虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第1章

第20話:静寂を裂く鉄靴

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 その音は、何の前触れもなく、平穏に慣れきっていた僕の鼓膜を容赦なく貫いた。 塔の最下層に位置する、あの日以来久しく誰も触れることのなかったはずの重厚な鉄扉が、まるで地響きのような鈍く重苦しい音を立てて強引に開かれたのだ。 三階の静まり返った書庫で、いつものように医学書を捲っていた僕は、心臓を直接鷲掴みにされたような凄まじい衝撃に襲われ、手にしていた古い本を床へと取り落とした。バサリと落ちた本の乾いた音が、死んだような静寂の中で不自然なほど大きく響き渡る。

「……来た。とうとう、この時が来てしまった」

 あの一ヶ月前、僕を獣のように檻に入れてここまで運んできた、あの冷酷な騎士団長がやってきたのだ。そう確信し、最悪の再会を覚悟した僕は、震えが止まらない手で床を突き、必死に呼吸を整えながら螺旋階段の入り口を凝視した。

  ガラン、ガラン――。

  硬い鉄靴が冷たい石段を無慈悲に叩く音が、迷路のような階段の壁に反響しながら、着実に、そして確実に上へと伝わってくる。 けれど、その音が近づくにつれ、僕の中に奇妙な違和感が膨れ上がっていった。その足音は、かつての騎士たちが立てていたものよりもずっと重く、地面そのものを踏み砕くような、圧倒的なまでの力強さを秘めていたからだ。階段を一段昇るごとに、塔の中に満ちていた穏やかで静かな空気は、その人物が放つ逃げ場のない苛烈な威圧感によって、どす黒く凍りつくような緊張感へと塗り替えられていく。

 やがて、三階の入り口のアーチに、巨大な影が音もなく現れた。 冬の午後の逆光の中に屹立するその男は、冬眠前の熊を思わせるほど逞しく強靭な体躯を、漆黒の重厚なマントで包み込んでいる。その腰に佩いた、並の人間では持ち上げることすら叶わないであろう身の丈ほどもある大剣が、彼がわずかに身を動かすたびにガチャリ、ガチャリと重厚な金属音を立て、僕の逃げ道を完全に塞いだ。

(……誰だ? あの時の、あの騎士団長じゃない……)

 男がゆっくりと、威圧を隠そうともせずに部屋の中へと踏み込み、その顔が窓から差し込む陽の光に晒された瞬間、僕はあまりの気圧され方に思わず息を呑んだ。 右の額から頬にかけて、過去の熾烈な戦いを物語るように斜めに深く刻まれた傷跡。その奥にある射抜くような鋭い眼光は、僕を自分と同じ「人間」として扱ってなどいない。それは檻の中に繋がれた危険な猛獣、あるいは指一本触れることさえ忌まわしいと感じる汚れ物を、冷徹に検分するような憎悪を湛えていた。

「……初めましてだな、レリル。俺はこの北の地を統治する辺境伯、ヨハン・ストルムベルクだ。この掃き溜めのような古塔での卑屈な生活で、貴様のような男でも、少しは反省という言葉を覚えたか」

 吐き捨てられる言葉は、刃のように鋭く僕を刺した。男は僕の返事を待つこともなく、威圧的な言葉を続ける。

「貴様はこの先、この俺の領地にこれっぽっちの迷惑もかけず、何も企まず、ただ死んだように過ごせ。もし万が一にでも怪しい動きが見られた場合は、即刻王都に連絡し、貴様が跡形もなく魔石へと加工されるよう正式に報告する。ただでさえ魔力の強すぎるお前の、あの忌々しい魔力抽出になど、誰も死にたがって行きたがらないからな。おかげで俺がわざわざ直々に来なければならなくなっているのだ。これ以上、俺の手を煩わせるなよ」

 地を這うような、深く低い地鳴りのような声が書庫の隅々まで響き渡る。 この男が、あの騎士団長に代わって僕の前に現れた新たな執行人。この北の地を絶対的な力で治める辺境伯ヨハン・ストルムベルク。 彼とはこれが人生で最初の対面のはずなのに、その瞳の奥底に宿る昏い殺意は、僕がこの身体の主として受けてきたどの視線よりも鋭く、僕の魂を根こそぎ凍りつかせた。
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