星夜の約束を、また君と叶えたら

矢田川いつき

文字の大きさ
5 / 36
第一章 再び始まった君との日々に

第3-2話

しおりを挟む
「よし。んじゃまずはひとつ目ということで、はい」

 そう言うと、幸は何かを期待するような目とともに右の掌を見せてきた。僕はその意図がわからず、首を傾げる。

「えっと、これは?」
「ノートだよ。授業のノート。今日から始まったでしょ? 私、休んでて板書できなかったからさ、見せてくれない?」

 いきなり発せられた思いがけないお願いに、僕は目を見開く。

「え、え? 幸ってまさか、僕と同じ高校?」
「そうだけど……って、まさか見てないの? クラス名簿」
「見てないっていうか、自分の名前とクラスしか見てないよ」

 今の僕はあまり社交的な人間ではない。特段人を嫌っているわけではないけれど、積極的に誰かと関わろうとするよりもひとり勉強をしているか本を読んでいるほうが楽だった。それゆえに、一年生の時に親しくなった友達なんかもおらず、クラス名簿は去年と同じく自分の所属するクラスしか確認していない。そもそも、幸が同じ高校に通っているなんて想像すらしていなかった。

「え、っていうか、いつから? 一年生の時にいた?」
「えーとね。一年生の終わり頃、年明けてしばらくしたくらいにこっちに戻ってきたんだー。なんかバタバタしてたらすーぐ一年生も終わっちゃって。健悟くんが同じ高校に通ってたのを知ったのは春休み。新学期からのクラス発表が貼り出された時なんだよねー。あ、だからバレンタインあげなかったのはべつに嫌いだからとかじゃないからね!」
「いや、そういうのはいいから」

 情報量が多い。僕は気分を落ち着かせようと、手元にあったペットボトルの蓋を開けた。途端、プシュッと思いがけず大きな炭酸の抜ける音が出て驚く。

「えへへ、ありがとー開けてくれて。それ、私の」
「いつの間に……どうぞ」

 幸は僕からペットボトルを受け取ると、美味しそうに中身を飲む。僕は小さく首を横に振ってから、今度こそ自分のほうのペットボトルを手に取って蓋を開け、中身を喉に流し込んだ。ついでに鞄の中から、放心状態ながらもなんとか板書した教科のノートだけを取り出して幸に渡した。幸は嬉しそうにノートを受け取ってトートバッグの中にしまいこんだ。特に集中できなかった一限目の数学については、黙っておくことにした。

「それで、病気っていうのは」
「あーうん。あっちに行ってる時にね、ちょっと大きめの病気を発症しちゃったんだ。それで、呆気なく余命宣告されちゃった」
「余命、宣告……」
「うん、あと二年なんだって」

 ノートを手渡した後に、僕はやや迷いつつも幸の病気について尋ねた。
 幸の口から出てきた言葉は、どれも日常生活を送っている中ではまず聞くことのできない単語ばかりだった。
 幸はどうやら、脳に重い病気を患っているらしい。現状、薬のおかげもあって日常生活を送ることはできているようだが、やがてそうしたこともままならなくなり、昨日までのような入院生活を死ぬまで送ることになるそうだ。

「昨日までの入院もね、頭痛とめまいが酷くなったからなんだ。病気は、着実に進行してる」
「それは、治らないのか?」
「絶対治らないわけじゃないけど、成功率がかなり低い賭けみたいな手術をしないとなんだってさ。できる人も限られてて、お金もたくさんいる。健悟くんも知ってる通り、父子家庭の私の家じゃ無理なんだよね」

 彼女には似つかわしくない、諦念が含まれた笑顔に胸が痛くなる。
 不意に、昔の彼女の横顔が思い起こされた。
 幸の母親は、彼女が幼い頃に他界していた。幸の父親は幸を育てるために毎日遅くまで働き、近くに親戚もいなかった幸はそのほとんどを独りで過ごしていた。

 ――寂しいよ……。

 幸と仲良くなってしばらくした頃に、突然彼女は笑顔から一転顔を歪ませてさめざめと泣いた。まるで、ずっと張り詰めていた糸が切れたかのように、抱え込んでいたものを零すかのように、踏ん張っていた力が抜けて崩れ落ちてしまったかのように、彼女は大粒の涙を流していた。
 あの時、僕は幸に何を言ったんだっけ……。

「まっ、だからね。身体がまだ言うことを聞くうちにやりたいことを全部やっておこうと思ってさ。ということで、じゃじゃーん!」

 僕の悩みが帰結を結ぶ前に、幸は大仰な声をあげて何かを僕の眼前に提げてきた。脳裏に浮かんでいた過去は掻き消され、代わりに目の前の物に注意が引き寄せられる。

「これは?」
「死ぬまでにやりたいことノート! よくあるでしょ? これから先の人生でやりたいなって思ってたことを書いて、命の期限が来る前に実行するやつ」

 内容の切なさとはかけ離れた、弾んだ声で意気揚々とノートを見せびらかしてくる。今日最後の光を届けている夕陽のおかげで、薄っすらとその中身については読むことができた。確かに、『超絶美味い高級料理を食べる』とか、『誰もしたことがない面白い仕事をする』とかなんかいろいろと書いてある。

「確かに、どこかで聞いたことのある話だけど……って、まさか」

 僕の視線の先が、『一日中ゲームをして遊びたい』という項目まで下りてきたところでその可能性に思い至った。幸に目を向けると、案の定今日一番に良い笑顔で僕を見ている。

「ご明察! 健悟くんには、早速明日から私と一緒にこのノートに書いてあることをやってほしいの!」
「やっぱり」

 それこそ、よくある話だ。お涙頂戴の感動映画や恋愛ドラマなんかで何度も見たことがある。
 けれど、僕のよく知る幸は、それで終わらなかった。

「もちろん、ただでとは言わないよ。代わりに、私も今の健悟くんがやりたいことをなんでも一緒にやってあげるから!」
「は?」
「お互いにやりたいことを交互にやっていこう! 死ぬまでにやりたいこと共同戦線を、私と結ぼうよ!」

 屈託のない、嘘も偽りも揶揄やゆもてあそびもまるでない笑顔で、幸は右手を差し出してきた。僕は全く反応できずに、ただ茫然としているばかり。

「え、ええと、どうして僕まで?」

 どうにかこうにか我を取り戻して問えば、彼女は力強い口調で答えてくる。

「死ぬまでにやりたいことなんて、誰もが持ってるでしょ。そして、こういう機会でもなければなかなかやろうとしないでしょ。人間いつ死ぬかわからないんだし、いい機会なんだからやろうよ。それに……」

 かと思えば、途端に幸の声が尻すぼみになる。

「また久しぶりに、健悟くんといろんなことして遊びたかったから」

 そして、若干恥ずかしそうに頬を赤らめてそんなことを言ってくるものだから、こちらにまで恥ずかしさが伝染してきた。
 僕はまた唖然として、言葉を失っていた。
 以前差し出されたままの小さな右手に視線を落とす。
 今の僕の性格なら、普通は断っているような提案だった。
 けれどそれは、相手が幸以外の別の誰かであればの話だ。
 昔、一時の短い時期とはいえ、この運動公園で無邪気に遊んだ彼女との時間は紛れもなく楽しかった。
 そんな思い出の相手と再会し、そんな思い出の相手がまさか重病を患い、そんな思い出の相手が余命宣告を受けていると聞いては、断れるはずもなかった。

「わかったよ」

 僕は満を持して、幸の右手を取った。
 そんな思い出の……僕の初恋の人は、嬉しそうに笑っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...