虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第1章

第32話:辺境伯の自問自答

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 塔での出来事が、己の想定を遥かに超えて胸の奥底を掻き乱している。執務室で書類を検分していても、演習場で部下を相手に大剣を振るっていても、ふとした瞬間にあの「レリル」の、全てを失ったような絶望の泣き顔が網膜の裏に鮮明に浮かび上がるのだ。

「……チッ、目障りな。実に目障りだ」

 苛立ちと共に吐き捨てた言葉は、誰に届くこともなく虚空に消える。 あの大罪人レリルが、魔物に慈悲を乞うなどあり得ない。魔物はこの極北の安寧を脅かす「悪」であり、それを排除することに一点の曇りも迷いもないはずだった。だというのに、あの泥にまみれ、血を流しながらカラスを抱きしめていた男の姿を思い出すたび、俺の胸には名状しがたい、泥のように重く不快な感情が沈殿していく。

 気づけば、翌日の昼下がり、俺は誰にも行き先を告げぬまま再び馬を走らせ、あの忌まわしい塔へと向かっていた。 あんな奴の様子など、徴収の日まで放置しておけばいい。だが、あの極限状態のまま死なれて、貴重な魔石の供給源を失っては困る――そんな、自分自身でも薄ら寒い嘘だと確信している理由を盾にして、俺は重い鉄扉を開けた。

 一階へと降りてきたレリルの姿を視界に入れた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。 陽の光さえ透かしそうなほどに青白い顔、今にも崩れ落ちそうなほどに弱々しく、頼りない足取り。

 あの日、あのカラスの看病に没頭するあまり、一睡もせず、喉を通る食事すらまともに取っていないことは、そのやつれきった容貌から容易に察しがついた。

「……昨日、首輪に魔力封じの術をちゃんとかけないまま、出てきてしまったことに気づいた。再調整が必要だ。こっちへ来い」

 喉の奥まで出かかった「身体は大丈夫なのか」という、柄にもない案じの言葉を強引に飲み込み、代わりに出たのは、我ながら呆れるほど支離滅裂な言い訳だった。 魔力封じの首輪は、一度嵌めれば永続的に機能する術式だ。元・王宮筆頭魔導師であるレリルほどの男が、これほどまでに稚拙で初歩的な嘘を見抜けないはずがない。

 だが、彼は力なく、消え入るような声で「よろしくお願いします」とだけ答え、驚くほど素直に俺に背を向けた。 一切の抵抗の意志を見せず、死を待つ生贄のように細い首筋を無防備に晒す。その、驚くほど白く、儚い「うなじ」が目前に現れた瞬間、俺の心臓は自分でも制御できないほど大きく跳ねた。

 ドクン、という不愉快なほどに力強い鼓動に激しい困惑を覚えながら、俺は何も不具合など起きていない首輪に、震えそうになる手を伸ばした。

 冷たい鉄の感触。

 そして、そのすぐ下にある、熱に浮かされたように熱い、奴の肌。 魔法をかけるふりをして、俺はただ、その細い首元で指先を迷わせるしかなかった。
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