12 / 15
八十八夜とお茶と師範と
1
しおりを挟むこの時期になると、茶摘み歌を口ずさみたくなるマスターである。
口ずさむことはしない。口ずさめば、阿形と吽形がしばらく帰ってこないからである。
原因は、魔獣をも狂わせるという音痴ゆえだ。逆に弟子は一度聞いただけで賛美歌もあっさりと歌える。どんな歌詞だろうとあっさりと「音」として覚えている。ある意味能力の無駄遣いだ。
常連になりかけの客たちから毎度「何もしないの?」と聞かれる八十八夜であるが、マスターはやろうと思ったことはない。
元々雑節の一つで、立春から数えて八十八回目の夜ということから「八十八夜」となっただけである。そして、その頃に摘まれたお茶が「長生きできる」やら「病気にならない」と考えられているのが理由だ。
この時期にちょうど一番茶の茶摘みが始まることと、その一番茶は冬からの栄養分を蓄えているという事実もあるのだが。
「こんちゃーーっす。お届けに来ました」
「お疲れ様です」
探求者の配達人がちょうどお茶を運んできた。
本日入荷したのは、九州産の茶葉で、この探求者は茶園の息子。そしてその茶園は、マスターが懇意にしているところでもある。
「相変わらず、香りも茶葉自体も素晴らしいですね」
「あざっす。祖父さんと姉貴に伝えておきます」
マスターは知らない。この感想がかなり高い評価になっているということを。
「ご家族によろしくお伝えください」
「はいよっ。弟子君にもよろしく」
この探求者と弟子は同い年。そして仲がいい。店で会えばしばらく茶を飲みながら話し込む。
昨日から迷宮に入っているという弟子は、しばらく来ない。マイニに弟子のための薬草茶を一週間分渡したので、何も狂いがなければ三日で帰ってくるはずである。
からんからん、という音をたてて探求者は帰っていった。
それを見越してやって来るのは、猪瀬だ。本日持って来た茶をゆっくりと飲みたいのだ。
「猪瀬様、いらっしゃいませ」
「今日の新茶を」
「かしこまりました」
上煎茶を吽形から出しつつ、マスターは湯の用意を始めた。
「あ、それからそのお茶百グラム貰えるかな」
その言葉を受け、黙って猪瀬に二十五グラムの茶葉を渡す。残りは茶葉使い切ったら渡すのが暗黙の了解となっている。
「吽形君、悪いね。僕はうまく保存できないから助かるよ」
ちなみに、こうやって預かる場合は別料金がかかる。それを知っていても利用する者はあとを絶たなかったりする。マスターとしても吽形が嫌がらない限り、受け入れている。
「やっぱり僕が淹れるよりも、マスターが淹れた方が美味しいんだよね」
「私の淹れるお茶が不味かったら、商いになりませんよ」
何せお茶を売りにしているのだ。
「ご馳走さん。それから、マスターとこの店を調べているやつらがいたぞ」
「おや、それは穏やかじゃないですね。気を付けておきます」
情報料代わりに今日飲んだ茶は無料にした。
「……私を調べる輩、ですか。思い当たる節がありすぎるのも困りますねぇ」
妻の元夫とかその雇用主とか。それに付随する金持ち周辺とか。他マスターの行動が引き金となって罷免された、元ギルドマスターとかその腰巾着とか。他にも色々と多すぎる。
一昔前なら、マスターの実子や弟子が弱点としてあげられていたが、今はそうでもない。マスターの実子二人は、世界で有数の権力者に庇護される立場となっている。それゆえなかなか会えないのが難点だ。唯一日本にいる弟子は、腕っぷしならば己をはるかに超えている。というか、実力はランクがCであるため下に見られがちだが、その辺にいるAランクとも張り合える。
……この実力故、探求者ギルドの上層部が何人泣いたことか。「何でその実力で国際資格とれないんだよぉぉぉ」と直接言ってきた幹部もいたくらいだ。
国際資格が取れたら日本にいないことが多くなりそうだな、というのはマスターの心のうちに閉まってある。
定住している国際資格持ちの探求者の方が珍しいのだ。
「さて、張り紙を一つ出しますかね」
張り紙を見た近所の住民がこぞってやって来る。そこまでがいつもの光景だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
茶摘み歌があるので八十八夜=お茶というイメージがありますが、実際はこの時期に摘んだお茶が栄養価が高いよって話です。ついでに、時期は地方によって変わってきます。暖かい九州などは早いですし、冬が長い北陸や東北では遅いです。
因みに、お茶の産地で北側にあるのは新潟と宮城……だったはずです(ヲイ
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
『お前を愛する事はない』なんて言ってないでしょうね?
あんど もあ
ファンタジー
政略結婚で妻を娶った息子に、母親は穏やかに、だが厳しく訊ねる。
「『お前を愛する事は無い』なんて言ってないでしょうね?」
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる