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第二章 君と笑えた星夜の空に
第10話
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「水族館に行きたい?」
遅れて登校した後の昼休み。すっかり恒例となった週一回の幸とのランチタイムで、僕は病院から学校までの道中に思いついた死ぬまでにやりたいことを話すと、幸は目を丸くした。
「なんか、いつも通り欲がないのは変わらないけど、今回は随分と方向性を変えてきたね」
「まあ、たまにはいいかなって思って」
努めて素っ気なく言ってみるもどことなく恥ずかしくて視線を合わせられず、僕は手元のお弁当に集中する。けれど幸は逃してはくれず、俯く僕の視界にひょっこりと顔をのぞかせてきた。
「たまには、ね~。ちなみにこれってさ、デートのお誘い?」
「っ!?」
危うく、口に入れていた煮物を吹き出しそうになる。しかしさすがに幸がのぞきこんでいる先に大根を飛ばすわけにもいかず堪えると、食べていたものが気管に入って盛大にむせた。幸は苦笑いを浮かべながら背中を撫でてくれる。僕は差し出されたお茶を飲みつつ、どうにか息を整えた。
しかし、息は整えることができても心の中は未だに落ち着かなかった。
僕が今、幸と死ぬまでにやりたいこと。
病院から学校までの道中や教室に遅れて入ってきて授業を受けている最中も真剣に考えていたが、何度考えても最初に思い浮かんだ答えは変わらなかった。
また昔みたいに、楽しくて充実した時間を幸と過ごしたい。
そして、とにかく幸の寂しさや不安を少しでも和らげられるように、できることはなんでもしたい。
決して本人を前にして口にはできないけれど、これが本心だった。
いつから今のような人付き合いに疎い冷めた性格になったのかはわからないが、少なくとも子どもの頃の僕はこうではなかった。小学生らしい無邪気さを胸に、ただ純粋に幸との時間を楽しんでいた。今思い出しても、幸と一緒に遊んだ時間は本当に満ち足りていたのだ。
そして、幸と再会してからのここ二ヶ月も楽しかった。
余命宣告された昔馴染のお願いを引き受けたことから始まった時間は、昔と変わらずに充実していた。死ぬまでにやりたいことをやっているのに、ともすれば彼女が大病を患っていることを忘れてしまいそうになるほど、それは日常となっていた。
でも、この日常は幻だ。
近くない未来に、必ず終わりが来る。
――わたしね、もうすぐ引っ越しちゃうんだ。
幼い彼女の声を思い出す。
事の重さは違えど、あの時と同じだ。
いつか来る終わりの日まで、僕は彼女と全力で遊んだ。
そして今回も、遠くない終わりの日まで、僕は幸と死ぬまでにやりたいことをし合って、楽しんで、少しでも幸が息をしやすいようにできることをしていきたい。
これが僕の、死ぬまでにやりたいことだと思った。
「どう? 落ち着いた?」
「ああ、ごめんごめん。ありがと」
手渡されたお茶とともに、反芻していた気持ちを身の内にしまう。二度ほど長く息を吐くと、心も落ち着いてきた。これなら大丈夫そうだ。
「それにしても水族館かー。なんか懐かしいね!」
「……覚えてるの?」
「そりゃーもちろん覚えてるよ!」
僕の問いかけに、幸は朗らかに笑う。その笑顔にはとても見覚えがあって、僕はついまた視線を逸らしてしまう。
――一度でいいから見てみたいんだー!
実は、僕が先ほど伝えた死ぬまでにやりたいことは、かつての幸が言っていたことだった。
「私のお気に入りだったもん、夜の水族館特集の雑誌! よく一緒に運動公園で見てたよね。ウミホタルとか夜光虫とかクラゲとかが光ってる海が本当に綺麗で、人生で一度は直に見てみたいってずーっと思ってたんだから!」
そうだ。まさにこんな笑顔で、あの時の幸も僕に嬉々として語っていた。
――ほらほら見てみて! この光ってる海の中とか、まるで星空みたいだよね!
――ここの水族館とかで見られるんだってさ~!
――大人になったら絶対見に行こうね!
