいても食べ物なんてもらえないだろうというほど奥に、乞食が一人座り込んでいた。そいつは目深に茶色いローブを着こんでいた。
乞食の目の前に置いてある帽子を覗き込んでみるが、案の定何も入っていない。
残ったパンを全部中に入れてやる。
するとローブから、震えた手が伸びてきた。白くて細い、意外にも綺麗な手だった。そうして帽子の中にあるパンのかけらを一つ手に持って、口元に持っていった。
他の乞食とは違って、そいつは随分とゆっくり食べていた。だが時折聞こえるのはすすり泣きのような声。随分苦しんでいたのだろう。もしかしたら何日も食べ物を口にしていなかったのかもしれない。
「――――あ、」
ローブの中から何か聞こえた。耳をすませてみる。
「――あり、がとう」
それは気持ちのこもった、感謝の言葉だった。
「どういたしまして。のどに詰まらせないように気を付けろよ?」
乞食は頷いた。そしてゆっくり顔をあげた。
「……あ、ありがとう………」
目深にかぶったローブでも、上を向けば顔をのぞくことができた。頬はやせているが、意外なことにすごく整った顔立ちだった。髪は目を奪われるようなプラチナブロンドで、涙を浮かべる瞳は、鮮血のようにどこまでも深い……赤、で――――
「……あ」
どちらが先に声を出したのかはわからない。だが目が合って、お互いに、お互いのことを認識したのは確かだった。
――なんでここにソフィアがいるのか。
俺がそう思うよりはやく、ソフィアはフードを手に持ってぐっと下げた。
しばらく時間がかたまったように、世界から音がなくなった。驚きとか戸惑いとかいろんなものにやられて、息すら止めていたかもしれない。
やがて近くで鳥が鳴いて、俺ははっとなった。
「なに、してるんだ。あんた」
「…………」
彼女は何もいわなかった。
「こんなところで……乞食のまねなんか……」
「…………人違いです」
綺麗な声。あの時もそんな印象を抱いた。
「誰と人違いしてるんだよ」
まだ俺は名前すら言ってないというのに。
「…………」
ソフィアはまただんまりを決め込んだ。
しかし彼女がこんなことをする理由に、俺は一つだけ心当たりがあった。
「もしかして、俺が乞食のまねをしてくれって言ったから、そんなことしてるのか?」
答えは返ってこない。だがそうとしか考えられない。俺がそれを言った時、全ての罰を受けると彼女は言った。もしそれを忠実に実行しているのだとすれば、ソフィアという人間はどこかネジが外れている。
「――だって、」
沈黙を破って、ソフィアは小さくつぶやいた。
「あなたがそうしたら許してくれるって……」
人違いだという言い逃れはもう諦めたようだ。話してくれる気になったということでいいのだろう。
「本気にしたのか、それ……?」
答える代わり、ソフィアは首を縦に動かした。
「馬鹿だろ、あんた」
あの時の俺は気が動転していた。わけのわからないことを一方的に打ち明けられ、あまつさえ頼み事までされたのだ。怒っても仕方がないと、冷静になった今ですら思う。
純粋なのか、馬鹿なのか。もしかしたら彼女はそうなんじゃないかとも思った。だが違った。彼女はどちらも、だ。
そして、かなりの頑固者だ。
「――馬鹿、ね。よくいわれるわ」
自虐的に小さく笑う。
俺は、こんな光景を望んでいたんだろうか。何も知らなさそうな少女に、こんな酷なことをしろと、俺は言ってしまったのだろうか。
だとしたら、馬鹿は。
「苦しかったか?」
「…………」
沈黙は、一番重い肯定だ。否定したくとも、出来ないという。こころの奥底からの一番小さな叫びなのだ。
ソフィアの少しやせてしまった頬を思い出す。涙も、すすり泣きの声も。ありがとうも。
「――――ごめん」
深く、深く頭を下げた。視線は汚い石畳に向かう。こんな場所で、一体ソフィアはどれだけの間過ごしたのだろうか。
ローブの擦れる音が聞こえる。それから小さく息を飲むような音も。
「私が、許してもらおうとしているのに、なぜあなたが謝るの……?」
「あんたをこんな目に合わせた。その理由が俺にあるのなら、謝るのは当然だ」
「怒っていたんじゃ、ないの?」
「怒ってた。正直今も、ちょっと許せない部分もある。でも、それとこれとは話が別だ。俺の八つ当たりで、あんたを危険な目に合わせた」
「そう……」
ソフィアの手が、俺の頬まで伸びる。血の通いが悪いのか、触れた手の温度はひどく冷たかった。
「私のしたことは、あなたのためになった……?」
俺は目を見開いた。そんなことが彼女にとって一番大事なことだったのだろうか。自分の命を危険に晒すようなことだったのだろうか。
一歩間違えば、本当に死んでもおかしくなかったというのに。
「なんでそこまでするんだ、あんた」
