20 / 208
第1章
第19話:満ちゆく月の影
しおりを挟む
平穏という名の残酷な秒針は、一瞬の情けもなく、正確に時を刻み続けていた。
鴉との他愛もない交流や、迷宮のような塔の探索でどれほど心を紛らわそうとも、僕の心臓の最奥には、常に氷のように冷たい澱が沈殿していた。
「……もうすぐ、一ヶ月だね」
夜、天窓から見下ろす月が、欠けることのない無慈悲な真円へと近づいていくのを見つめ、僕は誰に聞かせるでもなく呟いた。あの神と交わした、呪いのような契約。一ヶ月に一度、僕という存在をこの世界に繋ぎ止めるための代償――「魔力提供」の日が、目前に迫っていた。
体内に澱んだ膨大な魔力を、魔石という空の器へと注ぎ込む。
言葉にすれば、それは単なるエネルギーの移し替えに過ぎない。けれど、それが魂を削り取るような痛みなのか、あるいは意識を混濁させる虚脱感なのか、僕には想像することさえ叶わなかった。
ここ数日、体内の脈動が狂い始めている。
血管の奥底を、熱せられた泥のような何かが這い回り、絶え間なく内壁を打ち付けているような、吐き気を催す不快感。これが「レリル」という天賦の才が持つ、御しきれぬほどの魔力なのだろうか。神の言葉が事実なら、この熱を放っておけば、僕の肉体は内側から魔力の暴走によって焼き切られ、灰に帰す。この苦痛から逃れるためには、定期的に「抜き取られる」ことこそが唯一の生存条件なのだ。
「怖いな……。あんなに死にたいと思っていたのに。今は、こんなに怖いんだ」
僕は暗い寝室で膝を抱え、制御できない震えを押し殺した。
鴉は僕の異変を鋭く察したのだろう。寝床から音もなく滑り降りると、そっと僕の震える手に自らの温かな頭を押し当ててきた。その健気な仕草に、かえって胸が締め付けられる。
魔力を根こそぎ奪われたとき、僕の心はどうなってしまうのだろう。
もしそのまま意識が戻らず、抜け殻のようになってしまったら。もし、手違いで僕という個体が壊れてしまったら――この子は、またあの孤独な空へ、一人で帰らなければならないのだろうか。
鴉の羽を撫でる僕の指先は、今や死人のように冷え切っていた。
これまで必死に、砂の城を積み上げるようにして守ってきた「生活」が、明日の朝にはすべて無残に踏み荒らされてしまうかもしれない。僕がここに存在を許されている唯一の理由は、あくまで「魔力の安定供給源」としての家畜のような価値があるからだ。もしその機能を果たせなければ、待っているのは冷たい魔石への「加工」――完全な死だ。
「……大丈夫だよ。きっと、大丈夫」
自分に言い聞かせる声は、夜の静寂に吸い込まれて消えた。
窓の外では、完璧な美しさを湛えた満月が、冷徹な監視者のように白々と世界を照らしている。
明日、あの大扉が開かれる。
僕の平穏を容赦なく終わらせ、僕を「レリル」という呪われた現実へと引き戻すために、誰かがこの塔を訪れる。
その訪問者が、僕にとって、そして僕の隣で静かに息を呑むこの子にとって、福音となるか、あるいは破滅の使者となるか。僕はただ、嵐の前の凪のような夜の中で、一度も開けることのなかった「地獄の続き」を見据えるように、眠れぬ目を閉じた。
鴉との他愛もない交流や、迷宮のような塔の探索でどれほど心を紛らわそうとも、僕の心臓の最奥には、常に氷のように冷たい澱が沈殿していた。
「……もうすぐ、一ヶ月だね」
夜、天窓から見下ろす月が、欠けることのない無慈悲な真円へと近づいていくのを見つめ、僕は誰に聞かせるでもなく呟いた。あの神と交わした、呪いのような契約。一ヶ月に一度、僕という存在をこの世界に繋ぎ止めるための代償――「魔力提供」の日が、目前に迫っていた。
体内に澱んだ膨大な魔力を、魔石という空の器へと注ぎ込む。
言葉にすれば、それは単なるエネルギーの移し替えに過ぎない。けれど、それが魂を削り取るような痛みなのか、あるいは意識を混濁させる虚脱感なのか、僕には想像することさえ叶わなかった。
ここ数日、体内の脈動が狂い始めている。
血管の奥底を、熱せられた泥のような何かが這い回り、絶え間なく内壁を打ち付けているような、吐き気を催す不快感。これが「レリル」という天賦の才が持つ、御しきれぬほどの魔力なのだろうか。神の言葉が事実なら、この熱を放っておけば、僕の肉体は内側から魔力の暴走によって焼き切られ、灰に帰す。この苦痛から逃れるためには、定期的に「抜き取られる」ことこそが唯一の生存条件なのだ。
「怖いな……。あんなに死にたいと思っていたのに。今は、こんなに怖いんだ」
僕は暗い寝室で膝を抱え、制御できない震えを押し殺した。
鴉は僕の異変を鋭く察したのだろう。寝床から音もなく滑り降りると、そっと僕の震える手に自らの温かな頭を押し当ててきた。その健気な仕草に、かえって胸が締め付けられる。
魔力を根こそぎ奪われたとき、僕の心はどうなってしまうのだろう。
もしそのまま意識が戻らず、抜け殻のようになってしまったら。もし、手違いで僕という個体が壊れてしまったら――この子は、またあの孤独な空へ、一人で帰らなければならないのだろうか。
鴉の羽を撫でる僕の指先は、今や死人のように冷え切っていた。
これまで必死に、砂の城を積み上げるようにして守ってきた「生活」が、明日の朝にはすべて無残に踏み荒らされてしまうかもしれない。僕がここに存在を許されている唯一の理由は、あくまで「魔力の安定供給源」としての家畜のような価値があるからだ。もしその機能を果たせなければ、待っているのは冷たい魔石への「加工」――完全な死だ。
「……大丈夫だよ。きっと、大丈夫」
自分に言い聞かせる声は、夜の静寂に吸い込まれて消えた。
窓の外では、完璧な美しさを湛えた満月が、冷徹な監視者のように白々と世界を照らしている。
明日、あの大扉が開かれる。
僕の平穏を容赦なく終わらせ、僕を「レリル」という呪われた現実へと引き戻すために、誰かがこの塔を訪れる。
その訪問者が、僕にとって、そして僕の隣で静かに息を呑むこの子にとって、福音となるか、あるいは破滅の使者となるか。僕はただ、嵐の前の凪のような夜の中で、一度も開けることのなかった「地獄の続き」を見据えるように、眠れぬ目を閉じた。
86
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
すべてはあなたを守るため
高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです
転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**
イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
神子の余分
朝山みどり
BL
ずっと自分をいじめていた男と一緒に異世界に召喚されたオオヤナギは、なんとか逃げ出した。
おまけながらも、それなりのチートがあるようで、冒険者として暮らしていく。
途中、長く中断致しましたが、完結できました。最後の部分を修正しております。よければ読み直してみて下さい。
【8話完結】いじめられっ子だった僕が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる