玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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海の章

肆、エイルとべっこう飴 (前)

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肆、「エイルとべっこう飴」(前)


 竜宮の奥殿にある衣装部屋では、異世界に迷い込んだかのような錯覚を起こすほどの、色とりどりの衣装が広い全体にびっしりと用意されていた。ここからセツカの花嫁衣裳の生地から選び、縫い取りの柄から装飾品までを選ばねばならない。

「……姫様、こういう類は苦手でいらっしゃいましたよね」

「でも、とても適当でなどと言える空気ではありません……腹を括ります」

 ロンとセツカが小声で話していると、年配の女官長と衣裳部屋の管理を任されている女官四名がにこにこと満面の笑みで、迫ってくる。

「ああ、感無量でございます。あの屋根に上ったり、書庫の片隅で埃まみれになっていたりとお転婆だった姫様がやっと御夫君とご一緒にこの部屋を訪れてくださるなんて……」

 女官長は昔からセツカの奇行に付き合わされていたので、ロンもよく見知っている仲だ。セツカを自身の娘のように可愛がっていたが、振り回されっぱなしだったので、付き人だったロンもその苦労がひしひしと伝わってくる。
 女官長の涙に負けたのか、セツカはおとなしく入室し、ロンもそれに続く。ロンは部屋の中心の椅子に座らせた。セツカは付けている飾りをすべて外され、真っ白な短衣と蝶々結びにされた薄桃の帯と長下衣のみ残して着せ替え人形にされていく。セツカの方に数倍時間がかかるが、彼女の物がすべて決まれば、次はロンの番だ。
 なので、ロンはすでに疲れを顔に出しているセツカを見かねて、先手を打った。

「女官長。私の個人的な好みゆえ、姫様のお好きなように決めてくれて構わぬが、私は姫様にはあまり華美な濃色は程々に、淡く優しい色合いが似合うと思うのですが?」

「まあ、将軍!! おっしゃる通りですわね。では輝く真珠色の光沢が綺麗な絹を主な生地に致しましょう。海の婚礼衣装に青は必須ですので、お二人の褙子長羽織に濃い青を使いましょうね。姫様のお衣装は交領とお胸元に縁を銀糸で縫い取った模様を。お顔が小さいので、御髪おぐしもすべて上げてしまうより、少しだけ残して――姫様、如何です?」

「ロンが似合うと言ってくれたので、お任せします。縫い取りの模様も、銀糸で縁取った桃や牡丹を少々。髪飾りは逆に金を主にしてください」

 意外と軽快に決まっていく案を、一人の女官がやり取りを文章に、もう一人が図案にしたためていく。残りの女官らは生地と模様の参考を探して走り回っていた。女官たちは大忙しだが、女官長はどんどんと話を進めていく。

「あらあら、お着物に頓着が無かった姫様が積極的で嬉しゅうございますわ!! では、一度図案にして、明日お二人にご確認頂きます。微調整をしながら、職人に急ぎ仕立てて頂きます――姫様が白真珠のお色となると、対になるツーエン将軍もおのずと白になりますわねえ」

 女官長が片手を頬に当てて首を傾げてうんうんと唸る。今度はセツカが口を開いた。

「婚礼衣装は対人形のようになるのでしょう? では、ロンは私に使う白の直裾袍で、交領に同じ模様を入れて、模様は男性的なものに変えるなどはできますか?」

「ええ、ええ、可能でございますよ。では、明日に正式な図案ができあがったらご確認くださいませ。案に微調整をくわえて、急ぎで職人に仕立てて頂きます。本日は採寸を終えたらおしまいです。明日は髪飾りなどの小物を選びましょうね」

 女官長の言葉通り、この日は採寸を終えたら解放された。もう時刻は中天を超えている。

「やれやれ、午前を費やしてしまったなあ。昼餉にしましょうか」

「これでも早い方よ。こだわる方は、何日も費やすと仙界で耳にしましたもの」

 二人は廊下を進みながら「姫様にしては即決でしたが、たった一度の花嫁衣裳をよろしいのですか?」とロンが問えば、セツカは「苦手だからさっさと終わらせたかったのです」と返すので、ロンは堪えきれずにくすくすと笑う。

「それに女官長は幼少期からわたくし達の世話をしてくれたのだから、好みも周知しています。必ず素晴らしい晴れ着にしてくれるわ」

「そうですね。姫様は、昼餉を終えたら、ご政務に戻られますか?」

「ええ、皆が婚礼に集中しろと言ってくれるけれど、わたくしは宰相ですから、義父上をお助けしたいのです」

「俺にできることは?」

「……夜に同じ寝台で眠れたら、それで充分です」

 セツカはこつりとロンの肩にもたれ掛かった。ロンもセツカの腰を引き寄せて、二人でゆっくりと部屋へと向かう。
 その日から、約束通り二人でどちらかの部屋で眠っている――。





 婚礼衣装の打ち合わせもほとんど終わった二日後、事件は起こった。ロンとセツカが廊下を歩いている昼下がり、なにやら男二人が言い争う声が聞こえてきた。
 念の為にセツカを背後にしてロンが慎重に廊下を進むと騒いでいたのはエイルとヤンジンだ。

「あー!! ロン、探したんだぞ!! 助けてくれ!!」

「馬鹿たれ。すぐに保護者に頼るのはやめろと言ってんだろうが。ほれ、さっさと行くぞ」

「嫌だああ!!」

 半泣きになりながら、柱にしがみつくエイル。エイルに舌打ちするヤンジン。ロンは軽い頭痛を覚えた。

「ここでは迷惑がかかる。姫様を執務室までお送りしたらゆっくり話を聞くから、二人とも俺の部屋に居てください」

「ロン、わたくしなら大丈夫です。二人のお話しを聞いてあげて――また夜に」

 セツカは軽い会釈をすると、その場を去って行った。仕方がなく、ロンは柱を抱いているエイルをひっぺがし、ヤンジンと一定距離を保ちながら二人を自室に放り込んだ。

「エリン、落ち着いて一から話せ。場合によっては師匠を川に流してやるから」

「お前、起きたと思ったらそれかよ……!! 言っておくが、俺様はエイシャ王に頼まれてこいつの花嫁探しに協力してるんだぜ?」

「花嫁探し?」

「そう。俺があまりにも浮いた話ひとつ無いからって……。この三日ほど女郎屋か女ばかりの酒場に連れ回されてたんだ。化粧の匂いがきついし、子ども扱いされるし、もうやだ……」

 ロンは「はあ」とわざとらしい溜息を吐いて、なんの前振りもなく水差しでヤンジンを殴った。床で悶える師匠を無視し、ロンはエイルに向き合って座る。

「浮いた話ひとつない青少年に、女郎屋と裏酒場は敷居が高すぎるでしょう。エリンは姫様と女官に囲まれて生活してるから、まずは普通に昼間の食堂から始める。お師匠と行動するのもいいが場所は選べ」

「ん、わかった」

 ロンが「よし」と頷くと、ヤンジンはロンの頭を鷲掴む。ヤンジンの手には青筋が立っているが、ロンの表情は微動だにしない。どう足掻いてもヤンジンはロンには勝てないのだが、本人は認めたくはないらしい。

「昼間の食事なんか腹が膨れたらいいじゃねえか」

「二日酔いで吐いた直後に酒瓶をあおる方は黙っていてください。昼餉には少々時刻が過ぎてしまったな。八つ前か。まあいい。市に行こうか」

「市? 竜宮から出るのか?」

「そうだ。この夜行性の仙人のおかげで、夜の女は苦手だと、この三日で解かっただろう。今の時刻ならお前と同年代の学生の帰宅時刻だ。食堂もそういう者達で集まっているから、話しやすいと思う」