「……私のせいで、あなたがひどい目にあったから」
「そんなことで……」
「いいえ、そんなことでは済まされないわ。そうでしょう? だってあなたも、いま謝ってくれたじゃない」
「いや、だってそれとこれとは」
「いいえ。きっとおんなじ気持ち、じゃないかしら?」
俺は謝っただけで、彼女は俺の言ったことで命を張ったというのに、おんなじ気持ちだと。
ウィレムに言われたことを思い出す。
俺がこの子についてわかった気でいられるのは、この子について知っているうちの、それも言語化できる部分だけ。
だというのに、俺はこの子に何と言ったのだ。勝手に悪魔とか、魔王とか、言いたい放題。きっと傷つけてしまった。浅はかな俺のせいで。
……なぜ、俺は怒っていたのだろう。こんな子のことを。
彼女の前に跪く。
俺は頬に添えられた手を握り、
「……じゃあ、仲直りしてくれないか。俺はあんたのことを許す。だから、俺があんたにしてしまったことを、許してほしい」
「いいの……?」
「あんたが、いや――きみが、いいなら」
ソフィアはフードを取って、白銀の髪を晒した。そうして、俺の背に手を回し、優しく抱きしめてきた。
路地はじめじめしていて、ひどい悪臭が漂い、昼の光なんて知らないと言わんばかりに薄暗いというのに、
「『あんた』って呼ばれるほうが、なんだか近くて、心地いいわ」
抱きしめた彼女の体は、温かかった。
そう思えば、ソフィアは俺を探すときに、おそらくかなり苦労したのだろう。
まあ、それはさておき。
聞いたところによれば、この世界にはかつて英雄と呼ばれる者たちがいたらしい。人間には到達できない領域に踏み込み、神にすら届きえる力を扱うことができたのだとか。
残念ながら、今はもういないらしい。理由はしらない。
このアレーリアの町では、子供たちを寝かしつける時に決まって英雄の伝承を話すのだそうだ。悪逆の神を、正義の心を持った者たちが倒し、世界を救う。英雄には様々な人がいるらしいが、話の流れはすべて共通している。そうして英雄の話というのは、人々の生活の一部に溶け込んでいるのだ。
こういった理由で、特に人気がある英雄の誕生日には、特別な催し物が開かれる。
例えば、今日アレーリアの町では『銀騎士ローレンス生誕祭』が行われていた。
「――遊んで来い、か」
日差しの照る中、俺は出店でにぎわう通りを歩いていた。木の骨組みとモルタルで作られた中世ヨーロッパ的な住宅が立ち並ぶこの通りは、普段より圧倒的に人が多い。というのも今日は特別に出店が道の端に列をなしているのだ。だからそれ目当ての客が国中から大勢やってきているというわけだ。
清潔そうな服を着た人々の往来を見ていると、自分がひどく場違いな存在なのではないかと思う。
本当なら今頃、いつものように働いていた。だが店主が「若い奴はこんなときこそ遊んで思い出を作ってくるべきだ」と言って俺を店から追い出した。そればかりか少しお小遣いまでくれたのだ。
こんな時こそ店で働くべきではないかと俺は言ったのだが、店主は大丈夫だの一点張りで俺を祭りに行かせたがった。
そうして店主の押しに負け、俺は仕方なく今ここにいるのだ。
「来た以上は、ありがたく遊んだ方がいいんだろうな……」
でなければ店主の好意を無駄にしてしまう。
なんとなく出店を見て回っていると、日本での夏祭りを思い出した。射的に金魚すくい。くじ引きにかき氷。どれも今となっては懐かしい。
こっちの世界の出店に並んでいるのは、主に肉、果物、野菜、魚、パン……様々な食料品。それからどこか別の町で作られたアクセサリーや宝石。本や服もある。結構バリエーションが豊富で、見てるだけでも飽きない。
だがどうしても肉料理をだしている店の前を通るたび、肉を焼く音や匂いにつられそうになる。ただ単に焼いただけのもので、品質だって元の世界のものと比べたら天と地ほどの差があるのに、無性にかぶりつきたい衝動にかられる。
だがこの世界の肉は高い。買ってしまえばもらったお小遣いをすべて使い切ってしまう。買うものはよく考えたほうがいい。
そんな小学生みたいな計算を頭の中でしていると、なんだか元の世界に帰ってきたようで、自然と歩みが軽くなっていった。口笛も吹こうとしたが、さすがに目立つだろうからやめた。
とりあえず安いパンをいくつか買ってみた。これで腹を満たせばきっと肉の誘惑にも打ち勝てるはずだ。
人ごみにもまれていると、時折大きな獣も見かける。二足歩行するだけでなく、服まで着て、しかも話すことのできる人間大の獣。彼らは獣人と呼ばれる異種族だ。数ある異種族たちの内、人間と友好的な種族らしい。他の種族は聞いたことないが。