幸の家からほど近い運動公園をメインの遊び場としていた僕たちは、よく「大人になったらここに行こう」「大人になったらあれを見よう」と話していた。まだ小学生という身分では行動範囲があまりにも狭く、雑誌に載っているような遊園地や水族館といったテーマパークに行くのは両親に連れて行ってもらうしか方法はなかった。
けれど、幸は早くに母親を亡くして父子家庭だったし、僕の家も両親が共働きで忙しくしていたからそうした場所に行くのは夢のまた夢だった。だから、お金がたくさんあって自由にどこへでも行ける「大人」になったら叶えようと約束し、その時はお喋りと空想の中だけで楽しんでいたのだ。
僕が死ぬまでにやりたいことを明確にした時、真っ先に思い浮かんだのがこの時の会話だった。だからひとまず、何食わぬ顔で「水族館に行きたい」と提案してみたのだけれど、どうやら幸はしっかりと覚えていたらしい。なんて記憶力だ。
「あれ~? もしかして、私が昔言ってたのを思い出したから提案してみた、とかだったりする?」
ついでに洞察力も優れているらしい。僕の気遣いをふいにする小悪魔的な微笑には肩をすくめるしかなかった。
「いや、たまたまだよ」
「ふ~ん? そっかそっか」
最後の悪あがきも虚しく、彼女はあっけらかんとして表情を緩めていた。
それから僕らは残りのお弁当を食べ進めながら行き先や日にちについて話した。
行き先は隣の市の、幻想的な夜の海を楽しめるナイトエリアがある水族館にすぐ決まった。幸が先ほど言っていた『夜の水族館特集』の人気ランキングにも常に上位にランクインする水族館で、今の幸も常日頃から憧れていたらしいので迷うことはなかった。
「問題は日にちよねえ」
「テスト明けの土曜か日曜でいいんじゃないの?」
「ああ、うん、それはそうなんだけど、ちょっと確認してみないとで」
ただ日にちだけは何やら難しい顔をしていたので、後日決めるということになった。元から土日は大した予定も入っていないし、友達付き合いもない僕にとってはどちらでもいい。いつも通り、決定権は彼女に一任することとなった。
「また日時は連絡するね。まあその前に、期末テストをやっつけないとなんだけど」
「それは言えてるな」
「じゃあ今日の放課後は約束通り『勉強会』ということで、よろしくね!」
彼女の死ぬまでにやりたいこと其の十七は『ワイワイ楽しい勉強会をしたい』というもので、ちょうど期末テストの時期ということもあり今日からの放課後を使って叶えることにしていた。
にしても、幸にしては珍しく落ち着いた内容なんだよな。
最後のおにぎりを頬張りながら、この時の僕は呑気に構えていた。
知る由もなかった。
水族館の日時決めと今回の『勉強会』が、まさかあんな形で布石となっていたなんて。
遅れて登校した後の昼休み。すっかり恒例となった週一回の幸とのランチタイムで、僕は病院から学校までの道中に思いついた死ぬまでにやりたいことを話すと、幸は目を丸くした。
「なんか、いつも通り欲がないのは変わらないけど、今回は随分と方向性を変えてきたね」
「まあ、たまにはいいかなって思って」
努めて素っ気なく言ってみるもどことなく恥ずかしくて視線を合わせられず、僕は手元のお弁当に集中する。けれど幸は逃してはくれず、俯く僕の視界にひょっこりと顔をのぞかせてきた。
「たまには、ね~。ちなみにこれってさ、デートのお誘い?」
「っ!?」
危うく、口に入れていた煮物を吹き出しそうになる。しかしさすがに幸がのぞきこんでいる先に大根を飛ばすわけにもいかず堪えると、食べていたものが気管に入って盛大にむせた。幸は苦笑いを浮かべながら背中を撫でてくれる。僕は差し出されたお茶を飲みつつ、どうにか息を整えた。
しかし、息は整えることができても心の中は未だに落ち着かなかった。
僕が今、幸と死ぬまでにやりたいこと。
病院から学校までの道中や教室に遅れて入ってきて授業を受けている最中も真剣に考えていたが、何度考えても最初に思い浮かんだ答えは変わらなかった。
また昔みたいに、楽しくて充実した時間を幸と過ごしたい。
そして、とにかく幸の寂しさや不安を少しでも和らげられるように、できることはなんでもしたい。
決して本人を前にして口にはできないけれど、これが本心だった。
いつから今のような人付き合いに疎い冷めた性格になったのかはわからないが、少なくとも子どもの頃の僕はこうではなかった。小学生らしい無邪気さを胸に、ただ純粋に幸との時間を楽しんでいた。今思い出しても、幸と一緒に遊んだ時間は本当に満ち足りていたのだ。
そして、幸と再会してからのここ二ヶ月も楽しかった。
余命宣告された昔馴染のお願いを引き受けたことから始まった時間は、昔と変わらずに充実していた。死ぬまでにやりたいことをやっているのに、ともすれば彼女が大病を患っていることを忘れてしまいそうになるほど、それは日常となっていた。
でも、この日常は幻だ。
近くない未来に、必ず終わりが来る。
――わたしね、もうすぐ引っ越しちゃうんだ。
幼い彼女の声を思い出す。
事の重さは違えど、あの時と同じだ。
いつか来る終わりの日まで、僕は彼女と全力で遊んだ。
そして今回も、遠くない終わりの日まで、僕は幸と死ぬまでにやりたいことをし合って、楽しんで、少しでも幸が息をしやすいようにできることをしていきたい。
これが僕の、死ぬまでにやりたいことだと思った。
「どう? 落ち着いた?」
「ああ、ごめんごめん。ありがと」
手渡されたお茶とともに、反芻していた気持ちを身の内にしまう。二度ほど長く息を吐くと、心も落ち着いてきた。これなら大丈夫そうだ。
「それにしても水族館かー。なんか懐かしいね!」
「……覚えてるの?」
「そりゃーもちろん覚えてるよ!」
僕の問いかけに、幸は朗らかに笑う。その笑顔にはとても見覚えがあって、僕はついまた視線を逸らしてしまう。
――一度でいいから見てみたいんだー!