「行く!!」

 後ろでヤンジンが何度も舌打ちしているが、ロンはどこまでも無視を決めつけて宮中の外に出た。



 竜宮の外は、とても賑わっていた。確かに夜の雰囲気とはまったく異なる。エイルは非常に楽しそうにきょろきょろし、ヤンジンはぶつぶつとロンへの呪詛を唱えている。
 竜宮の外は、『外』とはいえ、城壁に囲まれて漆喰壁の家が並ぶ。そちらは位を持たない一兵卒らの家だ。ロンの実家もこの住宅街のどこかにある。
 居住区と繁華街を分けるのは一本の運河だ。所々に見える楼閣が大きな店であったり、学校になっていたりする。
    今日のエイルを連れて行くのは繁華街である。運河を挟んだ竜宮側が繁華街や市場であり、対岸が居住区である。繁華街を歩いていると、市の威勢のいい声が飛び交う。子供は木の棒で決闘をしたり、走り回って大声を上げている。老人らは食堂の前で囲碁や将棋に興じていた。
 エイルが目を付けたのはやはり同じ年ごろの少年や少女だ。

「ロン、あの手に同じような包みを持っている集団はなんだ?」

「あれが学生。エリンのように宮中で教わる者もいるが、それは良家のご子息・ご令嬢だな。普通はああやって書物を抱いて学校に通い、文字の読み書きから、世界の成り立ちまでを学ぶ」

「へえー……学校かあ」

 感心するエイルをよそに、ヤンジンがロンの肩を掴んで耳打ちしてくる。

「おい、王子が学校も知らないって大丈夫なのかよ。あと、お前も左眼は随分安定してんな」

「俺の話はついでですか。あなたが昼間に引っ張り回してくれたら俺はお役御免だったのですがね……。まあ、エリンの場合はたった一人の王子なので、大戦前後からずっと宮中で大事に育てられて、外の学校を知る機会も友達もなく仙界に遊学したせいだと思います」

 そんな温室育ちがよくもまあ空と地上を無事に旅したものだとヤンジンが呆れていると、「ツーエン将軍!!」と駆け寄ってくる女学生が居た。

「誰だ?」

「長老衆のお一人、ハク様のお孫さんでミュウリン嬢……だったはず」

 ロンも曖昧な記憶を辿りながらヤンジンに答えつつ、「こんにちは」と少女に笑顔を返す。年齢ならエイルと同じくらいの少女だ。長い黒髪に赤紐を編んだ髪飾り、大きな黒目と長い睫毛をしばたたかせて、わずかに頬を紅潮させて礼儀正しくお辞儀をする。活発だが、どこか落ち着いた雰囲気も垣間見える不思議な少女だった。

「将軍、セツカ姫様とのご婚約おめでとうございます」

「おや、もう広まっているのですか?」

「学校も繁華街もそのお話しで持ちきりですわ。うちはおじい様が『やっとじゃあ』って、泣きながら夜に御酒ごしゅを父上と酌み交わしていらっしゃいましたの」

「うふふ」という笑い方がセツカに少しだけ似ていた。

「ご一緒の方は仙界の方ですか? ご挨拶が遅れてしまいました。申し訳ございません」

「私の師匠と弟分です。どうぞお気になさらず。ミュウリン殿は、学校帰りかとお察し致しますが、他の方と比べて荷物が多い印象を受けますね」

「ああ、これは学校で作ったべっこう飴を友達からも押し付けられてしまいましたの。よろしければ、将軍とお連れの方々もどうぞ」

「よろしいのですか?」

 綺麗な黄金色をした平たい飴がどっさり入った包みをロンに渡して「まだまだたくさんあるので、貰って頂けると助かります」とミュウリンは苦笑する。

「ではありがたく頂戴致します。どうぞおじい様にもよろしくお伝えください」

「はい。将軍とセツカ姫様のお式も楽しみにしておりますね――それでは、失礼致します」

 深々と礼をして、ミュウリンは楚々と学生らの流れの中に戻っていった。手に残ったべっこう飴をヤンジンとエイルにも配ると、ヤンジンはさっそく口に放り込む。

「いい感じのお嬢様じゃねえか。エリン、ああいう子は……お前、単純すぎないか――?」

 べっこう飴を手にしたまま、顔を真っ赤にしているエイルにヤンジンは飴をガリッと噛んだ。

続...
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