顔が人間であれば女、獣そのものであれば男、らしい。どちらにせよ近くを通るとその迫力に気圧される。なにしろ大きいのだ。男の獣人は俺よりも頭三つ分は高い。だから彼らを見かけるたびに俺はさりげなく遠くへ逃げている。
気が強いだけでやな奴らじゃない、とはネフェロが言っていた彼らの評価だが、そんなこと言われても怖いものは怖いのだ。元の世界でも犬とかが苦手だった。だっていきなり噛みつかれたらとんでもなく痛いだろう。
そんなとき不意に獣人の集団がそばを通りかかり、俺は生命の危機を感じて反射的にすぐそばの路地に入った。
「こわ……」
後ろを振り返って獣人たちが通り過ぎたのを確認する。今日は祭りだから余計に多いのだ。せめて俺のいるところには来ないでほしいものだ。お願いだから。
「……というか、なんだここ、臭いな」
俺は顔をしかめて鼻をつまんだ。
路地は暗く、ひどい匂いを放ち、しかもじめじめしていた。最悪な三拍子だ。
ネフェロに聞いたことがあるが、この町の路地には平気で汚物が投げ込まれるらしい。夜に道路掃除夫たちが掃除するから朝早くならあまり臭いはしないらしいが、こういった祭りの日はおそらく特にひどいのだろう。日本では考えられない衛生観念だ。
「……あ」
よく見ると、道の端では乞食たちが汚れるのもいとわずに座り込み、帽子を自分の前に置いていた。誰もがぼろぼろの服を着て、老若男女問わずしわだらけの顔をしている。ピクリとも動かないその様子は、まるで死んでいるかのようだった。
異世界にやってきたばかりのころは、こういった光景の中に自分がいたのだと思うと胸が痛くなった。
乞食たちが俺の持っているパンに目を向けた。ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。
ふとネフェロのことを思い出す。死にかけていた時、ネフェロに手を差し伸べられていなければ、俺は死んでいたはずだ。
ごめんなさい。心の中で店主に頭を下げる。
俺は路地を通りながら、パンを分けて乞食の帽子の中に入れていった。たまに帽子に入れる前にひったくるようにパンをもらっていく奴もいた。だがそれだけ腹が減っているということなのだろう。その気持ちは痛いほどわかる。
そうして俺が通ったあとは、みんな狂ったようにパンをむさぼり始めた。
奥に行くにつれて、乞食の姿も見なくなっていった。
次で最後にしよう、そう思った。
「――お前もほら、食えよ」
こんなところにいても食べ物なんてもらえないだろうというほど奥に、乞食が一人座り込んでいた。そいつは目深に茶色いローブを着こんでいた。
乞食の目の前に置いてある帽子を覗き込んでみるが、案の定何も入っていない。
残ったパンを全部中に入れてやる。
するとローブから、震えた手が伸びてきた。白くて細い、意外にも綺麗な手だった。そうして帽子の中にあるパンのかけらを一つ手に持って、口元に持っていった。
他の乞食とは違って、そいつは随分とゆっくり食べていた。だが時折聞こえるのはすすり泣きのような声。随分苦しんでいたのだろう。もしかしたら何日も食べ物を口にしていなかったのかもしれない。
「――――あ、」
ローブの中から何か聞こえた。耳をすませてみる。
「――あり、がとう」
それは気持ちのこもった、感謝の言葉だった。
「どういたしまして。のどに詰まらせないように気を付けろよ?」
乞食は頷いた。そしてゆっくり顔をあげた。
「……あ、ありがとう………」
目深にかぶったローブでも、上を向けば顔をのぞくことができた。頬はやせているが、意外なことにすごく整った顔立ちだった。髪は目を奪われるようなプラチナブロンドで、涙を浮かべる瞳は、鮮血のようにどこまでも深い……赤、で――――
「……あ」
どちらが先に声を出したのかはわからない。だが目が合って、お互いに、お互いのことを認識したのは確かだった。
――なんでここにソフィアがいるのか。
俺がそう思うよりはやく、ソフィアはフードを手に持ってぐっと下げた。
しばらく時間がかたまったように、世界から音がなくなった。驚きとか戸惑いとかいろんなものにやられて、息すら止めていたかもしれない。
やがて近くで鳥が鳴いて、俺ははっとなった。
「なに、してるんだ。あんた」
「…………」
彼女は何もいわなかった。
「こんなところで……乞食のまねなんか……」
「…………人違いです」
綺麗な声。あの時もそんな印象を抱いた。
「誰と人違いしてるんだよ」
まだ俺は名前すら言ってないというのに。
「…………」
ソフィアはまただんまりを決め込んだ。
しかし彼女がこんなことをする理由に、俺は一つだけ心当たりがあった。
「もしかして、俺が乞食のまねをしてくれって言ったから、そんなことしてるのか?」