実は、僕が先ほど伝えた死ぬまでにやりたいことは、かつての幸が言っていたことだった。
「私のお気に入りだったもん、夜の水族館特集の雑誌! よく一緒に運動公園で見てたよね。ウミホタルとか夜光虫とかクラゲとかが光ってる海が本当に綺麗で、人生で一度は直に見てみたいってずーっと思ってたんだから!」
そうだ。まさにこんな笑顔で、あの時の幸も僕に嬉々として語っていた。
――ほらほら見てみて! この光ってる海の中とか、まるで星空みたいだよね!
――ここの水族館とかで見られるんだってさ~!
――大人になったら絶対見に行こうね!
幸の家からほど近い運動公園をメインの遊び場としていた僕たちは、よく「大人になったらここに行こう」「大人になったらあれを見よう」と話していた。まだ小学生という身分では行動範囲があまりにも狭く、雑誌に載っているような遊園地や水族館といったテーマパークに行くのは両親に連れて行ってもらうしか方法はなかった。
けれど、幸は早くに母親を亡くして父子家庭だったし、僕の家も両親が共働きで忙しくしていたからそうした場所に行くのは夢のまた夢だった。だから、お金がたくさんあって自由にどこへでも行ける「大人」になったら叶えようと約束し、その時はお喋りと空想の中だけで楽しんでいたのだ。
僕が死ぬまでにやりたいことを明確にした時、真っ先に思い浮かんだのがこの時の会話だった。だからひとまず、何食わぬ顔で「水族館に行きたい」と提案してみたのだけれど、どうやら幸はしっかりと覚えていたらしい。なんて記憶力だ。
「あれ~? もしかして、私が昔言ってたのを思い出したから提案してみた、とかだったりする?」
ついでに洞察力も優れているらしい。僕の気遣いをふいにする小悪魔的な微笑には肩をすくめるしかなかった。
「いや、たまたまだよ」
「ふ~ん? そっかそっか」
最後の悪あがきも虚しく、彼女はあっけらかんとして表情を緩めていた。
それから僕らは残りのお弁当を食べ進めながら行き先や日にちについて話した。
行き先は隣の市の、幻想的な夜の海を楽しめるナイトエリアがある水族館にすぐ決まった。幸が先ほど言っていた『夜の水族館特集』の人気ランキングにも常に上位にランクインする水族館で、今の幸も常日頃から憧れていたらしいので迷うことはなかった。
「問題は日にちよねえ」
「テスト明けの土曜か日曜でいいんじゃないの?」
「ああ、うん、それはそうなんだけど、ちょっと確認してみないとで」
ただ日にちだけは何やら難しい顔をしていたので、後日決めるということになった。元から土日は大した予定も入っていないし、友達付き合いもない僕にとってはどちらでもいい。いつも通り、決定権は彼女に一任することとなった。
「また日時は連絡するね。まあその前に、期末テストをやっつけないとなんだけど」
「それは言えてるな」
「じゃあ今日の放課後は約束通り『勉強会』ということで、よろしくね!」
彼女の死ぬまでにやりたいこと其の十七は『ワイワイ楽しい勉強会をしたい』というもので、ちょうど期末テストの時期ということもあり今日からの放課後を使って叶えることにしていた。
にしても、幸にしては珍しく落ち着いた内容なんだよな。
最後のおにぎりを頬張りながら、この時の僕は呑気に構えていた。
知る由もなかった。
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