答えは返ってこない。だがそうとしか考えられない。俺がそれを言った時、全ての罰を受けると彼女は言った。もしそれを忠実に実行しているのだとすれば、ソフィアという人間はどこかネジが外れている。
「――だって、」
沈黙を破って、ソフィアは小さくつぶやいた。
「あなたがそうしたら許してくれるって……」
人違いだという言い逃れはもう諦めたようだ。話してくれる気になったということでいいのだろう。
「本気にしたのか、それ……?」
答える代わり、ソフィアは首を縦に動かした。
「馬鹿だろ、あんた」
あの時の俺は気が動転していた。わけのわからないことを一方的に打ち明けられ、あまつさえ頼み事までされたのだ。怒っても仕方がないと、冷静になった今ですら思う。
純粋なのか、馬鹿なのか。もしかしたら彼女はそうなんじゃないかとも思った。だが違った。彼女はどちらも、だ。
そして、かなりの頑固者だ。
「――馬鹿、ね。よくいわれるわ」
自虐的に小さく笑う。
俺は、こんな光景を望んでいたんだろうか。何も知らなさそうな少女に、こんな酷なことをしろと、俺は言ってしまったのだろうか。
だとしたら、馬鹿は。
「苦しかったか?」
「…………」
沈黙は、一番重い肯定だ。否定したくとも、出来ないという。こころの奥底からの一番小さな叫びなのだ。
ソフィアの少しやせてしまった頬を思い出す。涙も、すすり泣きの声も。ありがとうも。
「――――ごめん」
深く、深く頭を下げた。視線は汚い石畳に向かう。こんな場所で、一体ソフィアはどれだけの間過ごしたのだろうか。
ローブの擦れる音が聞こえる。それから小さく息を飲むような音も。
「私が、許してもらおうとしているのに、なぜあなたが謝るの……?」
「あんたをこんな目に合わせた。その理由が俺にあるのなら、謝るのは当然だ」
「怒っていたんじゃ、ないの?」
「怒ってた。正直今も、ちょっと許せない部分もある。でも、それとこれとは話が別だ。俺の八つ当たりで、あんたを危険な目に合わせた」
「そう……」
ソフィアの手が、俺の頬まで伸びる。血の通いが悪いのか、触れた手の温度はひどく冷たかった。
「私のしたことは、あなたのためになった……?」
俺は目を見開いた。そんなことが彼女にとって一番大事なことだったのだろうか。自分の命を危険に晒すようなことだったのだろうか。
一歩間違えば、本当に死んでもおかしくなかったというのに。
「なんでそこまでするんだ、あんた」
「……私のせいで、あなたがひどい目にあったから」
「そんなことで……」
「いいえ、そんなことでは済まされないわ。そうでしょう? だってあなたも、いま謝ってくれたじゃない」
「いや、だってそれとこれとは」
「いいえ。きっとおんなじ気持ち、じゃないかしら?」
俺は謝っただけで、彼女は俺の言ったことで命を張ったというのに、おんなじ気持ちだと。
ウィレムに言われたことを思い出す。
俺がこの子についてわかった気でいられるのは、この子について知っているうちの、それも言語化できる部分だけ。
だというのに、俺はこの子に何と言ったのだ。勝手に悪魔とか、魔王とか、言いたい放題。きっと傷つけてしまった。浅はかな俺のせいで。
……なぜ、俺は怒っていたのだろう。こんな子のことを。
彼女の前に跪く。
俺は頬に添えられた手を握り、
「……じゃあ、仲直りしてくれないか。俺はあんたのことを許す。だから、俺があんたにしてしまったことを、許してほしい」
「いいの……?」
「あんたが、いや――きみが、いいなら」
ソフィアはフードを取って、白銀の髪を晒した。そうして、俺の背に手を回し、優しく抱きしめてきた。
路地はじめじめしていて、ひどい悪臭が漂い、昼の光なんて知らないと言わんばかりに薄暗いというのに、
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【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~
石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。
ありがとうございます
主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。
転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。
ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。
『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
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